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    039203
  • 年月日内 容
    年月日はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦を基準に表記します(地域によってはユリウス暦もあります)。
    宇宙創生以降
    138億年前宇宙創生。プランク時代。クォークが生成。
    宇宙創生から10-44秒後超統一力が大統一力と重力に分かれる。グルーオンが生成。
    宇宙創生から10-36秒後大統一時代が終わり、大統一力が電弱力と色の力(核力=強い力)に分かれる。真空の相転移による超膨大なエネルギーでインフレーションが始まり、宇宙は急激に膨張。
    宇宙創生から10-34秒後インフレーションが終わり宇宙は極超高温・高密度状態になる(いわゆる「ビッグバン」)。電弱時代。宇宙の大きさはこの時点で量子レベルから数cm程度にまで拡大したと考えられる。
    宇宙創生から10-10秒後電弱力が電磁気力と弱い力に分かれる。物質と反物質の釣り合いが崩れ、対消滅により物質だけが残る。
    宇宙創生から10-4秒後宇宙の温度が1兆度ほどにまで下がり、クォークやグルーオンからハドロン(陽子・中性子など)が出来るQCD相転移がおこる。ハドロン時代。
    宇宙創生から1秒後陽子と中性子から出来た重水素原子核の核融合が始まる。
    宇宙創生から3分~20分後重水素原子核融合によりヘリウムと、ほんのわずかなリチウム、ベリリウムの原子核が合成され終了。宇宙は原子核、電子、光子によるプラズマ状態となる。
    宇宙創生から38万年後宇宙の温度が3000k程まで下がり、電子と原子核が結合して原子が生成されるようになる。電子との相互作用で進むことが出来なかった光子が通るようになり、宇宙は見通しが良くなる(宇宙の晴れ上がり現象)。
     この期間を暗黒時代と呼ぶ。宇宙が晴れ上がった後、恒星が誕生するまでの間は、光る天体がないため。
    宇宙創生から1億年後頃最初期の恒星(第一世代の天体)が生まれたと考えられる。
    宇宙創生から1億~5億年後頃最初期の銀河が生まれはじめる。地球のある銀河系もこの頃か。
    宇宙創生から8億年後頃宇宙の再電離。
    70億年前宇宙の膨張が再び加速。ダークエネルギーによるものか。
    地球誕生以降
    46億年前(冥王代)太陽周辺の原始惑星系円盤内で、塵が衝突して微惑星へと成長し、微惑星がさらに衝突して成長し、原始地球を含む惑星がいくつか誕生する。
    45億5000万年前(冥王代)地球の衛星「月」が誕生する。現在は地球に火星くらいの大きさのトロヤ惑星テイアが衝突し、分離した大量の破片が集合して月になったとするジャイアント・インパクト説が有力視されている。
    44億年前頃(冥王代)地球がマグマオーシャンから表面が冷えて地殻が出現する。
    41億年前~38億年前(冥王代)地球や月に多数の天体が衝突したとされる仮説(後期重爆撃期)の期間。木星のようなガスジャイアントの公転軌道の変化に影響を受けた多数の小天体の軌道が太陽近くにまで移動したためとされる(否定的な説もある)。
    40億年前頃(冥王代)地球に海洋が出現し、表面はほぼ海に覆われる。表面温度の低下で水蒸気が雨となって大量に降り注いだ結果と考えられる。
    40億年前頃(冥王代)地球に原始生命が出現したと考えられる。もっと古い43億年前くらいとする説もある。生命発生の起源については、DNAワールド仮説、RNAワールド仮説、プロテインワールド仮説、パンスペルミア説などがある。
    38億年前(始生代)生命が存在したと考えられる地質学的痕跡のある年代。真正細菌と古細菌の共通祖先から分かれたとされる。原始生命が地球環境が激変したと考えられる「後期重爆撃期」を生き延びたとする説が有力。
    35億年前頃(始生代)最古の化石の年代。
    29億年前頃(始生代)判明している最古の氷河期、ポンゴラ氷期。
    27億年前頃(始生代)光合成を行うシアノバクテリアとみられるストロマトライトの最古の化石の年代。この頃から生物によって大量の酸素が生み出され、海中に溶けていた鉄イオンが酸化鉄として堆積するようになる(縞状鉄鉱床)。酸素の苦手な真正細菌・古細菌に代わり真核生物が現れ増えはじめる。
    24億年前~21億年前(原生代)ヒューロニアン氷期。地球全体が氷河期となる全球凍結もあったとされる。
    21億年前頃(原生代)最古の真核生物の化石の年代。
    20億2300万年前頃(原生代)現在の南アフリカフレデフォートに直径10~12km程度の小惑星が衝突。直径300kmのクレータが生じる。衝突のエネルギーは87Ttに達したとも。
    19億年前頃(原生代)鉄イオンの酸化による鉄鉱床の生成が終わる。この頃、プレートテクトニクスにより最初の超大陸ヌーナが出現。
    18億5000万年前頃(原生代)現在のカナダ・サドベリー付近に直径10kmほどの小惑星が衝突。直径200~250kmほどのクレーターが生じる。
    10億年前頃(原生代)この頃には多細胞生物が現れたものと思われる。
    7億4000万年前~6億3000万年前頃(原生代)スターティアン氷期からマリノア氷期。地球全体が凍りつく最も激しい全球凍結時代だったとされている。この後の生命の大繁殖時代「カンブリア爆発」との関連も指摘されている。
    6億年前~5億5000万年前頃(エディアカラン紀)エディアカラ生物群が繁殖。軟体でしかも比較的大きな体格(数十cm程度)をした生物が多いのが特徴。
    5億4500万年前頃(エディアカラン紀)生物の大量絶滅が起こる。V-C境界。大規模な火山活動説がある。
    5億4200万年前~5億3000万年前頃(カンブリア紀)この頃、多種多様な動物が出現。現在の動物のほぼすべての「動物門」が登場したとみられる。通称「カンブリア爆発」。
    5億3000万年前頃(カンブリア紀)バージェス動物群が繁殖。現在では類型が見られない動物も多数生息。1909年に古生物学者チャールズ・ウォルコットがロッキー山脈でバージェス頁岩を発見し、その後同地から多数の化石が採取されたことから付いた。
    4億4000万年前(オルドビス紀)三葉虫の一部が絶滅する。超新星爆発によるガンマ線照射でオゾン層が破壊され、浅瀬に住む生物に影響したという説もある。
    3億7400万年前(デボン紀)フラスニアン期とファメニアン期の境(F-F境界)で海洋生物の大絶滅が起こる。原因は不明だが、酸素濃度の低下が挙げられている。
    2億5160万年前(ペルム紀最末期)この頃から以降の100万年で、海洋と陸上の生物の約95%が絶滅する。その約1000万年前のガダルピアン世末期の絶滅と共に「P-T境界の大量絶滅」と呼ばれる。また、この頃より以降1億年に渡り、大気の酸素濃度が大きく低下した。そのため、マントルプルームによる大噴火で気候が変動したという説の他、隕石落下説もある。ちょうどこの頃、すべての大陸がつながり、超大陸パンゲアが出現している。
    2億1400万年前(三畳紀)破砕した小惑星の破片が地球各地に降り注ぐ。現在でもマニクアガン・クレーターなど各地に痕跡が残っている。
    1億9960万年前頃(三畳紀最末期)生物の大絶滅現象が起こる。中央大西洋マグマ分布域の火山活動の活発化、オスミウム層の存在から隕石の衝突などが原因とされている。これ以降、絶滅期を生き延びた恐竜が繁栄していく。
    6550万年前頃(白亜紀末期)現在のインド・ムンバイの西方海域に、直径40kmほどの小惑星が衝突。シバクレーターを形成。地球規模の災害を引き起こし、チクシュルーブ・クレーターの小惑星とともに恐竜絶滅のきっかけとなったという説もある。
    6550万年前(白亜紀末期)現在のユカタン半島の北部沿岸部付近に、直径11~15kmほどの小惑星が衝突。チクシュルーブクレーターを形成。地球規模の災害を引き起こす。恐竜絶滅のきっかけとも。
    3900万年前(始新世)直径約2kmの隕石がデヴォン島に落下。直径23kmほどのクレーターが生じる。デヴォン島はカナダの北極海クイーンエリザベス諸島にあり、風化や侵食が殆ど見られないことから、衝突時の状態が保存されている。
    3720万年前(始新世)現在のカナダのサドベリー付近にあるクレーターの端に隕石が落下。ワナピティクレーターが生じる。
    1500万年前(中新世)現在のドイツ・バイエルン州とバーデン=ヴュルテンベルク州に、直径1.5kmと150mの大小2つの小惑星がほぼ同時に落下。リースクレーターとシュタインハイムクレーターを生じる。クレーター間の距離はおよそ42km。2つの小惑星は、連星のような共通重心を回る二重小惑星だったとも言われている。
    596万年前頃(中新世)地中海に蒸発岩が現れ始める。大西洋と断絶したことで、地中海の蒸発が進み、干上がり始めたためと考えられる。
    580万年前頃(中新世)猿人アルディピテクス・カダッバが出現。
    555万年前頃(中新世)地中海がかなりの範囲で干上がったとみられる。メッシニアン期塩分危機。
    533万年前頃(中新世)地中海と大西洋がジブラルタルのところで再びつながり、大西洋の海水が地中海へと流れ込み始める。
    440万年前頃(鮮新世)猿人アウストラロピテクス・アナメンシスが出現。
    230万年前頃(鮮新世)最も古いヒト属であるホモ・ハビリスが出現。
    210万年前頃(鮮新世)イエローストーン火山が大噴火する。
    200万年前頃(鮮新世)猿人パラントロプス・エチオピクスが出現。
    160万年前(更新世)旧称洪積世。氷河時代となる。海水面が下がり、陸地が広がる。
    140万年前(更新世)現在のカナダ・ラブラドル半島の北西端に隕石が衝突。直径3.44kmの真円に近いニューケベッククレーターが生じる。
    130万年前(更新世)イエローストーン火山が大噴火する。
    33万年前加久藤カルデラ噴火。
    現世人類出現以降
    25万年前頃現生人類であるホモ・サピエンスが出現。
    12万年前屈斜路カルデラで大噴火が発生し、北海道の広範囲が火山灰で覆われる。
    11万年前阿多カルデラ噴火。
    9万年前木曽御嶽山が大規模噴火。
    9万年前阿蘇カルデラで最大規模の噴火が起こる。約600立方kmの噴出量があり、九州の半分を火砕流が覆い、その先端は山口県に達する。降灰は北海道にまで到達。周辺地域に分厚い堆積台地を形成。
    7万5000年前この頃、人類の遺伝子多様性が極度に減少。なにかの理由で人類が千人から1万人程度にまで減少したためともいわれる。トバ火山の大噴火によると見られる気象変動が原因という説もある。現世人類が世界中へ広がり始めた理由にする説もある。
    6万年前この頃、木曽御嶽山が噴火。摩利支天溶岩を流出する。
    5万年前現在のアメリカ・アリゾナ州に直径20~30mほどの小型の隕石(隕鉄)が衝突。直径1.2kmほどのクレーターが生じる。いわゆるバリンジャー隕石孔。
    5万年前現在の中国遼寧省鞍山市付近に隕石が衝突。直径1.8kmほどのクレーターが生じる。
    4万年前屈斜路カルデラで噴火が起こり、溶岩によって湖の南東部に円頂丘が生まれ、円形だった屈斜路湖は現在のようなそら豆状になる。
    3万7000年前イタリア半島のカルデラ・フレグレイ平野カンパニアン・イグニンブライトで大規模な噴火が起こる。この噴火のほか、当時の南ヨーロッパなどで相次いだ噴火がネアンデルタール人を絶滅させたという説もある。
    3万5000年前ルソン島の古期ピナトゥボ火山で大噴火が起こり、現在のピナトゥボ山の原型ができる。
    2万9000年前この頃、姶良カルデラが短期間に二度も大爆発を起こす。一度目は妻屋火砕流を引き起こし、二度目は大規模な入戸火砕流を引き起こして、南九州一帯は噴出物に覆われ、関東平野にも10cmの降灰があった。
    2万6500年前ニュージーランド北島のオルアヌイ火山が大噴火する。噴出量は1170立方km。
    2万4000年前ネアンデルタール人のもっとも遅い絶滅推定年代。イベリア半島の一部ではこの頃まで生存していたという説もある。
    2万2000年前この頃から、姶良カルデラの一角に桜島が姿を現し始める。
    1万2900年前この頃、温暖化していた環境が急に寒冷化。ヤンガードリアス氷期に入る。温暖化に伴う氷床融解(特に当時世界最大の湖だった北米のアガシー湖からの流出)で起きた淡水の海洋流入が海流を変化させたのが原因という説、彗星もしくは隕石の北アメリカ大陸への落下もしくは空中爆発が原因という説もある。およそ1300年間続く。
    1万2000年前この頃、インドネシアで起きた火山の大噴火によって、フロレス島にいた小型人類フローレス人が絶滅したとみられる。身長1m程の原人で、新種かそれまで知られている原人の島嶼化(孤立した島でやや大型の動物が小型化していく現象)かはっきりしない。この頃すでに同島には現生人類も居住していたと考えられる。同じ頃、同島にいた象の近縁種であるステゴドンも滅びている。
    1万1000年前この頃にはすでに、メソポタミア西部ではライ麦を栽培する農業が始まっていたとみられる。ヤンガードリアス氷期の影響という説も。
    8200年前頃世界最大の湖だった北米のアガシー湖(現在の五大湖とハドソン湾の間に広がっていた巨大氷河湖)が氷河の崩壊によって決壊しほぼ消滅。水の大半がハドソン湾を経て海へと流れ出たと考えられる。海面の上昇、海流の変化による寒冷化などを引き起こしたとされる。
    8000年前この頃から5000年前ころまで、サハラ一帯の気候は湿潤化し砂漠が大きく減少していたとみられる。この後、乾燥化が再び始まり、それに伴い、ナイル川流域へ人々が移動したとも言われる。
    有史以降
    紀元前5500年頃
     メソポタミアにウバイド文明が生まれる。
    紀元前4860年頃
     北米西海岸近くの現在のオレゴン州にあるマザマ山が大噴火によって崩壊。山体上部にカルデラが形成され、その後水がたまりカルデラ湖となる。現在のクレーターレイク。
    紀元前3900年頃
     メソポタミアに都市国家が生まれる。ウルク文化。
    紀元前3500年
     ナイル川の中流域に上エジプト王朝が、ナイルデルタ地帯に下エジプト王朝が成立する。
     この頃、阿多カルデラの池田カルデラ火山が噴火。
    紀元前3200年頃
     メソポタミアでウルク古拙文字が使われるようになる。最古の文字の一つ。
    紀元前3100年頃
     上エジプト王朝のナルメル王が下エジプトも支配し統一王朝を立てる。エジプト第1王朝。後のギリシャ人歴史家ヘロドトスなどの記録ではエジプト第1王朝はメネス王によって始まったとされているが、遺跡から出土する遺物ではナルメルの記述しか見られないため、同一人物説もある。
    紀元前3000年頃
     アナトリア西端のイリオス都市文明の始まり。
     黄河中下流域に小規模の都市国家が出現。龍山文化。陶器の生産、農業などが発達。
    紀元前2900年頃
     エジプト第2王朝がこのころはじまる。最初の王はヘテプセケメイとみられる。
    紀元前2710年代頃
     エジプト第2王朝セト・ペルイブセン王の時に、上下エジプトの間に内乱が起こる。
    紀元前2686年頃
     エジプト第2王朝最後の王カセケムイが死去。内乱平定後30年ほど統治していたみられる。
     カセケムイの娘ニマアトハピの夫サナクトが王位を継ぎ、エジプト第3王朝を開く。
    紀元前2668年
     エジプト第3王朝2代目王ジョセル(ネチェルイリケト)が王位につく。大型の階段ピラミッドを最初に作った王。以後ピラミッドは大型化していく。
    紀元前2613年
     エジプト第3王朝最後の王フニ王の息子であるスネフェルが異母妹ヘテプヘレスと結婚しエジプト第4王朝を開く。巨大ピラミッドが次々と建設された時代。
    紀元前2589年
     スネフェルの子クフが第4王朝第2代王となる。最大のピラミッドを作ったファラオ。
    紀元前2566年
     ジェドエフラーが第4王朝第3代王となる。巨大ピラミッドを作ったがほとんど破壊されている。在位期間がよくわかっていない。名前に太陽神ラーが最初に付いたファラオ。
    紀元前2558年?
     カフラーが第4王朝第4代王となる。ジェドエフラーの兄弟とみられる。2520年即位説も有力。スフィンクスとカフラー王のピラミッドを作ったファラオ(スフィンクスはもっと古いという説もある)。
    紀元前2532年?
     メンカウラーが第4王朝第5代王となる。クフ王、カフラー王のピラミッドに比べやや小ぶりのピラミッドを作る。
    紀元前2500年頃
     この頃までに、メソポタミアのウルク古拙文字が絵文字から抽象化されて簡略化し、シュメール文字へと変化。その後、さらに簡略化が進み、楔形文字として周辺地方にも広まっていく。
    紀元前2498年
     ウセルカフが第5王朝を興す。ジェドエフラーの孫で、メンカウラーの娘を妻にしている。ギザではなくアブシールに太陽の神殿を作ったファラオ。第5王朝はアブシールにピラミッドや太陽の神殿を作るが規模が小さく材質も粗雑。
    紀元前2345年頃
     第5王朝最後の王ウナス王の娘と考えられるイプト1世を妻にしたテティ1世が第6王朝を興す。古王国最後の王朝。この頃から地域を支配する州侯が勢力を拡大していく。
    紀元前2334年頃
     メソポタミアの都市国家アッカドの王サルゴンが周辺地域も領有化していき、南東はペルシャ湾岸、北西は地中海に至るアッカド帝国を建国する。
    紀元前2180年頃
     エジプト第6王朝が崩壊し、第7王朝が成立。しかし次の第8王朝も含めて短期間であり、州侯の力も拡大。エジプト第1中間期に入る。
    紀元前2160年頃
     上エジプトのヘウト・ネンネス侯メリイブラー・ケティが第9王朝を興す。実質統一王朝ではなく上エジプトの王朝。
    紀元前2130年頃
     上エジプトのヘウト・ネンネス侯政権を継ぐ第10王朝が成立したとみられるが詳細は不明。ほぼ同時にその南にテーベ侯の第11王朝も成立。両王朝は以後激しく争う。
    紀元前2115年頃
     ウルク第5王朝の王ウトゥ・へガルの娘婿ウル・ナンムが、ウトゥ・ヘガルの死後、ウル第3王朝を興す。現存する最古の法典ウル・ナンム法典を制定した人物。
    紀元前2100年頃
     黄河中流域に都市国家が出現。二里頭文化。夏王朝との関係が指摘されている。
    紀元前2040年頃
     上エジプトのテーベ侯のメンチュヘテプ2世がエジプトを再統一。中王国時代に入る。
    紀元前2004年頃
     エラムの軍勢がウルに侵攻してこれを破壊。ウル第3王朝が滅亡。ウルの最後の王イビ・シンはアンシャンへと連れ去られる。
    紀元前1991年頃
     エジプト第11王朝最後の王メンチュヘテプ4世の宰相アメンエムハトと同一人物とみられるアメンエムハト1世が第12王朝を興す。
    紀元前1894年頃
     スムアブムが都市国家バビロンの王となりバビロン第1王朝を興す。
    紀元前1792年頃
     ハンムラビがバビロン第1王朝6代王となる。
    紀元前1782年頃
     第12王朝最後の王で女王のセベクネフェルの死後、大家令ヘテプイブラー・アアムサホルネジュヘルアンテフが王位を簒奪。さらにセベクヘテプ1世が王位につき第13王朝を興す。下エジプトが支配権から外れて独立(第14王朝)。第2中間期と呼ばれる時代になる。
    紀元前1757年頃
     ハンムラビがシュメール、アッカドを含むメソポタミア地方を統一。
    紀元前1680年頃
     アナトリア高原にヒッタイト王国が成立。
    紀元前1663年頃
     下エジプト地方でヒクソスと呼ばれた異民族(シリア方面から来た人々?)のサイテス王による第15王朝が成立。上エジプト系テーベの第17王朝が徐々に勢力を拡大しこれと争うようになる。また同時代に第15王朝影響下で同じヒクソスと見られる小規模の第16王朝も存在していたと考えられる。
    紀元前1628年頃
     地中海のサントリーニ島付近で海底火山の噴火が起こる。カルデラを形成。この大噴火により大津波が発生して各地を襲いミノア王国が滅ぶ。アトランティス伝説の元になったという説もある。
    紀元前1600年頃
     この頃から黄河中流域に都市国家が勢力を拡大。二里岡文化。殷(商)王朝初期段階か。
    紀元前1595年
     ヒッタイトの王ムルシリ1世が古バビロニア(バビロン第1王朝)を滅ぼす。カッシート人が勢力を拡大。
    紀元前1570年頃
     上エジプト系第17王朝カーメス王の弟であるイアフメス1世が下エジプトを滅ぼし、エジプトを統一。新王国時代最初の第18王朝を開く。
    紀元前1500年代頃
     ミタンニ文明が興る。フルリ人がメソポタミア北方に興した国家。
    紀元前1479年頃
     第18王朝4代王トトメス2世の妻だったハトシェプストが女王となる。夫と側室の間の子トトメス3世が幼かったため実権を奪って君臨したとして批判される一方、安定した政権で統治を行いトトメス3世との関係も良かったという説もある。旧約聖書でモーセを拾って育てたファラオの王女を彼女だとする説もある。
    紀元前1475年頃
     カッシート王国のウラム・ブリアシュがバビロン第2王朝を滅ぼしてメソポタミアを統一(バビロン第3王朝)。
    紀元前1450年前後頃
     トゥドハリヤ1世がヒッタイト帝国の王位につく。これ以降をヒッタイト新王国時代と呼ぶ。即位年は諸説あり不明。
    紀元前1458年頃
     第18王朝5代王ハトシェプストが退位し、トトメス3世が第6代王として実権を握る。ハトシェプスト女王の事跡を抹消したと言われる。以降、第18王朝の絶頂期となる。
    紀元前1457年?
     メギドの戦い。第18王朝6代王トトメス3世がカナン連合軍と戦い勝利する。シリア南部がエジプトの影響下に置かれるようになる。記録に残る最古の戦争の一つ。
    紀元前1386年?
     第18王朝9代王にアメンホテプ3世が即位。ルクソール神殿を作ったファラオ。
    紀元前1353年?
     第18王朝10代王にアメンホテプ4世が即位。
    紀元前1368年?
     第18王朝10代王アメンホテプ4世が、多神教であるアメンの神官らの勢力が強まったため、首都のテーベを捨て、唯一神アテンのための町アケトアテンを建設して遷都する。記録上に残る最初の唯一神信仰とも言われる。自らの名前もアクエンアテンと改める。
    紀元前1336年?
     スメンクカーラーが即位。正体のほとんど不明なファラオ。男性とみられるが女性のような偶像や女性用の棺になっているなど奇妙な点が多い。在位が短く記録も少ない。
    紀元前1333年?
     ツタンカーメン(トゥト・アンク・アメン)が即位。アメンホテプ4世とその同父同母姉妹の間の子。黄金のマスクで有名。記録は殆ど無い。病弱だが戦争を指揮したとも言われる。この代にアテン神からアメン神信仰に戻された(ツタンカーメンの名前の由来もアメン神)。実権は宰相アイ(アクエンアテンの王妃ネフェルティティの父親)と将軍ホルエムヘブ(後のファラオ)が握っていた。
    紀元前1330年頃
     ヒッタイト帝国のシュッピルリウマ1世がミタンニを制圧する。
    紀元前1324年?
     ツタンカーメン(トゥト・アンク・アメン)が死去。遺体の損傷は激しく、また体の各所に生来の障害があり、また足の骨折が原因で死亡したとみられるが、事故か事件かは不明。宰相アイ(アクエンアテンの王妃ネフェルティティの父親)がツタンカーメンの王妃アンケセナーメンと結婚して王位継承権を得て即位(ケペルケペルウラー王)。この前後、エジプトの「ダハムンズ」からヒッタイトに対して王子を夫に迎えたいという縁談が持ち込まれる。ダハムンズ(王妃の意か)が誰かはわからないが、アンケセナーメン説もある。ヒッタイトから送られた王子ザンナンザが暗殺されたため、ヒッタイトの王子アルヌワンダがカナン方面へ軍事侵攻することになる。
    紀元前1323年?
     ケペルケペルウラー王(アイ)が死去。軍の司令官で王女ムトノメジットを妻にしていたホルエムヘブがナクトミンらを倒して王に即位。第18王朝最後のファラオ。
    紀元前1320年頃?
     ヒッタイト王シュッピルリウマ1世がエジプトとの戦争中に始まった疫病の大流行で死去。アルヌワンダが即位する。アルヌワンダもまもなく病死し、その弟のムルシリ2世が即位。
    紀元前1300年頃
     殷(商)王朝が殷墟に都を置く。史書では第19代王盤庚の時とされている。
    紀元前1295年
     第18王朝最後のファラオであるホルエムヘブ時代の軍司令官で宰相も務めた親友ラムセス1世が後継者に指名され即位。第19王朝を興す。共同統治者は息子のセティ1世。
    紀元前1294年
     高齢だった第19王朝初代ラムセス1世が死去。セティ1世が即位。領土を拡大し、エジプト美術を完成させたと言われるファラオ。
    紀元前1290年頃?
     セティ1世の子ラムセス2世が即位(年代は諸説あり)。66年間統治し、180人もの子がいたとも言われ、各地に遠征し、アブ・シンベル神殿など多数の神殿を作った。大王とも呼ばれる。
    紀元前1286年頃?
     エジプトのラムセス2世とヒッタイトのハットゥシリ3世が戦う。
    紀元前1274年?
     カデシュの戦い。エジプトのラムセス2世の軍がカデシュを攻略しようとしてヒッタイト帝国の罠にはまり敗北。その後、エジプト側の援軍が到着しヒッタイト軍は退却するが、両者の間で和平条約が結ばれた。記録上最古の和平条約。
    紀元前1208年
     ペルイレルの戦い。第19王朝4代王メルエンプタハが、海の民と呼ばれる民族とリビア人がともにエジプトまで遠征してきたため、これと戦う。
    紀元前1200年前後
     この頃、ヒッタイトやエジプトなど、東地中海沿岸の大国が軒並み滅亡や衰退する。その原因は不明だが、気象異変や大規模な噴火などの説もある。カナン地方(後のパレスチナ)では小規模の国家が多数成立。アイスランドのヘクラ火山の大噴火ではないかという説もある。
    紀元前1190年頃
     ヒッタイトが滅亡。侵略を受けたという説もあるが、自滅崩壊したという説もある。最後の王はシュッピルリウマ2世。
    紀元前1185年
     エジプト第19王朝最後のファラオで女王タウセルトのあと短期間の空位を経てセトナクトが即位。第20王朝が興される。セトナクトの正体はよくわかっていない。セトナクトはまもなく死去し、共同統治者で息子のラムセス3世が即位。
    紀元前1155年頃
     第20王朝のラムセス3世が喉を切られて暗殺される。王妃ティイが息子ペンタウアーを後継にするために計画し、多数の参画者がいたと言われる。裁判でほとんどが処刑された。ラムセス4世が王位を継ぐがエジプト文明はこれ以降衰退し始める。
    紀元前1000年
     ダビデがユダの王となる。後のイスラエル王。
    紀元前961年
     ダビデ王が死去。王位継承の争いを経てソロモンが跡を継ぐ。
    紀元前931年
     ソロモン王が死去。レハブアムが跡を継ぐ。
    紀元前922年
     イスラエル12支族のうち、レハブアムの政策に反発した10支族がヤロブアムを擁して、イスラエルはイスラエルとユダの南北に分裂。
    紀元前753年
     4月21日ロムルスが都市国家ローマを建設し、その初代王に即位。
    紀元前721年
     アッシリアがイスラエルに侵攻してこれを滅ぼす。部族指導者層が連れ去られたため、イスラエル民族の12支族のうちイスラエル王国を構成していた10支族はこれ以降消息不明となり、失われた十支族と呼ばれる。
    紀元前660年
     2月11日(神武天皇元年1月1日)「神武天皇の即位」。明治6年に天保暦から太陽暦へ変更される際に、記紀神話の記述から計算して都合をあわせたもので、グレゴリオ暦のこの年月日に即位したわけではなく、第2次大戦後は神武天皇の存在も否定的な説が主流。
    紀元前597年
     新バビロニア帝国の王ネブカドネザルがカナンの地に侵攻する。
    紀元前586年
     新バビロニア帝国の王ネブカドネザルがユダ王国を滅ぼし、ユダの指導者層ら多数が連れ去られる(バビロンの虜囚)。
    紀元前551年
     9月28日儒教の始祖、孔子こと孔丘が、魯国昌平郷陬邑に生まれる。
    紀元前539年
    10月17日アケメネス朝ペルシャ王国の攻撃で、新バビロニア帝国が滅亡。ペルシャ王キュロス2世は、バビロンに移住させられていたユダヤ人やその他の諸民族を解放。
    紀元前490年
     9月12日マラトンの戦い。ペルシャ帝国と、ギリシャの都市国家アテナイとプラタイアの連合軍が戦い、連合軍が勝利。その報告を一人の兵士が、マラトンからアテナイまで走って伝えた伝説から、マラソン競技の元となった。
    紀元前404年
     4月25日アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終結。
    紀元前399年
     4月27日アテナイのソクラテスが、無知の知を諭そうとして恨みを買い、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落に導いた」として刑死する。
    紀元前338年
     8月 2日カイロネイアの戦い。マケドニアとアテナイ・テーバイ連合との戦い。マケドニアのアレクサンドロス王子(後の大王)も軽装歩兵隊を率いて初陣。アテナイ・テーバイ連合は大敗を喫する。
    紀元前336年
    10月マケドニア王ピリッポス2世が護衛をしていたオレスティスのパウサニアスに暗殺される。王位は20歳の息子アレクサンドロスが継ぐ。
    紀元前334年
     5月グラニコス川の戦い。アレクサンドロス率いるマケドニア軍と、アルサメス、アルシテス、ミトリダテスらの率いるアケメネス朝ペルシア軍がグラニコス川で戦う。マケドニア軍が勝利し、小アジア征服へとつながっていく。
    紀元前333年
    10月イッソスの戦い。アレクサンドロス率いるマケドニア軍3~4万と、ダレイオス3世率いるペルシア軍10万が激突。ダレイオス3世が途中で戦線を離脱して逃走したため、ペルシア軍は大敗を喫する。
     カナン地方がマケドニアのアレクサンドロスによって征服される。
    紀元前331年
    10月 1日ガウガメラの戦い。アレクサンドロス率いるマケドニア軍とダレイオス3世率いるアケメネス朝ペルシアの軍がティグリス川上流のガウガメラで激突。マケドニア軍が大勝し、ダレイオス3世は敗走。アレクサンドロスはバビロンへ入る。
    紀元前330年
     アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス3世が、逃走先のバクトリアで総督のベッソスに殺害される。ペルシア王国滅亡。ベッソスはスピタメネスやオクシュアルテスらと同盟を結びペルシア王アルタクセルクセスを名乗る。
    紀元前329年
     ペルシア王アルタクセルクセスを名乗っていたベッソスが捕らえられ、アレクサンドロス大王によって処刑される。
    紀元前327年
     アレクサンドロス大王のインド遠征(~前324年)。
    紀元前323年
     6月10日アレクサンドロス大王死去。ハチに刺されたのが原因と言われる。
    紀元前323年
     アレクサンドロス大王の後継をめぐって有力者等によるディアドコイ戦争が起こる。以後約40年に渡り攻防を繰り返す。
    紀元前281年
     セレウコス朝とリュシマコス朝によるコルペディオンの戦い。セレウコスが勝利。ディアドコイ戦争は終わり、アレクサンドロスの帝国の大半はセレウコス朝の支配下に置かれる。
     9月セレウコスがプトレマイオス・ケラウノスに暗殺される。プトレマイオスはマケドニア王を名乗る。一方、セレウコスの後は、息子のアンティオコス1世ソテルが継ぐ。
    紀元前279年
     プトレマイオス・ケラウノスがガリア人との戦いで敗死。
    紀元前274年
     第一次シリア戦争がはじまる。エジプトのプトレマイオス2世とセレウコス朝アンティオコス1世との戦い。エジプトが勝利しシリア方面へ勢力を広げる。
    紀元前260年
     第二次シリア戦争がはじまる。エジプトのプトレマイオス2世とセレウコス朝アンティオコス2世との戦い。セレウコス朝が勝利し、再びフェニキアなどを支配下に収める。
    紀元前259年
     贏政(後の始皇帝)が趙の国都邯鄲で生まれる。
    紀元前246年
     贏政が秦の王位を継ぐ。後見役として呂不韋が仲父の称号を与えられ、宰相として国政を担う。
     セレウコス朝アンティオコス2世が、前妻のラオディケに暗殺される。後継に息子のセレウコス2世をつける。ラオディケはその前にアンティオコス2世の後妻でエジプト王プトレマイオス2世の娘ベレニケも暗殺しており、エジプトとの関係が悪化。第3次シリア戦争が始まる。
    紀元前240年
     5月   (秦王政7年)中国で彗星が目撃される。ハレー彗星か。
     この頃、エジプトのギリシャ人科学者エラトステネスが、ナイル川中流のシエネ(現在のアスワン)で、夏至の日に太陽が天頂に来ることを知り(北回帰線)、ナイル河口のアレクサンドリアで夏至の日に立てた鉛直の棒の影の角度から、両都市の緯度の差を計算。地球の50分の1であることを算出。両都市の距離から、地球の全周距離は250000スタディアと計算。スタディアの長さについては諸説ある。
    紀元前238年
     秦王贏政の母である太后と嫪毐(ロウアイ)の醜聞が発覚し、嫪毐一族が殺害され、嫪毐を太后に紹介した宰相の呂不韋が失脚する。
    紀元前235年
     秦の元宰相だった呂不韋が、自殺に追い込まれる。失脚後も名声を保っていたことが贏政の警戒を招いたとされる。
    紀元前230年
     (秦王政17年)秦が韓を攻め滅ぼし、潁川郡を設置。
    紀元前229年
     (秦王政18年)秦が趙を攻め滅ぼす。秦王贏政は、出身地である邯鄲に入ると、母を貶めようとした人々を捕らえ生き埋めにする。
    紀元前227年
     (秦王政20年)秦王贏政暗殺未遂事件。燕の太子丹が企図し、降伏の使者を装って贏政の前に現れた荊軻が贏政を刺殺しようとして失敗した事件。
    紀元前226年
     (秦王政21年)秦が燕の国都薊を攻め落とす。燕王喜と太子丹は遼東に逃走。降伏を望む父の燕王喜は丹を殺すも認められず。
    紀元前225年
     (秦王政22年)秦が魏の国都大梁を攻め落とし、魏は滅亡する。
    紀元前224年
     (秦王政23年)秦が60万の兵を動員し楚を攻撃。楚王負芻を捕える(前223年説もある)。
    紀元前223年
     (秦王政24年)秦軍が楚を攻略。抵抗を続けていた公子昌平君と将軍項燕を殺害し(項燕は前224年に戦死という説もある)、楚は滅亡。
     アンティオコス3世がセレウコス朝の王となる。
    紀元前222年
     (秦王政25年)秦は燕の残存領土を攻め、燕王喜を捕らえ、燕を滅ぼす。広陽、上谷、漁陽、右北平、遼西、遼東の6郡とする(広陽郡以外は燕の時代に設置された郡県制を踏襲)。
    紀元前221年
     (秦王政26年)秦は斉を攻め、斉王田建は戦わずして降伏。秦の天下統一が成立する。この後、秦王贏政は新たに皇帝の称号を作り、始皇帝と称する。
    紀元前220年
     アポロニアの戦い。セレウコス朝に反旗を翻し勢力を広げるメディア総督モロンに対しセレウコス王アンティオコス3世が行った遠征。モロンは敗れ自殺。モロンの兄弟でペルシス総督アレクサンドロスも自殺。
    紀元前219年
     (始皇帝28年)始皇帝、第1回目の天下巡遊を行う。途中、泰山で封禅の儀式を行う。
    紀元前218年
     (始皇帝29年)始皇帝、第2回目の天下巡遊を行う。
    紀元前217年
     6月22日ラフィアの戦い。セレウコス朝アンティオコス3世とプトレマイオス朝エジプトのプトレマイオス4世とのシリア領を巡る戦い。プトレマイオス朝側が勝利し領土を維持するが、被支配層だったエジプト人の力が強まることにもなる。
    紀元前216年
     8月 2日第二次ポエニ戦争・カンナエの戦い。カルタゴの将軍ハンニバルがローマ軍を包囲殲滅する。
    紀元前215年
     (始皇帝32年)始皇帝、第3回目の天下巡遊を行う。
    紀元前214年
     8月 2日(始皇帝33年)秦が運河「霊渠」の開削工事を開始する。
    紀元前212年
     (始皇帝35年)秦の阿房宮の建設が始まる。
     セレウコス王アンティオコス3世が東方遠征を開始。領土を拡大する。
    紀元前210年
     (始皇帝37年)始皇帝、第4回目の天下巡遊を行う。巡遊中に平原津で病気に倒れる。
     9月10日(始皇帝37年7月)始皇帝、巡遊の帰路、沙丘の平台で病死。趙高らの陰謀により始皇帝の末子胡亥が2代目皇帝として即位。皇太子だった扶蘇らは自害に追い込まれる。
    紀元前209年
     陳勝呉広の乱が勃発。反乱が各地へ拡大。
    紀元前208年
     劉邦、沛公となり、泗水郡の秦軍と戦う。
     魏の周芾が、泗水・沛付近に侵攻し、胡陵・方与・豊などが降伏する。
     劉邦、碭を占領し、6千の兵を手に入れる。
     劉邦、項梁の軍勢に加わり、指揮官の一人となる。この頃、魏に奪われていた故郷の豊を奪還する。
    紀元前207年
     張良、景駒のもとへ向かう途上、留の町で劉邦と出会う。劉邦の度量の大きさに感銘し、そのまま劉邦の幕下に加わる。
     雍丘の戦い。秦軍を率いる三川守李由と、劉邦軍が衝突し、李由が敗死。
     定陶の戦い。秦軍を率いる章邯が定陶を攻撃。雍丘の戦いの勝利に油断していた項梁が敗死する。そのことを予測していた宋義が懐王の信任を受け楚軍のトップに立つ。
     鉅鹿の戦い。章邯と王離率いる秦軍は、秦からの独立を画策した趙を攻撃。章邯が首都邯鄲を攻める一方、王離らが趙王と張耳が逃げた鉅鹿を攻撃する。救援の要請を受けた楚軍の項羽は、時間稼ぎをする宋義を誅殺して卿子冠軍を吸収し、全軍を掌握すると英布を派遣。更に自ら出撃し、秦軍と交戦。秦軍は大敗を喫し、王離は捕虜となり、蘇角は戦死、渉間は自殺した。これにより項羽は反秦連合軍の事実上の盟主となる。
     章邯率いる秦軍が9度に渡り項羽率いる連合軍と交戦するが全て敗北し、司馬欣、董翳とともに項羽に降伏する。
     項羽、英布に命じて、投降した秦兵20万を、新安で坑(穴埋め)にして殺害。秦軍はここにほぼ壊滅する。
     劉邦の軍勢が武関を突破し、秦の中心地である関中へ進軍する。
     秦の2世皇帝胡亥が宦官の趙高・閻楽らに殺され(望夷宮の変)、子嬰が即位。子嬰は趙高を殺害。咸陽に攻め寄せてきた劉邦軍に降伏。劉邦は子嬰を殺さずに置く。
    紀元前206年
     項羽軍が函谷関を突破し関中へ侵入。先に首都咸陽を制圧し函谷関を閉じた劉邦の謀反の罪を問い、両者は項伯の仲介で鴻門の会を開く。劉邦は許される。
     項羽が、咸陽に進軍し秦王子嬰らを殺害。咸陽を焼き払い、秦が滅亡する。
     項羽が秦への反乱軍に加わった諸将や旧六国の王族らを各地の王として封ずる。劉邦は漢王とされ、辺境の巴蜀漢中を領土として与えられる。この恩賞を受けられなかった各地の有力者や恩賞に不満を持つ王らが続出し、反乱や謀反が相次ぐ。項羽は主君筋の楚の懐王に義帝という称号を与えて辺境へ流し、九江王に封じた英布に命じて殺害。
    紀元前205年
     漢王劉邦が漢中から関中へと進出しこれを占拠。楚漢戦争が勃発する。
     (漢高祖2年4月)彭城の戦い。項羽が斉の攻略に手間取っているさなか、関中より出撃した劉邦に諸侯が集まり、総数56万の兵力で西楚の首都彭城になだれ込む。略奪に狂奔する連合軍に対し、項羽率いる3万が襲来。連合軍は大敗を喫し、10万人以上が殺害される。さらに睢水に追い詰められた10余万も殺害され、遺体は川をせき止めたという。
     (漢高祖2年8月)劉邦、韓信と張耳に魏を攻略させる。
     (漢高祖2年9月)井陘の戦い。韓信は張耳とともに趙を攻略するために出陣。対する趙の宰相陳余は、正攻法にこだわったうえ、韓信が「背水の陣」を敷いたことで油断し、城を奪われる大敗を喫する。陳余は捕らえられ処刑。趙王歇も逃亡したが捕らえられて処刑された。
    紀元前204年
     滎陽の戦い。彭城の戦いで大敗した劉邦は、九江王英布を寝返らせるが敗北。残兵を滎陽に集結する。項羽は滎陽を包囲。陳平が反間の計を用いて楚軍の君臣を離間させ項羽の軍師范増が失脚する。その上で囮を出して注意をそらし劉邦を関中へと逃がす。
     (漢高祖3年6月)劉邦、再び関中より出撃し、宛・葉に進出。成皋へ軍を進める。この頃、彭越が下邳を攻撃。項羽、彭越軍に勝利したのち、滎陽を攻め落とす。漢の御史大夫周苛ら処刑される。さらに成皋を包囲。劉邦、成皋を脱出し韓信と張耳のいる趙の修武まで行く。ここで韓信の軍を奪い、韓信には斉攻略を命じる。
     プトレマイオス朝エジプトのプトレマイオス4世が死去。5歳のプトレマイオス5世が即位する。セレウコス朝アンティオコス3世は再びシリア方面への進出を再開。
    紀元前203年
     (漢高祖4年)韓信、斉を制圧。濰水の戦いで楚の龍且を敗死させる。
     成皋の戦い。項羽が彭越を討伐するため外黄攻略に向かった留守中に成皋で楚漢両軍が衝突。楚軍が大敗を喫し、曹咎・董翳・司馬欣ら自害。
     広武山の和睦。劉邦は広武山に陣取り、項羽と対峙。項羽との論戦中に劉邦は負傷。また食糧不足のため両者は領土を分割することで合意し和睦。楚軍は撤兵を開始。劉邦は張良・陳平の進言を受け、楚軍を攻撃するも失敗に終わる。
     固陵の戦い。劉邦は項羽軍を追い、韓信と彭越に出陣を要請して固陵に至るも、両軍は現れず敗北する。張良の献策で勝利すれば恩賞として広大な領地を約束することで両者に出兵を促す。韓信と彭越はこれを受けて出陣する。
    紀元前202年
     垓下の戦い。項羽は劉邦を盟主とした韓信・彭越らの連合軍に敗れ、烏江に至りここで自刃。楚漢戦争が終結する。劉邦、項羽を弔う。
     2月28日劉邦が皇帝に即位し、漢帝国が成立する。
    10月19日ザマの戦い。第二次ポエニ戦争で、ローマとカルタゴが北アフリカのザマで衝突し、カルタゴが大敗を喫する。カルタゴは衰退していくことに。
     セレウコス朝がガザ方面へ侵攻。第5次シリア戦争が始まる。
    紀元前200年
     (漢高祖7年)白登山の戦い。匈奴の冒頓単于が40万の兵力で太原に攻め込み、それを受けて、劉邦が自ら32万の兵力で迎撃に赴くが誘い込まれて大敗。劉邦は匈奴に毎年貢納することで和睦する結果となった。
    紀元前198年
     セレウコス朝がカナン地方を支配。
     (漢高祖9年)劉邦の娘婿である趙王張敖の家臣貫高らが劉邦暗殺を企てたことが露見。貫高だけでなく張敖と劉邦の側室で元張敖の側室だった趙姫らも連座する。貫高の証言から張敖の罪は晴れるが、趙姫は呂后の嫉妬を受けて許されず、劉邦の子である劉長を産んで自殺。
    紀元前196年
     (漢高祖11年)春、淮陰侯韓信が鉅鹿太守の陳豨と反乱を計画。陳豨が挙兵するが、韓信の長安での挙兵は密告で露見し、蕭何の計略で捕らえられ一族ともども処刑される。陳豨も酈商に敗れ逃走。のち捕らえられ族誅となった。
     (漢高祖11年)梁王彭越が陳豨の反乱の際に出兵しなかったことで謀反の疑いをかけられ捕らえられる。一旦は蜀へ流罪とされたが、呂后の主張によって処刑される。
     (漢高祖11年)彭越の処刑を受けて疑心暗鬼となった淮南王英布が反乱を起こす。高祖劉邦自ら討伐に赴き激戦となるが、ついにこれを破る。英布、長沙王のもとへ逃走し、更に落ち延びようとして殺害される。
     (漢高祖11年)劉邦、英布討伐後、若い頃から暮らしていた沛に立ち寄り、「大風の歌」を披露。沛を永代免租とする。また沛の父老の訴えを受けて出身地である豊も同様の措置とする(豊の町はかつて劉邦を裏切ったことがあるため恨んでいたという)。
    紀元前195年
     (漢高祖12年)劉邦の幼馴染で、燕王であった盧綰が失脚。匈奴へ亡命する。盧綰の臣下だったとみられる衛満も千戸を率いて朝鮮に逃亡し、まもなく衛氏朝鮮を興す。
     (漢高祖12年6月1日)漢の高祖劉邦死去。
    紀元前193年
     劉邦の覇業を支えた相国蕭何が死去。
    紀元前192年
     セレウコス朝アンティオコス3世がテッサリア方面へ進出。
    紀元前191年
     テルモピュライの戦い。テッサリアに進出したセレウコス朝に対し、ローマが遠征軍を送った戦い。セレウコス軍は敗北し撤退。
    紀元前190年
     マグネシアの戦い。ローマ軍を率いるグナエウス・ドミティウスと、セレウコス王アンティオコス3世の軍勢が会戦し、セレウコスは大敗。
    紀元前188年
     ローマとセレウコス朝との間でアパメイアの和約が結ばれる。セレウコス朝はタウロス以西の領土を失った他、ローマに多額の賠償金を払うことになり、軍事力も大幅に制限されることになった。
    紀元前187年
     セレウコス朝アンティオコス3世が暗殺される。
    紀元前186年
     漢の高祖劉邦の名参謀として漢帝国創業を補佐した張良が死去。
    紀元前180年
     漢の高祖劉邦の妻で事実上女帝として君臨した呂雉が死去。
     漢の斉王劉肥の次男である朱虚侯劉章が、兄の斉王劉襄、元勲の周勃・陳平らと図りクーデターを起こす。呂一族が滅ぼされる。
     代王劉恒が5代皇帝として周勃・陳平らに擁立され即位。文帝。劉章は城陽王とされる。生存している劉邦の子で最年長であり、母親の薄氏が没落した旧魏王族の娘と薄姓の男性との間に生まれており、外戚の力が弱いとして選ばれたと言われる。
    紀元前178年
     (文帝前2年)陳平が死去。漢の高祖劉邦の軍師として策謀を担い、呂后の死後、呂氏一族の専横を排除して帝国の命脈を伸ばした人物。
    紀元前177年
     (文帝前3年)匈奴が漢の領土へ侵入。灌嬰が騎兵8万5千を率いて迎撃に出陣、文帝も太原まで親征を計画。しかし匈奴はその前に撤退。
     済北王劉興居が匈奴侵攻に便乗して謀反を起こす。しかし柴武が討伐軍を率いこれを撃破。劉興居は捕らえられ自殺。先に呂氏を滅ぼした際の、皇位継承も絡んだ内紛で恩賞が得られなかったことが原因とみられる。
     淮南王劉長が長安に赴いた際に、審食其を襲撃して殺害する。貫高の皇帝暗殺未遂事件に連座した母趙姫の助命嘆願を審食其がまともに取り上げず、自殺に至った恨みから。
    紀元前174年
     (文帝前6年)淮南王劉長が、柴奇らと反乱を計画し露見。文帝は死罪相当の意見を退け、劉長を蜀に流罪とするが、劉長は食を絶って自殺。
    紀元前167年
     セレウコス朝に対するユダヤ人の反乱「マカバイ戦争」が勃発。
    紀元前154年
     (景帝3年)呉楚七国の乱が勃発。漢の西半分を直轄する皇帝政府に対し、東半分を支配していた劉氏諸王(呉王劉濞・楚王劉戊・趙王劉遂・膠西王劉卬・膠東王劉雄渠・菑川王劉賢・済南王劉辟光)が挙兵。直接的には呉王劉濞が、息子を皇太子時代の景帝に殺されたことと、景帝が呉王の領土減封を図ろうとしたため。景帝は周亜夫を抜擢し、3ヶ月で鎮圧することに成功。
    紀元前142年
     セレウコス朝の勢力が後退し、マカバイ戦争は終結。ユダヤ人が事実上の独立を果たす(ハスモン朝の成立)。
    紀元前141年
     3月 9日武帝が前漢の第7代皇帝に即位。
    紀元前120年
     (元狩3年)武帝、財政再建のため、桑弘羊、孔僅らに塩鉄酒の専売制を実施させる。
    紀元前110年
     (元封1年)司馬談が死去し、その事業を司馬遷が受け継ぐ。
    紀元前109年
     (元封2年)武帝が衛氏朝鮮の王衛右渠討伐を命じる。
    紀元前108年
     (元封3年)衛氏朝鮮が滅び、遼東半島から朝鮮中部にかけて楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡が設置される。古朝鮮の時代が終わる。
     (元封3年)この年、司馬遷が太史令となる。
    紀元前104年
     (太初1年)司馬遷、壺遂ら学者数十名によって、太初暦が制定される。司馬遷、この頃より『史記(太史公書)』の編纂を開始。
    紀元前99年
     (天漢2年)武帝、匈奴討伐の遠征を命じる。別軍を率いた李陵が寡兵で善戦するも敗北し捕らえられて匈奴に降伏する。武帝、これに激怒。司馬遷は李陵を擁護したため、投獄される。
    紀元前98年
     (天漢3年)武帝のもとに、李陵が匈奴の兵に軍略を教えている誤報が届き(実際には李緒がしていた)、武帝は李陵の一族を処刑。司馬遷も宮刑に処せられる。
    紀元前96年
     (太始1年)司馬遷、釈放され中書令に任ぜられる。皇帝の詔書を扱う高官だが宦官が付く官職。
    紀元前91年
     (征和2年)巫蠱の獄が起こる。武帝の側近となっていた江充が、恨みを買った皇太子劉拠を陥れるため、呪詛を行っていると告発。劉拠は江充を捕らえて殺害するも、これにより武帝が劉拠の謀反を信じ、宰相劉屈釐に討伐を命じる。劉拠は敗北し、逃走先の湖県で自殺。一族や関係者も処刑される。しかしこれが江充の陰謀だと判明。武帝は江充の一族や関係者を処刑し、死んだ皇太子のために思子宮を建てた。
    紀元前90年
     (征和3年)匈奴討伐のため、李広利が出撃する。
     (征和3年)郭穰によって宰相劉屈釐らが武帝を呪詛していると告発され、一族とも処刑される。縁者である李広利の妻子も連座。それを遠征先で知った李広利は匈奴に降伏。
     (征和3年)この年、司馬遷『史記』を完成する。
    紀元前87年
     (後元2年3月30日)漢の武帝死去。劉弗陵が即位(昭帝)。8歳であったため、政治は大司馬大将軍の霍光、太僕・左将軍の上官桀、車騎将軍で匈奴の王子でもあった金日磾の3人が担当し、丞相の田千秋がこれを補佐する体制となる。
    紀元前86年
     昭帝の補佐役だった金日磾が死去。霍光と上官桀の両者が徐々に対立を深める。
    紀元前81年
     (始元6年)漢の朝廷において、有識者60人を召集し、桑弘羊の推進した塩鉄専売の是非を問う論争(塩鉄会議・塩鉄論)を行う。専売制は批判を受け、酒の専売制度が廃止されるが、財政逼迫のため塩と鉄は専売制が継続する。
    紀元前80年
     (元鳳1年)上官桀、燕王劉旦、御史大夫桑弘羊が反乱を企て失敗に終わる。上官皇后以外の関係者すべて処刑される(上官皇后は上官桀の子上官安と霍光の娘との間にできた子でまだ8歳)。
    紀元前75年
     1月10日漢の朝鮮半島北部にあった植民行政区の一つ「玄菟郡」が廃止される。
     ローマとポントスとの間で第三次ミトリダテス戦争が勃発。
    紀元前74年
     漢の昭帝が急死したため、霍光によって劉賀が皇帝となる。しかし行いに問題があるとして、在位27日で廃位され海昏侯に落とされる。劉賀の臣下らが処罰されたことから、政変説もある。
     霍光に擁立され劉病已(劉詢)が皇帝となる(宣帝)。巫蠱の獄で自殺した劉拠の子で、親族がすべて誅殺された際に、当時獄吏だった丙吉(後の宰相)に助けられ、獄中で養育されたのち、民間で育った異色の皇帝。
    紀元前68年
     (地節2年)漢の大権力者であった霍光が死去。宣帝は領尚書事を通さない封事を直接上奏することを認め、権力者霍一族の実態を知ることになる。
    紀元前66年
     (地節4年)霍禹らが反乱を企てたが露見し、一族及び関係する数千家が誅殺。霍皇后も廃され幽閉される。
    紀元前65年
     第三次ミトリダテス戦争でローマが勝利し、ポンペイウスは各地へ領域を拡大。
    紀元前64年
     ポンペイウスがシリアを占領し、ハスモン朝を事実上属国化する。
    紀元前57年
     新羅六部の村が赫居世居西干を王に擁立。新羅の建国とされる。神話上の話であるため、史実では辰韓十二国のひとつ斯蘆国を原点とする小規模国家から発展したものと考えられる。
    紀元前49年
     1月10日カエサルが、彼の勢力を恐れる元老院の召還命令に逆らい、「賽は投げられた」として、麾下の軍勢を率いてルビコン川を渡り、ローマ帝国本土へ侵攻する。
    紀元前47年
     8月 2日ゼラの戦い。ボスポロス王国の国王ファルナケス2世とローマのガイウス・ユリウス・カエサルが戦い、カエサルが勝利。「来た、見た、勝った(Veni vidi vici:ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー)」の言葉で有名。
    紀元前44年
     3月15日ガイウス・ユリウス・カエサルが元老院出席のためポンペイウス劇場に来た所で、ガイウス・カッシウス・ロンギヌスやマルクス・ユニウス・ブルートゥスらに暗殺される。その権力はガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス(のちの初代皇帝インペラトル・カエサル・アウグストゥス)に受け継がれる。
    紀元前37年
     扶余の金蛙王の子とされる朱蒙によって高句麗が建国されると建国神話にある。史実ははっきりしないが、旧玄菟郡の高句麗県侯となっていた在地の勢力とも考えられる。建国神話は夫余系民族に共通する東明聖王神話から来たものか。
     ユダヤのハスモン朝がローマによって滅びる。ローマに従っていたヘロデが王位についてヘロデ朝が成立。
    紀元前30年
     8月12日プトレマイオス朝エジプト王国のファラオ、クレオパトラ7世フィロパトルが自殺。事実上最後のファラオ。
     9月 8日聖母マリアが誕生したとされる日。
    紀元前18年
     高句麗建国の王朱蒙の三男温祚によって百済が建国される。これは建国神話に基づくもので、扶余系民族に共通する東明聖王神話に影響されているとみられる。
    紀元前6年
     ローマがヘロデ王朝の王位を廃してユダヤの地を直轄領とする。ユダヤ属州の成立。
    紀元前4年
     この頃、ナザレのイエス(いわゆるイエス・キリスト)が生誕。ルカ福音書の記載などからイエスはヘロデ王時代の末期に生まれているとみて間違いないので、ヘロデ王が死去したこの年までには生まれていたと考えられる。
    1年
     西暦1年。後の西暦525年にローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが、新たな紀元歴を決めるため、復活祭の一巡とイエスの没年齢からディオクレティアヌス紀元248年がキリスト紀元532年として算出し、紀元1年を定める。実際に西暦が使われるようになるのは15世紀ころから。なお、西暦の略号ADは、ラテン語で「主の年」を意味するanno Dominiの頭文字。
     この頃、日本列島南側で南海トラフの大地震が発生した可能性がある(高知県の津波堆積物のあとから)。
    8年
     (居摂3年11月)王莽が前漢の皇太子の孺子嬰(劉嬰)より禅譲を受けて国号を「新」と改め建国。初始元年と改元。同12月朔日を始建国元年正月朔日と定める。孺子嬰を定安公とし、前漢は滅亡。
    14年
     8月19日ローマ帝国の初代皇帝インペラトル・カエサル・アウグストゥス没。
    17年
     (天鳳4年)琅邪郡の老女呂母が人々をあつめて、天鳳元年に息子を死刑にした県令を襲撃して殺害。呂母はまもなく死去するが、集まった軍勢は解散せず後の赤眉軍につながる。
     この頃、王匡・王鳳らが人々をあつめて荊州江夏郡の緑林山に立て籠もる。緑林軍の反乱。
    21年
     (地皇2年)黎丘郷の県吏秦豊、黎丘郷で挙兵。その後、勢力を広げ、楚の黎王を自称する。
    22年
     (地皇3年)疫病の発生により緑林軍が下江軍と新市軍とに分かれて緑林を離れる。転戦中に劉玄の平林軍や、同年挙兵した劉縯・劉秀兄弟の舂陵軍なども反乱軍に加わる。
     (地皇3年 3月)王莽は反乱に対して王邑・王尋らに100万と号する討伐軍を出陣させる。
     (地皇3年 5月)王邑ら討伐軍は、昆陽を包囲。劉秀は援軍を集めるため、昆陽を脱出。一方、劉縯は、宛を攻略。
     (地皇3年 6月)劉秀は数千の援軍を率いて昆陽に戻り、王邑・王尋らを攻撃。昆陽城内からも呼応して出撃した結果、王尋が戦死し、王邑は敗走。討伐軍は大敗を喫する(昆陽の戦い)。
     (地皇3年 冬)赤眉軍討伐のため出陣した新の更始将軍・平均公廉丹、太師王匡の軍勢と、軍閥董憲の軍勢が成昌で戦い、廉丹が討ち取られ、王匡は敗走する。
    23年
     (地皇4年 2月)平林軍の劉玄が更始帝として即位。更始元年。劉縯は大司徒となる。
     (地皇4年 夏)更始帝が舂陵軍の一派に支持されている劉縯と劉稷を殺害。劉秀は監視下に置かれる。
     (地皇4年9月)更始帝の軍勢が長安(常安)に攻め込み、混乱の中、王莽が殺される。
     この頃、隴西で隗囂が方望を軍師とし年号を漢復と称して独自勢力を拡大。
     (更始1年10月)更始帝が劉賜の進言で、劉秀を河北への派遣軍の指揮官に任ずる。劉秀は各地を転戦。
     (更始1年12月)王郎が劉林らの支持を受け、邯鄲で即位。
     (更始1年)この頃、盧江郡の李憲が淮南王を自称し独立。
    24年
     (更始2年 2月)更始帝が長安に都を遷し、有力者らを各地の王に封じる。しかしこれがきっかけで政権は分裂状態となる。
     (更始2年 5月)劉秀率いる軍勢が王郎を邯鄲に追い詰め、これを陥落。王郎は逃走を図るが殺害される。
    25年
     (更始3年 1月)隗囂から離反した方望が長安にいた孺子嬰(劉嬰)を擁立して臨涇に政権を起こすが、まもなく更始帝の軍勢に滅ぼされる。
     (更始3年 6月)劉秀、家臣の支持を受け即位。後の光武帝。建武と改元。
     (更始3年 6月)赤眉軍の樊崇と徐宣が関中に侵攻。劉盆子を皇帝に擁立する。年号を建世とする。
     (更始3年/建世1年/建武1年 9月)劣勢となった更始帝の重臣王匡が赤眉軍に寝返り、赤眉軍は長安を攻略。更始帝を捕らえ殺害。
     (更始3年)更始帝敗北を受けて、更始帝から梁王に封じられていた劉永が独立し皇帝を自称。
    26年
     (建世2年/建武2年春)赤眉軍政権は食糧を確保するため、長安を出て西へと進軍するが、隗囂の軍勢に敗れ長安に戻る。
     (建世2年/建武2年春)真定王劉楊、光武帝劉秀の召還命令に応じず、耿純らによって誅殺される。劉秀、謀反は起こしていないとして劉楊の子の劉得を真定王に封じる。
     (建世2年/建武2年12月)赤眉軍政権は秩序を保てず瓦解。食糧もなくなり長安を放棄。
    27年
     (建世3年/建武3年)赤眉軍が光武帝劉秀の臣下である馮異らの軍勢によって阻まれ降伏。
     (建武3年7月)光武帝劉秀配下の征南大将軍岑彭が黎丘郷へ進攻。秦豊らは大敗を喫する。秦豊は、軍閥の延岑と田戎らと姻戚関係を結んで陣営に引き入れる。
     (建武3年 秋)劉永が光武帝劉秀配下の呉漢・蓋延の軍に本拠地の睢陽を攻め落とされ、敗走中に殺害される。
     (建武3年 秋)この年、淮南王李憲が皇帝を称して九卿百官を置く。
    28年
     (建武4年 7月)光武帝劉秀と梁王劉永の子劉紆の両勢力が蘭陵をめぐって攻防戦となる。劉紆の重鎮となっていた董憲が勝利し蘭陵を確保。
     (建武4年 秋)光武帝劉秀自ら、寿春に親征。また舒で皇帝を自称し独立していた李憲に討伐軍を派遣。
    29年
     (建武5年 6月)光武帝劉秀の軍勢に黎丘郷を包囲され、窮した秦豊は一族を連れて降伏。洛陽に送られ処刑される。
     (建武5年 8月)光武帝劉秀の大司馬呉漢が、梁に攻め込み、梁軍は大敗。劉紆、董憲らは郯へ敗走。しかし郯も陥落し、劉紆は殺害され、董憲と龐萌はさらに朐へ敗走する。
    30年
     (建武6年 1月)長期の籠城戦となっていた舒が陥落。李憲は敗走し、部下の帛意に裏切られて殺害される。
     (建武6年 2月)光武帝劉秀の大司馬呉漢が、朐を攻め落とす。董憲と龐萌は降伏を決めるも呉漢軍校尉の韓湛によって殺害される。
     この頃、ユダヤ教の一派(初期のキリスト教)を率いたナザレのイエスがローマのユダヤ総督ポンティウス・ピラトゥスによって処刑される。
    33年
     (建武9年)隴西の隗囂が病死し、後を継いだ隗純は光武帝に降伏。
    36年
     (建武12年)光武帝劉秀の軍勢が成都を攻略。蜀で独立していた公孫述を滅ぼし、公孫述と手を組んでいた軍閥の延岑らも滅ぼされ、中国を統一。
    37年
     ヘロデ・アグリッパ1世がトランス・ヨルダンの統治権を任される。
    40年
     南越で有力者であった徴側と徴弐の姉妹が自立の動きを見せ、合浦・九真・日南各郡で65県の貉将・貉侯がこれに同調する。いわゆる徴姉妹の乱(ハイバーチュンの乱)。
    41年
     1月24日ローマ帝国の第3代皇帝カリグラが暗殺される。
    42年
     光武帝の派遣した伏波将軍馬援の遠征軍によって、徴姉妹は敗死。徴姉妹の乱(ハイバーチュンの乱)が鎮定される。ベトナムでは徴姉妹は英雄視されている。
     ヘロデ・アグリッパ1世がユダヤ王を認められる。
    48年
     ヘロデ・アグリッパ2世がユダヤの統治権を認められる。
    54年
    10月13日ネロがローマ帝国の第5代皇帝に即位。
    64年
     7月19日ローマ大火。市内の大半を焼き尽くす。ネロが焼け跡に宮殿を立てたためにネロの仕業という噂が流れ、ネロはキリスト教徒を放火の罪で弾圧する。
    66年
     第一次ユダヤ戦争勃発。
    68年
     6月 9日ローマ帝国皇帝ネロが元老院から公敵の宣告を受け自殺する。
    73年
     5月 2日マサダ要塞の籠城戦が終わり、ユダヤ戦争が終結する。
    79年
     8月24日イタリア中南部ナポリ近郊にある活火山のヴェスヴィオ山が大噴火を起こし、火砕流や大量の灰などで麓にあったポンペイやヘルクラネウムなどの都市が壊滅する。艦隊指揮官のガイウス・プリニウス・セクンドゥスは救援に向かってガスにまかれて死亡し、その状況を、甥の文人政治家ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥスが、歴史家タキトゥスに伝えたことから、後世に詳しく残された。
    97年
     (永元9年)西域都護の班超が甘英を西の大秦に派遣。甘英は條支国を経て、大海の沿岸までくるが、安息国の西境の船乗りに大秦までの船旅の困難さを説かれて断念し帰国。大秦はローマ帝国、安息国はアルサケス朝パルティア。條支国については不明。大海はペルシャ湾・カスピ海・地中海など諸説ある。
    115年
     各地のユダヤ人が反乱を起こす(キトス戦争)。
    132年
     ローマ皇帝ハドリアヌスの政策に反発したユダヤ人が反乱(バル・コクバの乱:第二次ユダヤ戦争)。
    135年
     ローマ軍がエルサレムを占領。バル・コクバは戦死し反乱は終結。ユダヤ人の離散が拡大する。
    140~190年頃
     倭国で大乱が続いたが、その関係者らが共に卑弥呼という女性を王に立てることで収束させたと言われる。
    160年
     倭国王帥升等が生口160人を後漢朝廷に献上し、安帝の謁見を求める。後漢書の記載を書写した諸書物から、倭面上国王、倭面土国王という説もある。生口とは捕虜あるいは奴隷という説が有力。
    166年
     大秦国王の安敦から後漢の交州日南郡に使者が至り、象牙・犀角・玳瑁などを献上する。大秦国はローマ帝国、安敦はアントニヌスの音訳とみられるため、15代皇帝アントニヌス・ピウス、16代皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスなどが考えられるが、ローマ帝国の正式な使者だったかは不明。
    181年
     ニュージーランド北島のオルアヌイ火山が大噴火し、カルデラを形成。現在のタウポ湖。
    184年
     4月 2日(光和7年 3月 5日)太平道の教組張角らが中国各地で36万人ともいわれる兵で武装蜂起。黄巾の乱が勃発。各地の役所などを襲う。
          (光和7年10月)このころ張角が病死し、主要幹部も戦死したため、組織的反乱は終息へ向かう。しかし以後も地域反乱は頻発することに。12月に中平元年に改元。
    185年
     超新星SN185が観測されたことが中国の記録に見られる。ケンタウルス座の3,300光年離れた星。記録に残る最古の超新星。
    187年
     張純の乱。黄巾の乱の混乱を受けて、元中山太守の張純と烏丸大人の丘力居らが幽州で挙兵。華北各地を席巻する。朝廷は公孫瓚に討伐を命じるが、平定できなかったため、劉虞に討伐を命じ、劉虞は丘力居を降伏させる。
    188年
          (中平5年10月)霊帝直属の西園八校尉(近衛軍司令官)を設置する。宦官(小黄門)の蹇碩を上軍校尉とし、その下に、虎賁中郎将の袁紹を中軍校尉、屯騎校尉の鮑鴻を下軍校尉、議郎の曹操を典軍校尉、趙融と馮芳を助軍校尉、夏牟と淳于瓊を左右校尉とするもの。
    189年
          (中平6年 3月)鮮卑へ逃亡した張純が暗殺され、張純の乱は平定。
          (中平6年 8月~9月)専横を極める宦官勢力を討伐するため、袁紹が宮中に乗り込むが、その混乱に乗じて皇帝を手に入れた董卓が権力を掌握。
    190年
          (初平元年 2月頃)群雄諸侯による反董卓連合が結成される。しかし群雄同士の駆け引きにより一向に行動に移さず。
    192年
     5月22日(初平3年 4月23日)董卓が呂布に殺される。呂布、王允、士孫瑞、李粛らによる謀反。
    194年
     (興平元年)曹操が徐州へ出兵している間に、張超と陳宮が張邈を引き入れて反旗を翻し、呂布を迎え入れる。荀彧と夏侯惇が死守している間に、曹操は急遽引き返し、呂布と対戦。
    195年
     (興平2年12月)曹操が雍丘を攻め落とし、張超らが自殺し、曹操側の勝利で終結する。
    196年
     (建安元年 8月)曹操が献帝を自らの支配地域である許(のち許昌)に迎え入れる。
    200年
     (建安5年 2月)袁紹幕下の陳琳が檄文を記して曹操を誹謗し、袁紹対曹操の官渡の戦いが始まる。
     (建安5年 4月)曹操軍の関羽が白馬津で袁紹軍の顔良を斬り、さらに荀攸の献策で曹操軍は文醜軍を撃破。曹操軍の于禁と楽進は黄河を渡河し、北岸の袁紹軍の拠点を焼き払って退却する。
     (建安5年 8月)官渡まで退いた曹操軍に対し、袁紹軍が東西数十里に渡って陣を築き、総攻撃をかける。さらに曹操の本拠地である許周辺でも袁紹側に寝返る勢力が相次ぐ。曹操は許への退却を検討するが荀彧に諌められる。
     (建安5年10月)袁紹幕下の許攸が、袁紹を裏切って曹操に投降。烏巣にある袁紹軍の食料備蓄陣地の場所を教え、曹操自ら兵を率いて襲撃し焼き払う。その対応をめぐり袁紹軍内部で意見が対立し、張郃と高覧が曹操に投降。袁紹軍は撤退。官渡の戦いは終結する。
    205年
     (建安10年)袁紹と対立していた黒山賊の張燕が曹操に降伏する。張燕は平北将軍となる。
    207年
     (建安12年)袁熙と袁尚兄弟が烏桓王と組んで柳城で曹操と戦い敗れる。袁氏兄弟は遼東の公孫康のもとへ逃れる。
     (建安12年 9月)袁熙と袁尚兄弟が公孫康に殺害され、公孫康は曹操に降る。
    208年
     (建安13年 9月)劉琮が曹操に降伏し、荊州は曹操の支配下となる。
    12月15日(建安13年11月20日)赤壁の戦い。朝廷の実力者で中原を支配する曹操の水軍と、長江流域の地域軍閥である孫権・劉備の連合軍が戦い、孫権側が勝利。孫権側の火攻めと疫病の流行も勝敗を決した理由とされる。
    211年
     (建安16年 3月)曹操が漢中の張魯討伐を名目に関中へ進出。韓遂、馬超ら関中の各軍閥と対峙。
     (建安16年 7月)曹操と馬超らが潼関で衝突。曹操も危うく殺されかけるが、軍を大きく迂回して黄河を渡る。
     (建安16年 9月)曹操が渭水を渡河し、離間策を企て韓遂・馬超に会談を持ちかける。韓遂と馬超は疑心暗鬼に囚われ分裂。曹操軍に敗北を喫する。
    213年
     (建安18年)曹操が臣下としては異例の魏公となる。本来は皇族のみが認められた地位。
    214年
     (建安19年)合肥の戦い。孫権が兵力10万で合肥へ侵攻。対する守将の張遼・李典・楽進と護軍の薛悌は7000の兵力しかなかったが、張遼が寡兵で孫権の陣へ突撃するなどして打ち破り、また揚州刺史劉馥が事前に準備していた物資のお陰で持ちこたえ、孫権軍は退却。
     (建安19年)献帝の伏后が廃される
    215年
     (建安20年)漢中の張魯が曹操に降伏。張魯を教祖とする五斗米道はその後各地へ広がり、道教へと発展する。
    216年
     (建安21年)曹操が劉氏皇族以外では前漢初期を除いてほとんど例のない王位を与えられ、魏王となり、漢帝国内に魏国を興す。夏侯惇を除き曹操の家臣も魏の官職を与えられ魏臣となる(夏侯惇は曹操によって同列であるという特別扱いをうけ漢臣のままであった)。
    217年
     (建安22年)この年、中国では疫病が流行。罹患した司馬朗は兵士を救うために自分の薬を分け与えたため、死亡したと言われる。また建安七子の王粲、応瑒、徐幹、陳琳、劉楨らはほぼ同時期にこの疫病で死亡した。この疫病かは不明だが、呉でも魯粛が病死している。
    219年
     (建安24年)漢中の定軍山で曹操軍と劉備軍が衝突し、曹操軍の総指揮官だった夏侯淵が戦死。劉備が漢中を制圧する。
    220年
     3月15日(建安25年 1月23日)後漢の丞相で魏王だった曹操が死去し、曹丕が魏王位と丞相を継ぐ。
    12月11日(建安25年10月29日)曹丕が献帝からの禅譲を受け、皇帝(魏文帝)となり、魏帝国を建国。年号は黄初と改められる。献帝は山陽公に封ぜられる。
    221年
     5月14日(章武元年 4月 6日)劉備が蜀の皇帝に即位。蜀漢の昭烈皇帝。
     7月劉備が、関羽の復仇のため、呉に侵攻する(夷陵の戦い)。
    222年
     6月   (章武2年)呉の陸遜が呉軍を率いて長江を遡上し蜀の陣営に放火。多くの武官文官が戦死し、劉備は白帝城へ退却する。長江北岸にいた蜀将の黄権は退路を失い、魏に降伏。
    223年
     6月10日(章武3年 4月24日)劉備、白帝城で病没。劉禅があとを継いで即位する。
    228年
     (魏の太和2年・蜀の建興6年)街亭の戦い。蜀による第一次北伐で5回の北伐では最大の軍事作戦だったが、馬謖の作戦ミスから魏軍に大敗を喫し退却した。戦後、総司令官だった諸葛亮は自身を含む関係者を降格処分にし、愛弟子の馬謖を処刑した。「泣いて馬謖を斬る」の故事。
    234年
     (魏の青龍2年・蜀の建興12年)五丈原の戦い。蜀の第5次北伐戦だったが、魏の司馬懿は防衛に徹したため両軍対峙のまま、8月になって蜀の総司令官だった諸葛亮が病没し退却を余儀なくされた。追撃に出た司馬懿が蜀軍の反攻に驚いて退却し「死せる孔明生ける仲達を走らす」と言われたとされる。一方で司馬懿は魏の要人として権力を掴んでいくことになる。
    238年
     (魏の景初2年 6月?)邪馬台国の使者難升米と都市牛利が魏へ赴く。公孫淵が滅び通行が可能になったことで魏へ赴いたと考えられることから、6月ではまだ遼東の戦役は終わっていないため、景初3年の誤りとする説もある。皇帝(景初3年1月に病没した明帝曹叡か、次の曹芳)によって、卑弥呼に親魏倭王の印が贈られたという。
     (魏の景初2年・燕の紹漢2年 8月23日)魏の司馬懿が遼東を支配する燕王公孫淵を滅ぼす。
    241年
     (魏の正始2年・呉の赤烏4年)芍陂の戦い。呉の孫権が、揚州と荊州の4路方面から魏に侵攻。全琮が淮南、諸葛恪が六安、朱然が樊城、諸葛瑾が柤中を攻撃。また蜀にも出兵を求める。しかし淮南で魏の孫礼と王凌に敗れ揚州方面から撤退。樊城では籠城戦となるが、魏の胡質が抗戦し、司馬懿が援軍に来たうえ、蜀も出兵しなかったため、呉軍は荊州攻勢も断念。撤退中に追撃を受け大敗を喫する。
    244年
     (魏の正始5年・蜀の延熙7年)興勢の戦い。魏の有力者曹爽が、司馬懿に対抗するため、自らの軍歴を積もうと蜀出兵を計画。蜀の蔣琬が主力軍を引いたのを機に、10万の兵で攻め込む。しかし蜀将王平が興勢山まで迎撃に出て打ち破り、さらに費褘の援軍が到着したため、魏軍は撤退。
    248年
     (呉の赤烏11年)交州の九真で趙氏貞と兄の趙国達らが呉に対し反乱を起こす。交州刺史陸胤によって鎮圧される。
    249年
     (魏の正始10年 1月 6日)高平陵の変。魏の有力者司馬懿が病身を偽ったことで安堵した曹爽一派が、皇帝曹芳とともに先帝曹叡の高平陵を参拝して都洛陽を離れている間に、司馬懿がクーデターを決行。郭太后の勅を得て洛陽を制圧。洛水に陣を張り使者を送って曹爽らを説得。それを信じた曹爽らが降伏する。
     (魏の正始10年 1月10日)先の政変で捕らえられた曹爽一派が、謀反を企図していたとしてことごとく処刑が決定する。司馬懿が事実上の最高権力者となる。
    251年
     7月 1日アブリットゥスの戦い。ゴート族らゲルマニア人がローマ帝国領内に侵攻し、ローマ皇帝デキウスと息子で共同統治者ヘレンニウスが戦死し、ゴート族が大勝利をおさめる。
     9月 7日(魏の嘉平3年 8月 5日)魏の最高権力者である司馬懿が死去。司馬師が後を継ぐ。
    252年
     (魏の嘉平4年・呉の神鳳1年 4月)呉の初代皇帝孫権が死去。
     (魏の嘉平4年・呉の建興1年12月)東興の戦い。孫権の死を好機と捉えた魏は、司馬師主導のもと諸葛誕、胡遵、王昶、毌丘倹らに呉へ出兵させる。これを予期していた呉の諸葛恪は、巣湖の東興堤を強化。これを全端と留略が防衛し、さらに丁奉が魏軍に急襲をかけたため、魏軍は大敗する。しかしこの戦いで勝利した諸葛恪は権力を謳歌して呉に混乱を招き、敗れた司馬師は自ら敗戦の責任を表明して誰も罪に問わなかったため、支持を得ることになる。
    256年
     (魏の甘露元年・蜀の延熙19年)段谷の戦い。蜀の姜維が魏を攻めるが味方との連携が取れず魏の鄧艾に大敗を喫す。蜀将多数が戦死し多くの兵を失ったため、以後、姜維は戦線を漢城・楽城まで後退させて専守防衛に徹することになる。
    260年
     6月 2日(甘露5年 5月 7日)魏の第4代皇帝曹髦が司馬昭の排除を企て、李昭・焦伯ら数百人と蜂起。王業・王沈の密告で事態を知った賈充が待ち構え、その命令で成済が曹髦を殺害。成済一族も皇帝弑逆の罪を着せられ処刑される。
    263年
     (魏の景元4年・蜀の炎興元年)夏から秋にかけて魏は鐘会・鄧艾・諸葛緒ら18万の軍勢で蜀に攻め込み、剣閣で姜維が防衛している間に迂回した鄧艾が成都へ向けて進撃。蜀帝劉禅は降伏。蜀が滅亡する。
    264年
     (景元5年・咸熙1年)蜀で鐘会と姜維が組んで反乱を起こすも失敗に終わる。鐘会と姜維は殺され、またこの反乱に巻き込まれて鄧艾・張翼ら魏将、劉禅の子で蜀の太子だった劉璿、関羽の孫の関彝ら多数が死亡する。
    266年
     3月10日(泰始2年 1月17日)魏の滅亡・晋の建国。魏の晋王司馬炎が、第5代元帝曹奐から禅譲を受け、晋を建国、魏が滅亡。
    268年
     晋が泰始律令を制定。初めて律と令を区分した法令。
    269年
     2月14日ローマの司祭ウァレンティヌスが処刑される。皇帝クラウディウス・ゴティクスが決めた兵士の結婚禁止を破って式を挙げさせたため。聖バレンタインデーの由来のひとつとされる。ウァレンティヌスの実在性については諸説ある。
    280年
     5月 1日(太康元年 3月15日)晋の侵攻で首都建業に迫られた呉の皇帝孫皓が降伏し、呉が滅亡して中国が統一される。三国時代の終焉。
    290年
     5月16日(太熙元年 4月20日)晋の初代皇帝司馬炎が死去。皇太子司馬衷が即位(恵帝)。司馬衷の母親の一族である楊駿が権力を握る。
    291年
     (永平元年 3月)晋恵帝の后である賈南風が楚王・東安王らと組んで楊駿とその三族を殺害。八王の乱の始まり。
    297年
     (元康7年)『三国志』の著者陳寿が死去。
     (元康7年)この年、李特が10万もの人民を連れて渭水上流から漢中を経て蜀へ移住する。
    300年
     (永康元年 4月)趙王司馬倫がクーデターを起こし、晋恵帝の后である賈南風、甥の賈謐ら賈一族が処刑される。また司馬倫と不仲であった張華らも処刑される(張華は元康年間に政権を担った人物で多くの人材を推挙。呉の生まれである文人政治家の陸機・陸雲兄弟を登用し、『三国志』の著者陳寿も孝廉に推挙されている)。
     (永康元年 8月)恵帝の弟淮南王司馬允が司馬倫に警戒されたことから石崇・潘岳らと挙兵するも敗死。司馬倫が九錫を授けられる。
    301年
     (永康2年 1月)司馬倫が恵帝に迫って退位させ、自ら即位。年号を建始とし、皇太孫である司馬臧を濮陽王に落としたうえで殺害。自分の気に入った人物に官位を乱発するなどしたため、他の皇族や朝臣らの反発を買う。
     (建始元年 4月)斉王司馬冏・長沙王司馬乂・成都王司馬穎らが挙兵。司馬倫は恵帝を復位させて自らは謹慎するが許されず、側近の孫秀らとともに殺害される。斉王司馬冏が実権を掌握。
     9月 3日現存する世界最古の共和国と言われるサンマリノが建国。ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教徒の迫害から逃れた石工マリヌス(聖マリノ)が、イタリア半島中部のティターノ山に籠り、キリスト教徒たちの共同体を作ったとされる。
    302年
     (永寧2年 5月)李特が大将軍・益州牧を自称。晋書などではこの年、年号を建初と改める(もしくは翌年)。実質上の成漢の建国。
     (永寧2年12月)斉王司馬冏が長沙王司馬乂・成都王司馬穎・河間王司馬顒らに殺害される。年号を太安と改める。
    303年
     (大安2年/建初2年 3月)李特が成都へ侵攻するが羅尚に敗死する。弟の李流が後を継ぎ、さらに李特の子の李雄が後を継いで羅尚と戦う。
     (大安2年 8月)司馬乂と対立した司馬穎・司馬顒らが挙兵し、陸機が指揮をとって司馬乂を攻めるが大敗。一方司馬乂も洛陽に籠城するが、東海王司馬越に捕らえられ処刑される。司馬穎は、陸機に恨みを持っていた宦官の孟玖らの進言で陸機と陸雲の兄弟及びその一族を敗戦の罪でことごとく処刑。しかしこれが世論の反発を買ったため、孟玖を処刑せざるを得なくなる。
    304年
     1月21日ローマ帝国によって13歳の聖アグネスが処刑される。帝国の長官センプロニウスの息子との結婚を宗教的理由で拒絶したため。
     (永安元年 7月)東海王司馬越・予章王司馬熾らが晋恵帝を擁して挙兵。蕩陰の戦いで司馬穎の軍に敗れる。
     (永安元年 8月)東海王司馬越・予章王司馬熾らを支持した幽州都督王浚・并州刺史司馬騰らが挙兵し司馬穎を打ち破る。司馬越、司馬熾を皇太弟とする。
     (建武元年10月)南匈奴の単于の家柄出身で、司馬穎と手を組んでいた劉淵が河西一帯で自立。国号を漢と称して建国。晋と激しく対立。五胡十六国の先駆け。
     (建初2年10月)李雄が成都王を自称し、年号を建興とする。
    306年
     (永興3年 2月)劉柏根と王弥が挙兵。
     (永興3年 5月)司馬越ら、長安を手中に収め、司馬穎ら殺害される。
     (建興3年 6月)李雄が皇帝に即位し、国号を大成と称する。成漢の建国。
     (永興3年12月)河間王司馬顒も殺害され、八王の乱はほぼ終息する。
    307年
     1月 8日(光熙元年11月18日)晋恵帝司馬衷が死去(病死とも暗殺とも言われる)。司馬熾が即位(懐帝)。事実上の司馬越政権が樹立。司馬越は残った皇族を各地に配して政権の安定化に務める。
    308年
     (永嘉2年 3月)王弥が河東一帯を攻略して許昌を制圧。洛陽に迫る勢いとなる。
     (永嘉2年 6月)司馬越が宮中に入り、懐帝の親族や側近を粛清。
     (元熙5年10月)劉淵が皇帝を称する。国号は漢(のち趙)。永鳳と改元。
    310年
     8月19日(河瑞2年 7月 8日)劉淵が死去。劉和が後を継ぐ。劉和は兵権を持つ異母弟劉聡を排除しようとして失敗し、逆に殺害される。劉聡が即位。
    311年
     (永嘉5年 1月)懐帝が苟晞に司馬越討伐の密詔を出し司馬越は軍を率いて洛陽を離れる。
     (永嘉5年 3月)復権を図ろうとしていた司馬越が項城で病死。その葬列のために集結した司馬越の一族や部下とその軍勢に対し、漢(劉淵)の将軍となっていた石勒の軍勢が襲いかかり、皇族ら100人余りを殺害し、その兵10万を壊滅させる。この事件で晋の軍事力は大幅に低下。
     劉聡・石勒・王弥らが洛陽へ向けて進軍、蒙城で苟晞の軍勢を破る。
     (永嘉5年 6月)洛陽が陥落し、晋懐帝は捕らえられ平陽へ連行され、3万人以上が殺害される。
    313年
     3月14日(永嘉7年 2月 1日)懐帝が処刑される。生き延びていた甥の司馬鄴が長安で即位(愍帝)。しかしその支配域は長安とその周辺のみとなる。
    316年
     (建興4年11月)劉曜の軍勢に長安を包囲されていた愍帝が降伏し、平陽へ連行される。
    318年
     2月 7日(建興5年12月20日)晋愍帝が処刑される。西晋は滅亡。江南の建業に派遣されていた丞相・大都督中外諸軍事の司馬睿が即位して晋王朝を興す(東晋)。
    326年
     (仁徳天皇14年)日本書紀に、猪甘津(いかいつ)に橋を架けたという記録がある。記録上では日本最古の架橋。西暦については計算上による。猪甘津は、現在の大阪市生野区桃谷付近。当時上町台地は河内湾の半島で、百済川河口付近に津(港)があったと考えられる。
    330年
     5月11日ローマ帝国によって建設されたコンスタンティノポリスが開都する。
    336年
    12月25日ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、古代ローマのミトラ教の冬至祭の日25日をイエス・キリスト生誕の日と定めたとされる。クリスマスの原点の一つ。
    345年
    12月 6日ミラのニコラオスが死去。貧窮者や冤罪で処刑されかけている人を救い、サンタクロースのモデルとされる人。352年という説も。
    346年
     百済第13代の王に近肖古王が即位。新羅と同盟し、高句麗を撃破し、東晋に朝貢。倭にも使者を送ったことで中国や古事記、日本書紀にも記載のある人物。これより以前の王は記録に乏しい。
    356年
     新羅の王に奈勿尼師今が即位。初めて記録に現れる『秦書』に377年に前秦に朝貢使節を送った新羅の王が彼とみられるため、史実の「新羅」と称した初代王か、初期の王という説もある。
    378年
     8月 9日ハドリアノポリスの戦いで、ローマ帝国軍が西ゴート諸族に敗北、皇帝ウァレンスも戦死する。
    393年
     超新星SN393が観測されたことが中国の記録に見られる。さそり座の方角にある星と考えられ、超新星残骸とされるRX J1713.7-3946がこれに該当すると考えられている。
    405年
     (義熙1年 2月)東晋の益州刺史毛璩が出した桓振討伐の出兵命令に反発した蜀の兵らが安西府参軍で巴西梓潼二郡太守の譙縦を擁立して反乱。毛璩を殺して成都を占領し、譙縦は成都王を称する。後蜀の建国。
    413年
     (義熙9年)この年、倭王讃が東晋に朝貢。
    416年?
     8月22日(允恭5年7月14日)『日本書紀』に地震が起こったとある(日本の最古の記録。ただし年代は正確ではない)。地震のあと、允恭天皇は、反正天皇の殯(葬儀)を命じていた玉田宿禰の様子を尾張連吾襲に殯宮まで確認に行かせたところ、玉田宿禰はおらず、別のところで酒宴を開いていた。発覚を恐れた玉田宿禰は尾張連吾襲を殺害。允恭天皇は玉田宿禰を呼び出し、武装しているのを確認すると、兵を出してこれを捕らえ誅殺した。
    423
     (永初2年)この年、倭王讃が宋に朝貢し、武帝より称号を与えられる。
    425
     (元嘉2年)この年、倭王讃が宋に司馬の曹達を派遣する。
    430
     (元嘉7年)この年、倭王が宋に朝貢。
     この頃、東北から関東にかけての太平洋岸で大規模な地震と大津波があったとみられる。
    438
     (元嘉15年)この年、倭王珍が宋に朝貢。自らを「使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し承認を求める。
     (元嘉15年 4月)宋の文帝、倭王珍を安東将軍倭国王に任ぜられる。また珍の求めに応じ、倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍とする。
    443
     (元嘉20年)この年、倭王済が宋に朝貢。安東将軍倭国王に任ぜられる。
    451年
     6月20日カタラウヌムの戦い。アッティラ率いるフン族・東ゴート族・ゲピド族などのゲルマン諸族の軍勢と、西ローマ帝国・西ゴート族・アラン族などが衝突。双方大損害を出し、アッティラは撤退。ローマ帝国の勢力も弱体化して、ゲルマン諸族が拡大する。
     (元嘉28年)この年、倭王済、文帝から安東将軍に追加して「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」を加号される。
     (元嘉28年 7月)倭王済、安東大将軍に進号する。
    460
     (大明4年)この年、倭王が宋に朝貢。
    462
     (大明6年 3月)この年、宋の孝武帝、倭国王済の世子の興を安東将軍倭国王とする。
    476年
     9月 4日西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥルスがゲルマン族の将軍オドアケルによって退位させられ、西ローマ帝国が滅亡。まだ年少だったロムルスは殺されず、恩給をもらい隠棲。ロムルスを帝位につけた、彼の父親オレステスは殺される。
    477
     この年、倭王興が没し、その弟武が後を継ぐ。武、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王と称する。
     (昇明1年11月)倭王(武?)、宋に使者を送る。
    478
     (昇明2年)倭王武、宋に上表して自ら開府儀同三司(府を開くことのできる三公(太尉・司徒・司空)と同じ扱いとするの意味)と称し叙正を求める。これに対し宋の順帝、武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」とする。
    479
     (建元1年)宋の斉王蕭道成が禅譲により即位し(高帝)、南斉を興す。高帝、倭王武を鎮東大将軍(征東将軍)とする。
    481年
     クローヴィス1世によってフランク人国家が統一される。メロヴィング朝フランク王国の成立。
    482年
     (清寧天皇3年3月~4月頃)富士山が噴火し、熱い灰が降り、五穀が実らなかったという。年代の正確性は不明。
    502年
     (天監1年)南斉の皇族である蕭衍が梁王朝を樹立(武帝)、倭王武を征東大将軍とする。
    525年
     ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが、ローマ教皇ヨハネス1世の要請で、復活祭暦表を改定するため、ディオクレティアヌス紀元暦に代わる紀元歴として、キリスト暦(西暦)を定める。実際に普及するのは15世紀ころから。ディオクレティアヌス紀元暦は、ローマ皇帝ディオクレティアヌスがキリスト教徒を迫害したことから、その殉教を記念して、皇帝の即位を1年とするキリスト教徒らが用いた暦。
    528年
    12月 7日(継体天皇22年11月11日)磐井の乱が終結。筑紫国造磐井が、朝鮮半島へ出兵しようとした近江毛野の軍勢を、新羅からの賄賂を受けて阻止し、朝鮮からの朝貢船も押さえたことがきっかけで、物部麁鹿火の討伐を受けたとされる内乱。磐井はこの日、麁鹿火の軍と筑紫三井郡で交戦したが敗死した。日本書紀には詳細に記載があるが古事記には一文しかなく、磐井の地位、乱の規模なども含め諸説わかれる。
    535年
     この頃、クラカタウ山が大噴火を起こす。ジャワ島にあったカラタン文明が衰退した要因の一つと考えられる。世界各地で気象異変を引き起こしたとみられる。
    536年
     この頃、ラバウルで噴火。世界各地で気象異変を引き起こした要因の一つとも考えられる。
    548年
     (太清2年)南朝の梁に北朝東魏の有力者侯景が支配する河南13州をもって帰順。梁の武帝はこれを受け入れるが、反発した東魏の攻撃に敗北。10月、追い詰められた侯景は梁へ反乱を起こして首都建康に侵攻。
    549年
     (太清3年)侯景が梁の首都建康を攻め落とす。武帝は捕らえられて幽閉され、2ヶ月後に死亡。侯景は簡文帝を擁立し、実質侯景政権となる。
    552年
     (承聖1年)侯景、梁皇族の蕭繹が派遣した王僧弁や陳覇先の軍勢に敗れ、擁立した簡文帝を殺し自ら即位して立て直しを図るも再敗北し、逃走中に殺害される。蕭繹が元帝として即位。
    554年
     (天成1年)西魏軍が傀儡として興した後梁の軍勢とともに江陵を攻め落とし、迎撃に出ていた元帝も捕らえられまもなく殺害。元帝を支えた王僧弁と陳霸先は北周との政策を巡って対立。
    555年
     (承聖1年)陳霸先が王僧弁を殺害し実権を握る。
    557年
     (永定1年)陳霸先が禅譲により即位し陳を興す。
    574年
     2月 7日(敏達天皇 3年 1月 1日)用明天皇の子として厩戸皇子(聖徳太子)が誕生。
    581年
     3月 4日北周の大将軍・隋国公の楊堅が静帝より禅譲を受けて隋王朝を興す。
    585年
     4月 5日(敏達天皇14年 3月 1日)物部守屋が、疫病の流行は、異国の神(蕃神)である仏教を崇拝して、この国の神が怒っているためだとして、中臣勝海と仏教禁止の奏上を行う。
    587年
     8月(用明天皇 2年 7月)仏教崇拝を巡って対立していた蘇我馬子と物部守屋の両勢力が衝突。馬子は諸皇子や諸豪族の軍勢を引き連れ勝利する。物部守屋は戦死。丁未の乱。
    589年
     2月 2日(禎明3年/開皇9年1月12日)が陳を滅ぼして中国を統一する。
    592年
    12月12日(崇峻天皇5年11月 3日)蘇我馬子の意向を受けた東漢直駒による崇峻天皇弑逆事件が起こる。
    593年
     5月15日(推古天皇元年 4月10日)厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇の摂政に就任
    599年
     5月26日(推古天皇7年 4月27日)大地震があり舎屋がことごとく破損したという。これを受け、四方に命じて地震の神を祭る。日本史上では最も古い地震被害の記録。
    604年
     1月11日(推古天皇11年12月 5日)厩戸皇子(聖徳太子)が冠位十二階制度が定める。
     5月 6日(推古天皇12年 4月 3日)厩戸皇子(聖徳太子)が十七条憲法を定める。ただし成立年は諸説がある。日本書紀に初出することや、その内容の文言の使い方から、奈良時代に日本書紀などと一緒に成立したという説も。
    610年
     この頃、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが、メッカのヒラー山で、ジブリール(大天使ガブリエル)の啓示を受けたとして、一族に独自の教義を広め始める。ムハンマドは以降も度々ジブリールの啓示を受けたとされる。
    618年
     6月18日(武徳元年5月20日)李淵が隋の恭帝楊侑から帝位を禅譲されて皇帝に即位。唐を建国。隋が滅亡する
    619年
     王世充が隋の恭帝楊侗(恭帝楊侑の異母兄)に迫って帝位を禅譲させ皇帝に即位。鄭を建国。恭帝楊侗は翌月殺害される。
    621年
     王世充が唐の李淵に敗れ降伏。鄭は滅び、庶民に落とされた王世充も恨みを持っていた定州刺史独孤修徳により殺害される。
    622年
     5月15日(推古天皇30年 2月22日)厩戸皇子(聖徳太子)が病没。
    628年
     4月15日(推古天皇36年 3月 7日)推古天皇崩御。
     この年、真臘のイシャーナヴァルマン1世が扶南国を支配下に収め、これを滅ぼす。
    629年
     2月 2日(舒明天皇元年 1月 4日)蘇我蝦夷によって田村皇子が即位。舒明天皇。
     (貞観3年)玄奘三蔵法師がインドを目指し唐を密出国。高昌王麴文泰の支援を受けインドへ向かう。
    630年
     (舒明天皇2年10月)舒明天皇、飛鳥岡に遷宮し岡本宮と称する。
    632年
     6月 8日イスラム教の開祖、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが死去。指導者にムハンマドの親友でムハンマドの妻アーイシャの父親でもあるアブー・バクル・アッ=スィッディークが選出されカリフ(ムハンマドの代理人)となる。スンナ派ではこれ以降を正統カリフ時代とする。
    634年
     8月23日イスラム教のカリフ、アブー・バクル・アッ=スィッディークが死去し、ウマル・イブン・アル=ハッターブが後を継ぐ。ムハンマドの4番目の妻ハフサの父親で、初期のイスラム共同体を支えた武将。ヒジュラ暦やシャリーア(イスラム法)を定めた人物。
    636年
     (舒明天皇8年6月)岡本宮が火災で焼失し、舒明天皇は田中宮に遷る。
     正統カリフ第2代のウマル・イブン・アル=ハッターブがエルサレムを占領。人頭税(ジズヤ)を払うことを条件に、キリスト教徒とともにユダヤ教徒も保護する政策を行う。
    641年
     5月13日ウマル・イブン・アル=ハッターブの部下アムル・イブン・アル=アースがローマの属州アエギュプトゥス(エジプト)のアレキサンドリアを包囲。
    11月 8日アレキサンドリア攻囲戦で、守備軍の東ローマ側指揮官キルスが降伏。
    11月17日(舒明天皇13年10月 9日)舒明天皇崩御。
    642年
     2月19日(皇極天皇元年 1月15日)皇極天皇即位。
    643年
    12月30日(皇極天皇2年11月11日)山背大兄王が蘇我入鹿らの軍勢に滅ぼされる。
    644年
    11月 3日イスラム教の2代目カリフ、ウマル・イブン・アル=ハッターブがマディーナのモスクで礼拝中、クーファの長官アル=ムギーラ・イブン・シュウバの奴隷アブー・ルウルウに襲われ、重症を負い、後継者のルールを定めた後死去。3代目カリフにムハンマドの親族で娘婿のウスマーン・イブン・アッファーンが就く。穏健派で大富豪としてイスラム共同体を支えた人物。
    645年
     玄奘三蔵法師が唐に帰国。657部の経典を唐にもたらす。密出国については不問とされた。
     7月10日(皇極天皇4年 6月12日)乙巳の変が起こる。三国の調の儀式の最中、中大兄皇子と中臣鎌足によって、蘇我入鹿が暗殺される。
     7月11日(皇極天皇4年 6月13日)蘇我蝦夷が自邸に火を放って自害。蘇我本家が滅亡。
    646年
     1月22日(大化2年 1月 1日)乙巳の変で蘇我本宗家を滅ぼした朝廷は、より中央集権を目指した政治改革の「改新の詔」を発布する。これがいわゆる「大化の改新」。
     ニキウの戦い。アムル・イブン・アル=アースが東ローマ帝国の軍勢を破り、ローマの属州だったアエギュプトゥス(エジプト)は完全にイスラムの支配下に入る。
    649年
     5月15日(大化5年 3月25日)乙巳の変で、中大兄皇子側に味方した蘇我倉山田石川麻呂が謀反の嫌疑をかけられ、討伐軍が派遣されたため、山田寺で妻子とともに自害。
    651年
     サーサーン朝ペルシアのヤズデギルド3世が殺害され滅亡。
     第3代カリフのウスマーン・イブン・アッファーンが唐王朝にはじめて使者を送る。
    656年
     6月17日第3代カリフのウスマーン・イブン・アッファーンが反乱を起こした兵士に邸宅で襲われ殺害される。一族を重用したことや、兵士の俸給を減らしたことで反発を買ったためと言われる。第4代カリフの地位をめぐり、ムハンマドのいとこで娘婿のアリー・イブン・アビー・ターリブと、3代目ウスマーンの近親者で有力武将だったウマイヤ家のムアーウィヤ・イブン・アビー・スフヤーンが争い、アリーが選出される。
    12月ラクダの戦い。イスラム共同体内部のはじめての本格的内乱。第4代カリフのアリーと、ムハンマドの妻アーイシャら反アリー派が戦い、アリー側が勝利する。
    657年
     6月26日スィッフィーンの戦いが始まる。第4代カリフのアリーと、ムアーウィヤ・イブン・アビー・スフヤーンの間で起こった戦い。
     7月27日スィッフィーンでアリー軍とムアーウィヤ軍が衝突。
     7月30日アリー軍優勢の中、ムアーウィヤ軍の兵士が、槍の穂先に聖典クルアーン(コーラン)を掲げたためにアリー軍内部で動揺が走る。アリーは和平派に押し切られて講和を進めたため、反発した勢力が分裂しハワーリジュ派となる。アリーの勢力は低下し、逆にムアーウィヤは勢力を拡大する。
    658年
     第4代カリフのアリーが、分裂したハワーリジュ派をナフラワーンの戦いで打ち破る。
    660年
     百済の義慈王が唐の軍勢に攻められて降伏し、百済滅亡。
     ムアーウィヤ・イブン・アビー・スフヤーンがカリフを自称し始める。
    661年
     1月27日イスラム教第4代カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブがクーファのモスクでハワーリジュ派のアブド=アルラフマーン・イブン・ムルジャムに暗殺される。ハワーリジュ派はムアーウィヤも狙うがこちらは失敗し、ムアーウィヤが事実上の5代目カリフとなる。ムアーウィヤは、世襲王朝ウマイヤ朝を開き、イスラム教正統カリフ時代が終了。世俗的イスラム帝国の時代へとシフトする。ウマイヤ朝に反発したアリー派は弾圧を逃れ、後にシーア派となっていく。
    663年
    10月 4日(天智天皇2年 8月27日)百済の復興のため、朝鮮半島へ派遣された倭の軍勢と百済遺臣勢力が、唐・新羅連合軍と衝突。
    10月 5日(天智天皇2年 8月28日)倭軍は4度の攻勢にも関わらず大敗し、半数近くを失って退却。百済復興を図る遺民らも多くが日本列島へと逃れる。
    668年
     (総章元年 8月)唐と新羅の連合軍による攻勢によって平壌城が陥落し、高句麗が滅亡。
     (総章元年 9月)唐が平壌城に安東都護府を設置する。
     (天智天皇7年)この年、僧の道行が草薙の剣を盗んで新羅に向かおうとするが、風雨に遭い戻ってきたという。
    671年
     6月10日(天智天皇14年 4月25日)朝廷が漏刻(水時計)を設置し、鐘鼓を鳴らしてはじめて時を知らせる。
    676年
     この年の11月ころ、新羅軍が唐の薛仁貴を破って唐勢力を朝鮮半島から駆逐し、半島を統一する。
    679年
     1月~2月(天武天皇7年12月)筑紫国で大地震。幅2丈(約6m)長さ3000丈(約10km)の地割れが生じ、上の住居ごと移動したという。豊後では五馬山が崩れて多数の温泉が出る。土塁や古墳の破損状態、噴砂痕などから、水縄断層が動いたと考えられる。
    680年
    10月10日カルバラーの戦い。ウマイヤ朝の2代目カリフであるヤズィード・イブン・ムアーウィヤ・イブン・アブー・スフヤーンが、正統カリフ4代目アリーの子でムハンマドの孫であるフサイン・イブン・アリー一行72人を反乱防止の目的で3000の兵で襲撃し殺害。アリー支持派であったシーア派がスンナ派と決定的に敵対することになった事件。
    684年
    10月   (天武天皇13年)彗星が目撃される。ハレー彗星か。
    11月26日(天武天皇13年10月14日)白鳳大地震。西日本で大きな揺れがあり諸国の官舎、百姓倉屋、寺社が多数倒壊。人民と家畜の死傷多数。土佐沿岸は大津波に襲われ田苑50余万頃が海没。伊予や紀伊で温泉が止まる。東方より鳴動があったこと、伊豆島で300余丈が隆起(もしくは噴火)。南海トラフの大地震だが、地質調査で東海、東南海地震も同時に起きたという説も有力。
    685年
     4月   (天武天皇14年3月)信濃国で降灰があり草木が皆枯れるという。浅間山など周囲のいずれかの火山の噴火とみられる。
    689年
     7月21日(持統天皇3年 6月29日)飛鳥浄御原令が発布される。
    694年
    12月27日(持統天皇8年12月 6日)藤原京に遷都。持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京(新益京)に移る。藤原京は古代最大の都で平城京や平安京よりも規模は大きかった。
    700年
     4月 3日(文武天皇4年 3月10日)法相宗の僧・道昭がその遺言によって火葬される。記録上は日本初の火葬とされる。
    701年
     5月 8日(大宝元年 3月26日)大宝地震。丹波国(のちの丹後国)で大きな地震が起こり、3日にわたって揺れるという。若狭湾一帯を大津波が襲ったとみられる伝承が多数あるが詳細は不明。
     9月 9日(大宝元年 8月 3日)大宝律令が完成。二官八省(太政官・神祇官の二官、中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省の八省)の行政機関を設立。日本の国号が制定され、元号が本格導入される。
    705年
     2月22日(神龍元年 1月24日)武則天が退位し武周朝が終わる。
    708年
     6月 3日(和銅元年 5月11日)和同開珎(銀銭)の使用が始まる。
    709年
     9月 9日(和銅2年 8月 2日)和同開珎の銀銭をやめ、銅銭のみの使用が決まる。
    710年
     4月13日(和銅3年 3月10日)藤原京から平城京に遷都。まだ未完成の状態。
     吐蕃などの西方異民族に対応するため、唐王朝がはじめて河西節度使を置く。軍事権と徴税権をもった地方官で、後に各地に置かれて軍閥となり、安禄山の乱や、五代十国の騒乱時代を生むことになる。
    711年
     7月19日ウマイヤ朝のターリク・イブン・ズィヤードが、イベリア半島の西ゴート王国と戦い、国王ロデリックは戦陣で消息不明となる(戦死したという説が有力)。翌年にかけて残存貴族も処刑されるなどして西ゴート王国は滅亡。
     (和銅4年10月)蓄銭叙位令が出される。銭の流通を促進する目的で、銭を貯めると位階を与えることを決めた法令。
    712年
     3月 9日(和銅5年 1月28日)古事記が完成し、太安萬侶によって元明天皇に献上される。
    718年
     西ゴート王国の貴族で、ウマイヤ朝の攻撃から逃れたペラーヨが、この頃、イベリア半島北部のアストゥリアスにアストゥリアス王国を建国する。一般にはこれをレコンキスタの始まりとしている。
    720年
     4月11日(養老4年 2月29日)大隅国国史の陽侯史麻呂が殺害されたという報告が太宰府から朝廷にもたらされる。朝廷は討伐を決定。いわゆる隼人の乱の始まり。
     4月19日(養老4年 3月 4日)朝廷は大伴旅人を征隼人持節大将軍に、笠御室と巨勢真人を副将軍に任命。
     7月26日(養老4年 6月17日)隼人征討軍は隼人の立て籠もる7城のうち5城を攻め落とすが、曽於乃石城と比売之城は攻め落とせず膠着。
     9月 9日(養老4年 8月 3日)藤原不比等が死去。
     9月18日(養老4年 8月12日)藤原不比等死去の報を受け、征隼人持節大将軍の大伴旅人も都へ呼び戻される。隼人征討は副将らが継続。
    721年
     8月 4日(養老5年 7月 7日)隼人征討を終えて派遣されていた副将らが都に帰還。
    722年
     6月13日(養老6年閏4月25日)百万町歩開墾計画が実施される。陸奥地方の開発計画。
    723年
     5月25日(養老7年 4月17日)三世一身法発布。灌漑施設と共に開墾すれば本人・子・孫の3代、既存の灌漑施設を利用して開墾すればその人1代に限り私有を認めるという、開墾奨励法令。
    729年
     3月16日(神亀6年 2月12日)長屋王の変。藤原四兄弟らの陰謀で、長屋王や吉備内親王らが自殺。
    734年
     5月14日(天平6年 4月 7日)大地震。建物多数が倒壊し、圧死者多数。朝廷、諸国に使者を出して神社の被害を調べる。畿内の地震だったのか、南海トラフのような広域地震だったのかは不明。
     5月19日(天平6年 4月12日)天皇、諸国に使者を出して神社の地震被害を調べる。
     5月24日(天平6年 4月17日)天皇、陵墓と功ある王墓の地震被害を調べる。詔勅を出して、政治の欠失を認め、改めるよう指示。
     5月28日(天平6年 4月21日)天皇、京と畿内各所に使者を送って人民の疾苦を調べる。
     8月15日(天平6年 7月12日)天皇、地震を受けて大赦を行う。
    737年
     5月25日(天平9年 4月17日)藤原房前、天然痘で死亡。藤原氏主流北家の祖。
     8月17日(天平9年 7月13日)藤原麻呂、天然痘で死亡。京家の祖。
     8月29日(天平9年 7月25日)藤原武智麻呂、天然痘で死亡。死の直前、正一位左大臣を贈られる。南家の祖。
     9月 3日(天平9年 8月 5日)藤原宇合、天然痘で死亡。式家の祖。
    740年
     9月28日(天平12年 9月 3日)九州で大宰少弐藤原広嗣が挙兵したとの報が入り、大野東人を大将軍として征討軍の編成が命ぜられる。
    10月 9日(天平12年 9月14日)板櫃川の戦いが始まる。広嗣軍は敗走。
    11月16日(天平12年10月23日)藤原広嗣が逃亡潜伏していた値嘉嶋(五島列島の宇久島)で安倍黒麻呂に捕らえられる。
    11月24日(天平12年11月 1日)藤原広嗣が斬首される。
    741年
     3月 5日(天平13年 2月14日)国分寺・国分尼寺建立の詔が出される。
    743年
     6月23日(天平15年 5月27日)墾田永年私財法が発布される。開墾をしたものに永年の私有を認めるという法令。
    11月 5日(天平15年10月15日)聖武天皇紫香楽に大仏造営の発願を行う。
    745年
     2月26日(天平17年 1月21日)民衆への布教と様々な社会事業を行った行基が日本最初の大僧正になる。大仏建立に協力したことが評価され。
     6月 1日(天平17年 4月27日)美濃国で大きな地震が起こり、三日三晩揺れるという。正倉や寺院の堂塔、民衆の盧舎が大きな被害を受ける。以降20日間にわたって地震が続く。液状化とみられる現象もあったという。
     6月12日(天平17年 5月 8日)地震を受けて、大安寺・薬師寺・元興寺・興福寺で読経を行う。
    749年
    12月 8日(天平勝宝元年10月24日)大仏の鋳造が完成。
    751年
     フランク王国の宮宰ピピン3世がメロヴィング朝のキルデリク3世を廃して自ら王位に即き、カロリング朝を開く。
    753年
     5月26日(天平勝宝4年 4月 9日)東大寺蘆舎那仏の開眼供養
    755年
    12月16日(天宝14年11月 9日)唐の節度使の安禄山らが、唐王朝最大の反乱、安史の乱を起こす。
    757年
     7月18日(天平宝字元年 6月28日)山背王が橘奈良麻呂の反乱計画を密告。
     7月22日(天平宝字元年 7月 2日)上道斐太都が小野東人の反乱計画を密告。東人は逮捕される。
     7月23日(天平宝字元年 7月 3日)小野東人が拷問の末に反乱計画を自白。
     7月24日(天平宝字元年 7月 4日)反乱を計画したとして、橘奈良麻呂、道祖王、黄文王、大伴古麻呂、多冶比犢養、賀茂角足らが逮捕され、拷問などにより相次いで獄死。佐伯全成が自白後に自殺。以後、連座して443人が処罰を受ける。通称「橘奈良麻呂の乱」。
    763年
     6月21日(天平宝字7年 5月 6日)唐の律宗の大僧正で、苦難の末に日本へ渡ってきた鑑真が唐招提寺で死去。
    769年
    11月 7日(神護景雲3年10月 1日)宇佐八幡宮神託事件。宇佐八幡宮で「道鏡が皇位に就くべし」との託宣が出たと上奏があり、道鏡を寵愛する称徳天皇が確認のため、和気清麻呂を派遣するが、皇位は天皇家が継ぐべし、という託宣が下ったと報告したため、和気広虫・清麻呂姉弟が流刑になった事件。結局、天皇が詔で道鏡へ皇位を譲らないことを宣言し終息。
    770年
     (神護景雲4年)百万塔陀羅尼が印刷され、小型の塔に納めて10万基ずつ大安寺・元興寺・法隆寺・東大寺・西大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺・川原寺・崇福寺に奉納される。藤原仲麻呂の乱で亡くなった人々を弔うために、称徳天皇が作らせた。現存する世界最古の印刷物。
     8月28日(神護景雲4年 8月 4日)称徳天皇崩御。病床に道鏡が呼ばれることもなく、平癒祈祷の記録もないことから、すでに権力体制が藤原永手・藤原百川らに移っていたとも見られる。
     9月14日(神護景雲4年 8月21日)道鏡に造下野薬師寺別当の命が下り、下野国へ下向。後ろ盾であった称徳天皇の崩御で左遷されたもので、弟の弓削浄人らも配流された。
    772年
     5月13日(宝亀3年 4月 7日)道鏡、左遷先の下野国で死去。早くから女帝との姦通が言われた道鏡だが、自身は左遷だけで終わっているため、誇張されたという説もある。
    780年
     5月 1日(宝亀11年 3月22日)陸奥上治郡の大領・伊治呰麻呂が陸奥牡鹿郡大領の道嶋大盾と、陸奥国按察使の紀広純を殺害し反乱を起こす(宝亀の乱)。藤原継縄が征討大使に任ぜられるも出兵しなかったため罷免され、藤原小黒麻呂が征討大使となる。
    781年
     1月30日(宝亀12年 1月 1日)伊勢斎宮に美雲の瑞祥が現れたことを受けて天応と改元。元日改元唯一の例。
     (天応元年8月)伊治呰麻呂の反乱征討に出ていた持節征東大使藤原小黒麻呂が征討を終了して帰京。反乱の行方、伊治呰麻呂の消息については記録が乏しく不明。
    785年
    11月 3日(延暦4年 9月23日)長岡京建設現場で指揮を採っていた造長岡宮使の藤原種継が弓で射られる。
    11月 4日(延暦4年 9月24日)藤原種継が死亡。早良親王を含む十数名が逮捕される。多くが処刑される事件に発展。
    11月 8日(延暦4年 9月28日)早良親王が抗議の絶食により、淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近で死亡。
    788年
          (延暦7年 6月?)蝦夷征討で衣川まで来た紀古佐美率いる朝廷軍が蝦夷を攻撃するが大敗を喫する(巣伏の戦い)。
    794年
     7月14日(延暦13年 6月13日)大伴弟麻呂、坂上田村麻呂が蝦夷征討を行い大勝する。
    11月18日(延暦13年10月22日)桓武天皇が、物流の拠点と、仏教勢力から距離をおくため、山背国葛野郡と愛宕郡にまたがって建設された平安京に遷都する。山背国は山城国と改められることになる。
    797年
     7月17日東ローマ帝国イサウリア王朝の第4代皇帝コンスタンティノス6世が、母親エイレーネーのクーデターで失脚し、復位させないよう母親から目を潰される。
     8月15日クーデターで失脚し母親から目を潰されたコンスタンティノス6世が、傷がもとで死亡する。
    800年
     4月11日(延暦19年3月14日)富士山が噴火し噴煙が覆う。火山雷などが観測され、降灰があり、付近の河川の水が紅くなったという。
     (延暦19年)蓄銭叙位令廃止。銭の流通を促進する目的だったが、貯蓄するだけで流通する効果が必ずしも出なかったため。
     (延暦19年)藤原種継暗殺事件で流刑に処され憤死した早良親王へ、崇道天皇の称号を贈る。御霊を鎮め、呪いを解くため。
    12月25日カール大帝が教皇レオ3世よりローマ帝国皇帝の帝冠を受ける。
    802年
     2月13日(延暦21年 1月 8日)駿河の国司より富士山の噴火により相模国足柄路が廃止されたという報告が入る。
     5月19日(延暦21年 4月15日)蝦夷の武将、阿弖流爲と母礼が降伏
     6月22日(延暦21年 5月19日)富士山の噴火により筥荷路が新たに開かれる。
     8月11日(延暦21年 7月10日)阿弖流爲と母礼が京へ連行される。助命か処刑かで意見が分かれるが処刑が決定する。
     9月13日(延暦21年 8月13日)阿弖流爲と母礼が処刑される。
    803年
     5月31日(延暦21年 5月 8日)富士山の噴火で塞がれていた足柄路が復旧し、筥荷路が廃止される。
     8月 9日東ローマ帝国イサウリア王朝の皇帝で、初の女帝エイレーネーが没する。
    810年
    10月 7日(大同5年 9月 6日)平城上皇が平城京遷都の詔を発し薬子の変が勃発。嵯峨天皇と平城上皇の対立事件。
    10月12日(大同5年 9月11日)平城上皇の寵臣、藤原仲成が、紀清成・住吉豊継の手で処刑される(正規の処刑に則っておらず、左遷の罰が下った直後のことなので、暗殺とも言える)。
    10月13日(大同5年 9月12日)平城上皇が剃髪して嵯峨天皇側に降伏。藤原薬子は自殺。薬子の変が終わる。
    813年
     4月 3日(弘仁4年 2月29日)肥前の五島・小近島(小値賀島)に、5隻の船に乗った新羅人110人が現れ、島民9人を殺害し、101人を捕虜とする。
    819年
     5月30日(弘仁10年 5月 3日)空海が天野社の地主神を高野山に勧請する。
    835年
     4月22日(承和2年 3月21日)弘法大師空海没。
    841年
     6月25日フォントノワの戦い。フランク王国の王位と領土をめぐって、ロタール1世、ルードヴィヒ2世、シャルル2世の兄弟が争う。
    843年
     8月10日ロタール1世、ルードヴィヒ2世、シャルル2世は、ヴェルダン条約を締結し、フランク王国は3つに分裂する。
    846年
     (文聖王8年)新羅の有力者で唐や日本との交易で勢力を築いた張保皐が反乱を起こし、閻長によって暗殺される。年代は異説あり。
    852年
    12月 5日(大中6年10月21日)朱全忠、唐の宋州に生まれる。
     アルメン・フィルマンという研究者がコルドバでパラシュート降下実験を行う。現在のものとは異なり、骨組みのついた大きな傘のようなものを使用。
    861年
     5月19日(貞観3年 4月 7日)直方隕石が落下する。燃え残った隕石を人々は神社に奉納する。
    864年
     7月 2日(貞観6年 5月25日)駿河国から報告があり、富士山が大噴火を起こすと伝える。溶岩が大量に流出し、本栖湖と剗の海に流れ込み、剗の海を埋めて、2つの小さい湖(西湖・精進湖)に分かれる。この溶岩の広がった跡が後の青木ヶ原樹海。大地震が3回発生。
    866年
     4月28日(貞観8年閏3月10日)平安京大内裏の応天門が炎上する。伴善男らが追い落とされる応天門の変の始まり。
    869年
     7月 9日(貞観11年 5月26日)貞観地震。東北の沖合を震源とするマグニチュード8.3~8.6の巨大地震が発生。建造物の倒壊、大津波で千人以上が死亡。
    870年
     バイキングのインゴールヴル・アルナルソンらがアイスランドに移住。
    874年
     (乾符1年)塩の密売業者である王仙芝が長垣で挙兵。仲間の黄巣も参加し、大規模な反乱へと発展する。いわゆる黄巣の乱。
    880年
    12月(金統1年)黄巣の反乱軍が長安を攻め落とす。唐の皇帝僖宗は蜀へと逃れる。黄巣は皇帝と称し、国号を斉として建国。しかし虐殺や略奪などの非道が横行し、斉は国家としての体をなさず。
    884年
     5月(金統5年)王満渡の戦いで、黄巣軍は雁門節度使の李克用に大敗を喫し、斉はほぼ瓦解。
     7月13日(金統5年 6月17日)黄巣は故郷へと落ち延び、狼虎谷で自害。
    887年
    12月 9日(仁和3年11月21日)阿衡事件。藤原基経の関白任命をめぐって、その詔勅の関白を指す「阿衡」の文字が「中身のない役職を意味している」として基経が問題にし、職務を半年にわたって放棄する。基経は歴史上はじめて、関白という名前の役職についた人物で、就任の年月日には異説もある。
    892年
     唐の盧州刺史楊行密が揚州一帯を手中に収め、淮南節度使となる。十国の一つ、呉の事実上の建国。
    894年
     (寛平6年)前年からこの年にかけて、対馬にたびたび新羅の軍勢が攻め寄せる。対馬守文屋善友がこれを撃退。
    896年
     杭州の軍閥杭州八都を率いる杭州刺史銭鏐が鎮海・鎮東両軍節度使となる。十国の一つ呉越の事実上の建国。
     福州の有力者王潮が威武軍節度使となる。十国の一つ閩王朝の祖。
     潭州の有力者馬殷が湖南節度使となる。十国の一つ楚の事実上の建国。
    897年
     威武軍節度使王潮が死去し、弟の王審知が後を継ぐ。閩の初代王。
    899年
    10月26日イングランドの原型を築いたウェセックスのアルフレッド大王が死去。
     新羅の王族を称する弓裔が高句麗復興を唱えて挙兵。
    900年
     新羅の将軍甄萱が後百済(国号は百済)を建国。
    901年
     2月16日(延喜元年 1月25日)昌泰の変で菅原道真が大宰府へ左遷される。
     弓裔が後高句麗を建国。最盛期には朝鮮半島の大部分を支配するに至る。
    904年
     封州刺史劉隠が、静海軍節度使の反乱を鎮圧して自ら静海軍節度使と名乗り、事実上独立。十国の一つ南漢の前身。
    905年
     5月21日(延喜5年 4月15日)古今和歌集成立(真名序による)。仮名序では旧暦4月18日(ユリウス暦5月24日)。
    907年
     2月27日耶律阿保機が、可汗に即位。のちの契丹(遼)王朝の前身。
     6月 1日(開平元年 4月18日)朱全忠が唐の哀帝から禅譲を受けて皇帝に即位。梁(後梁)を建国。五代十国のはじまり。
    911年
     4月 4日(乾化1年 3月 3日)後梁の南海王劉隠が死去。弟の劉龑が後を継ぐ。
    912年
     7月18日(乾化2年 6月 2日)後梁の太祖朱全忠が、後継者問題で第3子の朱友珪に殺害される。
     後梁の荊南節度使高季興が、荊州など3州をもって事実上独立。十国の一つ荊南。
    916年
     3月17日耶律阿保機が「契丹」を国号に定める。
    917年
     南海王劉龑が皇帝を称し国号を大越とする。
    918年
     大越高祖劉龑が国号を漢(南漢)と改める。
     後高句麗の王弓裔が暴虐の振る舞いが増えたため、洪儒、裴玄慶、申崇謙、朴智謙らが実力者の王建を擁立、弓裔は追放されのち殺害される。王建は国号を高麗(高句麗の自称)と定める。
    923年
     李存勗は皇帝を名乗って後唐を建国。
    926年
     李存勗の悪政により反乱が多発。その鎮圧を任された李嗣源が、部下によって皇帝に推戴される。追い詰められた李存勗は、部下の手で殺害され、李嗣源が後唐の2代皇帝となる。
    930年
     アイスランド全島から各集落の代表者が集まり、アルシング(民主議会)が開かれる。
     7月24日(延長8年 6月26日)朝議の日に清涼殿に落雷。大納言民部卿藤原清貫、右中弁内蔵頭平希世、右兵衛佐美努忠包らが死亡し、菅原道真の呪いという噂が立つ。
    10月16日(延長8年 9月22日)清涼殿落雷事件で、ショックを受けて病になった醍醐天皇が皇太子寛明親王に譲位。
    10月23日(延長8年 9月29日)醍醐天皇が亡くなる。
    933年
     王建が後唐に朝貢し、高麗王に封ぜられる。
    934年
     1月28日(承平4年12月21日)土佐の国司だった紀貫之が帰京のため土佐を出発。この旅の紀行文が『土佐日記』にまとめられる。日本最初の仮名で書かれた本。
    936年
     後百済が初代甄萱と二代神剣の内紛で高麗につけこまれ滅亡する。
    937年
     李嗣源の娘婿だった石敬瑭が、反乱を起こし、契丹の耶律堯骨の支援で皇帝を称し、後晋を建国。
     1月11日(清泰3年閏11月26日)石敬瑭が、後唐の都洛陽を包囲。後唐4代皇帝李従珂(末帝)は自殺し滅亡。
     十国呉の第4代王楊溥(睿帝)が徐知誥に禅譲して滅亡。徐知誥(李昪)は斉(南唐)を建国。
    12月18日(承平7年11月13日)富士山が噴火し、溶岩が流れ出て御舟湖を埋めたとされる。
    940年
     3月25日(天慶3年 2月14日)新皇と称し、関東平野を支配した平将門が、藤原秀郷ら討伐軍との戦闘で戦死する。
     閩の景宗王曦と弟の建州節度使王延政との間で内戦が勃発。
    941年
     7月21日(天慶4年 6月20日)瀬戸内地方で海賊団を率い、天慶の乱を起こした藤原純友が死去。
     呉越の都杭州で大火が起こり、大きな被害を出す。国王の銭元瓘も死去。敵国だった南唐の李昪は、このときだけは支援したと言う。
    943年
     閩の王延政が建州において皇帝を自称し、国号を殷とする。
    944年
     閩の朱文進が反乱を起こし、景宗王延羲を殺害して閩主を名乗る。後晋に臣従して威武節度使、つづけて閩王に封ぜられる。
    945年
     殷帝を称していた王延政が閩に侵攻。朱文進は林仁翰に殺害され、王延政が第7代閩王となる。しかしこの混乱に乗じて南唐が侵攻してくると降伏。閩は滅亡。
    947年
     1月11日(会同10年 1月1日)契丹の太宗(耶律堯骨)による親征で、後晋の都開封は陥落。2代皇帝の石重貴(少帝)は契丹に拉致され後晋は滅亡。太宗は開封に入城し、国号を「大遼」と改称、年号を大同とする。
     2月後晋の河東節度使で、突厥沙陀族の劉知遠が、皇帝を称して即位。後漢(こうかん)を建国。
     6月劉知遠、遼の軍勢が引き上げたのを受けて開封へ入城。節度使の地位を安堵する。
    948年
     1月後漢高祖劉知遠が死去。劉承祐(隠帝)が2代目皇帝となる。
    950年
     4月後漢の有力軍閥、郭威が天雄軍節度使に任ぜられ、対遼政策のため鄴都へ赴任。この間に隠帝側近らが有力武臣らの粛清を開始。
     4月郭威が粛清に対抗するため、反乱を起こし、軍を率いて南下、開封へ向かう。
    951年
     1月郭威は軍を率いて開封へ入城。その混乱のさなか、隠帝も殺害される。郭威は劉知遠の甥の劉贇(徐州武寧軍節度使)を擁立。
     2月13日郭威、遼に備えて移った澶州で部下から皇帝に推戴され、自ら帝位に就き後周を建国する。劉贇は殺害され、それを知ったその父の劉崇(河東節度使)は、晋陽で自立し、北漢を建国。
     楚の第6代王馬希崇が、内紛により南唐の支援を求め、南唐は潭州に攻め込み、楚は滅亡。
    957年
     後周の軍勢が南唐の淮河から長江にかけての一帯をほぼ制圧。南唐は後周に臣従することになり、国号を江南と改め、皇帝の称号も廃する。
    960年
     陳橋の変。後周の陳橋で、後周軍の有力者だった殿前都点検の趙匡胤が、弟の趙匡義ら部下に推されクーデターを起こす。この後、都の開封に戻り、3代恭帝から禅譲を受け、帝位につき、宋王朝(北宋)を興す。
    962年
     2月 2日東フランク王オットー1世が、教皇ヨハネス12世から皇帝の冠を授けられる。神聖ローマ帝国の誕生とされる。
    963年
     荊南の王高継仲が宋王朝に降伏し荊南は滅亡。
    969年
     4月14日(安和2年 3月25日)安和の変。左大臣の源高明が失脚し、藤原北家が権力を継続させるきっかけとなる。
    971年
     北宋が南漢に攻め込み、第4代皇帝劉鋹は逃走を図るも失敗して捕らえられ、南漢は滅亡。
    975年
     北宋軍が江南(南唐)の都金陵を包囲。第3代王李煜は降伏し、江南(南唐)は滅亡。
    976年
    11月14日(開宝9年10月20日)宋の太祖、趙匡胤が急死。死の際にそばにいたと言われる弟の趙匡義が2代皇帝(太宗)となる。同時代から趙匡義が趙匡胤を殺害したのではないかという疑惑「千載不決の議」が取り沙汰された。
    978年
     (太平興国2年)中国南部で最後まで残っていた呉越の王銭弘俶が家臣とともに自国を宋王朝に献上。銭弘俶は淮海国王に封ぜられる。呉越国は消滅。
    979年
     北宋の太宗の親征により、十国最後の国家、北漢は滅亡。最後の皇帝である英武帝劉継元は宋より彭城公に封ぜられる。十国時代は終わり、再統一される。
    982年
     赤毛のエイリークがグリーンランドを発見して命名。グリーンランドという名前の由来ははっきりしないが、入植を進めるため、あるいは当時温暖化の時代だったため、沿岸部は緑に覆われていたと言った説がある。
    985年
     この頃から、ヴァイキングによってグリーンランドに入植が始まる。現在の自治政府首都ヌーク付近にも入植。ただしこの入植地は16世紀までにすべて滅んでいる。
    986年
     4月14日(寛和2年 8月 1日)花山天皇が出家し一条天皇が即位する。寛和の変。右大臣藤原兼家が起こした政変で、関白藤原頼忠も事実上失脚した。兼家は大臣職を辞して摂政となったため、以後の先例となった。
    995年
     6月 2日(長徳元年 5月 2日)『蜻蛉日記』の著者、藤原道綱母死去
    997年
     (長徳3年)この年、九州各地の沿岸を「高麗の賊」が襲来。長徳の入寇、南蛮の入寇などともいう。朝鮮半島からの他に奄美島人が加わっていたという記録もある。
    1000年
    12月25日イシュトヴァーン1世が戴冠し、アールパード朝ハンガリー王国を建国。1001年1月1日という説もある。
     997年からこの頃にかけて、アイスランド出身のバイキング、レイフ・エリクソンが船団を率いて北アメリカに到達する。
    1004年
     遼の聖宗による南進を受けて、北宋と遼の間で交渉が行われ、宋から毎年絹20万匹・銀10万両を送ることで和睦が成立。澶淵の盟が結ばれる。
    1006年
     5月 1日(寛弘3年 4月 2日)超新星SN1006が観測される。明月記や宋史に記述がみられる。おおかみ座の7,200光年の距離にある星。
    1008年
    12月 1日(寛弘5年11月 1日)この日の紫式部日記にはじめて源氏物語の内容について記載が出てくる。少なくともこの年までには源氏物語が書き始められていたということになる。
    1019年
     5月 4日(寛仁2年 3月27日)刀伊の入寇。朝鮮半島から賊船50隻3000人ほどが対馬を襲撃。殺戮放火略奪を行う。そのまま壱岐を襲い島分寺を焼き住民を連行、さらに筑前に上陸。太宰権帥であった藤原隆家や、松浦の源知らに率いられた武士団によって撃退される。住民365人が殺害され、1289人が連れ去られた。高麗人の捕虜が複数いたため、高麗の襲撃と考えられたが、対馬判官の長嶺諸近が家族を探して高麗へ行き得た情報と、高麗から救出された住民270人が送り返されたことから、「刀伊(とい)」と呼ばれる集団であったと判明。女真族の一派ではないかと見られている。
    1024年
     6月24日イタリアの修道士グイード・ダレッツォによって音階を表す「階名唱法」が誕生する。いわゆるドレミファソラシの原型。
    1028年
     1月 3日(万寿4年12月 4日)藤原五摂家の祖である藤原道長が死去。当時の記録から、糖尿病、癌、ハンセン病などが死因の候補として考えられる。
     この年、上総・下総・常陸に勢力を持つ有力豪族の平忠常が安房守平維忠を殺害して反乱を起こす。
    1031年
     (万寿4年 6月)平忠常の乱が、追討使となった源頼信に忠常が降伏したことにより終結。中央の権力争いや追討使の人選ミスで事態が悪化し長期化していた。この結果、源頼信の力が増し、関東に源氏勢力が地盤を築くきっかけとなった。
    1038年
     8月15日ハンガリーの初代国王イシュトヴァーン1世が亡くなる。
    宋の夏国公李元昊が皇帝を称し、国号を大夏と定め西夏を建国。
    1043年
     4月 3日エドワード懺悔王がイングランド王に即位。
    1054年
     6月16日ローマ教皇の使者としてコンスタンディヌーポリを訪れていたフンベルト枢機卿が、総主教ミハイル1世らへの破門状を渡し、ミハイル1世もローマ側を破門。東西教会の分裂。
     7月 4日(天喜2年 5月26日)SN1054と呼ばれる超新星が出現。23日間にわたって昼間でも見える。おうし座の7,000光年の距離にある星で、現在はその残骸が「かに星雲」となっている。藤原定家の『明月記』や中国の『宋史』に詳しく、『一代要記』『天文志』などにも記述がある。史上最も有名な超新星の一つ。
    1056年
     4月 5日(天喜4年 3月18日)超新星が消える。653日間、夜空に輝いていた。最大で金星くらいの明るさがあったとされている。
    1077年
     1月25日カノッサの屈辱。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、破門を解いてもらうため、ローマ教皇グレゴリウス7世の滞在するカノッサ城門で3日間立ち尽くした出来事。ただし皇帝は、破門解除後に教皇を軍事力で追い払っている。
     ハンガリー国王にラースロー1世が即位。国内の混乱を収め、勢力を拡大。
    1087年
    12月11日(寛治元年11月14日)出羽清原氏の内紛から始まった後三年の役が終結。陸奥安倍氏の血を引き、出羽清原氏に育てられた藤原清衡が、奥州藤原氏の基礎を築く。
    1095年
     ローマ教皇ウルバヌス2世によって聖地エルサレムの回復のために十字軍派遣が決まる。第1回十字軍。
    1096年
     8月第1回十字軍の本隊が出発。
    10月21日民衆十字軍壊滅。十字軍に合わせて編成された民衆や騎士らの十字軍が、ルーム・セルジューク朝のクルチ・アルスラーン1世の軍勢に襲われ壊滅する。
    1097年
     5月14日東ローマ帝国と十字軍がルーム・セルジュークの首都ニカイアを包囲。
     6月19日東ローマ帝国がニカイア側と降伏交渉を行い、ニカイアは降伏するも、十字軍は排除されたため、帝国と十字軍は対立。
     6月26日十字軍はニカイアを出発。
     7月 1日十字軍が、襲ってきたセルジューク軍とダニシュメンド朝の軍勢を破る。
    10月20日十字軍が、アンティオキアを包囲。
    1098年
     6月15日アンティオキアを攻略中に、キリストを貫いた「ロンギヌスの槍」が「発見」される。
     6月28日十字軍がアンティオキアを陥落。
    1099年
     2月16日(承徳3年1月24日)康和地震。興福寺や天王寺で建物の倒壊などの被害が発生。まもなく康和に改元。
     6月 7日十字軍がエルサレムを包囲。
     7月15日十字軍がエルサレムを陥落し、一応の目的が達せられる。
    1101年
     (康和3年)大宰大弐大江匡房から対馬守源義親の乱暴狼藉の訴えがある。
    1102年
     (康和4年)朝廷は、源義親を隠岐流罪の処分と決定するが、義親は隠岐へは行かなかったのか、出雲で騒動を引き起こす。
     この年、ロンドンの郊外にある平原スミス・フィールドに、イングランド王ヘンリー1世の道化師レヒアが、聖バーソロミュー修道院を建設。周辺に市が立ち、劇場・見世物市・家畜市場として賑わうようになる。のちには処刑場としても知られるようになった。
    1105年
     3月 3日(長治2年 2月15日)藤原清衡が平泉に最初院多宝寺(中尊寺)を建立。
    1108年
     2月 2日(嘉承2年12月19日)平正盛が、出雲で勢力を広げる源義親討伐を命ぜられる。
     3月 3日(天仁元年 1月19日)平正盛が源義親討伐を終える。
     3月13日(天仁元年 1月29日)平正盛が源義親の首級を掲げて京に凱旋。見物人で大騒ぎとなる。白河法皇の評価も高く、後の平清盛につながる伊勢平氏台頭のきっかけとなった。なお、源義親を名乗る人物がその後、次々と現れて、大きな騒動に発展するため、この討伐で殺されたのは別人ではないかという説も当時からあった。
    1112年
    11月11日(天永3年10月20日)この日以降何度か、京の都で東方から大きな音が響きわたり人々が不安におののく。東から上洛した人が、富士山の噴火を伝えるが駿河国司からの報告はなかった模様。
    12月14日(天永3年11月24日)伊豆国司より使者が京に到着し、伊豆の東方沖合で火が見え大きな音がしたと報告。伊豆諸島で噴火があったと見て、27日に朝廷で吉凶を占う神事を行う。
    1115年
     1月28日(収国1年 1月 1日)女真族完顔部の族長阿骨打が、遼からの自立を図って皇帝を名乗り、大金国を建国。収国と建元。上京路に会寧州を置いて都と定める。
    1120年
     (宣和2年)北宋は、金王朝の台頭を見て、遼を挟撃するための「海上の盟」を金との間で結ぶ。しかし宋は南方で起こった方臘の乱鎮圧のため、対遼作戦が遅れることに。
    11月25日ホワイトシップの遭難事件。ノルマン朝のヘンリー1世の嫡男ウィリアムや、王族らが乗ったホワイトシップ号がノルマンディー沖で遭難。ウィリアムの代わりにマティルダが王位を受け継ぐも内戦となる。
    1121年
     3月 7日遼の天祚帝と、金の阿骨打が入来山で戦い、遼が大敗。天祚帝は燕京から逃走。
     3月13日天祚帝が敗走したことを受けて、遼の皇族の耶律大石と李処温らが、天祚帝を湘陰王に格下げし、その従父の耶律涅里(劉淳・天錫帝)を強いて擁立。北遼王朝。
     6月天錫帝が死去。耶律大石らは、耶律定を擁立。天錫帝の蕭徳妃が摂政となる。
    1123年
     2月 (保大3年・徳興2年)阿骨打、燕京を攻め、耶律大石らは耶律定・蕭徳妃らと天祚帝のもとへ逃走。天祚帝によって、耶律定は王位に格下げされ、蕭徳妃は処刑される。
     5月 8日(神暦1年)蕭徳烈らが耶律雅里を北遼の皇帝として擁立。
     9月19日(天輔7年8月28日)阿骨打、遼の天祚帝を追撃中に部堵濼で病死。同母弟の呉乞買が後を継ぎ、第2代皇帝となる。
    10月 (神暦1年)耶律雅里は病没。そのため、耶律朮烈(英宗)が擁立される。
    11月 (神暦1年)金軍が燕京を包囲し、英宗は家臣たちに弑されて北遼は滅亡。
    1124年
     呉乞買、遼を攻め、耶律大石は西方へ逃走。北庭都護府可敦城で自立。
    1125年
     (天会3年)呉乞買、北宋との盟約に基づき遼を攻め、遼の天祚帝は捕らえられて、遼は滅亡。
    1127年
     1月 9日(天会5年・靖康元年11月 5日)靖康の変。金の2代皇帝呉乞買の軍勢によって宋(北宋)の都開封が陥落し、皇帝欽宗と太上皇徽宗、多くの皇族や官僚、および皇族女性らが尽く金に連行され滅亡する。
     6月12日(建炎元年)靖康の変を逃れた欽宗の弟の康王趙溝が江南に南宋王朝を興す。
    1129年
     1月 (大治4年 1月)平清盛が、12歳で従五位下・左兵衛佐となる。
    1130年
     (天会8年)金、独立した耶律大石に対し、同族の耶律余賭を派遣して攻撃。しかし耶律大石は激戦を避けて西へ退却。ビシュバリクの天山ウイグル王国ビルゲ可汗のもとへ至る。ビルゲ可汗、耶律大石と対立するものちに従属。
    1131年
     秦檜が南宋王朝の宰相となる。金と手を組んで和平政策を推し進める。
    1132年
     (天承2年)平忠盛が、鳥羽上皇勅願の得長寿院造営を担当し、千体観音を寄進したことで、内昇殿を許される。武士としては当時かなり異例な破格の待遇で、反感を持った公家たちから命を狙われる。
     耶律大石が西遼(カラ・キタイ)を建国。ベラサグンをグズオルドとあらため、都に定める。
     (天会10年)耶律余賭・蕭高六・蕭特謀らが金の太宗暗殺の計画を立てるも露見。蕭高六は捕らえられ処刑、蕭特謀は自殺、耶律余賭は西遼を建国した耶律大石のもとへ逃走を図るが、中途にある西夏の崇宗(李乾順)が出兵したため、モンゴルへ向かうも捕らえられ処刑される。
    1141年
     (紹興10年)南宋と金の間で、紹興の和議が結ばれる。領土が確定し、南宋は金に対し、銀25万両と絹25万疋を収めることになる。
    1142年
     1月27日(紹興11年12月29日)南宋の将軍で対金強硬派の岳飛が、和平派である宰相の秦檜の手で誅殺される。
    1143年
     耶律大石が、遼の故地を奪還するため、金に対し7万の兵で出兵するが病死し、遠征は中止される。西遼の皇位は耶律夷列が継ぐ。
    1147年
     7月14日(久安3年 6月15日)祇園闘乱事件。祇園社へ参詣に出た平清盛の一行が、携行する武器をめぐって神人と言い争いになり、清盛の家人が放った矢が宝殿に刺さった事件。
     7月25日(久安3年 6月26日)祇園闘乱事件を受けて、比叡山延暦寺が事件を上皇に告訴。平忠盛は下手人7人を差し出す。
     7月27日(久安3年 6月28日)祇園闘乱事件の平氏の対応を受けて、比叡山延暦寺が僧兵を繰り出し、忠盛と清盛の処罰を求めて強訴に及ぶ。上皇側が処置を決済すると院宣を出したので一旦は引き下がる。
     7月29日(久安3年 6月30日)上皇のもとで公卿らが集まり、祇園闘乱事件の処置について詮議が行われる。藤原頼長が平忠盛の責任を主張するも、大方は忠盛に非はなしと判断。
     8月13日(久安3年 7月15日)祇園闘乱事件の処置が遅れているため、延暦寺が再び強訴に及ぼうとしたため、上皇は院宣でこれを止めるよう延暦寺に求め、北面の武士を派遣する。
     8月22日(久安3年 7月24日)公卿等による祇園闘乱事件の処置が決まらないため、上皇が平清盛を「贖銅三十斤」の罰金刑とする決定を下す。
     8月25日(久安3年 7月27日)朝廷から祇園社に対して、祇園闘乱事件の謝罪のための奉幣使が派遣される。
     9月 1日(久安3年 8月 5日)平清盛が「贖銅三十斤」の罰金を支払う。
    1148年
     3月12日(久安4年 2月20日)祇園闘乱事件でこじれた関係を修復するため、平忠盛が祇園社へ自領を寄進し、法華八講を祗園社で行う。
    1156年
     7月20日(保元元年 7月 2日)鳥羽法皇崩御。死に際に実子の崇徳上皇が見舞いに来るが拒絶される事件が起こる。
     7月23日(保元元年 7月 5日)崇徳上皇と藤原頼長が手を組み、国家を傾けんと画策している、との噂が広がり、検非違使が招集される。
     7月27日(保元元年 7月 9日)崇徳上皇が突如、鳥羽田中殿を脱出して、洛東白河の統子内親王の御所に入る。平氏の拠点六波羅に近いため、平氏の支援を期待したものか(清盛の父、平忠盛の妻池禅尼は崇徳の子重仁親王の乳母で忠盛が後見を務めていたため)。しかし池禅尼は、崇徳方敗北を予測し、平氏は動かず。
     7月28日(保元元年 7月10日)崇徳上皇のもとに、藤原頼長、藤原教長、藤原盛憲、藤原経憲、源為義、平忠正らが合流。源為朝が夜襲を進言するが、藤原頼長はこれを卑怯だと一蹴する。一方、後白河天皇方にも藤原忠通、藤原基実、源義朝、平清盛、源頼政らが集結。軍議により相手方への夜襲が決定する。
     7月29日(保元元年 7月11日)保元の乱が始まる。後白河天皇方の軍勢が、崇徳上皇方を夜襲。一進一退の攻防となるが、源義朝らが白河殿に隣接する藤原家成邸を放火。崇徳方は混乱に陥り大敗を喫する。藤原頼長は逃走の際に首に矢が刺さり重症を負う。
     7月31日(保元元年 7月13日)崇徳上皇が仁和寺の弟覚性法親王を頼って出頭。
     8月 1日(保元元年 7月14日)藤原頼長が重症の身で大和奈良の父忠実のもとに逃走するが受け入れてもらえず、叔父千覚のいる興福寺に入り、そこで死亡。
     8月10日(保元元年 7月23日)崇徳上皇が讃岐へ配流となる。
     8月15日(保元元年 7月28日)平忠正が平清盛の手で処刑される。死刑は薬子の変以来行われていなかった。
     8月17日(保元元年 7月30日)源為義が、息子の義朝の手で処刑される。
     9月12日(保元元年 8月26日)源為朝が捕らえられる。伊豆大島へ流罪。
    11月 2日(保元元年閏9月18日)後白河天皇によって、保元新制の宣旨7カ条が発せられる。荘園整理を目的にしたもので、後白河の側近、信西が台頭し政権を担って国政改革に乗り出す。
    1157年
     5月 6日(保元元年 3月26日)後白河天皇によって、武蔵守藤原信頼が抜擢され、右近衛中将となる。以後、急速に台頭。
    1160年
     1月19日(平治元年12月 9日)平治の乱が始まる。政権を握っていた信西一族を滅ぼすため、平清盛の熊野参詣の留守中を狙い、藤原信頼を中心に、二条天皇派と後白河院派が連携して挙兵。源義朝、源光保、源頼政らが御所と三条殿を襲撃して、後白河上皇・上西門院を捕らえる。信西は逃走。
     1月23日(平治元年12月13日)信西は逃走不可能と判断し、山城田原で郎党の藤原師光らに自分を埋めさせ自害した(追手に見つかった後自害したという説もある)。信西の死により、二条派と後白河派の対立が再燃。
     1月27日(平治元年12月17日)京の異変を知った平清盛一行が、熊野から帰京。信西派の内大臣三条公教が清盛と二条天皇派を説得し反信頼派を形成。
     2月 4日(平治元年12月25日)平清盛は、藤原信頼に恭順の姿勢を見せる名簿を提出。一方で三条公教らと二条天皇の六波羅行幸を画策。天皇は軟禁場所から脱出し、六波羅の清盛邸へ入る。
     2月 5日(平治元年12月26日)二条天皇の六波羅行幸が知れ渡り、公卿らが相次いで平氏側に旗色を鮮明にする。源義朝は事態を知り、油断していた信頼を罵倒、信頼・藤原成親と出兵するが、源師仲は内侍所(神鏡)を持ちだして逃走。源頼政も離反。両勢力は六波羅付近の六条河原で衝突。兵力差で平清盛側が勝利する。
     2月 6日(平治元年12月27日)平治の乱の首謀者、藤原信頼が公卿の身で斬首される。藤原成親は、妹経子が平重盛の妻だった関係で、解官の軽い罪で許された。
     2月 8日(平治元年12月29日)平治の乱後、比叡山の僧兵による落ち武者狩りで負傷した源朝長が死亡。
     2月11日(平治2年 1月 3日)源義朝と鎌田政清が東国へ落ち延びる途中、政清の舅で義朝の家人であった長田忠致の尾張の邸宅で長田に裏切られ殺害される(裏切りに気づいて自刃したとも)。
     3月 4日(永暦元年 1月25日)源義平が捕らえられ六条河原で処刑される。
    1164年
     9月14日(長寛2年 8月26日)保元の乱で敗者側に付いた第75代崇徳天皇(崇徳院)が、流刑先の讃岐で崩御。後白河上皇へ送った和解の写経を破られて送り返されたのを苦にして自殺したとも、暗殺されたという話もある。これらから怨霊伝説が生まれた。
    1165年
     1月30日(長寛2年12月17日)三十三間堂が落慶。後白河上皇が平清盛に協力させて建設した院の御所「法住寺殿」の本堂。
    1167年
     3月 4日(仁安2年 2月11日)平清盛が太政大臣に就任。武士階級では前代未聞の出世だが、摂関時代以降、官職そのものには実質的な権力はなかった。
     (大定7年閏7月18日)王重陽が馬丹陽を弟子に迎え入れ、のちに道教二大宗派のひとつとなる全真教を興す。教団名は馬丹陽が提供した庵「全真」の名前から。
    1170年
     4月23日(嘉応2年 4月 6日)源為朝自害。生き延びて琉球へ旅だった説もある。
     8月16日(嘉応2年 7月 3日)殿下乗合事件。法勝寺に向かう途中の摂政松殿基房の一行が、鉢合わせした女車の無礼をとがめて乱暴。その後、女車の主が平資盛であることがわかり謝罪するが資盛の父平重盛が反発。
    11月30日(嘉応2年10月21日)高倉天皇の加冠の儀に参加するため朝廷に向かった松殿基房の車列を、平重盛の兵が襲撃し、4人が髷を切られる事件が起こる。加冠の儀は中止に。殿下乗合事件の報復とされる。
    1170年
     1月21日(嘉応2年12月14日)松殿基房、太政大臣となる。事態収拾を図る平清盛の推挙とも言われる。なお、『平家物語』では清盛と重盛の立場が逆で、清盛が報復し、重盛が収拾を図っている。
    1177年
     6月28日(安元3年 6月 1日)平氏打倒の鹿ヶ谷の陰謀が発覚。陰謀に加わった多田行綱が平清盛に訴えでた。後白河院による山門(延暦寺)攻撃強行を避けたい平清盛による陰謀とも言われる。西光や藤原成親らが拘束される。
    1179年
    12月17日(治承3年11月17日)治承三年の政変。平清盛が反平氏勢力の一掃をはかり京を制圧。後白河院の院政を停止し、公卿ら多数が逮捕され殺害されたり所領を没収されたクーデター事件。諸国の国主の入れ替えも行われ、中央政権に与するものが抜擢された。それが後の源氏の蜂起に諸豪族が加勢する遠因となったとも言われる。
    1180年
     5月18日(治承4年 4月22日)安徳天皇が2歳で即位。第81代天皇。
     5月23日(治承4年 4月27日)源頼朝が、叔父の行家から以仁王の平家追討令旨を伝えられる。
     6月20日(治承4年 5月26日)南都へ向かう途中の以仁王と源頼政の軍勢が、宇治橋で平家の追討軍と対峙。平家側の渡河により頼政ら摂津源氏の軍勢は敗北し、宇治平等院から脱出した以仁王も逃走中に討たれる。
     9月 8日(治承4年 8月17日)源頼朝の軍勢が挙兵。伊豆目代山木兼隆を討ち取る。
     9月14日(治承4年 8月23日)石橋山の戦い。源頼朝の軍勢が平家方の大庭景親、伊東祐親の軍勢に大敗を喫す。頼朝は山中に隠れているところを平家方の梶原景時に見逃され、土肥実平の助けで真鶴より房総へ向かう。
     9月17日(治承4年 8月26日)源頼朝に味方し援軍を出そうとした三浦義明・義澄らは頼朝敗北を知って退却するが、本拠の衣笠城を畠山重忠の軍勢に攻められ海上へ落ち延びる。三浦義明は戦死。なお、三浦氏と畠山氏は縁戚関係にあったと言われる。
     9月20日(治承4年 8月29日)源頼朝、安房に到着。三浦義澄、安西景益らと合流。千葉常胤、上総広常ら下総の有力豪族に使者を送る。
     9月24日(治承4年 9月 4日)安房に逃れた源頼朝の要請を受けて味方し下総目代を殺害した千葉常胤と、下総守に任じられた判官代藤原親正が戦い、親正は敗北し捕虜となる。関東の諸豪族が頼朝方に付いたのは、治承三年の政変後に国主の入れ替えがあり地元豪族が不利に置かれたことが背景にあると言われる。
    10月22日(治承4年10月 2日)源頼朝ら、武蔵国へ入る。平家方についていた畠山重忠、江戸重長、河越重頼らも降伏し許される。
    10月26日(治承4年10月 6日)源頼朝、鎌倉へ入る。
    11月 7日(治承4年10月18日)源頼朝の軍勢と武田信義ら甲斐源氏の軍勢が合流。
    11月 9日(治承4年10月20日)富士川の戦い。源頼朝ら関東諸豪族の軍勢と武田信義ら甲斐源氏の連合軍に対し、討伐のために遠征してきた平家軍が富士川両岸で対峙するが、戦闘に至る前に平家軍が総退却、壊乱状態となる。平家軍退却の理由で有名なのは鳥が飛び立つ音に驚いたというもの。しかし元々平家軍は統率に失敗し離反者が相次いでおり、戦闘前から結果は出ていたという。なお、日付は諸本によって違いがある。
    1181年
     3月20日(治承5年閏2月 4日)平清盛病死。
     7月26日(治承5年 6月13日)横田河原の戦い。平家より命を受けた越後の城助職が信濃に侵攻、木曽義仲と対戦し敗北、越後へ退却する。
     超新星SN1181を観測。カシオペア座26,000光年にある星。藤原定家の日記『明月記』に書かれた超新星の一つで、これは日記と同時代の現象となる。
    1183年
     5月20日(寿永2年 4月27日)平維盛率いる平氏軍が越前火打城を攻め落とす。
     6月 2日(寿永2年 5月11日)倶利伽羅峠の戦い。木曽義仲、源行家、樋口兼光らが、平維盛・平通盛・平知度・平行盛、平忠度ら平氏10万の軍勢を奇襲して倶利伽羅峠の崖に追い落とし大勝する。牛の角に松明を付けて襲わせる話で有名だが後世に脚色された話とも言われる。
     8月17日(寿永2年 7月28日)木曽義仲、入京。平氏は安徳天皇を連れて西国へ移動。
     8月19日(寿永2年 7月30日)朝廷で論功行賞が沙汰され、第一が源頼朝、第二が源義仲(木曽義仲)、第三が源行家となる。
     9月 8日(寿永2年 8月20日)平氏が連れ去った安徳天皇と神器を戻すことが困難だったため、高倉天皇の子で、安徳天皇の異母弟に当たる尊成親王が即位し後鳥羽天皇となる。この際に、木曽義仲が以仁王の子である北陸宮を推挙したため、九条兼実ら公家から反感を買う。
    10月 7日(寿永2年 9月19日)木曽義仲と後白河法皇が会談し、法皇は京の治安悪化などを問題にして責任を問うたため、義仲は平氏討伐を約束。西国へ向けて出陣する。
    10月31日(寿永2年10月14日)朝廷より、源頼朝に対して「寿永二年十月宣旨」が下される。頼朝の提案(平氏に押領された寺社の領地や宮・公家の荘園を元に戻す、斬罪の計を緩和する)に基づき「東海・東山諸国の年貢、神社仏寺ならびに王臣家領の庄園、元の如く領家に随うべき」という内容。木曽義仲に対向するため、後白河法皇と頼朝が手を組んだものとされる。頼朝は北陸道も加えようとするが義仲の反発を恐れて朝廷は了承しなかった。またこれと合わせて頼朝を従五位下右兵衛権佐に戻す。頼朝は宣旨実行を名分に、範頼と義経を出陣させる。
    11月17日(寿永2年閏10月1日)木曽義仲軍の足利義清ら、水島の戦いで平重衡らに敗北。義仲軍の将兵多数が戦死する。なお、この日、金環日食があったことが記録されており、これが戦闘に影響したという説もある。
    12月19日(寿永2年11月 4日)源義経軍が不破の関に到着。木曽義仲はこれに対応するため出兵するが、義仲に不満を持つ源行家らと後白河法皇らが手を組み、法住寺に立て籠もる。
    1184年
     1月 3日(寿永2年11月19日)木曽義仲、後白河法皇らの籠もる法住寺を攻め落とす。後白河法皇は捕らえられ幽閉され、明恵・円恵法親王・源光長(土岐光長)らは戦死。
     1月 6日(寿永2年11月22日)木曽義仲と松殿基房が手を組み、基房の子、松殿師家が摂政となって、新政権が樹立。
     1月12日(寿永2年11月28日)摂政松殿師家によって前摂政基通の家領八十余所を木曽義仲に与えられることになり、また、中納言藤原朝方以下43人が解官となる。
     2月28日(寿永3年 1月15日)木曽義仲、征東大将軍となる。
     3月 4日(寿永3年 1月20日)宇治川の戦い。源範頼・源義経率いる5万騎を超える大軍に対し、この時点ですでに木曽義仲は千騎ほどにまで激減しており大敗。義仲は今井兼平が防戦していた瀬田方面へ逃走。義仲体制は崩壊。
     3月 5日(寿永3年 1月21日)粟津の戦い。源範頼軍に追撃され木曽義仲戦死。今井兼平も自刃する。
     3月20日(寿永3年 2月 7日)一ノ谷の戦い。源義経の「鵯越の逆落し」奇襲で平氏が大敗。
     5月27日(寿永3年 4月16日)元暦に改元。ただし平氏側支配地では引き続き寿永が使われる。
    10月 7日(元暦1年 9月 1日)源範頼軍が西国へ向けて出陣。
    1185年
     1月10日(元暦1年12月 7日)藤戸の戦い。源範頼軍が平行盛の児島に築いた城を攻め、この時、佐々木盛綱が海峡を馬で渡りこれを落とす。
     3月22日(元暦2年 2月19日)屋島の戦い。源義経軍が海を迂回し、陸側から奇襲をかけ、平氏の拠点だった屋島を落とす。那須与一の扇の的のエピソードが起こる。
     4月25日(元暦2年 3月24日)壇ノ浦の戦いで平氏の主流は滅亡する。平氏側の年号は寿永4年。
     5月16日(元暦2年 4月15日)源頼朝が、京で頼朝の許しなしに朝廷より任官を受けたものを批判。鎌倉への帰還を禁じる。
     6月23日(元暦2年 5月24日)源義経、兄頼朝から鎌倉入りを拒絶されたため、大江広元に書状(腰越状)を託す。
     7月 7日(元暦2年 6月 9日)源義経、兄頼朝から平宗盛親子を連れて京に行くよう命じられる。義経、兄を恨む言葉を残したとされ、領地没収となる。
     7月19日(元暦2年 6月21日)平氏の頭領で壇ノ浦で捕らえられた平宗盛が、義経の命で処刑される。
     9月23日(文治元年 8月28日)戦火の被害にあった大仏の開眼供養が行われる。
    10月19日(文治元年10月17日)源頼朝の命を受けた土佐坊昌俊率いる83騎が京の六条にあった源義経の館を襲撃。義経自ら応戦し、これを撃退する。
    10月20日(文治元年10月18日)源義経、後白河法皇に依頼していた頼朝追討の宣旨を受ける。しかし畿内の武士は義経のもとにはほとんど参集せず。
    11月22日(文治元年10月29日)源頼朝、義経追討のため、鎌倉を出陣。
    11月27日(文治元年11月 4日)前日に源義経一行ら数百騎が都落ちを決め西国へ向かおうとしたが、摂津河尻で太田頼基らがこれを襲撃。義経に撃退される。平家物語では3日。この後も、多田行綱、豊島冠者、藤原範資らが相次いで襲撃。義経の勢力は離散。
    12月18日(文治元年11月25日)源義経追討の院宣が発せられる。
    12月21日(文治元年11月28日)源頼朝が朝廷から諸国の守護・地頭の設置・任免を許可した勅許(文治の勅許)を得る。ただ、鎌倉時代の守護ではなく、その前段階にあたり、荘園地頭を発展させた、段別五升の兵糧米の徴税権と田地の知行権、武士の動員権を持つ国地頭の設置だったのではないかという説が有力。
    1186年
     7月 4日(文治2年 6月16日)源有綱が大和宇陀で義経探索を行っていた北条時定の手勢と交戦し自害。有綱は頼朝挙兵に参加し、義経の与力となっていた武将。義経の婿(もしくは妹婿)ともいわれる。
    1187年
     3月21日(文治3年 2月10日)この頃、源義経、弁慶ら側近と正妻郷御前や娘らを連れて奥州藤原氏の元へ向かう。
    11月30日(文治3年10月29日)奥州藤原氏の頭領藤原秀衡が死去。
    1189年
     6月15日(文治5年閏4月30日)衣川合戦。藤原泰衡に攻められて、源義経、妻女を殺害後に自害。弁慶らも討ち死に。
    10月14日(文治5年 9月 3日)鎌倉軍が奥州征伐を行い、藤原泰衡ら滅びる。
    1190年
     1月(文治5年12月)藤原泰衡の郎従であった大河兼任の乱が陸奥で起こる。
     2月13日(文治6年 1月 7日)源頼朝、大河兼任の乱討伐の動員令を発する。
     3月19日(文治6年 2月12日)鎌倉軍と大河兼任の軍勢が栗原郡で衝突。大河兼任は敗北。
     4月16日(文治6年 3月10日)大河兼任、逃走の末、栗原に戻ってきたところを、栗原寺で樵に殺害される。
    1192年
     4月26日(建久3年 3月13日)後白河法皇が崩御。
     8月21日(建久3年 7月12日)源頼朝が朝廷より征夷大将軍に任じられる。
    1193年
     6月28日(建久4年 5月28日)曾我兄弟の仇討ち。曾我十郎祐成、曾我五郎時致の兄弟が、父の仇である工藤祐経を富士の巻狩りで殺害。源頼朝も狙うが兄は殺害され、弟も処刑される。
    1196年
    12月16日(建久7年11月25日)九条兼実が関白を罷免される(建久七年の政変)。兼実の子九条良経も籠居。兼実の権力体制と保守的な政策に反発した土御門通親や新興中下級公家のクーデター。
    1199年
     1月25日(建久9年12月27日)稲毛重成が相模川に橋を架け、その落成供養に源頼朝も出席するが、その帰途に急に体調を崩す。落馬が原因という説もある。
     2月 9日(建久10年 1月13日)源頼朝が死去。
     2月22日(建久10年 1月26日)源頼家が家督を相続する。
     3月12日(正治1年 2月14日)一条能保の遺臣である後藤基清・中原政経・小野義成らが権大納言・土御門通親の襲撃を企てたとして捕縛される。3人の官職名から「三左衛門事件」と呼ばれる。頼朝危篤の情報から京の情勢が不穏になった際に起こった事件。同じ頃、文覚も逮捕される。
     3月15日(正治1年 2月17日)「三左衛門事件」に連座して西園寺公経・持明院保家・源隆保が出仕停止。
    1200年
     2月 6日(正治2年 1月20日)梶原景時の変。失脚した梶原景時一族が、上洛しようとしたところ、襲撃を受けて滅ぼされる。
    1201年
     2月27日(建仁1年 1月23日)城長茂が、京の大番役、小山朝政の邸宅を襲撃。小山朝政は留守だったため難を逃れる。長茂は後鳥羽上皇に鎌倉討伐の院宣を求めるが拒否される。建仁の乱。城一族は元平氏方だったが、鎌倉政権樹立後、身柄を引き受けた梶原景時のとりなしで許され御家人となっており、景時が滅ぼされたことに対して反乱を起こしたとみられる。また、同時期、越後で城資盛と坂額御前ら一族も鳥坂城に籠って反乱を起こす。
     3月28日(建仁1年 2月22日)城長茂が、大和吉野で小山朝政らによって滅ぼされる。
     4月 4日(建仁1年 2月29日)奥州藤原秀衡の4男で、城長茂に同調して挙兵した藤原高衡が討ち取られる。高衡も梶原景時のとりなしを受けていたため、反乱に同調したとも考えられる。
     6月11日(建仁1年 5月 9日)坂額御前が負傷したことをきっかけに越後鳥坂城が陥落。城資盛は行方不明となり、坂額御前は捕虜となる。
     7月29日(建仁1年 6月28日)坂額御前が鎌倉へ護送され、将軍源頼家の面前に連れてこられる。堂々とした態度を崩さず、それに感銘を受けた甲斐源氏浅利義遠が頼家に申し出て妻に迎えたと言われる。
    1203年
    10月 8日(建仁3年 9月 2日)比企能員の変。二代将軍源頼家と御家人との対立から起こった事変で、頼家と近い比企氏の権力増大を恐れた北条氏によって滅ぼされる。頼家の子で、母親が比企氏の出身である一幡も殺害される。
    1204年
     4月13日第4回十字軍によってコンスタンティノポリスが陥落し、東ローマ帝国の皇族らは周辺地域に逃亡。亡命国家を建設する。
    1205年
     7月10日(元久2年6月22日)畠山重忠の乱。由比ヶ浜で畠山重保が、二俣川で畠山重忠が、鎌倉の騒動を理由に招集を受けて出向いたところを、北条義時らに攻め滅ぼされる。武蔵国の支配権をめぐる国司平賀朝雅と御家人畠山重保の対立から、朝雅が妻の母である北条時政の後妻牧の方をして畠山を讒言し、時政が義時らの反対を押し切って畠山討伐を強引に進めた冤罪事件。
     7月11日(元久2年6月23日)畠山重忠の乱討伐に加わっていた、同族の稲毛重成・小沢重政親子、榛谷重朝・榛谷重季・榛谷秀重親子らが畠山重忠を讒言して陥れたとして、三浦義村・大河戸行元・宇佐美祐村らの手で討伐される。
     9月 5日(元久2年閏7月20日)北条時政が将軍源実朝を廃し、後妻牧の方の娘婿である平賀朝雅を将軍に据えようとしたが、畠山重忠の乱以来、時政と対立していた政子・義時が先手を打ち、時政の執権職を奪い、牧の方とともに幽閉。牧氏事件。
     9月16日(元久2年8月 2日)平賀朝雅が北条義時の命を受けた山内首藤通基に誅殺される。
    1206年
     2月テムジンがオノン川上流に諸部族を集めてクリルタイを開催。チンギス・カンの称号を得て、モンゴル帝国を建国。
    1208年
     史弥遠が南宋の宰相となる。和平派の代表。1233年に死ぬまで長期政権を築く。
    1211年
     ナイマン部族のクチュルクが、彼を皇女の婿に迎えた西遼王朝を簒奪。
    1212年
     2月29日(建暦2年 1月25日)浄土宗の開祖、法然死去
    1213年
     3月 8日(建暦3年 2月15日)信濃源氏の御家人泉親衡が、源頼家の遺児千寿丸を擁立して、執権北条義時を討とうと乱を起こす。泉親衡は敗北し逃亡。
     5月23日(建暦3年 5月 2日)和田義盛らが、泉親衡の乱に関与したとして北条義時から屈辱的な扱いを受けた恨みから鎌倉で武装蜂起。市街戦となる。劣勢になった義盛勢は一旦退却。
     5月24日(建暦3年 5月 3日)和田義盛軍と横山時兼の横山党が合流し鎌倉市内へ再突入。しかし時間とともに劣勢となり討ち取られる。和田義盛の三男の猛将朝比奈義秀は残党を引き連れて安房へ逃亡。
    1215年
     6月15日イングランド王ジョンが、マグナ・カルタを承認する。王の権限を制限した基本法。
     モンゴル帝国軍が、金の中都を攻め落とす。
    1218年
     モンゴルが、西遼を乗っ取ったクチュルクを滅ぼす。
    1220年
     モンゴルが、ホラムズ・シャー朝をほぼ壊滅させ、またホラーサーンの諸都市を根こそぎ破壊。
    1221年
     6月 5日(承久3年 5月14日)後鳥羽上皇が流鏑馬を口実に兵を集め、幕府に対し挙兵。承久の乱が始まる。
     6月26日(承久3年 6月 5日)大井戸の戦い。幕府軍5万が2000ほどの上皇軍を撃破。上皇軍は京付近まで撤退。
     7月 4日(承久3年 6月13日)宇治川の戦い。上皇軍と幕府軍が衝突し、上皇軍は宇治川の橋を落とすが、翌日に佐々木信綱らが増水の中、敵前渡河し、多数の溺死者を出しながらも敵陣を突破。京へなだれ込む。幕府軍の勝利に終わる。
    1222年
     3月30日(貞応元年 2月16日)日蓮が安房で誕生する。
    1223年
     5月31日カルカ河畔の戦い。ジェベ率いるモンゴル軍と、ルーシ諸公国連合軍との戦い。モンゴル軍の圧勝に終わる。
     モンゴル軍、ヴォルガ・ブルガール地方へ侵攻。
     ケルネク(サマラ屈曲部)の戦い。モンゴル軍と、ヴォルガ・ブルガール軍とが衝突し、ヴォルガ・ブルガールが勝利。
    1224年
    10月13日(貞応3年 8月29日)北条義時の後妻伊賀の方が、北条政子の手で伊豆に流罪となる。伊賀の方は12月末ころに配流先で死去。兄の伊賀光宗も信濃に流罪。伊賀の方が産んだ北条政村を次の執権に擁立しようとして、北条政子が弾圧した事件とされるが、北条泰時は陰謀を否定しており、伊賀光宗も後に赦されている。
    1225年
     8月16日(嘉禄1年 7月11日)北条政子死去。
    12月31日(太宗天彰有道2年12月1日)ベトナム陳朝の始まり。李朝大越国の実力者、陳守度によって、李朝最後の皇帝である女帝李昭皇が、夫の陳太宗に譲位。
    1227年
     モンゴル帝国の攻撃と、地震による飢餓などを受けて、西夏王朝の皇帝が降伏。西夏は滅亡する。
     8月18日モンゴル帝国初代皇帝チンギス・カン没。
    1229年
     9月13日モンゴル帝国でクリルタイが開催され、チンギス・カンの3男オゴデイが第2代モンゴル皇帝に選ばれる。以後、オゴデイ・カアンとなる。
     この年、ククダイとブベデ率いるモンゴル軍が、再びヴォルガ・ブルガール地方へ侵攻。
    1232年
     三峰山の戦い。モンゴル帝国の対金戦争で、金軍は15万の歩兵・騎兵を動員するが、猛将トルイの4万の軍勢に大敗。金帝国は一気に衰退する。
     モンゴル帝国軍、金の首都汴州(開封)に迫る。金側は和平を望むも、オゴデイ・カアンに拒絶される。
    1233年
     金の第9代皇帝哀宗(完顔寧甲速)が、汴州(開封)を出て逃走。
    1234年
     モンゴル帝国軍と南宋の連合軍、蔡州城を包囲。
     2月9日(天興3年1月7日)金の第9代皇帝哀宗(完顔寧甲速)が、包囲された蔡州城で、軍の統帥であった完顔呼敦に帝位を譲り、幽蘭軒で自殺。その半日後、蔡州城は陥落し、第10代皇帝となったばかりの完顔呼敦(末帝)は、脱出を試みて捕らえられ、処刑される。末帝は中国歴代皇帝で最も在位が短かったとされる。
    1236年
     2月バトゥ、モンゴル征西軍司令官となる。35000の兵を率いて西へ向かう。
     3月12日バトゥ率いるモンゴル軍、ヴォルガ・ブルガールの首都ビリャルを攻め落とす。ビリャルは完全に破壊され、住民と守備軍は全員処刑されたと言われる。
    1237年
    11月バトゥ、ウラジーミル・スーズダリ大公ユーリー2世に降伏を勧告。周辺のプロンスク公国、リャザン公国を攻撃してこれを滅ぼす。
    1238年
     2月 4日バトゥ、ウラジーミル・スーズダリ大公国の首都ウラジーミルを攻め落とす。ウラジーミルは灰燼に帰し、ユーリー2世は脱出するが、一族は全員処刑される。
     3月 4日シチ川の戦い。ウラジーミル・スーズダリ大公ユーリー2世率いる軍勢がモンゴル軍と戦うも大敗を喫し、ユーリー2世も戦死。
     この年、モンゴル軍はルーシ諸公国のうち、従属を決めた西部のスモレンスク、北西の湿地帯にあったため侵攻を免れたノヴゴロド、プスコフ以外の北側の諸都市をほぼ壊滅させる。これが後にモスクワなどが台頭する遠因となった。
    1239年
     モンゴル軍、ルーシ南部へ侵攻。チェルニゴフ公国、ノヴゴロド・セヴェルスキー公国、フシチイシュ公国、ペレヤースラウ公国などを攻め滅ぼす。
    1240年
     9月 5日モンゴル軍、キエフに侵攻。
    12月 6日モンゴル軍、キエフを攻め落とし、キエフ大公国を滅ぼす。つづけてハールィチ・ヴォルィーニ大公国も占領。
    1241年
     2月13日トゥルスクの戦い。バイダル率いるモンゴル軍とポーランド軍の戦い。モンゴル軍の勝利。
     3月12日バトゥ率いるモンゴル軍、ハンガリーに侵攻。
     3月18日フミェルニクの戦い。モンゴル軍とポーランド軍の戦いで、モンゴル軍が圧勝。
     4月 1日モンゴル軍、クラクフに侵攻。クラクフを灰燼にする。
     4月 9日ワールシュタットの戦い。ポーランドのレグニツァ近郊で、侵攻してきたモンゴル軍と、ポーランド王国、神聖ローマ帝国、ドイツ騎士団、聖ヨハネ騎士団、ホスピタル騎士団、テンプル騎士団の連合軍との戦い。モンゴル軍が圧勝。連合軍を指揮したヘンリク2世は戦死。モンゴル軍はヴロツワフに侵攻しこれを破壊。
     4月10日ヘルマンシュタットの戦い。モンゴル軍とトランシルヴァニア軍とが衝突し、モンゴル軍が圧勝。
     4月11日モヒの戦い。ズブタイ率いるモンゴル軍とハンガリー軍とが衝突。回回砲を使ったモンゴル軍が圧勝。ハンガリー軍はほぼ全滅する。
    12月11日(太宗13年11月8日)モンゴル帝国第2代皇帝オゴデイ・カアン死去。これを受けてモンゴル征西軍のヨーロッパ侵攻が中止することになる。
    1246年
     5月17日(寛元4年閏4月 1日)前執権北条経時が死去。北条一門の名越光時と反執権派の御家人らが執権北条時頼打倒を画策。
     6月 3日(寛元4年閏4月18日)以後の数日、鎌倉市内で武士団が横行し、さらに周辺諸国から参集する騒動発生。
     7月 8日(寛元4年 5月24日)鎌倉で地震。
     7月 9日(寛元4年 5月25)執権北条時頼、鎌倉を封鎖。
     7月 8日(寛元4年 5月24日)名越光時ら反執権派、北条時頼に降伏。
     7月15日(寛元4年 6月 1日)名越光時自害。
     8月23日(寛元4年 7月11日)前将軍藤原頼経が鎌倉を追放される。三浦光村が京まで同行し、頼経の復権を約束したといわれる。一連の騒動と頼経追放を総称して「宮騒動」と呼ばれる。
    1247年
     7月 8日(宝治1年 6月 5日)宝治合戦。執権北条家と三浦氏の対立を危惧して、和平を模索していた北条時頼と三浦泰村を差し置いて、強硬派の安達景盛が三浦邸を急襲。一方、三浦側も強硬派の三浦光村主導で一族らが応戦。最終的に三浦一族は自刃して終結。有力御家人による合議制が終わり、北条(得宗)家の専制体制が確立する。
    1253年
     モンゴル四代皇帝モンケ・カアンが征西司令官に弟のフレグを命じ、モンゴル軍が出発。
    1256年
    11月27日フレグ率いるモンゴル軍がイスラム教ニザール派を滅ぼす。
    1258年
     2月フレグ率いるモンゴル軍がアッバース朝バグダードを壊滅させる。
    1259年
     8月11日モンゴル四代皇帝モンケが死去。
     鄂州の戦いで長江を渡河したクビライ軍を賈似道の指揮する南宋軍が撃破。その功績により賈似道が宰相となる。クビライは、皇位継承を巡る争いのため、北方へ退却。賈似道との間で密約があったとも。
    1260年
     2月フレグ率いるモンゴル軍がシリアのアレッポを攻め落とす。
     4月フレグ率いるモンゴル軍がアイユーブ朝の都ダマスクスを攻め落とす。
     5月 5日クビライがクリルタイを開いて、モンゴル帝国第5代皇帝(大ハーン)に即位を宣言。
     フレグのもとに、兄の皇帝モンケの死去の報が入り、モンゴル帝国本土へ引き返すことになる。遠征軍はキト・ブカに委任。
     9月 3日アイン・ジャールートの戦い。中近東へ遠征していたモンゴル皇弟フレグの部下キト・ブカの軍勢とエジプト・マムルーク(奴隷兵)のスルタン・クトゥズとの戦いで、クトゥズが勝利。モンゴル軍の遠征が止まり、マムルーク朝拡大のきっかけとなる。
    1261年
     7月東ローマ帝国からの亡命国家ニカイア帝国が、コンスタンティノポリスを奪回し、東ローマ帝国を復活させる。
    1262年
     アイスランドがノルウェーの支配下に置かれる。
    1264年
     9月 8日ポーランドのボレスワフ敬虔公によって「ユダヤ人の自由に関する一般契約」(カリシュの法令)が発布される。ユダヤ人の立場を法的に保護したはじめての法令。商業や旅行の自由を認め、キリスト教徒との争いに関してのユダヤ人の法的保護を認めた。この結果、ポーランドには多数のユダヤ人が移り住むようになる。この一帯の中小都市には「シュテットル」というコミュニティが多数誕生した。
    1266年
     2月26日ベネヴェントの戦い。ローマ教皇の依頼を受けたフランス王アンジュー家のシャルル・ダンジューが、シチリアのマンフレーディ王(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の庶子)を打ち破り、同地の支配を確立する。
    1268年
     アジュ率いるモンゴル軍による南宋攻撃で、襄陽・樊城の戦いがはじまる。
    1271年
     范文虎率いる襄陽援軍10万がモンゴル軍に大敗。
    1272年
     3月11日(文永9年 2月11日)二月騒動が起こる。北条一門の名越時章・教時兄弟が得宗被官・御内人である四方田時綱ら5人によって誅殺される。前将軍宗尊親王側近の中御門実隆、六波羅探題南方の北条時輔、安達頼景、世良田頼氏らも連座。前将軍宗尊親王は出家した。
     9月25日(文永9年 9月 2日)二月騒動で殺害された名越時章は冤罪であったとして、討手の御内人5人が処刑される。ただ二月騒動は執権北条時宗と連署北条政村の命で行われたとみられる。
    1273年
     アジュ、史天沢らモンゴル軍が、回回砲を投入し、南宋の樊城を攻略。守将張漢英は降伏。漢水を挟んで隣接する襄陽城への砲撃も開始され、守将呂文煥は降伏。南宋は重要拠点を失い、一気に長江流域まで危機的状況に陥る。
    1274年
    11月 4日(文永11年10月 5日)高麗の王子王賰(のちの忠烈王)の執拗な日本征討の主張により、元・漢・高麗の日本遠征軍4万が対馬に侵攻。文永の役(元寇)がはじまる。
    11月13日(文永11年10月14日)元・漢・高麗の日本遠征軍が壱岐に侵攻。激戦となり両方に大きな被害を出す。
    11月15日(文永11年10月16日)元・漢・高麗の日本遠征軍が平戸・松浦方面に上陸し、松浦党らと交戦。
    11月19日(文永11年10月20日)元・漢・高麗の軍勢と九州の軍勢が博多周辺で交戦。日本側が大敗するも、元軍側も副将の劉復亨が負傷、矢玉も付き、高麗へ撤退。沖合で暴風に遭遇して、1万3500人が未帰還という大損害を出す。
    1275年
     蕪湖の戦い。賈似道率いる南宋軍が、バヤン、アジュ、呂文煥らの率いるモンゴル軍に大敗。
     9月(徳佑元年 8月)南宋の宰相賈似道が敗戦の責任で失脚し、追放される途上、会稽県尉の鄭虎臣によって殺害される。
    1278年
     8月26日マルヒフェルトの戦い。ボヘミア王オタカル2世とドイツ王に推戴されたルドルフ・フォン・ハプスブルクが戦い、オタカルは戦死し、ルドルフが勝利。ハプスブルク家の伸張のきっかけとなる。
    1279年
     3月19日(祥興2年 2月 6日)崖山の戦い。元艦隊と南宋残存艦隊が戦い、祥興帝が陸秀夫とともに自殺して南宋は完全に滅亡。南越方面へ逃走した張世傑も船が嵐に遭遇して沈み死亡。
    1282年
     3月30日シチリアの晩祷事件。フランス系シチリア王シャルル・ダンジューの圧政に対し住民が蜂起した事件。教会の晩祷の鐘が鳴った時に住民が蜂起したため、こう呼ばれる。
    1283年
     1月 9日(至元19年12月 8日)南宋の臣で、モンゴルに囚われた後も、クビライの誘いを『正気の歌』を詠んで断り続けた文天祥が処刑される。
    1284年
     6月26日ドイツ・ハーメルンの町で子供130人余りが消息不明になる事件が起こる。いわゆるハーメルンの笛吹き男事件
    1285年
    12月14日(弘安8年11月17日)弘安霜月騒動。最後の有力御家人、安達泰盛が、得宗家被官の御内人で内管領の平頼綱の兵に襲撃され合戦、滅ぼされる。また同じ時期に全国の安達氏の一門、及び与党御家人も相次いで襲撃されて滅ぼされた。
    1291年
     8月 1日神聖ローマ帝国のウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州の代表者が、リュトリの野に集結し、ハプスブルク家アルブレヒト1世の支配権に対抗する永久同盟を結ぶ。これが後のスイスの発祥となる。
    1293年
     5月19日(正応6年 4月12日)鎌倉大地震。関東地方で津波を伴う巨大地震が発生。神社仏閣が多く倒壊。
     5月29日(正応6年 4月22日)平禅門の乱。北条得宗家の御内人で鎌倉幕府の実権を握っていた平頼綱一族が、地震直後の混乱の中、執権貞時に誅殺される。なお、頼綱の弟ともされる長崎光綱は執権側についていたためか処罰されず、また霜月騒動で滅ぼされた安達一門の生き残り安達時顕などが登用されるきっかけともなった。
     9月 6日(永仁元年 8月 5日)地震や旱魃を受けて、永仁へ改元。
    1297年
     1月 8日ローマ教皇を支持するゲルフ派のフランソワ・グリマルディらが、修道士姿で神聖ローマ帝国皇帝派(ギベリン派)の抑えるモナコ要塞に侵入し占拠。すぐに奪い返されるが、これをしてモナコ建国としている。
    1303年
     9月アナーニ事件。フランス国王フィリップ4世が対立していたローマ教皇ボニファティウス8世を襲撃し、イタリアのアナーニで捕らえる。
    1307年
    10月13日フランス王フィリップ4世の陰謀によりテンプル騎士団が壊滅する。同騎士団は聖地エルサレムとその巡礼を守護し、巡礼者の財産を預かる金融機関でもあったため、その経済力と資産を狙われたと言われる。
    11月18日弓の名手ウィリアム・テルが息子の頭上のリンゴを射抜く。代官ヘルマン・ゲスラーに逆らったことで強制された出来事。
    1308年
     9月教皇クレメンス5世がフランス王国の要請で教皇庁をアヴィニョンに移し、アヴィニョン虜囚がはじまる。
    1322年
     1月16日(元亨元年12月28日)後醍醐天皇の親政。院政の後宇多法皇の引退に伴い親政へ。
    1324年
     7月16日(元亨4年 6月25日)後宇多法皇が崩御。生前の法皇の意向に従い、大覚寺統の後二条天皇の皇子邦良親王に皇位を譲る動きが起こる(持明院統はこの次の皇位を受け継ぐことで了承)。本来中継ぎとして即位した後醍醐天皇はこれに反発し、鎌倉幕府の倒幕へ乗り出す。
    10月 7日(元亨4年 9月19日)後醍醐天皇の意を受けた日野資朝、日野俊基らが倒幕のための工作を進めていることが発覚(倒幕派の土岐頼員が妻(六波羅評定衆の斉藤利行の娘)に漏らして発覚したと言われる)。倒幕側に与して上洛していた御家人多治見国長・土岐頼兼らが六波羅探題の小串範行、山本時綱らの討伐を受ける。日野資朝らは捕縛。正中の変。日野資朝が首謀者として佐渡流罪となるが、天皇は無関係として不問とされた。
    1325年
     6月モロッコのイスラム教徒イブン・バットゥータが聖地メッカへの巡礼の旅に出る。以後30年に渡り、彼は中東、アフリカ東岸、西アジア、南アジア、東南アジア、中国、さらにサハラなど世界各地へ大旅行を行ったと言われる(ただし記録はイブン・ジュザイイが彼の口述を聞いて記した書しかないため疑問点も多い)。
    1326年
     4月16日(正中3年 3月13日)14代執権北条高時が病のために出家する。後継を巡って、高時の弟北条泰家を推す安達時顕(高時の妻の父)と、高時の長男邦時を将来の候補として中継ぎに金沢貞顕を推す内管領長崎高資が対立。
     4月19日(正中3年 3月16日)北条家の一門金沢貞顕が15代執権に就任。対立候補だった北条泰家は出家。
     4月29日(正中3年 3月26日)金沢貞顕の執権就任に反対するものが多数出て身の危険を感じた貞顕は、出家して執権職を辞任。
     5月26日(正中3年 4月24日)北条家の一門赤橋守時が16代執権に就任。最後の執権。実権は高時と長崎高資にあり、形式的なものだったとも言われる。なお守時は鎌倉幕府を倒した足利尊氏の義兄でもある。
    1331年
     9月26日(元弘1年 8月24日)後醍醐天皇、京を脱出。
     9月29日(元弘1年 8月27日)後醍醐天皇、笠置山に入る。
    10月 4日(元弘1年 9月 2日)幕府軍が笠置山を攻撃。笠置山の戦い。
    10月13日(元弘1年 9月11日)楠木正成、下赤坂城で挙兵。
    10月22日(元弘1年 9月20日)光厳天皇即位。
    10月30日(元弘1年 9月28日)笠置山陥落。後醍醐天皇ら捕らえられる。
    11月21日(元弘1年10月21日)下赤坂城陥落。楠木正成は行方をくらます。
    1332年
     4月 2日(元弘2年 3月 7日)後醍醐天皇、隠岐の島へ流される。
    1333年
     4月 9日(元弘3年閏2月24日)後醍醐天皇、隠岐の島を脱出。
     6月20日(元弘3年 5月 8日)新田義貞が鎌倉に対し150騎あまりで挙兵。
     6月21日(元弘3年 5月 9日)新田義貞の軍勢に足利尊氏の嫡男千寿王(後の足利義詮)が合流し、関東中の軍勢が参集し始める。
     6月23日(元弘3年 5月11日)新田義貞率いる軍勢と鎌倉幕府軍が衝突。小手指原の戦い。新田軍が勝利する。
     6月24日(元弘3年 5月12日)新田義貞率いる軍勢と鎌倉幕府軍が衝突。久米川の戦い。新田軍が勝利する。
     6月27日(元弘3年 5月15日)翌16日にかけて新田義貞率いる軍勢と鎌倉幕府軍が衝突。分倍河原の戦い。一旦は鎌倉軍が勝利するも、新田軍が逆転勝利。
     7月 4日(元弘3年 5月22日)新田義貞率いる軍勢が鎌倉を攻め、潮が引いたところを稲村ヶ崎から回って市街地へ侵入。北条基時、北条高時、北条貞顕ら北条一族283人と、長崎高重、安達時顕らを含む計870人が東勝寺で自刃し、鎌倉幕府は滅亡。
     北条氏の一門名越時如と安達高景(異説あり)らが御内人の曽我道性のもとへ逃亡。陸奥大光寺城に籠城する。地元豪族らと交戦(大光寺合戦)。
    1334年
    12月15日(元弘4年11月19日)大光寺城・石川城・持寄城などで繰り広げられた大光寺合戦が終結。名越時如らは降伏する。
     ポーランド王国を整備し発展させたカジミェシュ3世大王がユダヤ人を保護するカリシュの法令を改めて承認。
    1335年
     7月(正慶4年/建武2年7月)北条時行が挙兵し、鎌倉を占拠する。中先代の乱。足利尊氏の遠征軍に敗れ20日ほどで壊乱。
    1336年
     1月24日(建武2年12月11日)箱根・竹ノ下の戦い。足利尊氏と後醍醐天皇側の新田義貞が軍事衝突した戦い。足利軍が勝利し、京へ進撃する。
     2月23日(建武3年 1月11日)足利尊氏入京。
     3月13日(建武3年 1月30日)足利尊氏と、北畠顕家・楠木正成・新田義貞の軍勢が戦闘し、尊氏らは京を退去。
     3月23日(建武3年 2月10日)豊島河原の戦い。足利尊氏と、北畠顕家・楠木正成・新田義貞の軍勢が再度衝突し、尊氏ら大敗を喫して播磨室津へ退却。その後九州まで落ち延びる。
     4月 2日(建武3年 2月20日)足利尊氏ら九州に到着。九州の少弐頼尚、宗像氏範、大友氏泰ら有力諸将が味方につく。
     4月11日(建武3年/延元1年 2月29日)後醍醐天皇、年号を建武から延元に改元。足利方はこれを採用せず。
     4月13日(建武3年/延元1年 3月 2日)多々良浜の戦い。足利尊氏ら諸将と後醍醐天皇方に付いた菊池武敏らが戦い尊氏が勝利する。
     5月14日(建武3年/延元1年 4月 3日)足利尊氏、京に向かうため、博多を出発。
     6月12日(建武3年/延元1年 5月 3日)足利尊氏、光厳上皇の使者として来た三宝院賢俊(日野賢俊)から院宣と錦旗を受け取る。
     7月 4日(建武3年/延元1年 5月25日)湊川の戦い。東上してきた足利尊氏ら西国諸将の水陸軍と、楠木正成・新田義貞らの後醍醐天皇方諸軍が衝突。新田勢が後退したため、楠木勢は孤立し大敗。楠正成・正季兄弟は自害。新田勢は立て直しを図るが大敗し退却した。建武政権に不満を持つ西日本の有力諸将の多くが足利方に付き、新田勢などからも離反が相次いだことと、水軍の有無が勝敗を決めたとされる。なお楠木正成はこれを予測し、新田義貞排除と足利尊氏との和睦を訴えていたと言われる。
     7月22日(建武3年/延元1年 6月14日)足利尊氏、京に戻る。
     7月23日(建武3年/延元1年 6月15日)光厳上皇、年号を延元から建武に戻す。
     9月20日(建武3年/延元1年 8月15日)光明天皇即位。
    11月13日(建武3年/延元1年10月10日)後醍醐天皇、京に戻り、花山院に幽閉される。
    12月10日(建武3年/延元1年11月 7日)足利尊氏、建武式目17条を制定。
    1337年
     1月23日(建武3年/延元1年12月21日)後醍醐天皇が花山院を脱出。
     1月30日(建武3年/延元1年12月28日)後醍醐天皇が吉野吉水院に行宮を定め、南北朝対立が始まる
    1338年
     9月24日(暦応1年/延元3年 8月11日)足利尊氏、征夷大将軍となる。
    1339年
     9月19日(暦応2年/延元4年 8月16日)後醍醐天皇が崩御。
    1346年
     シチリア島にペストが上陸。以降、徐々に広がっていく。1347年説もあり。
    1347年
     8月 3日百年戦争中に起こったカレー包囲戦で、カレー住民がイングランドに降伏。この際、市民6人が、全市民の命を救うために処刑になるのを覚悟で自らイングランド王エドワード3世に出頭し、「カレーの市民」として有名になる。6人は最終的に許された。
    1348年
     2月 4日(正平3年/貞和4年1月5日)四條畷の戦い。南朝方の楠木正行と北朝方の高師直との間で行われた闘いで、楠木正行は敗死。高師直は勢いに乗って吉野まで攻め、後村上天皇らは賀名生にまで落ち延びる。
     4月23日イングランド王エドワード3世がガーター騎士団を創設。
     ペスト禍が北ヨーロッパへと拡大。1350年までにヨーロッパの人口の3分の1から3分の2が死亡し、農民の減少で荘園制が大きなダメージを受ける。また人手のかからない牧羊が盛んになったといわれる。また多数のユダヤ人がペストの原因だとして殺された。
    1351年
     3月 4日ラーマーティボーディー1世がアユタヤ王朝を興す。
    1352年
     3月12日(正平7年 2月26日)足利直義が急死する。敵対した兄尊氏による毒殺説も。
    1353年
     6月21日(文和2年 5月20日)北条高時の子で、中先代の乱で擁立され、その後は南朝方武将として各地を転戦した北条時行が鎌倉龍ノ口で処刑される。子孫は横井氏を名乗った(幕末の横井小楠(北条平四郎時存)など)。
    1358年
     5月フランス北部で農民主体の反乱ジャックリーの乱が勃発。ギヨーム・カルルを指導者として各地へと拡大。
     6月フランス王国軍によってジャックリーの乱が鎮圧される。
    1361年
     7月24日(正平16年/康安1年)6月22日)正平地震(康安地震)。京・大和で大きな地震がある。難波浦では大津波が襲い死者多数。雪が降ったという記録もある。
     7月26日(正平16年/康安1年)6月24日)大きな地震があり、京・大和・摂津の各寺社の被害多数。
    1378年
     4月 7日(天授4年/永和4年3月10日)足利将軍家の邸宅として造営された花の御所(室町第)に幕府が置かれる。いわゆる「室町幕府」の語源。
     9月20日カトリック教会大分裂(大シスマ)。ローマ教皇ウルバヌス6世に反発したフランス人枢機卿らが、ロベール・ド・ジュネーヴを教皇(クレメンス7世)に選出し、カトリックの教皇がローマとアヴィニョンに分裂並立する。
     フィレンツェ共和国で、下層梳毛工らが反乱を起こす。チョンピの乱(~1382年)。
    1381年
     5月30日イングランドで農民らが反乱。農民ワット・タイラー、ジョン・ボール神父らを指導者とし、カンタベリー、ついでロンドンに侵攻。国王リチャード2世と会見。
     6月15日ワット・タイラー、国王リチャード2世との2度めの会見のさなかに、同席していたロンドン市長ウィリアム・ウォールワースによって殺害される。反乱も終息。
     7月15日ワット・タイラーの乱の指導者の一人ジョン・ボール神父が処刑される。
    1389年
     6月15日コソボの戦い。セルビア、ボスニア、ワラキアなどバルカン諸侯軍と、オスマン帝国軍が会戦し、オスマン軍が大勝。オスマン帝国のバルカン半島征服のきっかけとなる。
    1390年
    閏3月(明徳1年/元中7年4月)土岐康行の乱。将軍足利義満が任命した尾張守護を巡って起こった土岐氏の内紛から起きた反乱。敗北した土岐康行は美濃・伊勢の守護職を失い一時没落する(明徳の乱での功績で伊勢守護に復帰)。
    1392年
     1月13日(明徳2年/元中8年12月19日)明徳の乱。11カ国を守護領有した「六分一殿」山名氏が、将軍足利義満と対立し挙兵。京・内野で戦闘となるが、1日で山名氏は大敗し、3カ国にまで減らされる。
    1396年
     9月25日ニコポリスの戦い。オスマン帝国と、ハンガリーを中心としてフランス、イングランド、スコットランド、ワラキア、スイス同盟、ポーランド、神聖ローマ帝国、ジェノヴァ、ヴェネチアの諸国連合軍が衝突し、オスマン帝国が圧勝する。
    1400年
     1月17日(応永6年12月21日)応永の乱が終結。最大の守護大名、大内義弘と鎌倉公方による幕府への反乱。義弘は戦死するが、大内氏は滅亡せず、弟らが反乱し続けた結果、幕府が譲歩し守護大名に復帰する。
     1(応永7年7月)信濃守護の小笠原長秀が京から下向し、信濃支配を強めようとしたため、善光寺平で、村上氏・海野氏・高梨氏・井上氏など中小国人領主の連合軍と合戦となり、小笠原長秀は敗北して京へ逃げ帰る。大塔合戦。
    1405年
     7月11日(永楽3年6月15日)明の時代の武将で宦官の鄭和、第1次航海へ出発。
    1407年
     明の鄭和艦隊、インドのカリカットに到着。同年帰国後、すぐに2回目の航海に出発。
    1409年
     3月25日ピサ教会会議でローマとアヴィニョンの枢機卿が集結し、全会一致でアレクサンデル5世の選出を決めるも、二人の教皇が了承せず、教皇が3人鼎立する異常事態となる。
     明の鄭和艦隊、セイロンに到着。同年帰国後、すぐに3回目の航海に出発。
    1411年
     明の鄭和艦隊、インドやシャムなどをまわり帰国。
    1412年
     1月 6日ジャンヌ・ダルクがフランスのロレーヌ地方にあるドンレミ村の農家に生まれる。
    1413年
     明の鄭和艦隊、4回目の航海に出発。
     (応永20年)薩摩島津氏の一族伊集院頼久が、かねて島津家家督相続の問題で対立していた守護島津久豊の留守中に居城清水城を奪う。伊集院頼久の乱のはじまり。
    1414年
    11月 1日神聖ローマ皇帝ジギスムントの提唱により、コンスタンツ公会議がはじまり、3人の教皇が立つ教会大分裂の解消や、宗教改革運動などが議題となる。カトリックを批判したジョン・ウィクリフの著書が禁止され、ヤン・フスの処刑が決まる。
    1415年
     7月 6日宗教改革を訴えたヤン・フスが火刑に処せられる。
     明の鄭和艦隊、東南アジア、インド、セイロン、中東各地や東アフリカをまわり帰国。
    1416年
    10月22日(応永23年10月2日)上杉禅秀の乱勃発。鎌倉公方足利持氏に対し、関東管領職を追われた上杉氏憲(禅秀)が一族や縁者らを集めて起こした反乱。
     明の鄭和艦隊、5回目の航海に出発。
    1417年
     1月18日(応永24年 1月 1日)上杉氏憲らが足利持氏側に付いた江戸氏、豊島氏の勢力を世谷原の戦いで破るも、この隙に駿河より今川軍が侵攻してきたため鎌倉へ退却。
     1月27日(応永24年 1月10日)上杉氏憲らが自刃して上杉禅秀の乱が終息。しかしこの乱に関わったとして中央でも政変が相次ぐことに。
    11月11日ローマ教皇マルティヌス5世が選出され、教会分裂が収束する。
     (応永24年)数年に渡り争っていた島津久豊と伊集院頼久が、久豊が後妻に頼久の娘を娶り、頼久は家督を息子に譲って隠居することで和解し、伊集院頼久の乱が終結。
    1418年
     5月(応永25年4月)上杉禅秀の乱後の影響を恐れた上総の武士らが一揆を起こす。上総本一揆。
     7月 2日(応永25年 5月28日)平三城が陥落して上総本一揆が一旦終息。
    1419年
     3月29日(応永26年 3月 3日)上総本一揆が再燃し、坂本城で戦闘が繰り広げられる。
     5月30日(応永26年 5月 6日)上総本一揆の指導者埴谷重氏らが降伏し一揆は終結。
     5月31日(応永26年 5月 7日)倭寇の集団が朝鮮庇仁県などを襲撃。
     7月12日(応永26年 6月20日)李氏朝鮮の軍隊が対馬に侵攻。倭寇の拠点とみなされたため。
     7月18日(応永26年 6月26日)対馬糠岳の戦い。
     7月19日(応永26年 6月27日)李氏朝鮮の軍隊が退却を開始。朝鮮側の記録では宗貞盛が修好を求めたことと暴風の季節になったためとしているが、少弐満貞の記録では前日の糠岳での戦いで朝鮮側に大きな被害が出たためとしている。
     7月30日第一次プラハ窓外投擲事件。ボヘミアで宗教改革を訴えたフス派がカトリックや国王の態度に腹を立て、市庁舎を襲い、市長らを窓の外に放り投げて殺害する。
     8月16日プラハ窓外投擲事件を聞いてショックを受けたボヘミア王ヴァーツラフ4世が死亡する。
     明の鄭和艦隊、東南アジア、インド、セイロン、中東各地や東アフリカをまわり帰国。
    1421年
     明の鄭和艦隊、6回目の航海に出発。
    1422年
     明の鄭和艦隊、アラビア半島、東アフリカを回って帰国。
    1425年
     ジャンヌ・ダルクが、聖女カトリーヌ、マルグリット、大天使ミカエルの、「オルレアンの包囲を解いてフランスを救うように」という「声」を聞き、王太子シャルルの元へ向かう。
    1428年
     9月(正長2年 8月)正長の土一揆が起こる。徳政などを求めた記録上最初の大規模農民一揆。
    1429年
     6月12日ジャンヌ・ダルク率いるフランス軍がジャルジョーを占領し、イギリス軍司令官サフォーク伯を捕らえる。
     6月18日パテーの戦いで、リッシュモン大元帥、ジャンヌ・ダルク、アランソン公らの率いるフランス軍が、シュルーズベリー伯ジョン・タルボットとジョン・ファストルフの率いるイングランド軍に大勝利を収める。
     7月17日シャルル王太子がノートルダム大聖堂で戴冠式を挙げ、正式にフランス国王シャルル7世となる。
     8月15日(正長2年 7月15日)大和永享の乱勃発。大和で豊田氏と井戸氏が紛争を起こし、これに長年対立している越智氏と筒井氏がそれぞれに加勢。興福寺や幕府を巻き込む戦乱に発展。
    1430年
     5月23日ジャンヌ・ダルクがコンピエーニュの戦いでフィリップ善良公の率いるブルゴーニュ軍に捕えられる。
    12月24日ジャンヌ・ダルクがイングランド軍に引き渡され、ルーアンのブーヴルイユ城に監禁される。
     明の鄭和艦隊、7回目の航海に出発。
    1431年
     2月21日フランスのルーアンにおいて、イングランドの影響下でジャンヌ・ダルクの異端審問裁判が始まる
     5月24日ジャンヌ・ダルクにサン=トゥアン修道院の仮設法廷で死刑判決が言い渡される。一旦は改宗を条件に永牢に減刑されるが、ジャンヌが牢内で男装したとして、異端再犯として死刑が確定する。
     5月30日ジャンヌ・ダルクが火刑に処される。
    1433年
    10月28日(永享5年9月16日) 永享大地震。関東から近畿にかけて大きな地震が発生。特に鎌倉で被害甚大。利根川が逆流したという記録があり津波があったとみられる。相模トラフを震源とするマグニチュード7以上の地震か。
     明の鄭和艦隊、インド、セイロン、マラッカなどをまわり帰国。鄭和は間もなく死去。
    1435年
     (永享7年)この頃、窪八幡神社別当上之坊普賢寺の『王代記』に、富士山中腹で火炎を観測したという記録がある。若干の溶岩流出を伴う噴火があったものか。
    1437年
     6月25日(永享9年 5月22日)大和永享の乱で、越智維通と斯波持有ら幕府方が合戦となる。決着つかず。
     8月12日(永享9年 7月11日)足利義教の弟で対立関係にあった大覚寺義昭が大覚寺を出奔。大和吉野へ向かったという風聞が広まる。
    1438年
     7月(永享10年 6月)関東公方・足利持氏が、不和となっていた関東管領上杉憲実の諫言を無視して、将軍の許しを得ずに嫡男賢王丸の元服を鶴ヶ岡八幡宮で行い、八幡太郎義久と名乗らせる。永享の乱の始まり。
     8月(永享10年 8月)上杉憲実、上野平井城へ逃れる。足利持氏、討伐軍を派遣。将軍足利義教は持氏討伐を命じる。
     9月(永享10年 9月)大和吉野で大覚寺関係者などが討伐される。大覚寺義昭が関与していたかは不明。
    10月16日(永享10年 9月27日)幕府軍の今川範忠、上杉持房らが持氏方の軍勢を破り、鎌倉に迫る。
    10月22日(永享10年10月 4日)上杉憲実、上野平井城を出陣。持氏を攻めることをよしとしなかったため、家宰の長尾忠政が兵を率いて鎌倉へ向かう。
    11月21日(永享10年11月 4日)足利持氏、称名寺に入り出家。将軍足利義教は、上杉憲実の持氏助命嘆願に対し、討伐を命じる。
    1439年
     3月24日(永享11年 2月10日)足利持氏、上杉憲実の軍に攻められ、永安寺で自刃。
     4月(永享11年 3月)越智維通が討ち死にし、大和永享の乱は終息。
    1440年
     4月(永享12年 3月)結城合戦が勃発。永享の乱で滅ぼされた足利持氏に代わり、将軍足利義教は自らの子息を鎌倉公方にしようとしたため、結城氏朝・持朝らが持氏の遺児を擁して起こした反乱。
     7月23日(永享12年 6月24日)結城氏朝・持朝らに呼応した東北諸将が篠川御所を襲撃し、篠川公方足利満直を滅ぼす。
     8月26日(永享12年 7月29日)上杉清方や今川範忠らの率いる幕府軍が結城城を包囲攻撃。結城氏朝・持朝は滅亡、持氏の遺児春王丸、安王丸は捕らえられる。
    1441年
     4月 4日(嘉吉1年 3月13日)日向国串間に潜伏していた大覚寺義昭が、将軍義教の命を受けた島津忠国配下の山田忠尚・新納忠臣らに包囲され自刃。
     6月 5日(嘉吉1年 5月16日)足利持氏の遺児春王丸、安王丸が、将軍足利義教の命を受けた長尾実景によって美濃国垂井宿金蓮寺で処刑される。
     7月12日(嘉吉1年 6月24日)嘉吉の乱が起こる。播磨の有力守護大名赤松満祐が、京の自邸に結城合戦勝利の祝いと称して6代将軍足利義教を招待し、その宴席上で殺害。招待されていた守護大名山名熙貴も殺害、京極高数と大内持世も重症を負い、後死亡。細川持春も重症を負い、正親町三条実雅も負傷した。大名への圧力を強める将軍と対立したことが原因。伏見宮貞成親王の『看聞日記』には将軍が満祐を殺そうとして返り討ちにあったとある。
     7月28日(嘉吉1年 7月11日)赤松満祐討伐の大手軍が出発。
     8月17日(嘉吉1年 8月 1日)細川持之の要請で、赤松満祐討伐の綸旨が出される。
     9月25日(嘉吉1年 9月10日)討伐軍に包囲された播磨城山城で、赤松満祐らが自刃し嘉吉の乱が終結。
    1443年
     9月(嘉吉3年)禁闕の変。後南朝の皇族を称する金蔵主、通蔵主、源尊秀らと日野有光・日野資光らが京の宮中を襲い、天叢雲剣と神璽(八尺瓊勾玉)を奪い、比叡山へ逃亡。幕府の軍事介入を嫌がった比叡山側に討伐され、剣は奪還したが神璽は持ち去られる。
    1446年
    10月 9日(世宗28年 9月10日)李氏朝鮮第4代国王の世宗が朝鮮独自の文字としてハングルを発表する。
    1447年
     4月(文安4年 3月)足利持氏の遺児である足利成氏が鎌倉公方に任じられる。関東諸将の要請によるものと言われる。なお年月には宝徳元年(1449年)説など異説あり。
    1449年
     9月 8日土木の変。明の皇帝英宗(正統帝)が自ら率いた軍勢が、遊牧民族オイラトのエセンの軍勢に敗北し、英宗も捕らえられる。
    11月10日シャルル7世はイングランド軍を破ってルーアンに入城。
    1450年
     2月15日シャルル7世がジャンヌ・ダルク異端裁判の調査を命じる。
    1453年
     5月29日コンスタンティノポリスがオスマンの君主メフメト2世によって陥落し、東ローマ帝国は滅亡
    10月19日百年戦争でイングランド軍最後の拠点であったボルドーが陥落。事実上イングランドが敗北。
     ポーランド王国のカジミェシュ4世王がユダヤ人の法的保護を定めたカリシュの法令を改めて承認する。
    1455年
     1月15日(享徳3年12月27日)鎌倉公方足利成氏が、関東管領上杉憲忠を殺害。以後30年に及ぶ享徳の乱が勃発する。
     7月30日(享徳4年 6月16日)上杉家援軍のために出陣した駿河守護今川範忠が、鎌倉を制圧。足利成氏は御料所があり支持者が多く住む下総古河に拠点を移す。以後、古河公方と呼ばれるようになる。
    11月 7日ローマ教皇カリストゥス3世の命で、ジャンヌ・ダルクの復権裁判が行われる。
     グーテンベルクが、ヨハン・フスト、ペーター・シェッファーらと、金属活版で聖書を印刷する。
    1456年
     7月 7日ジャンヌ・ダルクの処刑裁判の判決破棄が宣告される。
     8月11日オスマン帝国をベオグラードの戦いで破ったハンガリーの摂政フニャディ・ヤーノシュがペストで病没。
    1457年
     5月 1日(長禄元年 4月 8日)太田道灌が江戸氏の拠点跡に新たに築城した江戸城に移転。
    12月18日(長禄元年12月 2日)長禄の変。後南朝に奪われていた神璽(八尺瓊勾玉)を、嘉吉の乱で一旦滅亡した赤松氏の家臣らがお家再興のために奪い返した事件。
    1458年
     1月 4日(長禄元年12月19日)古河公方足利成氏に対抗するため、将軍足利義政の命で、異母兄の天龍寺香厳院主清久が還俗し、鎌倉公方に任命される。名も義政から偏諱を受けて足利政知と改める。
     7月(長禄2年 6月)足利政知が、伊豆の堀越に入る。しかし鎌倉には入れず、以後、堀越公方と呼ばれる。
    1461年
     (寛正2年)数年に及ぶ長禄・寛正の飢饉で、この年はじめの2ヶ月だけで洛中での病死者・餓死者が8万2千人に達する。
    1468年
     2月 3日活版印刷術を発明したヨハネス・グーテンベルクが死去する。印刷の権利を失ったり、騒乱に巻き込まれるなどして財産を失い、聖書の印刷の功績でアドルフ大司教に召抱えられ、ひっそりとこの世を去ったと言われる。
    1471年
    10月25日(文明3年 9月12日)桜島文明噴火。死者多数。
    1475年
     9月15日(文明7年 8月15日)桜島南西部で噴火(文明溶岩が流出)。
    1476年
     9月29日(文明8年 9月12日)桜島大噴火。死者多数を出し、沖小島と烏島が形成される。
    1477年
    12月16日(文明9年11月11日)11年続いた応仁の乱が、西軍の解体で公式に終結。乱後に織物業者が西軍本陣跡地に集まって「西陣」(西陣織)と呼ばれたことから、乱終結の日は西陣の日とされている。
    1483年
     1月 6日(文明14年11月27日)古河公方足利成氏と幕府との間で和議が成立し、享徳の乱が終結(都鄙合体)。成氏は伊豆一国の堀越公方支配を認める。
    1485年
     8月22日ボズワースの戦い。リッチモンド伯ヘンリー・テューダーが、ヨーク朝リチャード3世を打ち破り、薔薇戦争は終結。テューダー朝のきっかけとなる。
    1486年
     8月25日(文明18年 7月26日)太田道灌が、主君扇谷上杉定正の居館糟屋館に招かれた際に暗殺される。定正が実力者道灌に恐れを抱いたためと言われるが、これを機に扇谷上杉家は離反者が相次ぎ、衰退していく。
    1492年
     1月 2日イスパニア半島のイスラム教国ナスル朝が滅亡し、キリスト教徒によるレコンキスタが終結。
    10月12日クリストファー・コロンブスが率いたスペインの艦体が「西インド諸島」に到達し、「サン・サルバドル島」に上陸。
    11月16日神聖ローマ帝国オーバーエルザス(現フランス・オー=ラン県)エンシスハイムの農園に隕石が落下する。
    1493年
     3月15日コロンブスの一行が帰国。大絶賛される。
     5月 7日(明応2年 4月22日)畠山氏への対応などで将軍足利義材と対立した管領細川政元が日野富子らとともにクーデターを起こし、義材が河内出兵の留守を狙い、堀越公方足利政知の子で天龍寺香厳院の清晃を還俗させて(足利義遐のち義澄)将軍職に奉じる(ただし後土御門天皇の反感を買い将軍宣下がすぐには降りず)。
     教皇アレクサンデル6世の教書によって教皇子午線が引かれ、その東をポルトガル、西をスペインとすることが決まる。
    1494年
     6月 7日教皇子午線に不満なポルトガルがスペインと交渉し、トルデシリャス条約締結。ブラジルはポルトガルが、それ以外のアメリカ両大陸はスペインが進出することになる。
    1495年
     1月23日(明応3年12月27日)足利義遐(義澄)の将軍宣下が降りる。
    1498年
     9月11日南海トラフを震源とする明応地震が発生。大津波が関東から紀伊半島にかけての太平洋岸を襲い、甚大な被害を出す。鎌倉大仏が露坐になったのも、大仏殿が流出したためとされている。
    1500年
     1月26日スペイン人のビセンテ・ヤーニェス・ピンソンの艦隊がブラジル北部に到着。アマゾン一帯の探検を行う。
     2月琉球王国尚真王が、宮古の仲宗根豊見親を派遣して石垣の領主オヤケアカハチを攻め滅ぼし、八重山に勢力を拡大。
     4月22日ポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルの艦隊がブラジル(後のポルト・セグーロ)に到着。新発見の地としてポルトガル領を宣言したこともあり、一般にはカブラルが「ブラジル発見者」とされている。なおこの時、赤い染料ブラジリンが取れるスオウ(ブラジル)に似た木があったため、地名も「ブラジルの地」と名付けられた。
    1506年
     5月20日スペイン王室からも見捨てられたコロンブスがスペインのバリャドリッドで病死。
    1507年
     8月 1日(永正4年 6月23日)細川政元が細川澄之支持派の手で暗殺される。細川家は細川澄之、細川澄元、細川高国の三派に分かれて後継者争いに発展。
    1508年
     5月15日(永正5年 4月16日)10代将軍でクーデターにより地位を追われていた足利義尹(義材)が大内義興の支持を得て軍を京に進めたため、近江へ逃れた11代将軍足利義澄は失脚。
     7月28日(永正5年 7月 1日)足利義尹が細川高国らに迎えられて入京し征夷大将軍に復帰。
    1510年
     (中宗4年 4月 4日)李氏朝鮮の貿易規制策などに不満を持つ慶尚道三浦の倭人が対馬の宗盛順らの支援を受けて反乱を起こす。
     (中宗4年 4月19日)三浦の乱が鎮圧される。
    1511年
     9月15日(永正8年 8月23日)船岡山合戦。足利義尹を指示する細川高国、大内義興、畠山義元らの軍勢と、失脚した足利義澄派の細川澄元、畠山義英、赤松義村らの軍勢が衝突。義尹派が勝利する。なおこの時すでに義澄は病死している。また細川氏、畠山氏、六角氏らの内紛も要因の1つ。
     (永正8年 8月)『妙法寺記』などから、富士山の6~7合目付近にあった「カマ岩」が燃えたという。その直前に大きな音がしていることなどから、小規模の噴火と考えられる。
    1516年
     4月23日バイエルン公ヴィルヘルム4世がビール純粋令を定める。
     この年、中国明朝のドン族とヤオ族の住む南丹に隕石が降る。現在の広西チワン族自治区南丹県。隕石そのものも1958年に大躍進政策で鉄の原材料調査を行って発見された。
    1519年
    11月 8日コンキスタドールのスペイン人エルナン・コルテスがアステカの都テノチティトランに現れ、アステカ王モクテスマ2世から、コルテスは神の化身と勘違いされる。
    1520年
     5月21日(永正17年 5月 5日)等持院の戦い。中央復帰を図り摂津まで進出した細川澄元の軍勢を指揮する三好之長と、細川高国らが京で衝突。三好之長が敗北。細川澄元の復帰はならず。なお高国と対立していた将軍義尹は澄元と和解していたため、戦後義尹と高国は対立。
     5月27日(永正17年 5月11日)三好之長が捕らえられ処刑される。
     6月24日(永正17年 6月10日)伊丹から阿波に逃げ戻った細川澄元が死去。
    10月21日マゼラン(マガリャンイス)の艦隊が南米大陸南端とその先の島の間に海峡を発見。島の原住民ヤーガン族が点けたと見られる火を目撃。海峡はマジェラン海峡、島はフエゴ島と名付けられる(ティエラ・デル・フエゴは火の島という意味)。
    11月 8日ストックホルムの血浴。デンマークの支配下にあったスウェーデンの反乱を鎮圧したクリスチャン2世が、スウェーデンの反乱関係者を和解の晩餐会と称して集め、皆殺しにした事件。生き延びた若き貴族のグスタフ・ヴァーサが反乱を起こす。
    1521年
     4月13日(大永1年 3月 7日)将軍足利義尹が京を出奔し堺へ逃れる。細川高国は、代わりに義澄の遺児の足利義晴を将軍に擁立。
     8月13日エルナン・コルテスらの率いる軍隊によって、アステカの都テノチティトランが陥落。
    1522年
     この頃、琉球王国尚真王が、与那国の領主鬼虎(うにとら)を滅ぼす。年代は異説あり。
    1523年
     グスタフ・ヴァーサが、スウェーデン議会の承認で国王グスタフ1世として即位。デンマーク(カルマル同盟)からの独立を果たす。
    1527年
     3月14日(大永7年 2月12日)桂川原の戦い。管領細川高国に弟香西元盛を自害に追い込まれ恨みを持つ波多野稙通・柳本賢治兄弟に細川晴元から援軍として合流した三好勝長・政長らの軍勢と、細川高国、武田元光の軍勢が衝突。高国らが大敗を喫し、京都から近江方面へ退却する。
     6月21日ニッコロ・マキャヴェッリが死去。『君主論』の作者でマキャベリズムのもととなった思想家。
    1529年
     4月22日アジアの領土分割を決める、スペインとポルトガルのサラゴサ条約が締結。
    1531年
     7月17日(享禄4年 6月 4日)大物崩れの合戦。将軍側の細川高国、浦上村宗の軍勢が、堺公方側の三好元長、赤松政祐に敗北する。翌日、高国が尼崎で捕縛される。
     7月21日(享禄4年 6月 8日)細川高国が自害させられる。
     8月彗星が出現し、ペトルス・アピアヌスが観測する。ハレー彗星。
    1532年
     7月22日(享禄5年 6月20日)堺公方の有力武将だった三好元長が、一向宗徒に襲われ和泉の顕本寺で自害。堺公方体制も崩壊する。
     9月23日(天文元年 8月24日)法華宗徒の三好元長が一向宗徒に襲われ自害したことに反発した、京の法華宗徒や町衆が、六角氏らの支援を受けて山科本願寺を襲い、これを焼き討ちする。法華宗は京に勢力を拡大していく。
    11月16日フランシスコ・ピサロが、会見に現れたインカ皇帝アタワルパを捕らえ、インカ兵を攻撃。
    1533年
     7月26日フランシスコ・ピサロが、インカ皇帝アタワルパを殺害。
    1534年
     6月23日(天文3年 5月12日)織田信長、清洲三奉行のひとり、織田信秀の嫡男として那古屋城で生誕(月日と出生地には異説あり)。
    1536年
     4月 7日(天文5年 3月17日)駿河の守護大名今川氏輝と弟の彦五郎が急死。先代氏親の正室寿桂尼と太原雪斎らは、氏親の子である栴岳承芳を還俗させ(今川義元)、後継に押し立てる。
     6月13日(天文5年 5月25日)今川氏親の子で、今川義元の異母兄に当たる玄広恵探が、義元擁立に反発した母方の祖父(もしくは同族の)福島正成(もしくは福島越前守)に擁立されて久能山で挙兵。花倉の乱が勃発。
     6月28日(天文5年 6月10日)今川義元らの軍勢が、花倉城を攻め、玄広恵探は逃走。普門寺で自刃し、花倉の乱は終結。
     8月13日(天文5年 7月27日)天文法華の乱。比叡山の僧兵と六角氏の軍6万が、京に勢力を伸ばしていた法華宗の寺院21カ寺を襲い放火。京の市街地も大きな被害を出す。
    1538年
     7月 8日フランシスコ・ピサロが、対立していたコンキスタドール(征服者)のディエゴ・デ・アルマグロを処刑。
    10月29日(天文7年10月 7日)第一次国府台の戦い。小弓公方の足利義明が真里谷信応、里見義堯らを率いて国府台まで進出。古河公方と組んだ北条氏綱も兵を出し合戦となる。足利義明は討ち死。北条氏綱は下総方面へ進出し、無傷だった里見義堯も上総方面へ勢力を拡大。
    1539年
     ポーランド王国のジグムント1世王がユダヤ人の法的保護を定めたカリシュの法令を改めて承認する。
    1540年
     7月28日トマス・クロムウェル処刑。イングランド王ヘンリー8世の離婚と再婚のために宗教改革まで行った挙句に、そのヘンリー8世の怒りを買って処刑された。同日、ヘンリー8世は、キャサリン・ハワードと再婚。
    1541年
     6月26日インカ帝国を征服したコンキスタドール(征服者)フランシスコ・ピサロが暗殺される。殺したのは、ピサロによって処刑されたコンキスタドールのひとりディエゴ・デ・アルマグロの息子。
    1542年
     1月26日(天文11年 1月11日)大内義隆が出雲尼子氏攻略のため出陣。
     9月 6日(天文11年 7月27日)大内軍が尼子側の赤穴城を攻略。
    1543年
     3月(天文12年 4月)第一次月山富田城の戦いが始まる。
     6月 9日(天文12年 5月 7日)大内軍、月山富田城から撤退を開始。帰路、大内義隆の養嗣子である大内晴持は海路で遭難。殿軍の毛利勢も大敗を喫する。大内氏が衰退する一因となった。
    1545年
    10月31日(天文14年 9月26日)小田原の北条氏が駿河東部で今川・武田と対立したことを受け、関東の山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏が同盟して、8万の大軍で北条氏の河越城を包囲。河越城主北条綱成は籠城。
    12月(天文14年11月)北条氏康、武田晴信の仲介の元、河東(駿河富士川以東)を放棄することで今川義元と和睦。
    1546年
     5月19日(天文15年 4月20日)北条氏康、河越城周辺の両上杉・古河公方連合軍に対して夜襲を仕掛ける。また河越城からも北条綱成が出撃し、連合軍は壊乱。上杉朝定、朝定の重臣で松山城主の難波田憲重らが討ち死に。上杉憲政は上州平井城へ逃走、足利晴氏も古河へ敗走する。通称「河越夜戦」。記録に乏しいため、詳細については諸説ある。北条氏は以後関東制覇へ向けて動き出す一方、扇谷上杉氏は滅亡、山内上杉氏も衰退し、越後長尾氏を頼ることになり、上杉謙信の関東進出へとつながっていく。
    1547年
     1月16日イワン雷帝の即位。モスクワの生神女就寝大聖堂でツァーリとして戴冠式を行う。
     8月 6日(天文16年 9月19日)小田井原の戦い。信濃へ勢力を広げる武田晴信に対し、信濃佐久郡の志賀城主笠原清繁は籠城。武田晴信は兵を出して城を包囲する。これに対し、上野の上杉憲政が笠原支援のため、金井秀景率いる軍勢を派遣。両軍は小田井原で衝突し、武田軍が勝利。
     8月11日(天文16年 9月24日)志賀城が落城し、笠原清繁らは討ち死に。武田晴信は捕虜とした敵兵やその家族女子供を人身売買にかけるなど、かなり厳しい処置を行う。
    1548年
     3月10日(天文17年 2月 1日)武田晴信率いる軍勢が、北信濃に進出。同地の村上義清も出兵し、千曲川支流沿いに兵を展開。
     3月23日(天文17年 2月14日)上田原の戦い。武田晴信と村上義清との戦いで、武田軍が大敗。板垣信方、甘利虎泰、才間河内守、初鹿伝右衛門ら重臣が戦死する。
     3月26日(天文17年 2月17日)敗戦後も上田原にとどまっていた武田晴信が甲府へ帰還する。
    1549年
     1月28日(天文17年12月30日)長尾景虎が隠居する兄の晴景のあとを受けて家督を継ぎ、越後国の守護代となる。有能な景虎を兄に代わって推す勢力が強まり、越後守護上杉定実の調停によって。
     3月23日(天文18年 2月24日)織田信長と、斎藤道三の娘「濃姫」が結婚。
     4月15日フランシスコ・ザビエルがインドのゴアを出発し、日本へ向かう。
     8月15日(天文18年 7月22日)フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。
    1551年
     9月28日(天文20年8月28日)大寧寺の変。周防・長門の戦国大名・大内義隆の重臣で守護代の陶晴賢が主導する反乱が起こる。
     9月30日(天文20年9月 1日)大内義隆が長門大寧寺で自刃し、大内家は事実上滅亡。
    1552年
    12月 3日フランシスコ・ザビエルが中国上川島で病死。
    1553年
    10月 8日(天文22年 9月 1日)第一次川中島の戦い。村上義清救援のために出陣した上杉軍が武田軍と衝突。
    1555年
     8月 6日(天文24年 7月19日)第二次川中島の戦い。上杉・武田両軍は以降200日に渡って対峙。
     9月25日アウクスブルクの和議。神聖ローマ帝国皇帝カール5世が、プロテスタント諸侯の圧力でルーテル派を認める。
    10月15日(天文24年 9月30日)厳島に布陣した大内家の実力者陶晴賢軍を攻めるため、毛利軍が荒天の中、二手に分かれて渡海。
    10月16日(天文24年10月 1日)厳島の戦い。毛利軍が陶晴賢の軍勢を攻撃。狭い島内に数万の軍勢がひしめき合い、大混乱となった陶軍は大敗。陶晴賢は敗死し、毛利家伸張のきっかけとなる。
    1556年
     5月28日(弘治2年 4月20日)斎藤道三が実子の斎藤義龍と長良川河畔で戦い戦死する。
     8月 3日(弘治2年 6月28日)長尾景虎が、春日山城を出奔し、高野山へ向かう事件を起こす。家臣団同士の抗争や国人衆の謀反が頻繁にあったことに嫌気が差したためと言われるが、出奔してみせることで家臣団を結束させる狙いがあったという説もある。
     9月20日(弘治2年 8月17日)長尾景虎の家臣らが、大和葛城で景虎に追いつき説得して出家を思いとどまらせる。
     9月27日(弘治2年 8月24日)斎藤道三の戦死を機会と見た織田信長の同母弟織田信勝(信行)が、柴田勝家、林秀貞らと挙兵する。しかし稲生の戦いで敗北。
    1557年
     9月(弘治3年 8月)第三次川中島の戦い。
    11月22日(弘治3年11月 2日)織田信長が河尻秀隆らをして清洲城内で弟の織田信勝(信行)を暗殺。
    1558年
    11月17日イングランドで、エリザベス1世が即位。主に信仰上の理由で敵対した異母姉の女王メアリー1世が病死したことを受けて。テューダー朝最後の王。
    1559年
     1月15日エリザベス1世がウエストミンスター寺院で戴冠。
    10月(永禄2年 9月)降路坂の戦い。石見銀山攻略のため山吹城を攻めていた毛利元就が、門司城を大友義鎮に攻められたことから退却を開始したところ、降路坂で追撃に遭い大敗を喫する。
    1560年
     6月12日(永禄3年 5月19日)桶狭間の戦い。織田信長が2000ほどの兵で10倍する今川軍を奇襲し、今川義元は戦死。
     9月16日(永禄3年 8月26日)長尾景虎(上杉謙信)が安房里見義堯の救援要請を受けて、北条氏討伐のため出陣。北関東の諸勢力も長尾側に参陣。北条氏は各拠点で籠城戦を強いられる。武田信玄と今川氏真は北条方に付くことを決める。
    1561年
     3月(永禄4年 3月)長尾軍とその同盟軍が、小田原城を包囲。
     4月30日(永禄4年閏3月16日)長尾景虎、小田原包囲戦のさなかに、鎌倉鶴岡八幡宮で山内上杉家の家督と関東管領職を相続。就任式を行う。名を上杉政虎と改める。
     4月(永禄4年 4月)北条方についた武田信玄が北信濃へ出兵。また、北関東の諸将が長期遠征に不満を唱えて離反し始めたため、上杉政虎は小田原城包囲を解き、越後へ向けて退却を開始。
    10月17日(永禄4年 9月 9日)第四次川中島の戦い。武田軍の高坂昌信ら別働隊が妻女山の上杉軍を背後から衝くために移動。しかし上杉軍は察知し、夜半、密かに山を降り、武田軍本隊の前へ展開。
    10月18日(永禄4年 9月10日)第四次川中島の戦い。上杉・武田両軍の本隊が直接衝突。武田軍は武田信繁、山本勘助、諸角虎定らが討ち死にする大敗を喫する。しかし高坂昌信の武田別働隊が駆けつけ、上杉軍を挟み撃ちにしたため、上杉軍も大きな被害を出す。両者撤退。
    1562年
     7月12日スペイン出身のユカタン司教ディエゴ・デ・ランダが、マヤの絵文書を布教の障害になるとして焚書を命じ、マヤの貴重な書物のほとんどが失われる。
    1563年
     4月25日(永禄6年 4月 3日)湯所口の戦い。因幡守護山名豊数が、毛利氏に通じて離反した鳥取城主の武田高信を攻めるも、城内に討ち入った中村豊重が戦死したことで大敗。因幡国において山名勢が衰退するきっかけとなる。
     8月31日(永禄6年 8月13日)白鹿城攻防戦が始まる。毛利氏による月山富田城攻略の前哨戦。
    1564年
     2月19日(永禄7年 1月 7日)第二次国府台の戦い。江戸城守将の太田康資が北条氏から離反したことをきっかけに進出した里見義弘と北条氏康の戦い。里見側が大敗し退却。上総は北条氏の勢力圏となる。この前年の正月に起こった両軍の戦闘と混同していると考えられている。
    1565年
     5月16日(永禄8年 4月17日)第二次月山富田城の戦いが始まる。
     6月17日(永禄8年 5月19日)松永久秀と三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)が、二条城に13代将軍足利義輝を襲撃し殺害。永禄の変。
    1566年
     1月22日(永禄9年 1月 1日)第二次月山富田城の籠城戦の最中、城の補給を担っていた宇山久兼が、大塚与三衛門の讒言を信じた尼子義久に殺害される。尼子勢内部で動揺が走り滅亡の要因の一つとなった。大塚与三衛門もこの後、大西高由に殺害された。
    1567年
     1月 1日(永禄9年11月21日)尼子義久が毛利側に降伏し、第二次月山富田城の戦いが終結。
     2月 8日(永禄9年12月29日)松平家康が個人として勅許を得て徳川姓に改める。その後、秀忠も徳川姓を認められるが、それ以外の松平家は含まれず。
     9月16日(永禄10年8月14日)甘水・長谷山の戦い。毛利勢の支援を受け古処山城に入った秋月種実に対し、大友宗麟は兵2万で侵攻。続けて邑城、休松城を攻略。
     9月25日(永禄10年8月23日)三船山合戦。上総まで進出した北条氏政が、里見氏の拠点であった上総南部の佐貫城を攻略するため、三船台砦に入ったところ、里見義弘がこれを迎え撃ち、北条側が敗れ相模まで撤退した。これにより再び上総方面は里見勢力圏に入ることとなった。
    10月 5日(永禄10年9月 3日)休松の戦い。古処山城攻略中に毛利勢の動きを警戒した大友軍が撤退を始めたところを秋月種実が急襲。一旦は撃退されるも、翌4日も再度夜襲をかけ、大友勢に大きな損害を出す。
    11月10日(永禄10年10月10日)東大寺の戦い。松永久秀と三好三人衆が、東大寺の境内で戦い、おそらく失火から大仏殿などが焼失。大仏も溶け落ちてしまう。
    1568年
    11月 7日(永禄11年10月18日)足利義昭が従四位下に昇叙し、征夷大将軍の宣下を受け、室町幕府15代将軍となる。
    12月24日(永禄11年12月 6日)武田信玄が駿河侵攻を開始し、甲府を出発。
    12月30日(永禄11年12月12日)薩埵峠の戦い。駿河侵攻を開始した武田勢に対し、今川氏真が迎撃の大軍を出すも、武田方の調略によって今川方の武将ら21名が内通し、氏真は駿府へ退却。これにより今川軍は総崩れとなり、武田軍は一気に駿府へ攻め込む。氏真、駿府籠城を諦め、朝比奈泰朝の居城、掛川城へ落ち延びる。この時、氏真正室の早川殿(北条氏康息女)が徒歩で落ち延びたことを知った北条氏康が激怒し、武田と手切れを決めたと言われる。
    12月31日(永禄11年12月13日)武田軍が駿河を占領。一方、徳川家康も遠江へ侵攻を開始。
    1569年
     1月14日(永禄11年12月27日)徳川家康、遠江の各国衆を取り込み、各地を攻略。掛川城を包囲する。
     1月27日(永禄12年 1月11日)上杉謙信が、今川・北条から塩を止められた武田領へ塩を送る
     2月 3日(永禄12年 1月18日)北条氏康、今川家支援のため、氏政に4万5千の兵で駿河へ出陣。対する武田信玄は迎撃に向かう。両軍薩埵峠で対陣。武田信玄は常陸佐竹義重らを動かして北条を攻めさせ、北条氏康も越後上杉謙信と組んで信濃侵攻を画策。
     6月 1日(永禄12年 5月17日)今川氏真が掛川城を開城し、徳川家康に降伏。武田勢が遠江に侵攻したため、家康が武田との関係を切り、北条の仲介で今川家存続に方針転換したことを受けたため。しかしこれ以降、氏真は徳川の庇護下に置かれ、駿河国主に復帰することはなく、大名としての今川家は滅亡。
     7月 1日元来関係の深かったポーランド王国とリトアニア大公国による同君連合が成立。ポーランド・リトアニア共和国となる(王国だがまもなく貴族と法による支配体制へ移行し、王権の法的規制が強くなったことから、一般に共和国と呼ばれる)。実質、ポーランドによるリトアニア大公国の支配。6月28日に貴族らの合意が成立し、7月4日にルブリンで調印したため、ルブリン合同と呼ばれる。現在のポーランド、バルト三国の他、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの一部を含む大国。
    11月 9日(永禄12年10月 1日)武田信玄が小田原城を包囲。
    11月13日(永禄12年10月 5日)武田信玄が小田原城の包囲を解き、退却を開始。北条方はこれを追撃する作戦を取り、北条氏照と北条氏邦の兵2万が三増峠に向かう。
    11月14日(永禄12年10月 6日)三増峠付近で武田・北条両軍が対峙。
    11月16日(永禄12年10月 8日)三増峠の戦い。武田・北条両軍が衝突し、前半は北条方が、後半は武田方が有利に進める。武田軍の箕輪城代浅利信種らが戦死。両軍とも自軍の勝利としている。戦に間に合わなかった北条氏政は進軍を停止し引き上げる。
    1570年
     3月30日(元亀元年 2月14日)布部山の戦い。尼子氏再興を図る尼子勝久・山中幸盛らの軍勢に対し、毛利輝元らの率いる軍勢が到着。布部山で激突し、尼子再興軍が敗れる。
     5月24日(元亀元年 4月20日)織田・徳川連合軍は、公家や畿内諸侯とともに、朝倉勢を攻めるために京を出発する。
     5月30日(元亀元年 4月26日)金ヶ崎の戦い。織田・徳川連合軍が、朝倉勢との戦いのさなか、浅井長政が朝倉方について出撃し、織田信長は躊躇せず京へ向けて撤退。朽木氏の協力と、羽柴秀吉ら殿軍の尽力で京にたどり着く。
     9月25日(元亀元年 8月26日)三好三人衆と織田信長の戦闘(野田城・福島城の戦い)が始まる。
    10月11日(元亀元年 9月12日)本願寺顕如の命により、門徒衆らが摂津福島で三好三人衆と対陣していた織田勢の陣を攻撃。石山合戦が始まる。
    12月(元亀元年12月)上杉輝虎、不識庵謙信と称する。
    1571年
     9月30日(元亀2年 9月12日)織田信長による延暦寺焼き討ち。織田の敵対勢力に味方し、兵を擁し、女性を囲うなどの行為が要因となって、明智光秀らが主体となって攻撃し、記録では堂宇500余りが焼失し、僧侶男女ら約1500~4000人が殺害されたという。後の発掘調査で山上の諸施設に焼け跡の痕跡が少ないことから、山下の近江坂本が主な攻撃対象だったという説もある。
    10月21日(元亀2年10月 3日)北条氏康死去。
    1572年
     6月14日(元亀3年 5月 4日)木崎原の戦い。日向伊東氏が大敗し、島津家九州制覇の端緒となる。
     8月17日フランスでカトリックとプロテスタント「ユグノー」の対立を解消する名目で、ユグノーの指導者で王位継承権もあるナバラ王アンリと国王の妹マルグリットの結婚式が行われ、ユグノー派貴族も集まる。
     8月22日フランスでユグノーの指導者の一人、コリニー提督が狙撃され負傷。ユグノー派貴族らの反発が高まる。
     8月24日フランスでカトリック教徒の貴族ギーズ公アンリによるユグノー派貴族の虐殺事件が起こり、全土へと拡大する。サン・バルテルミの虐殺
    11月 6日ヴォルフガング・シューラーが超新星SN1572を観測。カシオペア座12,000光年。
    11月11日ティコ・ブラーエが超新星SN1572を消滅するまで詳細に観測し、「新星」と名付ける。これによりティコの星と呼ばれる。ティコ・ブラーエはこの功績によって天文学者としての道を開くことになった。白色矮星に連星から降着した物質によって質量が増大し、その重力収縮の結果引き起こされたIa型超新星爆発と考えられている。
    1573年
     1月25日(元亀3年12月22日)三方ヶ原の戦い。三河に侵攻した武田信玄に徳川家康が決戦を挑んで大敗した合戦。
     5月(元亀4年 4月)武田信玄の病状が悪化し、重臣らの協議で武田軍は本拠へ引き返し始める。
     5月13日(元亀4年 4月12日)武田信玄、病死。
     8月25日(元亀4年 7月26日)室町幕府の将軍、足利義昭が、彼を必要としなくなった信長によって京を追放される。征夷大将軍の地位を失ったわけではないが、事実上の室町幕府滅亡
     9月 4日(元亀4年 8月 8日)織田信長が北近江に侵攻。
     9月10日(元亀4年 8月14日)刀根坂の戦い。織田信長が朝倉氏を急襲。朝倉勢は大敗し敗走、一乗谷の攻防戦に続く。この戦いで信長と敵対し続けた斎藤龍興も戦死。26歳。
     9月14日(元亀4年 8月18日)織田信長の軍勢が、朝倉氏の拠点一乗谷に侵攻。一乗谷は焼け落ち、朝倉義景は一門の朝倉景鏡の進めで大野郡へ落ち延びる。
     9月16日(元亀4年 8月20日)朝倉義景が避難していた六坊賢松寺で、朝倉景鏡に攻められ自害。越前朝倉氏は事実上の滅亡。
     9月26日(元亀4年 9月 1日)小谷城が落城し、浅井長政、弟の浅井政元、重臣の赤尾清綱らが自刃。北近江浅井氏も滅亡する。
    1575年
     6月29日(天正3年 5月21日)織田・徳川連合軍と武田軍が長篠設楽原で戦い、鉄砲を多用するなどして織田・徳川連合軍が勝利。武田氏は重臣らが多数戦死し衰退していく。
    1576年
     8月 7日(天正4年 7月13日)第一次木津川口の戦い。石山本願寺を包囲している織田軍に対し、本願寺の求めに応じた毛利氏が兵糧などを運び込むため、毛利水軍、小早川水軍、村上水軍、宇喜多氏などの兵力を動員。対する織田方も九鬼水軍を出したが、毛利軍の使用する焙烙玉によって、織田方は大敗。
    1577年
     7月(天正5年 7月)北条・里見両者の間で房相一和(「相房御和睦」)がなされる。安房上総の両者の勢力圏を確定することと北条の姫(龍寿院)が里見氏へ嫁ぐことで和睦が成立した。
    11月 3日(天正5年 9月23日)手取川の戦い。能登攻略に出た上杉謙信と、七尾城の救援に赴いた織田軍が衝突。上杉軍の攻撃に対し、手取川に退却路を阻まれた織田軍は大敗を喫する。
    11月19日(天正5年10月10日)信貴山城の戦い。織田信長に反旗を翻した松永久秀が、信貴山城に籠り、筒井順慶らを先陣に織田軍が攻撃を行う。最後は平蜘蛛の茶釜に火薬を詰めて自爆したとも言われる。
    1578年
     1月14日(天正5年12月 7日)島津軍の日向侵攻で、日向の戦国大名伊東義祐の重臣福永祐友と野村文綱が島津方に寝返り、10日、伊東家は領地を放棄し、豊後へと落ち延びる。
     4月15日(天正6年 3月 9日)上杉謙信が春日山城内の厠で倒れ、意識不明となる。
     4月19日(天正6年 3月13日)上杉謙信が春日山城内で死去。15日ころを予定していた遠征の出陣は取りやめとなる。
     5月16日(天正6年 4月10日)大友宗麟が日向へ侵攻し、島津方へ寝返った懸領主土持親成を滅ぼす。
     6月12日(天正6年 5月 7日)武田四天王の一人で甲越同盟を推進した春日虎綱(高坂昌信)が死去。
    12月 7日(天正6年11月 9日)耳川の戦い。日向高城川原で、大友対島津が戦い、島津が勝利。大友家臣団が崩壊していくきっかけとなった。
    12月 4日(天正6年11月 6日)第二次木津川口の戦い。織田信長は九鬼嘉隆に建造させた6隻の鉄甲船を回航させて大坂湾に配備。侵攻してきた毛利水軍に対し砲撃戦を行い、毛利方は退却。織田方が勝利する。
    12月 8日(天正6年11月10日)織田信長に反旗を翻した荒木村重の居城有岡城の包囲戦が始まる。
    1579年
     8月30日(天正7年 8月 9日)明智光秀が丹波黒井城を攻撃し攻め落とす。丹波平定戦はほぼ終結。
    10月 5日(天正7年 9月15日)徳川家康の長男、松平信康が切腹。織田信長の命令で殺されたとも、徳川家(当時は松平家)の家臣団を巻き込んだ内部紛争とも言われる。
    11月 7日(天正7年10月19日)有岡城が陥落。
    1580年
     2月 2日(天正8年 1月17日)秀吉が別所氏の播磨三木城を兵糧攻めにした三木合戦「三木の干殺し」が終結。
     4月20日(天正8年閏3月 7日)正親町天皇の勅命で立入宗継が織田信長と石山本願寺の調停を行い、石山合戦が終結。
     5月22日(天正8年 4月 9日)顕如が石山本願寺から鷺森別院に退去。
     9月10日(天正8年 8月 2日)織田信長が石山本願寺を接収。直後に火災が起き、寺域の堂舎・寺内町が二日一夜に渡り燃え続け灰燼に帰す。失火説のほか、講和反対派による放火との説もある。
    1581年
     3月27日(天正9年 2月23日)織田信長とアフリカ・モザンビーク付近の出身とされる黒人「弥助」が面会。信長に気に入られ家臣となる。
    12月 1日元イングランド国教会執事で信条からカトリック教会へ変わりイエズス会に所属した司祭エドマンド・キャンピオンが、カトリック普及のため亡命先のネーデルランドドゥエーからイングランドへ戻っていたところを逮捕され、信仰を捨てなかったことから、エリザベス1世殺害の企図容疑で首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で処刑される。1970年に列聖。
    1582年
     2月 3日(天正10年 1月 1日)近江近隣の大名・小名、御連枝衆、それらの従者等による安土城参賀が行われる。百々橋から摠見寺へ続く道で、人の重みで石垣が崩れて多数の人が落ち死傷者が出たという。参賀者はまた、摠見寺毘沙門堂、天主白州、江雲寺殿、さらに本丸、御幸(みゆき)の間などを見学。織田信長自ら見物料を取ったという。
     2月20日(天正10年 1月28日)天正遣欧少年使節が長崎を出航する。
     2月23日(天正10年 2月 1日)武田信玄の娘婿で木曽の領主だった木曽義昌が、武田勝頼が進める新府城建設の賦役の負担に反発して織田方に寝返る。勝頼、人質としていた木曽義昌の母親と側室及びその子供を殺害。
     2月25日(天正10年 2月 3日)織田信長が、武田攻めを下知し、動員令を発する。森長可、団忠正ら先発軍が岐阜城を出発。
     3月10日(天正10年 2月16日)織田の支援を受けた木曽義昌と、武田勝頼の派遣した軍勢が鳥居峠で戦闘し、武田側が敗北。
     3月12日(天正10年 2月18日)織田信忠軍の信濃侵攻を受けて保科正直は飯田城を、武田信廉は大島城を放棄。徳川家康は掛川城を発って、依田信蕃の田中城攻略を開始。
     2月15日(天正10年 2月21日)徳川軍が駿府城に入る。
     3月24日(天正10年 3月 1日)この前後に武田の御一門衆であった穴山梅雪が徳川方に寝返る。
     3月25日(天正10年 3月 2日)武田方の高遠城が陥落。仁科盛信、小山田昌成らは討ち死に。
     3月26日(天正10年 3月 3日)武田勝頼は新府城を放棄、小山田信茂の要害岩殿城へと向かう。なお、武田信勝は新府城での籠城を、真田昌幸は真田領の上野岩櫃城への退避を、長坂光堅が岩殿城への退避を主張したとも言われる。
     3月30日(天正10年 3月 7日)織田信忠が甲府に入り、武田残党狩りを始める。
     4月 1日(天正10年 3月 9日)この頃、小山田信茂が武田家を離反。武田勝頼一行は行き場を失い、天目山へと向かう。
     4月 3日(天正10年 3月11日)滝川一益の軍勢に追いつかれた武田勝頼らは、天目山の戦いで敗れ自刃。甲斐武田氏が滅亡する。
     4月 6日(天正10年 3月14日)武田方で最後まで残っていた駿河田中城の依田信蕃が開城。徳川家康に家臣に誘われるも、これを断り本拠地信濃へ戻る(のち徳川家臣となる)。
     4月16日(天正10年 3月24日)織田軍に帰順を表明した小山田信茂が武田勝頼に対する不忠を理由に処刑される。
     6月21日(天正10年 6月 2日)本能寺の変。明智光秀が謀反し、京に織田信長を襲撃。織田信長、織田信忠親子は自刃。グレゴリオ暦では7月1日。
     6月23日(天正10年 6月 4日)羽柴秀吉の高松城水攻めで、城主清水宗治が自刃し開城となる。秀吉は本能寺の変の情報を得ていたが、切腹を見届けてから、畿内へ向かう。
     7月 1日(天正10年 6月12日)羽柴秀吉率いる諸将の軍勢と明智光秀の軍勢が摂津と山城の境にある山崎で対陣。
     7月 2日(天正10年 6月13日)羽柴秀吉軍の中川清秀隊と、明智光秀軍の伊勢貞興隊が衝突。山崎の合戦が始まる。一旦は明智勢が優勢に進めるが、池田恒興隊、加藤光泰隊らの襲撃で逆転し、明智軍は敗走する。明智光秀は敗走中に百姓の落ち武者狩りに襲われ殺害される(負傷後自刃したとも)。
    10月15日カトリック教会がグレゴリオ暦を導入。イタリア半島諸国とスペイン、ポーランド・リトアニアが改暦を実施。ユリウス暦10月5日。
    1584年
     4月16日(天正12年 3月 6日)織田信雄が、3人の家老(浅井長時・岡田重孝・津川義冬)を秀吉方に与しているとして処刑。小牧・長久手の戦いが始まる。
     4月27日(天正12年 3月17日)羽黒の戦い。小牧・長久手の戦いの一つ。
     5月 4日(天正12年 3月24日)沖田畷の戦い。島津方に付いた有馬晴信を討伐するため出陣した龍造寺隆信が川上忠堅に討ち取られ、龍造寺軍は大敗を喫する。百武賢兼、成松信勝、江里口信常、円城寺信胤、木下昌直らもことごとく討ち死に。出兵を諌めた鍋島信生(直茂)もあわや7騎まで撃ち減らされるも、かろうじて脱出に成功。
     5月18日(天正12年 4月 9日)長久手の戦い。羽柴秀吉勢と、織田信雄・徳川家康同盟軍が衝突。森長可、池田恒興、池田元助らが戦死する。
     8月10日(天正12年 7月 5日)天正遣欧少年使節がポルトガルの首都リスボンに到着。ローマを目指し各国を訪問していく。
    12月12日(天正12年11月11日)織田信雄が、羽柴秀吉の求めに応じて単独講和が成立する。徳川家康は名分を失い戦争は終結。
    1585年
     3月 1日天正遣欧少年使節がローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
     8月 6日(天正13年 7月11日)羽柴秀吉が、近衛家の猶子となった上で関白に就任する。五摂家ではない上に公家でもない武家の秀吉が関白に就任するのは前代未聞の出来事。
    11月29日(天正13年10月 8日)粟之巣の変。二本松義継が伊達輝宗を拉致して逃走を図るが、輝宗の子である政宗は父親もろとも義継を殺害。
    1586年
     1月 2日(天正13年11月13日)徳川家康の重臣で徳川家の外交交渉を担当した石川数正が豊臣秀吉のもとに出奔
     3月(天正14年 2月)聚楽第の建設が京の内野(かつての大内裏の跡地)で始まる。
     8月28日(天正14年 7月14日)岩屋城の戦いが始まる。島津忠長らの島津軍2万以上が、大友側岩屋城の高橋紹運を攻めるが、高橋紹運は763名で防戦に徹する。
     9月10日(天正14年 7月27日)岩屋城が陥落し、高橋紹運ら城兵は全滅。しかし半月もの籠城戦によって島津軍の戦略は大きく狂い、豊臣軍を迎え撃つため、後退を余儀なくされる。
    1587年
     1月20日(天正14年12月12日)戸次川の戦い。豊後に進出した島津家久と、仙石秀久、長宗我部元親、十河存保の軍勢が衝突し、島津側が勝利。長宗我部信親らが戦死。
     1月27日(天正14年12月19日)羽柴秀吉が、太政大臣となる。この頃、氏を藤原から豊臣朝臣に変えたと考えられる。
     4月 8日(天正15年 3月 1日)九州征伐で秀吉が大坂を出陣。
     7月24日(天正15年 6月19日)九州に遠征していた豊臣秀吉が、筑前箱崎においてキリスト教の布教に関する禁制を発する。バテレン追放令。
    10月(天正15年 9月)聚楽第の大部分が完成する。
    11月 1日(天正15年10月 1日)豊臣秀吉が北野天満宮の森で、北野大茶会を催す。
    1588年
     2月 9日(天正16年 1月13日)形式的にも室町幕府が滅亡する。豊臣秀吉が島津氏を降服させるのに合わせるように足利義昭が将軍職を辞して出家。
     5月 9日(天正16年 4月14日)後陽成天皇が聚楽第に行幸。
     5月スペインの無敵艦隊が、イングランド侵攻のために出発。
     7月31日スペインとイングランドによるプリマス沖海戦。いわゆるアルマダの海戦の始まり。イングランドではまだユリウス暦で7月21日。
     8月 2日スペインとイングランドによるポートランド沖海戦。
     8月 5日スペインとイングランドによるワイト島沖海戦。
     8月 7日スペインとイングランドによるカレー沖海戦、続けてグラヴリンヌ沖海戦となる。
     8月18日エリザベス女王が軍隊を鼓舞するためティルベリーで演説。
     8月29日(天正16年 7月 8日)豊臣秀吉の刀狩令が発令される。百姓らの所有する刀のみを対象にしたもので、完全な武装解除ではなく、身分制を定めるためとも言われている。
     8月アルマダの海戦で敗北したスペインの無敵艦隊が、補給のためアイルランドに向かうが、多くが座礁し、兵も殺される。
     9月22日スペイン無敵艦隊の残存艦が母国に帰還をはじめる。兵の過半を失う。
    1590年
     1月18日(天正17年12月13日)豊臣秀吉が、惣無事令の違反を咎めて、北条氏討伐の陣触れを発する。
     7月 6日(天正18年 6月 5日)小田原遠征に関連して、忍城の攻防戦が始まる。
     8月 4日(天正18年 7月 5日)北条氏直が豊臣秀吉に降伏、小田原城開城
     8月16日(天正18年 7月17日)北条側で唯一陥落しなかった忍城が開城される。
     8月25日(天正18年 7月26日)豊臣秀吉が宇都宮に入り、東国仕置を決定する。徳川家を関東に移封。
     8月30日(天正18年 8月 1日)徳川家康が江戸城に入る。いわゆる八朔の記念日。
    10月12日(天正18年 9月 4日)織田信長、豊臣秀吉が寵愛した絵師の狩野永徳が、東福寺法堂天井画の制作中に病で倒れ死去。
    1591年
     4月21日(天正19年 2月28日)千利休切腹。
    1592年
     2月11日(天正19年12月28日)豊臣秀吉が関白を辞職し、秀次が2代目の武家関白となる。太政大臣はもとのまま。
     5月24日(天正20年 4月13日)釜山近郊に上陸した豊臣軍が総攻撃を開始し、文禄の役が始まる。
    1593年
     2月27日(文禄2年 1月26日)文禄の役、碧蹄館の戦い。日本軍と明軍が衝突し、日本軍が勝利をおさめる。中国では万暦21年。
     7月25日ユグノーのアンリ4世が、国民の支持を獲得するため、サン=ドニ大聖堂でカトリックに改宗。
    1594年
     2月27日フランス王の地位についたアンリ4世が、正式に戴冠。ブルボン王朝初代フランス王となる。
    10月 8日(文禄3年 8月24日)京で盗賊団が捕らえられ、その首領、石川五右衛門が処刑される。
    1595年
     3月17日(文禄4年 2月 7日)会津の大大名、蒲生氏郷が癌とみられる症状で死亡。40歳。蒲生家お家騒動の始まり。
     8月13日(文禄4年 7月 8日)豊臣秀次の元に石田三成らが訪れ、高野山追放を伝える。
     8月20日(文禄4年 7月15日)豊臣秀次、雀部重政、東福寺の僧・玄隆西堂が青巌寺で切腹(豊臣秀次事件)。
     9月 5日(文禄4年 8月 2日)豊臣秀次の妻子ら39人が処刑され、遺体は地面に掘った穴に捨てられる。この事件で秀次の側室になる前だったにもかかわらず娘を処刑された最上氏は、豊臣家を恨み、徳川家へ接近することになる。
     9月22日(文禄4年 8月19日)豊臣秀次の重臣で、秀吉の側近として活躍してきた前野長康が秀次事件の責めを受けて自害。
    1596年
     9月 1日(文禄5年閏7月 9日)慶長伊予地震。
     9月 4日(文禄5年閏7月12日)慶長豊後地震。瓜生島沈没伝説で知られる。
     9月 5日(文禄5年閏7月13日)慶長伏見大地震。伏見城が崩壊し死者多数を出す。大和の大名で秀吉直参の横浜一庵も巻き込まれて圧死。石田三成との対立で謹慎中の加藤清正が、秀吉を救出して許されたという。方広寺の大仏も壊れたという。阪神・淡路大震災と同じ震源域とする説もある。
    10月?(文禄5年 9月)豊臣秀吉と明の使者との会談が行われるが、明側が秀吉に順化王の称号を与えて冊封しようとしたため、秀吉は、明の皇女の天皇への降嫁、朝鮮南半の割譲という秀吉の要求が一切認められてないのを知り、会談は決裂する。秀吉は再戦を決定。事前の講和交渉で小西行長・石田三成らと沈惟敬らの偽装講和の工作が裏目に出たとみられる。
    12月16日(文禄5年10月27日)相次ぐ災害を受けて、慶長に改元。
    12月23日(慶長元年11月 4日)服部正成(半蔵)死去。家康の重臣で伊賀衆・甲賀衆を率いる。
    1597年
     2月 5日(慶長元年12月19日)長崎でキリシタンの日本二十六聖人が処刑される。日本人は20名で、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名。
     5月26日(慶長2年 4月11日)徳川秀忠と江の娘、千姫生誕
     9月(慶長2年 8月)聚楽第に変わる豊臣氏の邸宅「京都新城」が完成する。当時は太閤御屋敷などと呼ばれた。のちの仙洞御所(現在の京都御所南東部)の位置に当たる。
    1598年
     4月20日(慶長3年 3月15日)豊臣秀吉が醍醐寺で豪華絢爛な花見を行う。いわゆる醍醐の花見。
     4月30日フランス国王アンリ4世がナントの勅令を出して、プロテスタントの信仰を認め、ユグノー戦争以来の宗教紛争は終結。
     9月18日(慶長3年 8月18日)豊臣秀吉、伏見城にて死去。
    11月13日(慶長3年10月15日)朝鮮半島に在陣する諸将に対し、半島からの撤退命令が発せられる。
    1599年
     6月 5日(慶長4年 4月13日)豊臣秀吉を阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬。麓には木食応其により鎮守社が創建される。
     6月 8日(慶長4年 4月16日)朝廷より豊臣秀吉に豊国大明神の神号が与えられる。
     6月10日(慶長4年 4月18日)鎮守社を元に豊国神社が設立される。
     9月11日ベアトリーチェ・チェンチ斬首される。横暴で暴力的な父親を家族と共に殺害したことで家族ともども罪に問われた。背景にはチェンチ家の財産を狙ったローマ教皇クレメンス8世の暗躍も。
    1600年
     4月29日(慶長5年 3月16日)オランダの極東船団で唯一アジアまでたどり着いたリーフデ号が豊後の臼杵に漂着。
     9月 8日(慶長5年 8月 1日)伏見城の戦いで伏見城が落城。関ヶ原の戦いの前哨戦。
    10月21日(慶長5年 9月15日)関ヶ原の戦い。徳川家康率いる東軍が勝利し、石田三成の西軍は壊滅。
    10月24日(慶長5年 9月18日)石田家の佐和山城落城。開城交渉が進んでいるさなかに東軍兵が城を攻撃し石田一族が自刃した。
    10月27日(慶長5年 9月21日)石田三成が田中吉政の軍勢によって捕縛される。
    11月 6日(慶長5年10月 1日)石田三成、京の六条河原で処刑される。
    1602年
    12月 1日(慶長7年10月18日)岡山藩主、小早川秀秋が21歳で死去。
          (慶長7年11月)失火により再建中の方広寺大仏殿と大仏が焼失。
    1603年
     3月24日イングランド女王エリザベス1世がリッチモンド宮殿で死去。生涯結婚をせず、後継者も定めなかった。
     7月25日スコットランドの王ジェームズ6世が、イングランド王ジェームス1世としても戴冠し、イングランドとスコットランドの同君連合が成立。
     北条氏の元家臣で忍者集団を率いたと言われる盗賊の5代目風魔小太郎が密告によって幕府に捕らえられる。
    1604年
     3月 4日(慶長9年 2月 4日)江戸幕府が、大久保長安を奉行に、東海道・東山道・北陸道に一里塚の設置をはじめる。
    10月 9日超新星SN1604が地球上で初めて観測される。へびつかい座20,000光年以内。通称ケプラーの星。銀河系内で起こったものとしては記録上最後に観測された超新星。
    10月17日この日、超新星SN1604をヨハネス・ケプラーが観測し記録を残す。ケプラーの星と呼ばれる所以。18ヶ月輝き、金星に次いで明るかったとされる。白色矮星に降着した物質による質量増大で引き起こされたIa型超新星爆発とみられる。
    1605年
     9月 6日(慶長10年7月23日)かつて二条昭実と関白の座をめぐって争い、その結果、豊臣秀吉に関白の地位を奪われた近衛信尹が関白に就任する。
    11月 5日イングランドの国王ジェームズ1世を国会もろとも爆殺しようと計画された火薬陰謀事件で、実行直前に主要メンバーのガイ・フォークスが逮捕される。
    1606年
     4月12日イングランド王ジェームス1世がユニオンフラッグを制定する。
    1607年
     2月(慶長12年 2月)公卿で左近衛少将の猪熊教利が宮中の女官と密通したことが後陽成天皇に露見し、勅勘を受けて追放される。しかしまもなく密かに戻って公卿らと乱交に耽るようになる。
    10月26日佐賀藩の主権回復を訴えていた龍造寺高房が江戸で急死。一説には藩を事実上支配した鍋島家への恨みで、妻である直茂の孫娘を殺害して自殺をはかり、その傷が悪化して死亡したとも言われる。
    10月27日彗星が出現し、ヨハネス・ケプラーが観測する。ハレー彗星。
    1609年
     7月~8月(慶長14年 7月)猪熊教利と公卿らが、女官らと乱交を繰り返していたことが、後陽成天皇の耳に達し、天皇は激怒。全員を死刑にせよと命じる。いわゆる「猪熊事件」が発覚し、幕府が調査に乗り出す。
    10月20日(慶長14年 9月23日)朝廷の大スキャンダル「猪熊事件」の関係者の処罰が決まる。中心人物の猪熊教利と宮中歯科医の兼安備後が死刑。公卿8人、女官5人、地下人1人を遠島。
    1610年
     1月 6日(慶長14年12月12日)マードレ・デ・デウス号焼き討ち事件。マカオでのトラブルを受けて、長崎に寄港したデウス号を有馬晴信が家康の許可を得て攻撃し撃沈する。岡本大八事件へ発展し、有馬晴信が改易される。
     1月 7日木星の衛星イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストがガリレオの観測によって発見される。いわゆるガリレオ衛星
    12月 3日(慶長15年10月18日)徳川家康の側近中の側近で、徳川四天王に数えられた猛将、本多忠勝が死去。
    1612年
     5月13日(慶長17年 4月13日)宮本武蔵と佐々木巌流(岩流・小次郎)が舟島(巌流島)で決闘。佐々木巌流が倒される。
     6月 5日(慶長17年 5月 6日)岡本大八事件で領地獲得のために贈賄を行ったとして流罪になっていた有馬晴信が切腹を命ぜられ、キリスト教徒であったため、妻たちの見守る中で家臣に首を切り落とさせて死す。
    1613年
     9月26日(慶長18年 8月12日)盗賊の高坂甚内が密告によって捕らえられ、この日、浅草鳥越で処刑される。処刑の際に、「我は瘧に罹らなければ捕まることはなかった。我の魂魄はこの世に長く残るゆえ、瘧に悩むものは我に祈るがよい。そのものの瘧を治してやろう」と言い残したため、彼を祀る甚内神社が創られたという。
    1614年
     5月24日(慶長19年 4月16日)豊臣秀頼、方広寺大仏殿を再建し、梵鐘が完成する。しかし銘文「国家安康・君臣豊楽」が問題に。
    11月 2日(慶長19年10月 1日)豊臣秀頼の重臣片桐且元が大坂城を退去。徳川方との内通を疑われ、他の重臣たちとの不和が解決しなかったため。これが大坂の陣の直接の理由とされた。
    11月26日(慶長19年10月25日)東北から四国に至るかなり広範囲で地震を観測。池上本門寺五重塔が傾いたほか、銚子や越後高田で津波を観測、京でも多数の負傷者、大坂では寺社の被害が大きく、伊予松山の温泉が一時的に涸れたなどの記録がある。被害が広範囲なことから震源域がはっきりせず、一部の被害を疑問視する説もある。
    12月19日(慶長19年11月19日)大坂木津川口で徳川・豊臣両軍が衝突。大坂冬の陣の始まり。
    12月26日(慶長19年11月26日)鴫野・今福の戦い(大坂冬の陣)。
    12月29日(慶長19年11月29日)博労淵の戦い、野田・福島の戦い(大坂冬の陣)。
    1615年
     1月 2日(慶長19年12月 3日)大坂城南・真田丸を巡る戦いで徳川方に大きな損害が出る(大坂冬の陣・真田丸の戦い)。同時に和睦交渉も始まる。
     1月15日(慶長19年12月16日)この頃より徳川・豊臣両軍の砲撃戦が激しくなる(大坂冬の陣)。
     1月19日(慶長19年12月20日)徳川・豊臣両軍の間で和睦が成立。大坂冬の陣が終結する。
     1月27日(慶長19年12月28日)今川氏真が江戸で死去。
     2月 4日(慶長20年 1月 8日)キリシタン追放でマニラに移った高山右近が客死する。
     4月12日(慶長20年 3月15日)大坂城の浪人処遇問題で豊臣・徳川の間で再び対立が起こる。
     5月 1日(慶長20年 4月 4日)徳川義直の婚儀に出席するという理由で、徳川家康が駿府を出立。
     5月 3日(慶長20年 4月 6日)徳川家康が、諸大名に軍令を発する。
     5月 7日(慶長20年 4月10日)徳川家康が名古屋に到着。徳川秀忠も江戸を出発。
     5月15日(慶長20年 4月18日)徳川家康が京に入る。
     5月18日(慶長20年 4月21日)徳川秀忠が京に入る。翌日、徳川軍の軍議が開かれる。
     5月24日(慶長20年 4月27日)大和郡山城の戦い。豊臣軍が筒井氏の居城を攻撃。大坂夏の陣の始まり。
     5月26日(慶長20年 4月29日)樫井の戦い。豊臣軍の大野治房、塙直之、岡部則綱、淡輪重政らが、徳川方の浅野長晟を攻撃。豊臣方は一揆を起こす予定だったが失敗し、また武将間の連携が取れず大敗。塙直之、淡輪重政らが討ち死にする。
     6月 2日(慶長20年 5月 6日)道明寺・誉田の戦い。大和路を大坂へ向けて進軍する徳川軍に対し、豊臣方の後藤基次が迎撃。連携が出来ないまま、明石全登、薄田兼相、さらに真田信繁らが順次援軍に来るも間に合わず、後藤基次、薄田兼相らが相次いで討ち死にする。同日、河内路を進む徳川本隊に対して、木村重成、長宗我部盛親、増田盛次らが奇襲をかけ一定の戦果を上げるも、衆寡敵せず木村重成らが討ち死に(八尾・若江の戦い)。
     6月 3日(慶長20年 5月 7日)天王寺・岡山の戦い。天王寺口に集結した豊臣方は、野戦築城の上で、真田信繁・毛利勝永・大野治房・大谷吉治・御宿政友・明石全登らが猛攻し、徳川方は総崩れとなる。先鋒大将の本多忠朝が討ち死に、小笠原秀政が重症を負い(後死亡)、徳川旗本衆も壊乱。家康自身も敗走。援軍に出た秀忠の陣も混乱状態に陥るなどの事態になるが、豊臣方の被害も大きく、最終的に兵力差で徳川方が勝利。真田信繁らは討ち死に。毛利勝永は残存部隊を率いて大坂城へ撤退。午後4時ころ大坂城が炎上する。
     6月 4日(慶長20年 5月 8日)豊臣秀頼・淀殿が自刃。介錯を務めた毛利勝永も自刃し、大坂の陣は終結。豊臣姓羽柴宗家は滅亡する。
     7月 6日(慶長20年6月11日)古田織部が豊臣側に内通した嫌疑で切腹。将軍茶頭木村宗喜の豊臣方内通疑惑に巻き込まれる形で。
     8月 7日(慶長20年閏6月13日)徳川秀忠が諸大名に対し一国一城令を発令。国持大名は一国につき一城ずつ、一国に複数の大名の場合、一藩に一城というもの。
     9月 9日(慶長20年 7月17日)江戸幕府が天皇と公家の道徳的規範と、僧侶の地位について定めた禁中並公家諸法度を発布。
    1616年
     6月 1日(元和2年 4月17日)徳川家康、駿府城にて死去。元来は天ぷらの食中毒説が知られていたが、近年は胃がん説が有力。
    1617年
     3月28日(元和3年 2月21日)朝廷は、徳川家康を祀る久能山東照社に対し、正一位を贈り、東照大権現の神号を宣下。
    1618年
     7月24日(元和4年 6月 3日)肥前龍造寺氏に代わって佐賀藩の基礎を築いた鍋島直茂が耳の腫瘍で苦しみながら亡くなる。そのため、主権を回復できずに恨んで死亡した龍造寺高房の呪いと噂され、鍋島化け猫騒動の話が生まれる。
    1620年
     1月23日(元和5年12月19日)直江兼続が死去。上杉景勝の家老で、上杉藩のトップとして差配した戦国武将。
     5月26日(元和6年 4月24日)イングランド出身の船乗りで徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムス(三浦按針)死去
    11月20日メイフラワー誓約が交わされる。アメリカ初期の移民が乗った船、メイフラワー号が、目的地と違う場所に到着したため、乗船していた亡命ピューリタンらが安定した入植のために、公正で平等な法律を整備することをお互いに契約する。
    1624年
     4月 2日(寛永元年 2月15日)山城の狂言師出身の猿若勘三郎が江戸で座を開き興行をはじめる。のちの中村座。江戸歌舞伎の始まり。
     8月26日(寛永元年 7月13日)豊臣秀吉の親族で、安芸広島藩の大名だったこともある福島正則が死去。
    1625年
     (寛永2年11月)上野山に寛永寺が創建される。創建したのは天海。このときは徳川家の菩提寺ではなく祈願寺。
    1626年
     5月 6日オランダ西インド会社がインディアンからマンハッタン島を25ドルで買収し、ニーウアムステルダムと命名(25ドルの話はあくまで伝承)。実際、この頃入植が始まったと見られる。
    11月 3日(寛永3年 9月15日)江戸幕府の第2代将軍徳川秀忠の正室、崇源院(江)が死去。浅井三姉妹の三女。
    1629年
     翌年にかけて、ミラノなどでペストが流行。大勢の死者を出す。
    1630年
    11月15日近代天文学の祖である天文学者であり数学者でもあるヨハネス・ケプラー死去。
    1631年
     6月17日ムムターズ・マハルが亡くなる。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの第1皇妃。皇帝は彼女の死をいたみ、タージ・マハルの建設を開始。
    1633年
     1月26日(寛永9年12月17日)江戸幕府が大目付を設置する。
     4月 6日(寛永10年 2月28日)江戸幕府が鎖国令を発する。
     6月22日検邪聖省の裁判でガリレオ・ガリレイに有罪判決が下り、自説の地動説を撤回する異端誓絶文を読み上げさせられる。
    1634年
    12月26日(寛永11年11月 7日)鍵屋の辻の決闘。日本三大仇討ち一つ。渡辺数馬と荒木又右衛門が、数馬の弟で岡山藩主池田忠雄の小姓、渡辺源太夫の仇である河合又五郎とその護衛を討つ。
    1637年
     2月 3日オランダで庶民まで巻き込んだチューリップバブルが崩壊。
    12月11日(寛永14年10月25日)島原の乱勃発。
    1638年
     2月14日(寛永15年 1月 1日)島原の乱で、板倉重昌が総攻めを強行して敗死する。
     4月11日(寛永15年 2月27日)島原の乱で、松平信綱指揮する12万の兵が総攻撃をかけて、原城は陥落する。乱側はほぼ全滅。
    1643年
     この年、エヴァンジェリスタ・トリチェリが、水銀を満たしたガラス管を使って実験を行い、水銀の高さが約76cmで止まり、その上は真空になることを発見。大気圧によるものであるとの結論に至る(トリチェリの真空)。水銀気圧計の元ともなった。
    1644年
     4月25日(永昌元年 3月19日)李自成が北京を陥落させて崇禎帝が自殺し、明王朝が滅亡。李自成による順王朝が成立。しかしすぐに満洲族の清王朝が南下、順王朝は数カ月で滅亡。
    1646年
     1月19日(正保2年12月 3日)神号東照大権現となっていた徳川家康に対し、朝廷から東照宮の宮号が宣下される。
    1648年
     ロシアの探検家セミョン・デジニョフがロシアとアラスカの間の海域(のちのベーリング海)を探検。
    1650年
     5月13日(慶安3年 4月13日)町奴の頭領、幡随院長兵衛が死去。なお、歌舞伎などの物語では1657年8月27日(明暦3年7月18日)に敵対する水野十郎左衛門の屋敷で殺害されたことになっている。
    1651年
     6月 8日(慶安4年 4月20日)徳川家光死去。
     9月 7日(慶安4年 7月23日)密告により丸橋忠弥が捕縛され、由井正雪の陰謀が露見する。いわゆる慶安の変。
     9月10日(慶安4年 7月26日)由井正雪が駿府の宿で捕り方に囲まれ自決。
     9月14日(慶安4年 7月30日)由井正雪の同志だった金井半兵衛が由井正雪の死を知り大阪で自決。
     9月24日(慶安4年 8月10日)丸橋忠弥が処刑される。
    10月 2日(慶安4年 8月18日)徳川家綱が第4代征夷大将軍となる。
    1652年
    10月15日(慶安5年 9月13日)承応事件。浪人別木庄左衛門らが徳川秀忠夫人崇源院の27回忌を利用して火を放ち老中らを暗殺しようとした事件。
    1653年
      2月10日(承応2年 1月13日)幕府が玉川上水建設を許可。
     このころ、タージ・マハルが完成する。
    1655年
     3月25日オランダの天文学者クリスティアーン・ホイヘンスが自作の望遠鏡で土星の衛星タイタンを発見。
    12月17日(明暦元年11月20日)「最後の戦国大名」宇喜多秀家が八丈島で死去。
    1657年
     2月 7日(明暦2年12月24日)吉原遊郭を日本橋から浅草千束へ移転させる。
     3月 2日(明暦3年 1月18日)明暦の大火「振袖火事」が起こる。死者3万~10万人とも言われ、江戸入府以来の江戸の街は焼失し、新たに拡大された江戸が誕生することになる。
     4月10日(明暦3年 2月27日)水戸藩で『大日本史』の編纂がはじまる
    1657年
     8月27日(明暦3年7月18日)歌舞伎などで、町奴の頭領、幡随院長兵衛が敵対する旗本奴の水野十郎左衛門の屋敷で殺害された日。
    1658年
     この年、明の復興を目指す鄭成功が大軍を率いて北伐に向かう。しかし南京攻略戦に失敗。
    1661年
     この年、鄭成功が再起を図るため、台湾に移動。オランダ東インド会社の勢力を駆逐し、政権を樹立。
    1662年
     5月 4日(寛文2年 3月16日)徳川家光の側近で川越藩主の老中、松平信綱が死去。
     6月23日(永暦16年 5月 8日)鄭成功死去。台湾政権はのちに東寧王朝と呼ばれる。
    1664年
     4月23日(寛文4年3月27日)旗本奴として知られた水野十郎左衛門こと水野成之が行跡怠慢を理由に祖母の出自である蜂須賀家にお預けとなるところ、伊達男を気取った姿で出頭したため、切腹となる。息子百助も処刑され旗本水野家は断絶。町奴との対立を懸念したという事情もあるとみられる。
    1665年
     翌年にかけてロンドンでペストが流行。7万人が死亡したとされる。
    1666年
     1月22日ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン、幽閉先のアーグラ城で死去。タージ・マハルの建造者。
     9月 1日ロンドン大火。市内のパン屋から出火した火災が4日間燃え続け、市街地の85%を焼失する大火となる。死者は5名と人的被害は少なかったが、木造家屋の殆どが焼失した。現在のロンドンの原型はこのあとの都市再開発による。
     3月11日(寛文6年 2月 6日)千姫死去。
    1667年
     7月31日第二次英蘭戦争が終結。ブレダの和約で、北米ニーウネーデルラント(現ニューヨーク州)はイングランド領、南米ギアナはオランダ領となる。ニーウアムステルダム市もヨーク公領となってニューヨーク市と改められる。
    1668年
     4月13日(寛文8年 3月 2日)宇都宮藩奥平家の前藩主奥平忠昌の法要の席で、重臣同士の刃傷事件が起こる。のちの浄瑠璃坂の敵討ち事件の原因となる。
    1669年
     7月コサックのアタマン(指導者)スチェパン・ラージン率いる盗賊団に対し、ペルシアが討伐軍を出すも敗北。
     この年、ドイツの研究者ヨハン・ベッヒャーが、物質の元素を「空気」「水」「石の土」「燃える土」「流動する土」と区分する。
    1670年
     6月24日スチェパン・ラージン率いる盗賊団が、アストラハンを占領し、同地に平等社会の共和国建設を唱え、ロシア・ツァーリ国に対して反乱。
    10月 1日ロシア・ツァーリ軍とスチェパン・ラージン率いる反乱軍が、スヴィリ川で戦う。
    1671年
     5月 6日(寛文11年 3月27日)伊達親族の領地争い(谷地騒動)から生じた伊達騒動の審問が行われた大老酒井忠清邸で、原田宗輔(原田甲斐)による刃傷沙汰が起こり、伊達宗重が斬殺され、応戦した柴田朝意、蜂屋可広も原田とともに酒井家家臣に殺害される。寛文事件とも言う。
     6月16日スチェパン・ラージンがロシア・ツァーリ国によって赤の広場で処刑される。
    1672年
     3月 2日(寛文12年 2月 3日)浄瑠璃坂の仇討。宇都宮藩奥平家の重臣同士の刃傷事件から発生した、赤穂浪士の討ち入りの参考にされたとも言われる集団による敵討ち事件。
     8月20日第三次英蘭戦争のさなか、ネーデルラント共和国の指導者ヨハン・デ・ウィットが兄コルネリスとともに、戦争に苦しむ民衆の怒りを買い殺される。ホラントの君主オラニエ=ナッサウ家が事実上の復位。
    1673年
     2月 4日(寛文12年12月18日)徳川秀忠の子で、松平会津藩の祖である保科正之が死去。
    1678年
     2月27日(延宝6年 1月 7日)初代夕霧太夫が死去。京の花街島原の「扇屋」の太夫となり、のちに大坂新町に移転したことから新町の太夫としても知られた女性。江戸文学・浄瑠璃などの題材となった。
    1682年
     9月15日彗星が出現し、エドモンド・ハレーが、過去の彗星と同じではないかと気づく。次の彗星の出現を予言。
     (天和2年)江戸幕府、勘定吟味役を設置。老中に属し、勘定所を監察、幕府直轄領や代官を監督する役職。
    1683年
     1月25日(天和3年12月28日)天和の大火。この大火で罹災した少女、八百屋お七が、避難先で出会った寺小姓に会いたいがために放火をして処刑されたことから、通称「お七火事」と呼ばれる。死者3500人以上。
     7月13日オスマン帝国の大宰相カラ・ムスタファ・パシャによって第二次ウィーン包囲戦が始まる。直前に脱出した神聖ローマ皇帝が各地の諸侯に救援を要請。
     9月12日オスマン帝国軍に包囲されているウィーン郊外に救援のポーランド国王ヤン3世ソビエスキ率いるポーランド・ドイツ諸領邦連合軍が到着。ロレーヌ公シャルル5世、バイエルン選帝侯マクシミリアン2世、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク3世、バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルム、ヴァルデック侯ゲオルク・フリードリヒらも参戦。夕刻、救援軍は早々にオスマン陣地を攻撃。オスマン軍は大敗を喫し、退却。オスマン帝国の衰退のきっかけとも言われる一方、トルコ行進曲やコーヒーなどのトルコ文化が西洋に広まるきっかけともなった。勝利を祝してクロワッサンやベーグルが作られたとも言われる。
    12月25日オスマン帝国の大宰相カラ・ムスタファ・パシャが、第二次ウィーン包囲戦の敗北の責任を問われ、メフメト4世の勅によって処刑される。強権的だったことで政敵が多かったことも要因の1つ。同時に指導者を失いオスマン帝国は弱体化していく。
    1684年
    10月 7日(貞享元年 8月28日)堀田正俊暗殺事件。江戸幕府大老・堀田正俊が、江戸城内で、従叔父で若年寄の地位にあった稲葉正休に殺害される。
    1686年
     4月30日(貞享3年閏3月 8日)石田三成の嫡子で、家康によって助命された石田重家(宗享)が104歳で亡くなる。年齢は諸説あるが、いずれにせよかなりの長命だったとみられる。
    1688年
     ドイツのザールラント州で炭層火災が発生。鎮火せず、21世紀の現在も内部でくすぶり続けている。ブレンネンダー・ベルク(燃える山)と呼ばれて早くから観光地化した。
    1689年
     9月 6日(康熙28年7月23日)ロシア帝国と清がネルチンスク条約に調印。満洲地方の両国の国境を定めた条約。
    1690年
    10月20日(元禄3年 9月19日)日向国坪谷・山陰一揆が起こる。有馬氏延岡藩の圧政に苦しんだ農民1422名が高鍋藩領に逃散、高鍋藩に保護される。
    11月14日(元禄3年10月14日)徳川光圀が隠居。水戸藩の家督で差し置いてしまった兄の松平頼重(讃岐藩主)の子である綱條に藩主の地位を譲る。
    1691年
     7月18日(元禄4年 6月23日)日向国坪谷・山陰一揆の幕府の裁定が下る。農民7名が首謀者として処刑され7名が遠島処分となり、残りは元の土地へ戻ることとされたが、一方で延岡藩の郡代梶田十郎左衛門と代官大崎久左衛門も追放。
    12月27日(元禄4年11月 8日)延岡藩主有馬清純は糸魚川へ転封処分となり、山陰・坪谷は天領となる。
    1692年
     3月 1日セイラム魔女裁判が始まる。アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラムで、悪魔と契約したという理由で、住民同士が告発しあい、村人19名が処刑され、1名が拷問で死亡し、5名が獄死した事件。
    1694年
     3月 6日(元禄7年 2月11日)高田馬場の決闘。伊予西条藩藩士の菅野六郎左衛門と村上庄左衛門が江戸高田馬場で決闘におよび、剣客中山安兵衛(のちの堀部武庸)が助太刀した事件。
    11月28日(元禄7年10月12日)松尾芭蕉が、大坂の御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で死去。
    1695年
    12月 5日(元禄8年10月29日)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生類憐れみの令によって、現在の中野駅付近に16万坪もの広大な犬飼育施設「中野犬屋敷」が完成する。
     ドイツの医師ゲオルク・エルンスト・シュタールが、ヨハン・ベッヒャーの唱えた元素「燃える土」を元に、物が燃える現象を司る元素を「フロギストン(燃素)」と名付ける。フロギストン説。物質が燃えたり錆びたりするのは、物質とくっついたフロギストンが離れる現象とした。以降、フロギストン説は広まっていく。
    1698年
     9月(元禄11年8月)将軍徳川綱吉の50歳誕生日を祝って、隅田川に永代橋が架けられる。
    1701年
     3月13日(元禄14年2月 4日)東山天皇の勅使饗応が行われることになり、饗応馳走役は播磨赤穂藩主浅野長矩と伊予吉田藩主伊達村豊で、高家肝煎の吉良義央が指導に当たることと決まる。
     4月21日(元禄14年3月14日)東山天皇の勅使饗応が行われる予定にあった江戸城中松の廊下において、突如、赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、高家筆頭吉良上野介義央に対して抜刀の上襲いかかり、吉良上野介は額などに負傷するも品川伊氏と畠山義寧によって助けられ、浅野内匠頭は梶川頼照に取り押さえられ、即日、収監されていた田村建顕の屋敷で切腹。赤穂藩は取り潰しと決まる。
     5月26日(元禄14年4月19日)赤穂城が開城となる。
     9月21日(元禄14年8月19日)幕府は吉良義央に旗本松平信望が本所に持っていた比較して小さな屋敷への屋敷替えを命じる。吉良への贔屓が批判されたためとも、赤穂浪士の討入を黙認したため、とも言われる。
     9月23日(元禄14年8月21日)幕府は吉良義央実弟の東条冬重、吉良よりの高家大友義孝、浅野長矩を室内ではなく庭で切腹させた大目付庄田安利も役職を取り上げる。これも批判をかわすためとみられる。
    1702年
     1月 9日(元禄14年12月12日)吉良義央は高家肝煎職を返上し隠居。吉良義周が跡を継ぐ。
     8月11日(元禄15年7月18日)播磨赤穂浅野家再興の最後の可能性であった内匠頭弟浅野大学長広が広島の浅野本家に預けられることになり、再興の望みが消える。
    1703年
     1月30日(元禄15年12月14日)元禄赤穂事件。赤穂浪士四十七士が吉良邸へ討ち入る。吉良義央は死亡。吉良義周も重症を負う。四十七士に死者は無し。
     3月20日(元禄16年2月 4日)赤穂浪士四十七士のうち、姿を消した足軽寺坂信行以外の46人は預けられた四大名邸で切腹し、その子らも流罪の処分を受ける。一方の吉良家も正式に改易され、吉良義周は信濃諏訪藩高島へ配流となる。
     5月27日サンクトペテルブルク建都の日。ユリウス暦では5月13日。ロシア初代皇帝ピョートル1世によって建設。
    11月19日バスティーユ監獄に収監され、人と会うときは面布を付けることを命ぜられていた「仮面の男」が死亡する。のちアレクサンドル・デュマ・ペールの小説で「鉄仮面」として取り上げられる。位の高い人物と考えられるが正体は諸説ある。
    12月31日(元禄16年11月23日)元禄大地震。房総半島南端を震源とする大震災。小田原城下は壊滅。江戸市中にまで津波が押し寄せる。死者およそ2300人。宝永に改元することになる。
    1704年
     3月24日(元禄17年 2月19日)歌舞伎役者初代市川團十郎が、市村座で『移徙十二段(わたましじゅうにだん)』の佐藤忠信役を演じている最中に、役者の生島半六に舞台上で刺殺される。
     5月 64日(宝永1年 4月 3日)生島半六が獄死。
    1707年
    10月28日(宝永4年10月 4日)宝永大地震。震源域は紀伊半島沖から、四国沖、日向灘にかけて。いわゆる東海地震と南海地震が連続した起こったもので、地震、山崩れ、大津波で、大坂や土佐などで大被害を出す。死者は推定で2万人。
    12月16日(宝永4年11月23日)昼少し前に富士山の噴火が始まる。宝永の大噴火。直前に鳴動と地震が観測されている。江戸などでも空振を観測。江戸でも灰が降り、日没頃その色が黒く変色。マグマ噴火とみられる。宝永大地震がきっかけになったという説もある。
    12月17日(宝永4年11月24日)富士山の噴火は収束の方向へ向かう。この日の夜、比較的広範囲で大きな地震を観測(火山によるものか、宝永地震の余震かは不明)。
    12月25日(宝永4年12月 2日)富士山が再び活発に噴火を始める。
    12月31日(宝永4年12月 8日)夜、富士山で大きな爆発があった後、翌未明の爆発を最後に終息する。
    1708年
    12月 9日(宝永5年10月28日)富士山が再び噴火。『鸚鵡籠中記』などでは江戸でも降灰があったという。約1ヶ月で沈静化。
    1709年
     8月 8日ポルトガルの飛行研究者バルトロメウ・デ・グスマンが、屋内で熱気球を飛ばすことに成功。
    1714年
     2月26日(正徳4年 1月12日)絵島生島事件。江戸城大奥御年寄の江島が、月光院の名代として徳川家宣の墓参のため、奥女中の宮路らと共に寛永寺、増上寺へ参詣し、その帰途、呉服商後藤縫殿助の誘いで木挽町の芝居小屋・山村座に行き、芝居を見物。看板役者の生島新五郎と宴会を開き、大奥の門限に遅れてしまったことが問題となり、多くの処分者を出した事件。
    11月27日(正徳4年10月21日)宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが収容されていた江戸茗荷谷の「切支丹屋敷」で獄死。世話人に対し布教したため。
    1716年
    10月 8日(享保元年 8月23日)8代将軍徳川吉宗が諸国調査のため、御庭番を創設。
    1722年
     4月 5日オランダ海軍提督、ヤーコプ・ロッヘフェーンがイースター島を発見。
     (享保7年)江戸幕府、財源を確保するため、大名に対し1万石につき100石を幕府に上納すれば、参勤交代での江戸滞在期間を半年に短縮する「上米の制」を定める。
    1723年
     (享保7年12月 4日)小石川薬園に小石川養生所が設立される。発案者の町医者、小川笙船が肝煎職に任命され、幕府の7人の医者が就任。
    1724年
     ハンス・エゲデによってグリーンランドの再入植が行われる。ヴァイキングがかつて入植した場所の付近に入植地を作りゴッドホーブと名付ける(現在の自治政府首都ヌーク)。
    1725年
     6月29日(享保10年5月19日)新井白石死去。将軍徳川家宣のもとで正徳の治を行う。
    1728年
     8月16日ヴィトゥス・ベーリングがロシアとアラスカの間の海域を探検。その名が付いてベーリング海と呼ばれるようになる。
    1730年
     5月31日(享保15年4月15日)江戸幕府、上米の制を停止し参勤交代制度を元に戻す。
    12月19日(享保15年11月10日)8代将軍徳川吉宗が、次男宗武をして田安家を起こす。御三家に変わる新たな藩屏を興すことを想定したもの。のちに一橋家、清水家が興され、御三卿と呼ばれる。
    1731年
     この年、ジョン・ベヴィスによって、かに星雲が発見され名付けられる。1054年に出現した超新星の残骸。
    1733年
     7月 7日(享保18年 5月26日)大森代官兼笠岡代官の井戸正明(正朋?)が、備中笠岡の陣屋で死去。享保の大飢饉の際に、独断で年貢の減免や官金の投入を行い、またサツマイモの栽培を奨励して民衆を救った人物。過労死とも独断で行った対策の責任を取って切腹したとも言われる。
     7月 9日(享保18年 5月28日)両国の花火大会がはじめて開催される。
    1736年
     9月16日ポーランド出身の物理学者ガブリエル・ファーレンハイト没。水銀温度計を開発し、温度の単位「華氏」のもととなった人物。
    1748年
     9月 6日(寛延元年 8月14日)大坂竹本座で人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」初演。
    1749年
     1月19日(寛延元年12月 1日)大坂中の芝居で歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」初演。
    1752年
     2月 3日(宝暦元年12月19日)大岡忠相が死去する。
     5月第6代ロシア皇帝エリザヴェータがエカテリーナ宮殿の建設に取り掛かる。設計は宮廷付き建築家バルトロメオ・ラストレッリ。
     9月14日イギリスとその植民地で、グレゴリオ暦が導入される。
    1754年
     3月20日(宝暦4年 2月27日)宝暦治水工事着工。薩摩藩の財政弱体化が目的の公共工事で、幕府の妨害により抗議の自害や、疫病による病死で大勢の犠牲者を出すことになる。
    1755年
     この年までに、スコットランド・エディンバラ大学の研究者ジョゼフ・ブラックが炭酸カルシウムなどの研究から、「燃焼を止めてしまう」固定気体を発見。のちに二酸化炭素と名づけられた。
    1756年
     7月30日ロシア・サンクトペテルブルク郊外プーシキンのツァールスコエ・セローにエカテリーナ宮殿が完成。
    1757年
     3月27日ルイ15世の殺害を図ったとしてロベール=フランソワ・ダミアンが八つ裂きの刑に処される。死刑執行人「ムッシュ・ド・パリ」シャルル=アンリ・サンソンが詳細に記録したことで知られる。
    1758年
     9月12日シャルル・メシエが「かに星雲」を観測し、メシエ・カタログの1番目(M1)に記載。
    12月25日エドモンド・ハレーが予言したのとほぼ同時期に彗星が出現しヨハン・ゲオルク・パリッチュが観測。ハレー彗星と名付けられる。
    1759年
     1月15日ハンス・スローンの膨大なコレクションを収蔵展示するための博物館として大英博物館が開館。
    1763年
     2月10日パリ条約が調印され、ヨーロッパ中を巻き込み、北米やインドでも戦った七年戦争が終結する。
     5月22日(宝暦13年4月10日)豊後国耶馬渓の崖を掘った青の洞門が開通
    1766年
     ヘンリー・キャベンディッシュが、金属と酸が反応した際に出る、軽くて燃える気体を、フロギストンではないかと発表。のちにこの気体が(酸素と反応して)水を生むことがわかり、ラヴォアジエによって水素(hydrogen)と名づけられた。
    1768年
     8月 8日ジェームズ・クックのエンデバー号がプリマスから出航。第一回太平洋探検の航海はじまる。
     9月ゴルカ王プリトゥビ・ナラヤン・シャーが複数の小王国を征服してカトマンズ盆地を統一。シャー王朝を興す。
    1770年
     3月 5日ボストン虐殺事件。当時のマサチューセッツ湾植民地のボストンで、駐留イギリス軍兵士と住民との間でトラブルとなり、住民5人が銃で撃たれて殺害された事件。アメリカ独立戦争のきっかけの一つ。
    1771年
     4月18日(明和8年 3月 4日)杉田玄白、前野良沢、中川淳庵が「腑分け」を見学。オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」の図解の正確さを確認。
     4月24日(明和8年 3月10日)八重山地震が発生し、大津波が宮古・八重山地方を襲う。死者・行方不明者1万2000人。
     6月12日ジェームズ・クックの最初の航海が終わり、エンデバー号は南イングランドのダウンズに帰還。
     この年、スウェーデンの研究者カール・ヴィルヘルム・シェーレが炎を強くする気体を発見する。いわゆる酸素の発見。しかしシェーレはこれをしばらく発表しなかったため、後に別に酸素を発見したプリーストリーに発見者の地位を奪われた。
    1772年
     4月 1日(明和9年 2月29日)明和の大火。真秀という僧侶の放火による。死者は1万5000人、行方不明者は4000人。出火場所から目黒行人坂の火事とも言われる。
    1773年
    12月16日ボストン茶会事件。植民地をめぐるフレンチ・インデアン戦争での莫大な負債に苦しむイギリス政府が、新大陸における東インド会社の茶葉独占販売権を決めたことで、貿易独占と課税権に反発した急進派市民約50人が、ボストン港に停泊していた貿易船を襲い、大量の茶箱を海に放り込んだ出来事。100万ドルもの損害を出し、イギリスは植民地支配を強化。これがアメリカ独立戦争の直接のきっかけとなった。
    1774年
     ジョゼフ・プリーストリーが、水銀灰(酸化第二水銀)を燃焼させて新たな気体を発見する。翌年再実験を行い、これが「火を強くし」「動物を長生きさせる」「良い気体」と結論。当時広く信じられていた物質「フロギストン(燃素)」を吸収する「脱フロギストン空気」と発表する。しかし、プリーストリーはフロギストン説支持者であったため、これがいわゆる酸素だとは気づかなかった。
    1775年
     4月19日レキシントン・コンコードの戦い。イギリス軍と大陸民兵軍が衝突。アメリカ独立戦争に拡大。
    1776年
     1月10日思想家トマス・ペインが、『コモン・センス』というパンフレットを売り出す。アメリカ独立を主張した内容で、民衆の間にも独立機運が高まる。
     6月10日アメリカ独立宣言起草委員会が発足。独立宣言書は、トーマス・ジェファーソンが起草し、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリンが修正を加えて完成する。
     7月 2日バージニア植民地代表のリチャード・ヘンリー・リーが提出していた『独立の決議』が、大陸会議で可決承認。
     7月 4日アメリカ独立宣言書が大陸会議で承認され、13植民地が、イギリスからの独立を宣言。アメリカ独立記念日。
    1777年
     6月14日アメリカの国旗として正式に星条旗が選定される。フラッグデー。
    1779年
     6月18日アメリカ独立戦争に絡んで、アメリカ大陸軍のジョン・サリバンによってサリバン遠征が始まる。イギリス王党派とイロコイ連邦のイギリス側についたインディアン部族討伐を目指したもの。
     8月29日アメリカ独立戦争、ニュータウンの戦い。サリバン率いる大陸軍と、イギリス王党派・イロコイ連邦の連合軍との戦い。
    11月 8日(安永8年10月1日)桜島各所で噴火。火砕流と降灰を伴い、翌9日には溶岩の流出が始まる。10日に溶岩が海岸に到達(安永溶岩)。
     この年、アントワーヌ・ラヴォアジエが、プリーストリーの発見した気体を、金属と結合して酸化させる物質という意味で「oxygène(オキシジェーヌ)」と名付ける。酸素の語源。ラヴォアジエは、プリーストリーと異なり、フロギストン説にこだわらず、空気は2つの気体から構成されていると考えた。
    1780年
     8月 6日(安永9年7月6日)桜島北東海上で海底噴火。
    1781年
     3月13日ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見。当初は彗星と考えていたが、アンデル・レクセルが軌道計算をして惑星と判明。
     4月11日(安永10年3月18日)桜島北東海上で海底噴火。津波が発生。安永の一連の噴火の死者は153人。
    1783年
     6月 5日モンゴルフィエ兄弟による無人熱気球の公開飛行実験に成功。
     6月 8日アイスランドの活火山ラキ山が大噴火を起こす。ヨーロッパ各地へ大量の火山性ガスの流出と降灰があり、その後、数年にわたって気象異変が起こる。
     8月 3日(天明3年 7月 6日)浅間山が大噴火を起こす。溶岩、火砕流、土石流が麓へ広がり、吾妻川をせき止め、決壊後の洪水によって流された人の遺体は江戸川にまで流れ着く。
     9月 3日パリ条約でアメリカ独立宣言書がイギリスに承認され、アメリカ合衆国が正式に独立。
     9月19日モンゴルフィエ兄弟、フランス国王ルイ16世とマリー・アントワネットの前で動物を乗せた気球飛行実験に成功。
    11月21日モンゴルフィエ兄弟、世界初の熱気球有人飛行の実験を行なう。当初は死刑囚を乗せるはずだったが、研究者ピラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランド侯爵の二人が名乗りを上げ、25分の飛行に成功。
    1784年
     2月 7日噴火していたアイスランドのラキ山がほぼ終息。
     4月12日(天明4年 2月23日)筑前志賀島で「漢委奴國王」の金印が発見される。
    1785年
     6月15日世界最初の気球飛行者ピラトール・ド・ロジェが自ら考案した気球で、ドーバー海峡横断に挑戦中、爆発事故で墜落死し、同乗していたジュール・ローマンとともに人類最初の航空事故死者になる。
     この頃から、ラヴォアジエは、フロギストン説を否定する理論を主張。妻マリー・アンヌとともに批判を展開し、支持者を増やしてフロギストン説は衰退していく。化学が大きく進むきっかけを作った。
    1786年
     8月 8日医者のジャック・バルマとポーターのミッシェル・ガブリエル・バッカールが、近代登山の祖オラス=ベネディクト・ド・ソシュールの支援を受け、初めてモンブラン登頂に成功。
    1788年
     1月26日イギリスから囚人や貧困者ら1030人が、アーサー=フィリップ海軍大佐に率いられ、オーストラリアのポート・ジャクソン湾に到着し、初めて上陸する。
     4月 9日(天明8年 3月 4日)第11代将軍徳川家斉が、老中松平定信を将軍輔佐に任命。寛政の改革がはじまる。
     7月27日(天明8年 6月24日)幕府の側用人・老中として権力をふるった田沼意次が病死。松平定信の政権下では非常に冷遇された。
     8月 3日ベルサイユ広場で車裂きの刑に処せられる予定だった死刑囚ジャン=ルイ・ルシャールが、無実を訴えたことに群衆が同情し、処刑台を破壊して助け出す。これ以降、苦痛の大きい刑罰は行われなくなり、即死するギロチンの開発へとつながっていく。
    1789年
     2月 4日ジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に選出される。
     2月26日サラブレッドの始祖エクリプス死す
     7月14日バスティーユ監獄襲撃。第三身分の一般市民が政府に反発して蜂起。フランス革命。
    10月10日フランスの医師で議員のギヨタンが立憲議会に、当時複数の手段があった死刑方法を斬首に統一することと、苦痛の少ない機械的な斬首法の導入を提案。この提案を元に処刑執行人シャルル=アンリ・サンソン、外科医アントワーヌ・ルイ、楽器製造者トビアス・シュミットが開発したのがギロチン。なおギヨタン自身がギロチンで処刑されたというのは間違い。
    1791年
     3月フランスでメートル法が導入される。地球の大きさをもとに長さの単位を決めたもので、重さの単位(g)もこれに合わせる。
     6月22日フランス国王一家が、国外の支援者と合流するため、一家で宮殿を脱出、国境へ向かうも発見され捕らえられる。ヴァレンヌ事件。
    1792年
     4月25日ギロチンが初めて死刑に使用される。死刑に処されたのはニコラ・ジャック・ペルティエという人物。
     5月17日ニューヨーク証券取引所の前組織「ぼたんの木協定」(Buttonwood Agreement)が設立される。
     5月21日(寛政4年 4月 1日)島原大変肥後迷惑。雲仙普賢岳のそばにある火山眉山が崩壊。島原城下が壊滅。土砂が有明海に入り、発生した大津波で、対岸の肥後や天草も甚大な被害をうける。
     8月10日フランス革命で、ジャコバン派がテュイルリー宮殿を襲撃して国王一家を拘束。
     8月16日(寛政4年6月29日)甲府、江戸などで大きな地震があり、富士山では落石により20数人が死亡する。
     9月 2日フランス革命で、ジャコバン派が反革命派に対する九月虐殺事件を引き起こす。
     9月21日フランス革命で、王政が廃止される。
     9月22日フランス革命で、革命歴起点日。革命歴1年ヴァンデミエール(葡萄月)1日となる。
    1793年
     1月21日フランス革命で、ジャコバン派が主導して、国王を処刑。
     7月17日フランス革命で「暗殺の天使」シャルロット・コルデーが処刑される。ジャコバン派の中心人物ジャン=ポール・マラーを暗殺したため。
    10月16日フランス革命で、マリー・アントワネットらが処刑される。
    11月24日フランス革命で、革命歴が採用される。前年9月22日を起点とし、時間の単位を十進法に改めたもの(1週は10日、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒)。
    1794年
     7月27日フランスで、テルミドールのクーデターが起こり、恐怖政治を敷いていたジャコバン派の主要幹部ロベスピエールらが逮捕される。
     7月28日フランスで、ロベスピエールら22人が処刑される。
    1795年
     6月 8日マリー・アントワネットの息子ルイが、幽閉されていたタンプル塔の日の射さない部屋で病死しているのが発見される。10歳。
     6月26日(寛政7年 5月19日)火付盗賊改方長官を8年務めた長谷川宣以が死去
    10月 5日フランスのテルミドール派総裁政府が、法改正をして選挙に有利になる工作を行い、反発した王党派や民衆がヴァンデミエールの反乱を起こす。ナポレオンが砲兵隊で鎮圧に出る。
    10月24日ブランデンブルク=プロイセン王国・ハプスブルク帝国・ロシア帝国による第三次ポーランド分割で、ポーランド・リトアニア共和国は消滅。
     カメハメハ1世がハワイ王に即位しカメハメハ王朝ハワイ国が成立。
    1796年
     4月11日(嘉慶元年 3月 4日)清朝に対する大規模な民衆の反乱、白蓮教徒の乱が起こる。
     5月15日エドワード・ジェンナーが、ウシの牛痘の膿を用いた天然痘を予防する種痘を行なう。
     6月 9日(寛政8年 5月 4日)油屋騒動事件。日本三大遊郭、伊勢古市の油屋で刃傷事件が起こる。
    1797年
    10月22日フランスの気球研究者アンドレ=ジャック・ガルヌランが自作の熱気球から自作の布製の落下傘で飛び降り、無事着陸。それまでとは違い骨組みのない現代のパラシュートの起源となる。
     ロバート・フルトンが手動式潜水艦ノーチラス号を設計。
    1798年
     1月17日(寛政9年 1月17日)昌平坂学問所設立。幕府の朱子学以外の学問を規制する寛政異学の禁により、林大学頭家の私塾だった湯島聖堂を改称。幕府の機関とする。
    1799年
     7月15日ナポレオン・ボナパルトによるエジプト・シリア遠征の際、戦役の途上フランス軍人ピエール=フランソワ・ブシャールによってエジプトの港湾都市ロゼッタでロゼッタ・ストーンが発見される。
    11月 9日ブリュメールのクーデター。ナポレオンがシエイエスの要請でポール・バラスの総裁政府を打倒し、権力を握る。フランス革命の終結。
    1800年
    10月27日(寛政12年 9月10日)日本美術史上類例のない独特の画風を描いた絵師、伊藤若冲が死去。
    1801年
     1月 1日パレルモ天文台長ジュゼッペ・ピアッツィによってケレス(セレス)が発見される。最初に発見された小惑星で、小惑星帯では極端に大きな天体。2006年、IAU総会により、冥王星、エリスとともに準惑星に指定される。
     5月14日北アフリカのオスマン帝国自治州トリポリのパシャ(知事領主)ユサフ・カラマンリが在トリポリアメリカ合衆国領事館の星条旗を旗竿から切り落とす。
     6月14日オスマン帝国自治州トリポリとアメリカ合衆国の間で開戦する。第一次バーバリ戦争。
     ロゼッタ・ストーンがイギリスに奪われる。
    1802年
     ロゼッタ・ストーンが大英博物館に収められる。
    1803年
     8月 9日ロバート・フルトンが、フランスのセーヌ川で、小型蒸気船の試験航行をする。
    10月31日アメリカの派遣艦隊に所属する軍艦フィラデルフィアが座礁。乗員307人がトリポリ側の捕虜となる。アメリカ軍は小型船でフィラデルフィアに接近し爆破。第一次バーバリ戦争。
    1804年
     2月21日リチャード・トレビシックが、製鉄所の製品輸送のために試作した蒸気機関車ペナダレン号の試運転が行われる。9マイル(約14.5km)を、5両編成で鉄10tと70人の乗客を乗せて、時速5マイル(約8km)で走行。世界最初の蒸気機関車と言われる。
     8月 3日アメリカ海軍が、トリポリ市街を艦砲射撃。第一次バーバリ戦争。
     8月11日神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世が、オーストリア皇帝を称する。
     9月 4日アメリカ海軍が、トリポリ港に潜入してトリポリ側軍艦の爆破を狙うが、事前に発見され失敗。第一次バーバリ戦争。
    11月14日(文化元年10月13日)華岡青洲が全身麻酔による乳癌の摘出手術を成功させる。
    12月 2日ナポレオン・ボナパルト、フランス皇帝に即位。ノートルダム大聖堂で自ら戴冠式を行う。
    1805年
     4月 2日童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの生誕日。4月2日は「国際こどもの本の日」。
     4月27日ダーネの戦い。アメリカ海兵隊と傭兵部隊が、トリポリ側の都市ダーネを攻略。第一次バーバリ戦争。
    10月21日トラファルガーの海戦。フランス艦隊とイギリス艦隊がトラファルガル岬沖で艦隊戦を行う。フランス艦隊が大敗。しかしイギリス艦隊のネルソン提督も戦死。
    12月 5日アウステルリッツの戦いで、神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世とロシア帝国皇帝アレクサンドル1世が、フランス帝国のナポレオンに大敗を喫する。三帝会戦とも。
    12月26日プレスブルクの和約。フランスとオーストリアが講和。
    1806年
     8月 6日神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世が、アウステルリッツの戦いに敗れフランスに降服したことで、皇帝位を降り、神聖ローマ帝国の解体を宣言する。
    11月21日ナポレオンが、イングランドを経済封鎖しようと大陸封鎖令の発令。
    1807年
     6月10日第一次バーバリ戦争終結。アメリカとトリポリが講和。
     8月17日ロバート・フルトンが、ニューヨークからオールバニまで、ハドソン川で実用蒸気船の試験航行を行い、高い評価を得る。
     9月 4日ロバート・フルトンが、ハドソン川で蒸気船の運行営業を始める。
     9月20日(文化4年 8月19日)富岡八幡宮祭礼の参拝客の重みで、隅田川にかかる永代橋の東側が崩落する。死者行方不明者1400人。
    1808年
    10月 4日(文化5年 8月15日)フェートン号事件。ナポレオン戦争の余波で、イギリスの軍艦が、フランスの属国となっていたオランダの植民地や港湾を襲い、その一環で、フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎に入港し、出迎えたオランダ商館の職員や長崎奉行所の通詞らを捕縛し、さらに食料などを要求、応じなければ攻撃すると脅す。
    10月 6日(文化5年 8月17日)フェートン号が長崎奉行やオランダ商館の提供で食料を確保し、人質を解放して港外に去る。責任をとって長崎奉行松平康英や鍋島藩家老らが切腹する。
    1809年
     この頃、熱帯地方のいずれかで大規模な火山の噴火があったと考えられる。翌年以降異常気象が起こる。
    1810年
     ハワイ王国のカメハメハ1世が、ハワイ諸島を統一。
    1811年
     7月30日メキシコの独立を訴えた司祭ミゲル・イダルゴが処刑される。
    12月 7日ロンドンのラドクリフ街道にある洋品店で一家と店員の4人が惨殺される事件が起きる。
    12月19日ロンドンのラドクリフ街道の酒場で再び3人が惨殺される同様の事件が発生。
    12月23日ロンドンのラドクリフ街道連続惨殺事件で船員のジョン・ウィリアムズが逮捕される。本人は容疑を否認。
    12月27日ロンドンのラドクリフ街道連続惨殺事件で逮捕されたジョン・ウィリアムズが拘置所内で自殺(他殺説もあり)。犯人と断定され、遺体を衆人に晒される。しかしウィリアムズの単独犯行説には疑問も多く、治安と捜査の不備が論議される契機となった。のちのロンドン警視庁発足のきっかけとも言える事件のひとつ。
     (文化7年)この年、江戸の花火師「鍵屋」の番頭清七が暖簾分けして「玉屋」を興す。
    1812年
     6月23日ナポレオン率いるフランス帝国の大陸軍と同盟軍77万人以上がモスクワ侵攻を開始。
     9月14日ナポレオン軍、モスクワに入城するが、脱落兵が多数出ており、モスクワ自体もロシア軍が放棄して空城になっていて、得るものは殆ど無かった。
    10月19日ナポレオン軍、モスクワ退却を開始。
    1814年
     4月11日1814年フランス戦役で大敗したナポレオンが退位。
     5月 4日ナポレオンがエルバ島領主として追放され、ルイ18世が即位して王政復古する。
    11月 1日ネパール王国とイギリスの間でグルカ戦争が勃発。
    1815年
     2月26日ナポレオンがエルバ島を脱出。
     3月20日ナポレオンが、兵を率いてパリに入城。皇帝に復位。
     4月10日インドネシア中南部のスンバワ島にあるタンボラ山が大爆発を起こし、上部1000m程が消失し、膨大な量の噴出物が周辺1000kmに降り注ぐ。翌年にかけて異常気象が起こるという(異常気象は1810年ころからという説も)。
     6月 9日ウィーン会議で体制維持に各国が合意し、ウィーン体制がはじまる。
     6月16日リニーの戦い。フランス軍とプロイセン軍が衝突。プロイセン軍が大きな被害を出す。
     6月18日ワーテルローの戦い。ナポレオン率いるフランス軍と、ウェリントン公率いるイギリス・オランダ軍およびブリュッヒャー率いるプロイセン軍が戦う。フランス軍の敗北。
     6月22日ナポレオンが退位し、百日天下が終わる。
    1816年
     3月 4日グルカ戦争が終わり、スゴウリ条約が締結されてネパールは領土の多くを失う。
    1817年
     4月12日フランスの天文学者シャルル・メシエが死去。メシエ天体カタログを作った人物。
     5月 8日ボタンの木協定、New York Stock & Exchange Board に改称。現在のニューヨーク証券取引所スタート。
    1818年
     1月 1日メアリー・シェリー作のゴシック・ホラー『フランケンシュタイン』出版。
    1819年
     8月16日ピータールーの虐殺。イギリスの都市マンチェスターで不況と失業に不満を持つ6万人の民衆が集会を開くが、政府が武力弾圧を行う。11人が死亡し600人以上が負傷。集会がセント・ピーター教会前の広場で行われたことから、ワーテルロー(ウォータールー)の戦いになぞらえて、ピータールーの虐殺と呼ばれた。
     2月22日スペインとアメリカ合衆国はアダムズ=オニス条約で合意し、フロリダをアメリカ合衆国領とする替わりに、アメリカ合衆国はテキサスからカリフォルニアにかけての領有権主張を取り下げる。
    1820年
     1月アメリカの黒人解放・祖国再建運動の一環としてリベリア建国運動が行われる。
     4月 8日エーゲ海のメロス島の農夫ヨルゴスが『ミロのヴィーナス』像を発見。
     5月12日ナイチンゲールの生誕日
    1821年
     3月25日アレクサンドロス・イプシランディス率いる、オスマン帝国のギリシャ独立運動組織フィリキ・エテリアが武装蜂起。各国や住民の協力が得られず反乱は失敗し、のちにイプシランディスは逮捕されるが、影響を受けたギリシャ各地で反乱が続発し、ギリシャ独立へとつながる。3月25日はギリシャ独立記念日。
     6月24日カラボボの戦い。シモン・ボリバル率いる独立革命軍とスペイン軍が衝突し、革命軍が勝利して、南米諸国のスペインからの独立につながっていく戦い。
     8月 7日(文政4年 7月10日)伊能忠敬らが測量し高橋景保らが製作した大日本沿海輿地全図が完成。
    1822年
     ジャン=フランソワ・シャンポリオンがロゼッタストーンのヒエログリフ解読に成功する。
     アメリカの解放奴隷らによって、西アフリカに最初のリベリア移住区が建設される。
    1823年
     5月16日(文政6年 4月 6日)大田蜀山人死去。三大狂歌作者の一人。
     6月 1日(文政6年 4月22日)千代田の刃傷事件が起こる。イジメが原因で起こった旗本同士による殺傷事件。
    1825年
     4月 6日(文政8年 2月18日)異国船打払令が出される。
     9月 8日(文政8年 7月26日)四代目鶴屋南北作の歌舞伎演目、「東海道四谷怪談」が江戸・中村座で初演。
    10月 9日ノルウェイからアメリカへ最初に組織的に移住した人々の乗った船がニューヨークに到着。ヨーロッパ人で最初に北米へ到達したバイキングのレイフ・エリクソンの日として記念している。
    12月26日(ロシア歴12月14日)サンクトペテルブルクでデカブリストの乱が起こる。政治改革を訴えた青年貴族らの秘密結社が、皇帝代替わりの混乱に乗じて起こした反乱。即位したばかりのニコライ1世によって、翌日鎮圧される。
    1826年
     7月 4日アメリカ独立宣言書の作成に携わったトーマス・ジェファーソンとジョン・アダムスが、ともに独立50周年記念のこの日に亡くなる。
    1827年
     4月30日(文政10年 4月 5日)淡路出身の廻船問屋で、蝦夷交易で財を成し、ゴローニン事件で拿捕され、ロシア外交を仲介した高田屋嘉兵衛が亡くなる。
    1828年
     1月13日(文政10年11月27日)のちの東大赤門が建立される。加賀前田氏の第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に、藩邸に作った御守殿門。
     9月18日(文政11年 8月10日)シーボルト事件。長崎出島のオランダ商館づきの医師だったシーボルトが、幕府禁制品の日本地図などを持ち出そうとしたことが発覚し、学者らが取締を受けた事件。
    1829年
     9月29日イギリスの首都警察スコットランドヤードが発足。初代庁舎が置かれた場所、ホワイトホールにあったスコットランドヤード広場から、スコットランドヤードと呼ばれる。
    1830年
     9月15日イギリスで世界初の鉄道・リバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開通。当日、参列した政治家が轢かれて死亡する世界最初の鉄道事故も起こる。
    1831年
    12月27日チャールズ・ダーウィンを乗せたビーグル号がポーツマスを出港。ビーグル号としては2回めの航海となる。
    1832年
     9月13日(天保3年 8月19日)大名屋敷・武家屋敷専門の盗賊、鼠小僧次郎吉が、市中引き回しの上、獄門にかけられる。次郎吉は派手に着飾って刑場へ連れていかれた。
    1833年
     アフリカ西岸の解放奴隷による移住区がリベリアを中心に連邦になる。
    1834年
     4月 9日(天保5年 3月 1日)水野忠邦が老中に就任。天保の改革がはじまる。
    1835年
     9月15日チャールズ・ダーウィンがガラパゴス諸島チャタム島に到着する。
    10月 2日メキシコ合衆国のコアウイラ・イ・テハス州(現アメリカ合衆国テキサス州)ゴンザレスでメキシコ政府が入植地に配備されていた大砲を回収しようとしたことに住民が反発し、軍と戦闘となる。ゴンザレスの戦い。戦闘は小規模だったがテキサス革命の最初の戦闘となる。
    1836年
     2月23日テキサス反乱軍とメキシコとのアラモの砦の戦いがはじまる。
     2月25日サミュエル・コルトがリボルバー式拳銃の特許を取得。
     3月 2日テキサスの住民が独立宣言。
     3月 6日アラモの砦が陥落する。英雄デイヴィッド(デイヴィー)・クロケットも処刑される。
     4月21日サンジャシントの戦い。テキサス軍がメキシコ軍を奇襲し勝利。メキシコ軍を率いていたメキシコ大統領サンタ・アナは捕らえられる。
     5月14日テキサス共和国政府と捕虜となっていたメキシコ大統領サンタ・アナの間でベラスコ条約が締結されテキサス共和国は独立。ただしサンタ・アナ個人との間のこととして、メキシコ政府は認めず。
    1837年
     3月25日(天保8年2月19日)大坂で大塩平八郎の乱が起こる。天保の大飢饉の影響と幕府の腐敗による米価高騰を受けて決起した事件。天満一帯を焼失する被害を出し、幕府軍に鎮圧される。
     5月 1日(天保8年3月27日)大坂船場の商家美吉屋五郎兵衛宅に潜伏していた大塩平八郎の所在が通報され、養子の格之助と共に火薬で火を放ち自決。
     7月30日(天保8年6月28日)モリソン号事件。中国にいた独立宣教師カール・ギュツラフが、日本に関心を示し、各地で保護された日本人漂流民7人(音吉・岩吉・久吉・庄造・寿三郎・熊太郎・力松)を日本に送り届けることで日本入国を企図。日本との通商を考えていたアメリカ商人チャールズ・W・キングの協力を得て、アメリカ船モリソン号で浦賀に接近するが、沿岸より砲撃を受け退去した。その後モリソン号は薩摩山川に寄港し、薩摩藩家老島津久風と交渉するも、漂流民はオランダ船に乗せ換えて帰国させるという当時の対応策により交渉は成らず、モリソン号はマカオに帰港した。この事件が後に蛮社の獄に発展する。
    1838年
     1月 6日モールス、ヴェイル、ガレが電信の実験に成功。
    12月 1日(天保9年10月15日)尚歯会(学者らの会)の集まりの席上で、幕府のモリソン号に対する方策案が示される。実際には幕府の評議で却下された「漂流民は受け取らず、船は打ち払う」という内容のみだったため会員らの反発を買う。
    1839年
     6月24日(天保10年 5月14日)鳥居耀蔵が、渡辺崋山らに出頭を命じ、蛮社の獄が起こる。尚歯会メンバーによるモリソン号についての幕政批判や無人島渡航計画を問題にして行われた蘭学の弾圧とされているが、異説もある。
     7月 2日アミスタッド号事件。スペインの奴隷船アミスタッド号で、輸送途中だったアフリカ人奴隷53名が反乱を起こす。しかし船員が彼らを騙して進路をアメリカへ向ける。
     8月26日補給のためにアメリカ東海岸に停泊したことから、アミスタッド号の反乱が明らかになる。アフリカ人は拘束される。
    1840年
     1月17日メキシコの北東に位置するコアウイラ、ヌエボレオン、タマウリパスの各州がメキシコから独立を宣言。リオグランデ共和国とし、ラレドに首都を置いて、ヘスス・デ・カルデナスが大統領に就任する。
     2月 6日イギリスがニュージーランドのマオリ族とワイタンギ条約を締結し、同地の土地収奪をはじめる。
     3月24日メキシコ軍とリオグランデ軍がモレロスで戦闘し、リオグランデ軍が敗北。アントニオ・サパタ大佐らリオグランデ共和国軍の指揮官らが処刑される。アントニオ・カナレス・ロシリョ司令官はテキサス共和国へ敗走。同地で兵を募る。
    11月 6日メキシコ政府とリオグランデ軍の司令官アントニオ・カナレス・ロシリョが妥協し、カナレスがメキシコ側に降伏して、リオグランデ共和国は消滅。
     ハワイ王国に憲法が制定され、立憲君主制に移行する。
    1841年
     3月 9日アミスタッド号事件を起こしたアフリカ人が、奴隷貿易は非合法であること、アフリカで拉致されたことを理由に、解放されることが最高裁で確定。
    1842年
     アミスタッド号事件を起こしたアフリカ人が、支援者の資金でアフリカへ帰郷する。
    1843年
     5月16日(天保14年4月17日)江戸の二大花火師である玉屋から失火。周囲の半町を焼失する。玉屋は闕所(財産没収)、主人の市兵衛は江戸お構い(江戸追放)となり、一代で家名断絶となる。
    1844年
     8月13日(弘化1年6月30日)江戸伝馬町牢屋敷で火災が起き、蛮社の獄で永牢処分を受けて入獄していた高野長英が脱獄。その後、戻らず逃亡を続ける(火災による出獄は期日までに戻れば罪一等を減じられるが戻らなければ死罪となる)。なおこの火災も長英が放火させたという説がある。
    1845年
     2月28日米国議会が、米国がテキサス共和国を併合する法案を可決。
     4月18日(弘化2年3月12日)アメリカの捕鯨船マンハッタン号が、小笠原諸島で救助した日本人漂流船員22人を乗せて浦賀に到着。4日間滞在した後出港。
    12月29日アメリカ合衆国が、テキサス共和国を併合。テキサス州が成立する。米墨戦争のきっかけとなる。テキサス政府が抱えていた借金の肩代わりに、現在のコロラド州、カンザス州、オクラホマ州、ニューメキシコ州、ワイオミング州にまたがる広大な地域がアメリカ政府へ割譲される。
    1846年
     4月25日米墨戦争が始まる。
     6月15日イギリスとアメリカの間で、英領カナダとアメリカの国境問題を解決するオレゴン条約を締結。ただし大陸とバンクーバー島の間の諸島は曖昧のままに。
     8月10日イギリス人の鉱物学研究者だったジェームズ・スミソンが、「知識の向上と普及」にとアメリカ政府に寄付した遺産で、スミソニアン博物館が設立される。
     9月23日ベルリン天文台のヨハン・ガレが、ユルバン・ルヴェリエらの計算結果に基づいて観測し、海王星を発見。
     ネパール王国の宰相ジャング・バハドゥールのクーデターにより、シャー王家は傀儡と化し、以後はラナ家が支配。
     インド北方のカシミール地方をめぐるチベット仏教系ラダック王国とイスラム教系カシミール諸侯との争いにイギリスが介入し、ジャンムー・カシミール藩王国が成立する。
    1847年
     3月京都に公家の教育機関が設立される。平安時代の大学寮を模したもので、のちの学習院大学の原点。
     5月 8日(弘化4年3月24日)善光寺地震。松代藩、松本藩、飯山藩の領地で死者8600人以上。家屋全壊21000軒、焼失家屋3400軒に上る。善光寺如来の開帳の時で参拝客でごった返している夜に起こったことから、被害が大きかった。善光寺ほか各寺社で堂楼の倒壊や破損が相次ぎ、善光寺門前の宿場町も家屋多数が全壊・焼失した。また犀川など複数の河川で河道閉塞が発生。後に決壊して洪水を引き起こしている。柳久保川の柳久保池は現在も残る河道閉塞のあと。
     7月26日アメリカ合衆国の解放奴隷によって建国したアフリカ西岸の国リベリアが憲法を制定しアメリカから独立。
    1848年
     2月 2日アメリカとメキシコでグアダルーペ・イダルゴ条約締結。米墨戦争が終結し、アメリカは1500万ドルと債務帳消しを条件に、カリフォルニア、ネバダ、ユタと、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドを併合し、さきに併合したテキサスの権利をメキシコに認めさせる。
     2月21日『共産党宣言』が出版される。社会主義秘密結社の正義者同盟から国際的運動のために依頼されて、マルクスが体系的にまとめた宣言文。
     6月27日(嘉永1年 5月27日)日本に強い関心を持っていたカナダ人ラナルド・マクドナルドが焼尻島に上陸。
    1849年
     4月18日(嘉永2年 3月26日)米国軍艦プレブル号長崎に来航。幕府へ漂流民の受け取りを求め、日本に滞在していたラナルド・マクドナルドを乗せて出港する。
     4月26日(嘉永2年 4月 4日)米国軍艦プレブル号が、日本に滞在していたラナルド・マクドナルドを乗せて出港する。
    1850年
     3月19日ヘンリー・ウェルズ、ウィリアム・ファーゴ、ジョン・バターフィールドの3人が、荷馬車宅配業としてアメリカン・エキスプレスを設立。現在はクレジットカードやトラベラーズ・チェックが主な業務。
     8月28日ワーグナーのオペラ『ローエングリン』がヴァイマル宮廷劇場で初演。
    12月 3日(嘉永3年10月30日)高野長英が、潜伏先の江戸青山百人町で捕り方に襲撃され殺害される。
    1851年
     1月11日洪秀全の組織した拝上帝会が、拠点の広西省桂平県金田村で太平天国を称して挙兵する。
     2月 3日(嘉永4年 1月 3日)漂流後に米国の捕鯨船に拾われ、アメリカで暮らしていたジョン万次郎が帰国。
    11月20日のちのイタリア王妃で、ピザ・マルゲリータの名前のもととなった、マルゲリータ・マリーア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァが生誕する。
    1852年
     3月18日アメリカンエキスプレスを創設したヘンリー・ウェルズとウィリアム・ファーゴが、金融会社ウェルズ・ファーゴを設立。
    11月24日ペリーが、蒸気船ミシシッピ号に乗ってノーフォーク港を出港。極東へ向かう。
    11月27日数学者で世界最初のプログラマと呼ばれることもある女性エイダ・ラブレスが死去。
    1853年
     5月23日(嘉永6年 4月16日)ペリー率いるアメリカ艦隊が、琉球王国に来航。開国を求めたあと、小笠原へ向かう。
     6月23日(嘉永6年 5月17日)小笠原を探検していたペリー率いるアメリカ艦隊が、再度琉球に来航。
     7月 2日(嘉永6年 5月26日)ペリー率いるアメリカ艦隊が、日本に向けて琉球を出港。
     7月 8日(嘉永6年 6月 3日)黒船来航。ペリー率いるアメリカの蒸気船ミシシッピ号、蒸気船サスケハナ号、帆船プリマス号、サラトガ号の4隻が浦賀に現われる。幕府はオランダからの情報で来航を知り、庶民にも通知していたため、大きな混乱は起こらず。
     7月17日(嘉永6年 6月12日)幕府に親書を渡したペリー一行が、日本を離れる。
     7月27日(嘉永6年 6月22日)12代将軍徳川家慶が死去。61歳。
     8月 5日(嘉永6年 7月 1日)ペリー来航を受けて、老中阿部正弘が大名・幕臣・庶民らに広く意見を求める。
    1854年
     3月28日オスマン帝国の権益をめぐって、イギリスとフランスが、ロシア帝国に宣戦布告。クリミア戦争が始まる。
    12月23日(嘉永7年11月 4日)安政東海地震。マグニチュード8.4。激しい揺れと大津波により、東海道一帯で甚大な被害を出す。駿府の萩原四郎兵衛の記録によれば、地震のあと、富士山から煙と火が見えたという。小規模の噴火か、地震による大規模な土砂崩れが発生した可能性もある。
    12月24日(嘉永7年11月 5日)安政南海地震。マグニチュード8.4。安政東海地震のわずか32時間後に起こる。大坂湾岸や土佐などで甚大な被害を出す。
    12月26日(嘉永7年11月 7日)豊予海峡地震。マグニチュード7.4。安政南海地震のわずか40時間後に起こる。豊後や伊予で大きな被害が出たと思われるが、南海地震との記録上の区別ができないため、詳細は不明。
    1855年
    11月11日(安政2年10月 2日)安政江戸地震。江戸直下を震源とするマグニチュード6.9の大地震で、江戸を中心に死者4000人~7000人を出したと言われる。
    1856年
    10月 8日清の官憲がアロー号を臨検し、海賊容疑で乗員3人を逮捕。フランスとイギリスが反発。
    1857年
     1月13日(安政3年12月18日)徳川家定と島津篤子が婚儀をあげる。
     8月(安政4年)土佐藩士山本琢磨が酔った勢いで拾った金時計を売り払ったことが問題になり、親戚である坂本龍馬、武市半平太の助けで逃亡。のち箱館で沢辺家の養子となり沢辺琢磨と改名。
     9月17日帝政ロシアに、コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーが誕生。のちに帝政ロシアおよびソビエト連邦の科学者、ロケット研究者となった人物。現代ロケット工学の草分け的存在。
    12月29日アロー号事件をめぐってフランスとイギリスが侵攻。広州を占領する。アロー戦争。アメリカ、ロシアも乗り出す。
    1858年
     1月15日(安政4年12月 1日)南部藩の大島高任が、日本で初めて高炉による連続した製鉄に成功する。鉄の記念日。
     6月 4日(安政5年 4月23日)彦根藩主井伊直弼、大老に就任。
     6月13日アロー戦争をめぐって、清とロシアが天津条約を締結。
     6月18日清とアメリカが天津条約を締結。
     6月26日清とイギリスが天津条約を締結。
     6月27日清とフランスが天津条約を締結。
     7月29日(安政5年 6月19日)日米修好通商条約が締結される。
     8月 3日アフリカ最大で、世界第3位の湖であるヴィクトリア湖がイギリスの探険家ジョン・ハニング・スピークによって「発見」される。白ナイル川の源流と判明。
     8月17日(安政5年 7月10日)日蘭修好通商条約が締結される。
     8月19日(安政5年 7月11日)日露修好通商条約が締結される。
     8月26日(安政5年 7月18日)日英修好通商条約が締結される。
    10月 9日(安政5年 9月 3日)日仏修好通商条約が締結される。
    10月27日アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの誕生日「テディベアズ・デー」。
     ニュージーランドのマオリ族が、イギリスの土地収奪に反発し、対抗するため、ワイカト族の首長ポタタウ・テ・フェロフェロをマオリ王に選出。
    1859年
     6月15日アメリカと英領カナダの間で、ブタ戦争(サンフアン諸島国境紛争)が起こる。帰属が曖昧だったサンフアン島で一頭のブタが射殺されたことがきっかけで起こった国境紛争。軍隊同士がにらみ合うも、人間の犠牲者はなし。
     6月17日フランスとイギリスの艦隊が、天津条約の批准を求めて天津まで北上。清側と軍事衝突に発展。
     7月 1日(安政6年 6月 2日)安政五ヶ国条約により神奈川が開港する。実際には神奈川ではなく横浜となったため、各国から抗議を受けるが、これが現在の横浜港の始まり。
     9月 1日大規模な太陽フレアが発生。翌日にかけて大量の電磁波、放射線、放出物質が地球に到達、地球の磁気圏、電離層に衝突し、比較的低緯度地方でも激しいオーロラが観測され、昼間のように明るくなったという。デリンジャー現象や磁気嵐も観測され、送電線や電信装置の故障も相次いだ。イギリスの天文学者リチャード・キャリントンの観測で知られることから、キャリントンのスーパーフレアとも呼ばれる。
     9月17日ジョシュア・エイブラハム・ノートンが「アメリカ皇帝」への就任を宣言。
     9月19日(安政6年 8月23日)イギリスの貿易商トーマス・ブレーク・グラバーが長崎・大浦に、「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店としてグラバー商会を設立。
    10月 7日北京を占領したフランス軍が、離宮円明園へに入り略奪の限りを尽くす。
    10月18日北京を占領したイギリス軍が、捕虜殺害の報復として離宮円明園に放火。廃墟と化す。
    11月21日(安政6年10月27日)吉田松陰が、安政の大獄で、死刑に処せられる。
    11月24日ダーウィンがイギリスで『種の起源』を出版。
    1860年
     2月 9日(安政7年 1月18日)ポーハタン号と咸臨丸によって万延元年遣米使節団が出発。
     3月24日(安政7年 3月 3日)大老井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸藩浪士らに襲われ殺害される。桜田門外の変。
    10月24日清朝とイギリスが北京条約を締結。
    10月25日清朝とフランスが北京条約を締結。
    11月 9日(万延元年 9月27日)万延元年遣米使節団が地球を一周して帰国。
    11月14日清朝とロシアが北京条約を締結。
    11月27日(万延元年10月15日)江戸周辺での禁猟を破り、マイケル・モースが狩猟を行ったため幕府の役人とトラブルになり捕縛される。役人ひとりが負傷。モースは釈放後、領事裁判でオールコック公使により追放処分となる。
    1861年
     3月14日ロシアの軍艦が対馬に現れる。その後、水兵が上陸し略奪を働く。
     3月17日イタリア王国が成立。首都をトリノに置く。
     7月 5日第一次東禅寺事件(文久元年 5月28日)。オールコック英公使が長崎から江戸まで陸上を移動したことに反発した攘夷派志士がイギリス公使館の東禅寺を襲撃。
    1862年
     3月11日(文久2年 2月11日)皇女和宮と徳川家茂の婚儀が執り行われる。
     6月 8日豊臣時代に処刑された日本二十六聖人が、ローマ教皇ピウス9世によって列聖される。
     8月18日ダコタ・スー族の反乱が起こる。不毛な居留地へ追い込まれ、さらに条約による補償すら支払わなかったアメリカ政府に対し、スー族の戦士らがミネソタ州で起こした。インディアン管理局の事務所を襲撃。鎮圧に出動した州民兵は敗走。
     8月21日ダコタ・スー族が、リッジリー砦を攻撃。
     9月 2日バーチクーリーの戦い。ダコタ・スー族とミネソタ州民兵隊が戦い、州民兵隊が大敗。この後、リンカーン大統領は、ダコタ・スー族の武力鎮圧を命じる。
     9月14日(文久2年 8月21日)生麦事件。江戸から京へ戻る途中の島津久光の行列に入り込んだ騎馬の英国人4人に藩士が斬りかかり、1人が死亡、2人が重症を負う。
     9月22日南北戦争のさなかに、リンカーン米大統領が「奴隷解放宣言」。但し、敵対する南軍の奴隷解放を宣言したもので、味方である北軍の奴隷については除外。
     9月23日ウッドレイクの戦い。シブレー大佐率いる民兵軍とダコタ・スー族の戦士らが衝突。マンケイトー酋長らが戦士し、民兵軍が勝利する。その後、ダコタ・スー族の大半が降伏。
    12月ダコタ・スー族に対する裁判で307人が死刑判決。ミネソタ州の有力者ヘンリー・ウィップル主教の請願によりリンカーン大統領は264名の死刑を減刑し39名の処刑に署名。スー族の穏健派で反乱に反対した族長らも処刑されたと言われる。
    12月26日ミネソタ州マンカトのスネリング砦でダコタ族死刑囚39人中38人(1人は執行猶予)の同時絞首刑が執行される。同時の処刑数ではアメリカ史上最大。この後、ダコタ・スー族は収容所や不毛地帯で多くが死亡し絶滅寸前にまで追い込まれた。
    1863年
     4月22日(文久元年 3月13日)壬生浪士組が会津藩預かりとなり、新選組誕生へ。
     7月 1日アメリカ南北戦争でゲティスバーグの戦いがはじまる。
     7月 5日(文久3年 5月20日)京都御所朔平門外で、姉小路公知が暗殺される。薩摩藩士田中新兵衛が犯人として疑われる。朔平門外の変、猿ヶ辻の変。
     7月11日(文久3年 5月26日)姉小路公知暗殺の犯人として京都町奉行の取り調べを受けていた薩摩藩士田中新兵衛が隙を見て自殺。動機ははっきりせず。
    10月25日(文久3年 9月13日)新選組副長で、芹沢一派と見られていた新見錦が切腹に追い込まれる。乱暴狼藉とも、職務怠慢とも、薩長や水戸藩との尊皇攘夷運動が原因とも言われる。なお、日付や切腹場所は諸説あり。
    10月30日(文久3年 9月18日)新選組の局長芹沢鴨と副長助勤の平山五郎が、壬生の八木邸で土方歳三、沖田総司らに襲撃されて殺害される。芹沢の愛人のお梅も殺害。同邸宅にいた芹沢家の家臣筋に当たる平間重助は難を逃れ逃亡。芹沢らの横暴行為の数々が朝廷や諸藩で問題になったのが直接の理由。
    1864年
     5月 2日(元治元年 3月27日)幕府へ攘夷の横浜鎖港を実施させることを目的として、水戸藩の藤田小四郎、田丸稲之衛門ら62名が筑波山で挙兵。天狗党の乱が起こる。
     7月 8日(元治元年 6月 5日)池田屋事件。新選組が京三条木屋町の池田屋にいた攘夷志士を襲撃。長州、土佐、肥後の志士らが9人が殺害され、町人を含む20数人が捕縛される。新選組や、会津・桑名・彦根藩士らにも犠牲者が出る。
     8月20日(元治元年 7月19日)禁門の変。八月十八日の政変で謹慎となった毛利藩主親子の処分撤回を朝廷に求めるため、三家老や、久坂玄瑞、来島又兵衛らが軍を率いて上京。武力で御所に突入するも、幕府軍と薩摩軍の連合軍に敗れる。京都市街地は戦火で焼失。
    1865年
     4月14日リンカーン大統領が、フォード劇場で観劇中に、南部連合を支持する俳優のジョン・ウィルクス・ブースに暗殺される。
     4月27日ミシシッピ川の貨客船サルタナ号が爆発火災を起こし、1450人が死亡。数百人が行方不明となる。
     6月 9日イングランドのケント州ステープルハーストで、高架橋工事のために線路を外していたところへ列車が進入し脱線、一部車両が転覆して川に落ち、10人が死亡、40人余が負傷する。作家チャールズ・ディケンズが乗車していて遭遇したことでも知られる(ディケンズは無事)。
     7月 3日(慶応元年閏5月11日)土佐勤王党の盟主、武市半平太(瑞山)が切腹。
    12月24日ネイサン・ベッドフォード・フォレストらによって、黒人迫害組織KKK(クー・クラックス・クラン)が設立される。
     この年、ジュール・ヴェルヌのSF小説の古典『月世界旅行』が発刊。アメリカ南北戦争直後を舞台に、元砲術士官らが集まり、地面に埋めた超巨大な大砲で砲弾型宇宙船を打ち上げ、月へ人を送ろうとする物語で、風刺小説という側面もあると言われている。後に書かれたウェルズの『宇宙戦争』とともに、様々な小説や映画に影響を与え、のちのロケット研究者らの多くにも影響を与えた作品。
    1866年
     3月 7日(慶応2年 1月21日)京の薩摩藩家老小松帯刀邸で坂本龍馬仲介の元、薩長同盟が成立。
     3月 9日(慶応2年 1月23日)寺田屋事件。坂本龍馬と三吉慎蔵が伏見寺田屋で幕吏に襲撃され、危うく難を逃れる。
     7月18日(慶応2年 6月 7日)第二次長州征伐始まる。薩摩藩は反対して参加せず。
    1867年
     4月 1日(慶応3年 2月27日)パリ万国博覧会開幕。幕府と薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ独自に出展する。特に薩摩藩は、「日本薩摩琉球国太守政府」と名乗り、外交用に現地で独自に勲章(薩摩琉球国勲章)を制作。
     5月17日(慶応3年 4月14日)高杉晋作、肺結核で死去
    10月18日ロシアがクリミア戦争の戦費調達のため、アラスカをアメリカに720万ドルで売却する。
    12月10日(慶応3年11月15日)近江屋事件。坂本龍馬・中岡慎太郎らが暗殺される。
    12月13日(慶応3年11月18日)油小路事件。新選組と、新選組から離脱して結成された御陵衛士(高台寺党)との間で起こった闘争。伊東甲子太郎、藤堂平助らが殺害される。
    1868年
     1月 3日(慶応3年12月 9日)王政復古の大号令。武力で御所を封鎖した薩摩藩、土佐藩、尾張藩、越前藩、安芸藩の5藩と岩倉具視らによって江戸幕府や摂政・関白職が廃止される。
     2月13日(慶応4年1月20日)尾張藩で青松葉事件が起こる。藩の実権を握る元藩主徳川慶勝によって、藩内佐幕派「ふいご党」の主要メンバー渡辺在綱ら14名を斬首し、同派の家臣が多数が処分された事件。
     3月 8日(慶応4年 2月15日)堺事件が起こる。堺で警備にあたっていた土佐藩士が上陸したフランス水兵を船に戻そうとしてトラブルになり、銃撃して11人を殺害。
     3月16日(慶応4年 2月23日)堺事件で、土佐藩士20人がフランス人立ち会いのもと堺の妙国寺で切腹することになるが、腸を引き出して投げつけるなど凄惨な状況と、藩士らが英雄扱いされることを恐れたフランス側が11人の切腹で中止し、9人を助命する。
     3月29日(慶応4年 3月 6日)甲州勝沼の戦い。甲陽鎮撫隊ら幕府側勢力と、新政府軍の戦い。新政府軍の勝利に終わる。
     4月 4日(慶応4年 3月12日)公家学校が新政府によって再開され、大学寮代となる。
     4月13日(慶応4年 3月21日)天皇が大坂に行幸。
     4月24日(慶応4年 4月 2日)沢辺琢磨がキリスト教に受洗。
     5月 3日(慶応4年 4月11日)江戸城無血開城。
     5月17日(慶応4年 4月25日)元新撰組局長近藤勇、新政府軍の手で処刑される
     6月22日(慶応4年 5月 3日)奥羽越列藩同盟が成立。会津・庄内両藩への寛大な処置を朝廷に求める運動から発展した新政府軍に対抗する同盟。
     7月 4日(慶応4年 5月15日)上野山に籠った彰義隊と新政府軍が衝突。上野戦争。
     7月13日(慶応4年 5月24日)徳川家が駿府70万石に移される。
     7月19日(慶応4年 5月30日)病気療養のため新選組から離れていた沖田総司が江戸で病死。
     8月 7日(慶応4年 6月19日)首都をどこに置くかで、木戸孝允と大木喬任が江戸を調査。
     8月18日ピエール・ジャンサンが日食の観測で新たな物質の輝線を発見する。後にノーマン・ロッキャーとエドワード・フランクランドによってヘリウムと名付けられる。
     8月24日(慶応4年 7月 7日)新政府部内で江戸を首都にすることが決まる。
     9月 3日(慶応4年 7月17日)東京奠都。明治天皇が詔勅「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を発し、東京で政務に当たることを宣言して、江戸から改称した東京が事実上の首都となる。
    10月 6日(慶応4年 8月21日)会津戦争で、新政府軍の薩摩・土佐・長州・佐土原の諸藩の部隊が、母成峠の戦いで、会津や新選組ら旧幕府勢を打ち破る。
    10月 8日(慶応4年 8月23日)会津戦争で、新政府軍が若松城下に突入。白虎隊のうち士中二番隊に属する20人が飯盛山で自決を図り、飯沼貞吉を除く全員が死亡する。
    10月23日(慶応4年 9月 8日)明治に改元。一世一元の詔が出される。
    10月31日(明治1年 9月16日)国学・神道の皇学所と、漢学・儒学の漢学所の設立が決定し、、大学寮代が廃止される。
    11月27日ワシタ川の虐殺。アメリカ陸軍のカスター連隊が、シャイアン族バンドの野営を襲撃し、女子どもも含めて虐殺する。
    1869年
     1月27日(明治1年12月15日)戊辰戦争のさなか、旧幕府軍の関係者によって、いわゆる「蝦夷共和国」が発足。入れ札により榎本武揚が総裁となる。
     3月11日フランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の四川省宝興県でジャイアントパンダの毛皮を目撃。西洋人にその存在を知られるきっかけとなる。
     6月20日(明治2年 5月11日)土方歳三が箱館戦争で一本木関門の防戦中に馬上で銃弾に当たり戦死。
    1870年
     5月 1日世界最初の近代高層ビルと言われるエクイタブル生命保険ビルがニューヨーク市に完成。高さ40m。
     7月19日フランスとプロイセンおよびドイツ諸邦が開戦。普仏戦争。
     9月 4日皇帝ナポレオン3世がプロイセンとの戦いに敗れて、フランス国内で政変が起こり、フランス第二帝政が崩壊。フランスの君主制の終焉となる。第三共和政政府は引き続きプロイセンとの戦争を継続。
    10月13日(明治3年 9月19日)明治政府から平民苗字許可令が出される。
    10月18日(明治3年 9月24日)明治政府が府県物産表を交付。近代日本最初の国家統計データ。
    11月 2日(明治3年10月 9日)岩崎弥太郎が土佐開成社(九十九商会)を引き受ける。後の三菱商会。
    1871年
     1月28日プロイセン軍がパリを占領。
     5月10日フランクフルト講和条約が締結。フランスがプロイセンに降伏する。
     6月27日(明治4年 5月10日)新貨条例公布。四進法の江戸時代の貨幣「両・分・朱」をあらためて、現代の通貨単位「円・銭・厘」とし、十進法に切り替えた法律。
    10月 8日シカゴ大火。死者250人以上、焼失建造物17400棟以上。高層建築が増えるきっかけとなった。
    10月11日ハインリッヒ・シュリーマンがトロイアの発掘に着手。
    1872年
     1月13日(明治4年12月4日)創作物などで人斬りと称される幕末の尊皇攘夷志士、河上彦斎が処刑される。
     3月 1日世界最初の国立公園「イエローストーン国立公園」設置。
     4月 5日(明治5年 2月28日)明治政府が、兵部省を廃止して、陸軍省と海軍省を設置。
     4月16日(明治5年 3月 9日)近衛条例制定。「近衛」兵の設立へ。
    10月 1日ベルギーに「国際寝台車会社」が設立される。のちオリエント急行を運行した会社。
    10月14日(明治5年 9月12日)日本で始めての、新橋駅-横浜駅の鉄道開業。
    10月21日サンフアン諸島国境紛争に、ドイツ皇帝が仲介し、アメリカ側の主張に基づいて、イギリスとアメリカの両国が合意。国境が確定する。
    10月22日国際寝台車会社が、ベルギーのオーステンデとドイツのベルリンの間で特急の運行をはじめる。
    12月 4日メアリー・セレスト号事件。同船が無人で漂流しているのが発見される。
    12月15日(明治5年11月15日)太陽暦への変更に合わせて、太政官布告第342号により、神武天皇即位紀元(いわゆる「皇紀」)が制定される。紀元前660年を基準とした暦。
    1873年(明治6年)
     1月 1日(明治5年12月 3日)明治政府が、太陰暦(天保暦)を辞め、太陽暦を採用。明治5年12月3日を同6年1月1日と改める改暦を実施。
     1月 8日ハワイ王国の第5代国王カメハメハ5世が死去したため、憲法により王国初の選挙が行われ、カライママフ系のウィリアム・チャールズ・ルナリロが即位する。
     2月 7日太政官布告で敵討ちが禁止される。
     7月28日税制の統一のため、地租改正法と地租改正条例を公布。年貢・田租に代わる地価の3%の地租を定める。トラブルが相次ぎ、地租改正一揆が各地で起こる。
    10月15日征韓論の是非を巡る対立で、西郷隆盛が下野をちらつかせて三条実美を脅し、朝鮮への使節派遣を決定させる。しかし責任を感じた三条実美はまもなく病気で倒れる。
    10月23日明治六年政変。三条実美の代わりに岩倉具視や大久保利通らが主導権を握り、朝鮮への使節派遣は延期。西郷隆盛、板垣退助、江藤新平らが下野する。
    1874年(明治7年)
     1月14日喰違の変。赤坂にある仮皇居を退出した岩倉具視が、赤坂喰違坂で高知県士族武市熊吉、武市喜久馬、山崎則雄、島崎直方、下村義明、岩田正彦、中山泰道、中西茂樹、沢田悦弥太の9人に襲われ負傷。
     1月17日武市熊吉ら9人が逮捕される。
     2月 1日佐賀の乱。前参議江藤新平らを擁立した征韓党らが佐賀で官金預かり業者小野組の店舗を襲う。政府、これを反乱とみなす。
     2月 3日ハワイ王国の第6代国王ルナリロが肺結核で病死する。
     2月 4日政府、熊本鎮台司令官谷干城に佐賀鎮圧を命令。谷は反対したが派兵を決める。
     2月 5日三条実美、佐賀出身で初代秋田県権令(知事)の島義勇に佐賀鎮撫の説得を依頼。島は受諾して佐賀へ向かうも、新任の岩村高俊県令と同船した際の岩村の態度に反発し、江藤らの軍に加わることを決意。憂国党代表に擁立される。
     2月 9日内務卿大久保利通、佐賀に対して、東京鎮台、大阪鎮台を動員して征討軍を派遣。
     2月12日ハワイ王国の第7代国王デイヴィッド・カラカウアが即位する。
     2月15日佐賀県令岩村高俊と江藤新平らの交渉が成立せず、江藤らは佐賀城の佐賀鎮台を攻撃。鎮台軍は大きな被害を出して敗走。
     2月20日大久保利通、政府軍を率いて博多に到着。
     2月22日政府軍本隊が朝日山で、佐賀軍と衝突。
     2月23日寒津川・田手川で、政府軍と佐賀軍が戦い、佐賀軍が敗走。情勢打開のため、江藤新平は味方にも内密に離脱し鹿児島の西郷隆盛の元へ支援要請に向かう。
     2月27日政府軍が佐賀軍に対し総攻撃を行う。佐賀軍は大敗を喫する。乱は事実上終結。
     2月27日江藤新平、鹿児島で西郷隆盛に支援を要請するも同意を得られず、高知県へ向かう。
     2月27日島義勇、鹿児島で逮捕される。
     3月29日江藤新平、高知県で逮捕される。
     4月13日大久保利通、助命嘆願を黙殺し江藤新平、島義勇を処刑。
     5月 6日日本による台湾出兵。
     7月 9日喰違の変の首謀者らに死刑判決が下る。
    10月 9日万国郵便連合が設立される。
    10月11日新橋駅構内で、ポイント通過中の機関車と貨車が脱線転覆、客車が脱線する事故が起こる。日本で最初の鉄道事故とみられる。死傷者はなし。
    1875年(明治8年)
     1月 8日外国郵便の業務が日本に移管され、横浜郵便局(現・横浜港郵便局)で開業式が行われる。
     2月13日平民苗字必称義務令により、国民は公的に名字を持つことになる(江戸時代は武士以外は公的に使えなかっただけで、名字がなかったわけではない)。
     4月 4日花見のため水戸家を訪れた明治天皇に木村屋のあんパンが提供される。天皇・皇后ともこれを非常に気に入り、宮中御用達となる。
     5月20日パリでメートル条約制定。フランス革命時に定められたメートル法をもとに度量衡の国際基準を制定。またこの基準となるメートル原器とキログラム原器を正確で安定的なものに置き換えることも話し合われた。
     6月 1日気象記念日。東京気象台が気象観測を始める。
    1876年(明治9年)
     3月17日アメリカ陸軍と先住民とのパウダー川の戦い。
     5月 9日上野山の寛永寺の境内跡に上野公園開園
     6月17日アメリカ陸軍と先住民とのローズバッドの戦い。
     6月25日リトルビッグホーンの戦い(グリージーグラス川の戦い)。アメリカ陸軍のカスター第7騎兵連隊長がスー族やシャイアン族を掃滅しようとして奇襲をかけるが逆襲されて全滅する。
     7月20日明治天皇が灯台巡視船「明治丸」に乗って、東北地方巡幸を終え横浜港に帰着。海の日の起源(1941年に村田省蔵逓信大臣の提唱により制定)。
    10月24日熊本で神風連(敬神党)の乱が勃発。敬神党を結成した太田黒伴雄らが熊本鎮台司令官種田政明、参謀長高島茂徳、熊本県令安岡良亮らを邸宅に襲撃し殺害、さらに熊本城内の熊本鎮台を襲って兵士らを殺害して営所を制圧する。
    10月25日児玉源太郎が指揮して神風連に対し反撃。指導者層の加屋霽堅・斉藤求三郎が戦死、太田黒伴雄が負傷して自刃したため神風連は瓦解。多数が自殺するなど死者124名を出す。政府側も兵士ら60名が死亡。
    10月27日秋月の乱。福岡県秋月で、神風連の乱の発生を知った秋月士族らが今村百八郎(宮崎増賀)を擁立して挙兵。今村の実兄の宮崎車之助(重遠)や磯淳らも加わることに。今村は警察官穂波半太郎を殺害し、兵を率いて豊津に向かう。
    10月28日萩の乱。山口県の萩で元参議前原一誠ら殉国軍が武装蜂起。県庁襲撃は断念し東上を計画。
    10月29日武装決起した秋月党の勢力が同時挙兵を約した旧豊津藩士族の杉尾十郎らのもとへ来るが杉尾らは挙兵せず。決起の交渉中に、豊津側の通報を受けた小倉鎮台の乃木希典率いる歩兵第14連隊が襲撃。秋月党は応戦するも敗走。
    10月29日思案橋の変。萩の乱の発生を知った旧会津藩士族永岡久茂ら14人が千葉県で蜂起するために思案橋から出港しようとして、通報で駆けつけた警察官と斬り合いとなった事件。
    10月31日秋月党は解散し、宮崎車之助、磯淳、土岐清、戸原安浦、戸波半九郎、磯平八、宮崎哲之助ら幹部7人は自刃。今村百八郎ら27人は抗戦のため秋月へ戻り、翌11月1日、秋月の政府軍を襲撃するも戦局は好転せず散開。
    10月31日萩の殉国軍は悪天候で東上を断念し、萩に戻るが、すでに到着していた広島鎮台などの政府軍と交戦。前原は幹部5人で天皇直訴を計画し、殉国軍を小倉信一らに任せて別行動を取る。
    11月 5日前原一誠ら宇竜港で通報され逮捕される。
    11月 6日萩の殉国軍も鎮圧され、萩の乱は終結。
    11月24日今村百八郎が逮捕され秋月の乱は終結。
    12月 3日福岡裁判所にて、秋月の乱で逮捕された今村百八郎と、佐賀士族に挙兵の協力を求めていた益田静方が死刑判決となり即日執行。
    12月 3日山口裁判所・萩臨時裁判所にて、萩の乱の幹部らに対する死刑判決が言い渡され即日執行。
    12月23日オスマン帝国が成文憲法を発布し、議会を招集。立憲君主制となる。
    1877年(明治10年)
     1月地租改正反対の一揆を受けて、地租を100分の3から100分の2.5に減額。
     2月15日西郷軍が鹿児島を出発。西南戦争が始まる。
     2月19日日本が万国郵便連合に加盟。
     2月25日野村文夫が神田雉子町(現・東京千代田区神田司町)に『團團社』を設立。
     3月 4日チャイコフスキーのクラシックバレエの代表作品『白鳥の湖』が初演される。
     3月24日野村文夫が『團團珍聞』(マルマルチンブン)を創刊。日本における週刊誌の原点。
     4月16日札幌農学校教頭のクラーク博士が、Boys, be ambitious の言葉を残して辞任。
     5月 6日アメリカ先住民族ラコタ・スー族の一支族、オグララ族の戦士クレイジー・ホースがアメリカ政府に降伏する。
     9月 5日クレイジー・ホースが白人らによって刺殺される。
     9月24日城山の戦い。西郷隆盛らが自刃し、西南戦争が終結。
    10月 1日東海道線の住吉駅と西ノ宮駅の間で上り旅客列車と下り回送列車が衝突。乗員3名が死亡。日本最初の鉄道死亡事故とみられる。回送列車は西ノ宮駅で旅客列車と行き違う予定だったが、間に臨時列車が入ったため、臨時列車の後に出発してしまい旅客列車と正面衝突してしまった。
    10月17日華族学校が開校。廃止された皇学所と漢学所(大学寮代を受け継いだもので、その後の大学校代)の再興という形で、幕末以来の京にあった公家の教育機関を受け継いだもの。
     この年、内国勧業博覧会で美術館が作られる。
    1878年(明治11年)
     2月14日オスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世が制定間もない憲法を停止し、専制体制を復活する。
     3月25日家庭用の配電が始まり、また東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校で開かれ、その大ホールに50個のアーク灯が点灯される。
     5月14日紀尾井坂の変が起こる。内務卿大久保利通が、麹町区紀尾井町清水坂付近を馬車で走行中に石川県士族島田一郎ら6人によって殺害される。
    11月 2日東京府に15区が設置される。
    12月 5日軍令を担当した陸軍参謀本部が陸軍省から独立する。海軍軍令機関も兼任。
    12月イングランドの研究者ジョゼフ・ウィルスン・スワンが、40時間ほど持続する白熱電球を完成。
    1879年(明治12年)
     1月 4日梟首刑が廃止される。罪人を斬首にしたあと、その首を晒す刑罰。
     1月11日南部アフリカでイギリス軍が在地の独立国ズールー王国へ攻撃を開始。ズールー戦争が始まる。
     1月22日ズールー軍が、イサンドルワナの戦いで、イギリス軍を撃破する。
     1月31日高橋お伝が斬首刑に処される。愛人の男の借金返済のため、金を借りようとした相手の古物商の男とトラブルとなり殺害した罪で。日本最後の斬首刑。
     3月11日明治政府が琉球藩を廃して沖縄県を設置するため、琉球藩王・尚泰王に東京居住を命じる。
     3月27日琉球処分官松田道之が首里城で廃藩置県を宣言。
     3月29日カンブラの戦いでズールー軍が大敗。
     4月 4日琉球藩が廃止され、沖縄県が設置される。
     4月 5日チリが、資源をめぐって対立するペルーとボリビアの同盟破棄を求め、両国に宣戦布告。「太平洋戦争」が勃発する。
     6月 1日ズールー戦争で、イギリス軍に加わっていたナポレオン3世の息子ナポレオン・ウジェーヌ皇太子が戦死する。
     6月 4日東京招魂社を靖國神社に改称する。
     7月 4日イギリス軍が、ズールーの首都ウルンディを攻め落とし、ズールー戦争が終結。同国は13の部族領に分割される。のち、トランスヴァールとナタールに分割合併され、イギリス植民となる。
    10月 8日アンガモスの海戦。ペルーとチリの艦船同士が砲撃戦を行い、チリがペルー唯一の装甲艦を拿捕。
    10月21日エジソンが竹の繊維を使ったフィラメントを用いた白熱電球を発表する。
    1880年(明治13年)
     1月 1日フランスのレセップスらが、パナマ運河の建設に取り掛かる。後に失敗に終わる。
     2月28日貿易金融・為替取引の横浜正金銀行が営業を開始する。
     4月 5日集会条例が制定される。
     8月14日1248年から建設が始まり、たびたび中断したドイツのケルン大聖堂が完成。
    10月25日現在の国歌のもととなった『君が代』が初演奏される。奥好義が旋律をつくり、林廣守が作曲し、フランツ・エッケルトが編曲したもの。
    11月 3日高評価を受けた『君が代』が天長節にあわせて発表される。当初は国歌としてではなく祝日の賀歌としての要素が強かった。
    11月 6日シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴランがマラリア患者の血液中から、マラリア原虫を発見。
    1881年(明治14年)
     1月チリとペルー・ボリビアによる「太平洋戦争」で、チリ軍がペルー首都リマへ侵攻。ペルー政府はアンデス山中へ避難して抵抗するも劣勢に追い込まれる。
     3月ハワイ王カラカウアが日本を訪れる。外国元首で初の訪日。日本との関係強化のため、カイウラニ王女と山階宮定麿親王との婚姻を要請する(のち謝絶される)。
     6月30日地租改正のための検地が終わり、地租改正事務局を閉鎖。地租改正は終了。
     8月 1日華族らが資金を出した日本最初の私鉄、日本鉄道の設立が決定する。
    10月11日明治十四年の政変。開拓使官有物払下げ事件をきっかけに、これを批判した大隈重信らが失脚。
    11月11日日本最初の私鉄、日本鉄道の設立特許条約書が下付されて設立される。
     上野山に博物館が建設される。
     この年から1884年にかけて、ロシアや東ヨーロッパ各地で、ユダヤ人に対する虐殺事件「ポグロム」が頻発。難民がオーストリアなどに流入する。
    1882年(明治15年)
     3月24日ロベルト・コッホが結核菌の発見を学会で報告する。
     4月 6日岐阜事件。板垣退助が岐阜で演説後に暴漢に襲われ重症を負う。「板垣死すとも自由は死せず」の事件。
    10月 5日アメリカでロバート・ゴダード生誕。ツィオルコフスキーと並ぶ、ロケット研究者の草分け的人物。
    1883年(明治16年)
     5月20日スンダ海峡のクラカタウ火山のひとつラカタ島のラカタ山で噴火が始まる。
     7月28日ラカタ島が大噴火し、島の3分の2が吹き飛ぶ。火砕流は40km離れたスマトラ島ランプン湾に到達。大津波も発生し、死者は36417人に及ぶ。津波は日本にも到達しているほか、フランスでも潮位の変化が観測された。
     7月28日日本最初の私鉄、日本鉄道の上野~熊谷間が開業。華族らによる出資で建設されたが、予算不足の政府の代わりに鉄道敷設を進めたため、政府のバックアップが大きかった会社。計画上は東北、上越、中山道、北部九州で建設する予定だった。
    10月 4日ベルギーの「国際寝台車会社」がパリからコンスタンティノープル(現イスタンブル)へ向かう国際豪華列車オリエント急行の運行を開始。
    10月20日アンコン条約の締結。ペルー・ボリビアとチリの「太平洋戦争」が終結する。
    11月28日明治時代の迎賓館で、社交クラブだった鹿鳴館が開館。
    1884年(明治17年)
     1月 4日イギリスでフェビアン協会が設立。暴力革命ではなく、議会政治などを経て漸進的に社会主義を進めていく組織。
     4月 4日チリとボリビアがバルパライソ条約を締結し講和。ボリビアは唯一の沿岸領土をチリに譲渡することになり、内陸国になる。
     6月 1日東京気象台がはじめて天気予報を発表。6時、14時、21時の1日3回。
     7月 7日華族令制定。公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5爵を定める。
    11月15日列強によるアフリカ大陸の分割を話しあうベルリン会議が開催(翌年2月26日まで)。
     この年、シカゴにホームインシュアランスビルが完成。鉄骨構造を持つ最初の高層ビルと言われる。10階建て42m。
    1885年(明治18年)
     2月 5日ベルギー王レオポルド2世の私領「コンゴ自由国」が成立。残虐非道な支配が行われたことで知られる。
     4月18日特許を認める法律として明治18年太政官布告第7号が公布。
     6月 2日琵琶湖疏水起工
     8月14日日本初の専売特許証を交付。特許第1号は、堀田瑞松が出願した「堀田錆止塗料及其塗法」。
     8月19日超新星SN1885Aをアイザック・ワードとエルンスト・ハルトヴィッヒが観測。アンドロメダ銀河内254万光年の距離にある星。supernovaと呼ばれた最初の星。他の銀河で発見された最初の星でもある。
    10月13日東海道線大森駅で深夜、旅客列車が分岐器上で脱線転覆。乗客1名が死亡。
    11月23日大阪事件。旧自由党の大井憲太郎らが朝鮮の改革派を武力支援しようとして139人が逮捕される。
    12月22日内閣制度が発足。太政官達第69号と内閣職権の制定により太政官制を廃止し、参議の伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任して、第1次伊藤内閣を組閣。
     イタリアがエリトリア地方を占領する。
    1886年(明治19年)
     2月23日アルミニウムの電気分解法(ホール・エルー法)が発明される。
     3月 2日帝国大学令公布。東京の帝国大学が正式に設置される。
     5月 8日コカ・コーラ、アトランタで発売開始。
     7月13日時刻の基準となる標準時を定めた勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が公布される。1888年1月1日の東経135度の子午線上の時刻を日本標準時とする、と定める。
     9月 9日著作権について定めたベルヌ条約が成立。これにより同条約加盟国では、著作した時点で著作権が自動で発生する無方式主義になる。
    10月28日フランスから贈られたニューヨークの「自由の女神像」の除幕式が行われる。
    1887年(明治20年)
    12月26日保安条例の公布。三大事件建白運動を受けて、自由民権運動を弾圧するための法律。570人が東京市外へ追放される。
    1888年(明治21年)
     4月25日市制および町村制公布。
     5月 7日25人に日本初の博士号が授与される。
     8月31日イギリスのロンドン市内で売春婦を狙って体を切り刻んで殺害する「切り裂きジャック事件」が発生する。
     華族学校に対し、明治天皇から『学習院』の勅額が下賜されて、宮内省管轄の官立学校「学習院」となる。
     大阪市浪速区の遊園地に高さ31mの眺望閣と呼ばれる5階建ての建物が完成。日本最初の近代的高層ビルとされる。
    1889年(明治22年)
     2月11日大日本帝国憲法、皇室典範、議院法、貴族院令などが公布される。
     2月11日文部大臣、森有礼暗殺。歐化主義者だった彼の伊勢神宮での不敬な行動が原因とされるが、その元となった不敬事件の真実は不明。
     2月12日黒田清隆首相の超然主義演説。政府は政党の主張に対し超然として政策を進めていく、という意味の内容。
     3月29日ニューヨークのオーバーン刑務所で、史上初めて電気椅子によって死刑が執行される。受刑者はウィリアム・ケムラー。すぐには死亡せず数度に渡る送電で死亡まで8分かかったと言われる。電気椅子を導入した背景には、直流送電を主張したエジソンが、ジョージ・ウエスチングハウスやニコラ・テスラの主張する交流送電を危険なものとして宣伝するために電気椅子を後押ししたという事情もある。
     4月11日東海道線安倍川付近で工事列車同士が衝突。4名が死亡。また名古屋へ向かうため便乗していた静岡県知事の関口隆吉が重症を負う。
     4月20日オーストリアの都市ブラウナウで、税関吏アロイス・ヒトラーと妻クララの間にアドルフ・ヒトラーが生まれる。
     4月22日アメリカ政府がインディアン・テリトリーへの白人の入植を認可。これにともない「ランドラッシュ」と呼ばれる移住ブームが起こる。
     5月 5日パリ万博の目玉「エッフェル塔」が公開される。高さは312.3m。1930年にニューヨークにあるクライスラービルが完成するまで、世界一高い建物となる。
     5月16日博物館が、帝国博物館と改められる。現在の国立博物館の原型。
     5月17日東海道線の列車事故で重傷を負った静岡県知事の関口隆吉が破傷風で死亡。
     9月23日山内房治郎が「任天堂骨牌」という名称の花札製造会社を京都で創業。のちの任天堂。
    11月15日ブラジル帝国の崩壊。近代改革や奴隷解放に反発した保守派らがデオドロ・ダ・フォンセカを擁立して軍事クーデター。皇帝一家は本家筋であるポルトガルや、フランスへ亡命。
    11月18日北海道炭礦鉄道設立。
    12月11日北海道の官営幌内鉄道の譲渡を受けて、北海道炭礦鉄道が営業を開始。
     この年、シカゴにオーディトリアムビルが完成(塔まで入れて高さ106m)。
     この年、大阪市北区に建てられた高さ39m、9階建ての凌雲閣が完成する。
    1890年(明治23年)
     2月25日日本麦酒醸造會社からヱビスビールが発売される。
     3月 6日明治政府が、三菱に丸の内一帯を払い下げる。
     4月11日エレファント・マンことジョゼフ・ケアリー・メリックが死去。プロテウス症候群と言われる細胞・組織の異常増殖を起こす病気にかかった男性。
     7月25日集会及政社法制定により集会条例は廃止される。
     7月 1日第1回衆議院議員総選挙。
     9月16日オスマン帝国の訪日使節団が乗った軍艦エルトゥールル号が紀伊半島沖で遭難。地元住民が救助に当たる。
    10月29日浅草に凌雲閣が完成。12階建て、高さ173尺(約52m・基盤も入れると66m)。10階まではレンガ造り、その上が木造2階建て。エレベーター搭載。これを日本の高層ビルの元祖という場合もある。
    10月30日『教育ニ関スル勅語』(教育勅語)の発布。近代日本の新たな道徳教育の基本とされたもの。
    11月 7日鹿鳴館の隣接地に帝国ホテルが開業。設立は渋沢栄一と大倉喜八郎。
    11月29日大日本帝国憲法を、第1回帝国議会の開会の日に施行する。憲法とともに皇室典範、議院法、貴族院令、衆議院議員選挙法、会計法など基本的な法律も定められる。
    11月29日貴族院が開設される。
    12月 4日北里柴三郎とエミール・ベーリングが「血清療法」に関する論文を発表。
    1891年(明治24年)
     5月11日日本を公式訪問中のロシア皇太子ニコライ(後のニコライ二世)が津田三蔵巡査に斬りつけられ負傷する(大津事件)。
     5月12日6個鎮台が廃止され6個師団が設置される。
     5月31日シベリア鉄道起工式典がロシア皇太子ニコライ(後のニコライ二世)臨席のもとウラジオストクで挙行される。
     9月 1日日本鉄道上野-青森間全通。
    10月28日濃尾地震発生。6時38分にマグニチュード8程度の大規模な地震が発生。大規模な断層のズレによるもので、岐阜県と愛知県を中心に死者は7273人、重軽傷者17175人、家屋全壊14万2177戸と甚大な被害を出した。海外でも報道された。また近代地震研究のきっかけになった自然災害でもある。この時、富士山頂火口縁北側の牛ヶ窪から釈迦ヶ岳にかけて大規模な土砂崩れがあったという報告が静岡県より出ている。
    12月14日近衛が「近衛師団」となる。
    12月22日第2回帝国議会で自由党など「民党」が海軍予算の削減を主張し、樺山資紀海軍大臣が藩閥政府を支持する発言「蛮勇演説」を行い議会は紛糾。
    12月25日松方正義首相が初めて衆議院を解散。衆議院選挙が始まるが、選挙妨害で大混乱となる。
     ニューヨークワールドビルがニューヨークに完成。高さ106.4m、1955年に解体。
    1892年(明治25年)
    10月31日アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの最初の短編集『シャーロック・ホームズの冒険』が刊行。
    11月25日ピエール・ド・クーベルタンが、ソルボンヌ大学で講演し、近代オリンピックの創設を訴える。
    1893年(明治26年)
     1月 6日アメリカの地主やサトウキビ業者らによる武力クーデターでハワイ女王リリウオカラニが退位を強制され、ハワイ王国が滅亡。しかしアメリカ政府が併合を認めなかったため、暫定的にハワイ共和国が樹立する。日本は邦人保護を目的に巡洋艦2隻を派遣し牽制する。
     3月 6日三多摩地区が神奈川県から東京府に編入される。
     5月10日トマト裁判。米国連邦最高裁でトマトが野菜か果物かの論争で野菜の裁定がくだされる。
    1894年(明治27年)
     6月25日ヘルマン・オーベルト生誕。ドイツで宇宙旅行協会を立ち上げ、ロケット開発に大きな影響を与えたロケット愛好家にして研究者。
     7月25日日本艦隊と清国艦隊が朝鮮半島西岸の豊島沖で海戦。日本側が英国国旗を掲げていた清国の兵員輸送船高陞号を撃沈したことが戦時国際法上正しかったのかが問題になる。
     7月29日成歓の戦い。日本軍と清国軍が朝鮮半島で衝突、日本軍が勝利。戦死したラッパ手の木口小平が死ぬまでラッパを離さなかったことから、日本中で賞賛される。しかし当初は同日に死亡した白神源次郎が間違ってラッパ手として発表され賞賛された。
     8月 1日日本と清国が宣戦布告により、正式に開戦。
     9月フランス軍内部で、ドイツへの情報漏洩の噂が広がる。
    10月 5日日本初の月刊列車時刻表が発売される。
    10月15日フランス軍情報漏洩事件で、参謀本部付きのユダヤ人アルフレド・ドレフュス砲兵大尉が証拠のないまま逮捕される。数少ないユダヤ人将校であるということが大きな要因となった。
    11月24日孫文がハワイのホノルルで反清組織の興中会を創立する。
     マンハッタン生命保険ビルがニューヨークに完成。高さ106m、1964年に解体。
    1895年(明治28年)
     1月 5日ドレフュス事件で、ドレフュスが流刑の有罪となる。証拠はなかったが、反ユダヤメディアの追求で軍部は軍法会議で有罪とした。シオニズム運動のきっかけとなる。実際の犯人はフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ少佐。少佐は無罪となったが、このことが世間に漏れ、ユダヤ人を迫害するために国を裏切った男を許した、と大きな反発を買うことになる。
     1月14日日本帝国政府が尖閣諸島が清朝に帰属していないことから、日本領に編入する閣議決定を行う。
     4月17日日清戦争の講和条約である下関条約(馬関条約)に調印。場所は下関の料亭春帆楼。伊藤博文、陸奥宗光、李鴻章、李經方が出席。
     7月25日夜半、山陽鉄道(現山陽本線)尾道駅-糸崎駅間を走行していた上り軍用列車が、高潮で300mに渡り崩壊した築堤に差し掛かり、機関車と客車23両のうち6両が脱線して瀬戸内海に転落。乗員乗客358人中11名が死亡、98名が負傷。
    11月 8日フランス、ドイツ、ロシアの三国干渉で、圧力に屈した日本が、清との間で「遼東半島還付条約」に調印。日清戦争で得た遼東半島を返還する。国内は世論が沸騰。政府は臥薪嘗胆をスローガンに掲げる。
    11月27日ノーベルが遺言「遺産を管理し、その基金で、人類に貢献した人に分配する」に署名(ノーベル賞制定記念日)。
    12月28日パリでリュミエール兄弟が世界初の映画であるシネマトグラフを初めて商業公開。
    1896年(明治29年)
     2月29日日本銀行本店が竣工。辰野金吾設計。
     8月10日航空技術者オットー・リリエンタールが、試験飛行中に墜落、脊椎を損傷して死亡する。
     8月27日史上最も短い戦争とされる、イギリス・ザンジバル戦争が勃発。約40分で終了。
     ドレフュス事件を取材したテーオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を出版して、ユダヤ人国家建設についての詳細な提案を行い、シオニズム運動に影響与える。
    1897年(明治30年)
     8月29日第一回シオニスト会議が、スイスのバーゼルで開催。西ヨーロッパのシオニズム運動家テーオドール・ヘルツルが主催し、東ヨーロッパのシオニズム運動家ナータン・ビルンバウムが協力した。
    1898年(明治31年)
     2月15日メイン号事件。キューバのハバナで米戦艦メイン号が謎の爆沈。米西戦争のきっかけとなる。
     6月25日保安条例廃止法により保安条例が廃止。
     7月 7日ハワイ共和国をアメリカに併合するニューランズ決議が発効し、ハワイは準州となる。
     9月18日ファショダ事件。アフリカに植民地を広げていたイギリスとフランスがスーダンのファショダで出くわし軍事対立する。
     9月21日(光緒24年8月6日)戊戌の政変。清朝末期に戊戌の変法と呼ばれる近代政治改革を行おうとした官僚グループが西太后や保守派によって弾圧された事件。
    12月 3日山陽鉄道の夜行列車内で、陸軍第12師団の大尉が、金品を盗もうとした二人の男に殺害される事件が起こる。日本の鉄道内で起きた最初の殺人事件とされている。当時の客車に貫通扉がなく一種の密室状態にあったことも事件の要因となったため、改善されることになった。
     H・G・ウェルズのSF小説の古典『宇宙戦争』が発刊。
    1899年(明治32年)
     3月 2日北海道旧土人保護法公布。経済的に困窮する北海道のアイヌを保護する名目で、同化を図った法律。
     7月20日現在の超高層オフィスビルのはしりとも言えるパークロウビルがニューヨーク市マンハッタン・パークロウに完成。119m、29階建て。
     8月 4日日本で最も古いビアホールとされる「ヱビスビヤホール」が銀座8丁目に開店。ヱビスビールの宣伝のため。
     9月19日ドレフュス事件で世間の反発を買ったフランス政府は、冤罪のまま南米のディアブル島に流刑にしていたドレフュスを「特赦」によって釈放する。無罪と認めたわけではなかったため、ドレフュスはその後も無実を主張することになる。
    10月 7日大雨の中、日本鉄道(現東北本線)矢板駅-野崎駅間の箒川鉄橋で、上野発福島行き第375列車が通過中に突風にあおられて、緩急車と客車7両が濁流の箒川へ転落。死者19名、負傷者38名。
     ヘンリー・フォードらがヘンリー・フォード社を設立。しかしフォードは後に退社。社名はキャディラックに変更される。
    1900年(明治33年)
     3月30日治安警察法施行。
     4月30日神戸での観艦式で、戦艦富士の軍楽隊によって初めて『軍艦マーチ』が演奏される。
     5月10日皇太子嘉仁親王と九条節子が結婚
     5月19日陸軍省官制・海軍省官制を改正し、軍部大臣の現役武官制が定められる。
     8月14日義和団の乱で八カ国連合軍が北京に侵攻。8カ国とは、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・ドイツ・オーストリア・イタリア・日本。連合軍による破壊と略奪が行われる。
     9月14日津田梅子が女子英学塾を創立。
    10月14日ジークムント・フロイトの『夢判断』が出版される。
     3つの帝国博物館を帝室博物館と改称。
    1901年(明治34年)
     1月10日テキサス州のボーモント近郊にあるスピンドルトップのルカス1号油井から原油がはじめて噴出。テキサス油田の始まり。
     1月22日イギリス帝国の黄金期と呼ばれた「ヴィクトリア朝」時代の女王、アレクサンドリナ・ヴィクトリアが崩御。現ウィンザー朝の祖でもある。
     2月25日アメリカ最大の製鉄会社USスチールが創業。
     7月13日碓氷線退行事故。20時40分ころ横川駅-軽井沢駅を登坂中の長野行き第51列車機関車で、蒸気管が破裂し、噴出した蒸気によって機関車内の機関助士2名が車外に飛ばされ重軽傷。残った機関士が制動を行うも上手く行かず、列車は坂道で自然停止後、退行しはじめたため、乗客1名が飛び降りて軽井沢駅へ向かい事故を通報。さらに同乗していた日本鉄道副社長の毛利重輔男爵は、技術者であったため、危険と判断。乗客に飛び降りるよう指示し、息子の助三郎と列車を飛び降りる。しかし2人は列車に巻き込まれて死亡。列車は約1.9km退行したところで、機関士の制動が成功し停止。車内に残った乗客は無事。
     9月16日沖縄那覇の辻にある遊郭街で大火。
    11月14日カール・ラントシュタイナーがABO式血液型(当時はABC式)を発表。
    11月18日日清戦争で得た莫大な賠償金を元手にして、官営八幡製鉄所が操業開始。当時は官営製鐵所という名称だった(八幡製鉄所は民営の日本製鐵になってから)。
     フィラデルフィア市庁舎が竣工。167m。ルネサンス様式のオフィスビルで、塔の部分が当時世界で最も高かった。
    1902年(明治35年)
     1月23日日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山での行軍訓練のため、青森の駐屯地を出発。のち遭難。
     1月25日北海道旭川市で日本における最低気温の記録-41℃を観測(日本最低気温の日)。
     5月 8日プレー火山噴火。火砕流により、死者3万人以上。
     8月22日都電の元祖、東京電車鉄道が、新橋-品川間で路面電車の運行を開始する。
    10月19日東京専門学校から改名した早稲田大学で、創立20周年記念式典と「大学開校式」が行われる。
     ヘンリー・フォードが経営方針で対立し、ヘンリー・フォード社を追い出される。社名はキャディラックに変更。
    1903年(明治36年)
     1月 3日アロイス・ヒトラー死去。息子アドルフ・ヒトラーとは対立関係にあり、それがヒトラーの思想に影響したという説もある。アロイスは父親が不明でユダヤ人説もある。
     1月 4日コニーアイランド遊園地で買われていた象のトプシーが、飼育員を殺した理由で殺されることになり、直流送電を推していたエジソンの交流送電は危険という宣伝のために交流電流によって公開処刑される。
     2月23日スペインより独立したキューバ政府により、グァンタナモ基地がアメリカに永久租借される。
     3月 1日第5回内国勧業博覧会が大阪天王寺で開かれる。7月31日まで。最後の内国勧業博覧会。
     6月16日ヘンリー・フォードが、自動車製造会社フォードを設立する。
    10月 7日ライト兄弟にも技術を教えたスミソニアン協会のサミュエル・ラングレーが、エアロドロームという動力飛行機の実験を行い失敗。
    11月 4日黄興らが反清組織の華興会を創立する。
    11月21日初の早慶戦。早稲田大学野球部と慶應義塾大学野球部が、三田綱町球場で野球対戦を行う。
    12月 7日サミュエル・ラングレーが、動力飛行機エアロドロームの実験を再度行うが失敗に終わる。
    12月17日ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功。ノースカロライナ州キティホークの南郊にあるキルデビルヒルズ付近で、12秒間飛行する。
    1904年(明治37年)
     2月17日プッチーニの歌劇『蝶々夫人』が初演。大失敗に終わるが、以降改良を加えて、代表作になる。
     3月27日第二次旅順港閉塞作戦のさなかに、広瀬武夫中佐が戦死する。最初の「軍神」に指定。
     4月 2日小泉八雲がアメリカで『怪談(Kwaidan)』を刊行。
    12月 5日日露戦争の旅順攻略戦で日本陸軍が203高地を占領。
    12月20日三越デパートの誕生。江戸時代の呉服商「越後屋」が元の三井呉服店が三越呉服店と改称。「デパートメントストア」宣言を行う。
    1905年(明治38年)
     1月22日ロシア血の日曜日事件。サンクトペテルブルクで社会状況の改善を求めた労働者に兵士が発砲。千人以上が死亡する。ロシア革命の遠因。ロシアのユリウス暦で1月9日。
     1月23日奈良県東吉野村鷲家口でニホンオオカミの最後の一匹が捕獲される。
     1月28日日本政府は閣議で竹島を島根県隠岐島司の所管の島と決定。
     5月27日日本海海戦。ロシアのバルチック艦隊を日本の連合艦隊が撃破し、世界中に衝撃を与える。
     6月27日ロシア帝国海軍黒海艦隊に所属する戦艦ポチョムキンで水兵らが反乱。
     6月30日アルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論に関する最初の論文「運動している物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出。
     9月 4日ポーツマス条約締結。
     9月 5日日比谷焼打事件。日露戦争の講和交渉で、賠償金を得られないという内容を知った民衆が暴動を起こす。
     9月27日アインシュタインの特殊相対性理論の論文『物体の慣性はその物体のエネルギーに依存するか?』が科学雑誌に掲載される。有名なE=mc2が掲載。
    11月17日第二次日韓協約締結。大韓帝国の外交権が失われる。
    12月21日韓国統監府設置。
    1906年(明治39年)
     2月10日英海軍の戦艦「ドレッドノート」が進水。「ド級」「超ド級」の語源となった軍艦。
     3月31日鉄道国有法公布。
     7月12日ドレフュス事件で冤罪のまま流罪となったユダヤ人将校ドレフュスの無罪が認められる。軍に復帰するも、流刑中の環境により健康を害しており、まもなく退役。
     9月11日路面電車を運行する東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道が統合し、東京鉄道が誕生。
    10月 1日鉄道国有法により私鉄の買収が始まる。翌年にかけて主要な私鉄が順次買収国有化。
    11月 1日日本鉄道が国有化。ここまでに東日本の大半の鉄道路線を敷設した。
    11月26日南満洲鉄道(満鉄)設立。
    1907年(明治40年)
     1月12日セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ生誕。ソ連の航空技術者、ロケット技術者として大陸間弾道ミサイルと宇宙ロケット開発にあたった人物。
     4月 1日国有鉄道の現業部門、帝国鉄道庁が発足。
     5月 7日新たに皇室令が公布され、それにともない華族令も新たに公布され、旧華族令は廃止される。
     5月31日大阪駅の駅員清水太右衛門が同駅西第一踏切で踏切番の勤務中、踏切内に入った幼女を発見し保護するも西成線の列車に接触。太右衛門は翌日死亡。その後、多数の義捐金が集まり、殉職記念碑が建てられた。
     6月大韓帝国皇帝高宗が第2回万国平和会議に密使を送り、列強に支援を求めるも拒否される。いわゆるハーグ密使事件。
     7月20日大韓帝国皇帝高宗が退位させられる。純宗が即位。
     7月24日第三次日韓協約で日本が韓国内政権を得る。
     8月 1日大韓帝国軍が解散させられる。
     8月 1日ロバート・ベーデン=パウエルが、21名の少年を連れて、ブラウンシー島でキャンプを行う。ボーイスカウト活動の始まり。
     9月26日ニュージーランドが英連邦内の自治国として独立。
    11月16日アメリカ政府が、オクラホマ準州とインディアン・テリトリーを統合して、オクラホマ州に格上げし、インディアン・テリトリーはすべて消滅。
    12月17日ブータンの東部トンサの有力者ウゲン・ワンチュクがチベット仏教界や有力貴族、国民の代表らの会議で、宗教・世俗を超えた国王として認められ、初代ブータン国王に即位。
     この年、アドルフ・ヒトラーは、ウィーン美術アカデミーを受験するも失敗。課題提出が足りなかったことや作風が当時の流行に合わなかったことなどがあると言われる。この年、ヒトラーの母クララも病死し、ヒトラーの思想形成に大きな影響があったとされる。
    1908年(明治41年)
     3月 5日日本初の美人コンテスト。日本初のミスに選ばれたのが、学習院女子部3年生の末弘ヒロ子。
     3月 7日青函連絡船に日本初の蒸気タービン船比羅夫丸が就航。
     3月22日東京大久保で風呂屋から出てきた女性が殺害される。池田亀太郎が犯人として逮捕され、彼のあだ名が出歯亀だったことから、覗き魔を意味する「出歯亀」の語源となる。「でばがめ」は、でしゃばりの亀(出張亀)という説も。
     6月30日シベリアのエニセイ川の支流、ポドカメンナヤ・ツングースカ川上流の森林地帯で、謎の大爆発が起こる。落下してきた小規模の隕石が空中爆発を起こしたものと考えられ、その規模は5Mtに匹敵すると言われる。2150平方kmの範囲で樹木が倒壊。天然ガスの大規模爆発説のほか宇宙人の乗った宇宙船の爆発説まで登場したが、近年の調査で隕石とほぼ断定されている。また、8kmほど離れたところにあるチェコ湖という小さな湖が、この時生じたクレーターかどうかで論争となっている。
     7月 3日オスマン帝国の軍の青年士官らが、憲法復活を求めて武装蜂起。鎮圧軍も加わる。
     7月23日オスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世が軍の反乱を受けて憲法復活を認める。議会も復活。青年トルコ人革命。
     8月25日ウランから出る放射線(アルファ線)を発見した物理学者アンリ・ベクレルが死去。
     8月30日ナータン・ビルンバウムらの指導のもと、チェルノヴィッツでイディッシュ語世界会議を開催。「ユダヤ民族」の定義と主導権をめぐり、イディッシュ語を使う東欧ユダヤ人と、西欧ユダヤ人の間で対立が大きくなる。
    11月15日ベルギー政府は、ベルギー王レオポルド2世の私領「コンゴ自由国」での住民に対する残虐非道な行為の数々が各国で批判を浴びたことを受け、国王と条約を結び、国王に補償金を出す代わりに、領地を事実上買い上げて、国王の私有地から、ベルギー領コンゴとなる。
    12月 5日帝国鉄道庁が内閣鉄道院となる。
     シンガーミシンの本社ビルとなったシンガービルがニューヨークに完成。186.57m。ほんの一時期世界一の高さだった。1968年解体。倒壊や崩壊ではなく、解体作業で壊されたビルではもっとも高いとされている。
    1909年(明治42年)
     4月 6日ロバート・ピアリーの探検隊が北極点に到達。
     4月18日ジャンヌ・ダルクがローマ教皇ピウス10世によって列福される。
     5月20日鈴木製薬所が味の素を発売。
     6月19日太宰治、青森県北津軽郡金木村に生誕。本名は津島修治。父親は地元の名士である大地主。
    10月 8日クロアチアの地震学者アンドリア・モホロビチッチによってモホロビチッチ不連続面が発見される。地震波P波の伝達が速くなる場所で、地殻とマントルの境界面を指す。すなわちマントルが柔らかいのではなく逆に硬いということが判明。
    10月12日鉄道院告示第54号によって鉄道院の各路線名が制定される。現在まで続く鉄道路線名の始まり。
    10月26日韓国統監伊藤博文がロシアとの交渉でハルビンを訪れた際に、安重根に射殺される。
     ニューヨークにメトロポリタン生命保険会社タワーが完成。時計塔の部分が高さ213.36m。1913年まで世界一。
    1910年(明治43年)
     3月26日安重根の死刑執行。
     4月15日第六潜水艇事件。第六潜水艇がガソリン潜航実験の訓練中に浸水沈没。乗員はパニックに陥ることもなく配置についたまま死亡していたため、世界から賞賛される。
     5月19日ハレー彗星が地球にもっとも接近する。シアンガスで人類は全滅するといった噂が流れパニックになる。
     8月22日韓国統監寺内正毅と大韓帝国首相李完用が漢城で「韓国併合ニ関スル条約」に調印。
    12月13日ビタミンの日。鈴木梅太郎が、脚気を予防する成分を抽出する方法を確立し「アベリ酸」と命名して東京帝国大学講堂で発表。オリザニンとして発売され、のちビタミンB1と判明。
    12月14日日野熊蔵が、代々木練兵場で、飛行機を滑走中に浮上する。これをして日本人で初めての飛行機操縦とする説もある。ただし一時的な浮上で「飛行操縦」をしたと言えないという説も。
    12月19日徳川好敏と日野熊蔵が、代々木練兵場で、日本人で初めて飛行機を離陸させ操縦する。
    1911年(明治44年)
     1月12日オーストリア=ハンガリー帝国の軍人テオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が高田歩兵第58連隊に、高田の金谷山などで指導。日本近代スキーの発祥
     1月18日大逆事件(幸徳事件)の判決で、幸徳秋水ら24名に死刑、2名に有期刑の判決が下される。12名が処刑され、5名が特赦による死一等減刑で無期刑となり獄死。
     1月30日フィリピンのルソン島にあるタール湖内のタール火山で噴火。火砕サージが発生して1307人が死亡。
     3月29日日本ではじめて、労働時間や年齢制限などを定めた「工場法」が公布される。
     4月 3日日本橋が石造りアーチ橋になる。設計には米元晋一、妻木頼黄、渡辺長男らが関わる。
     4月 9日吉原大火。午前11時30分頃、東京市浅草区の吉原遊郭の一角から出火し、吉原全体に火は広がる。さらに周辺の家屋などにも延焼していき、約6500戸を焼失する大火災となる。
     8月 1日東京市が東京鉄道を買収。路面電車は東京市電となる。
    10月10日中国の武昌で反清武装蜂起が起こり、辛亥革命が勃発。
    10月24日アメリカ・ロードアイランド州ニューポート市にあるライムロック灯台の女性灯台守アイダ・ルイスが死去。女性の灯台守としても、また多数の遭難者を救ったことでも知られる人物。
    12月14日ノルウェーのロアール・アムンセン隊が南極点に史上初めて到達。
    12月29日モンゴルの独立運動で、チベット人活仏のジェプツンダンバ・ホトクト8世がハーンに即位する(ボグド・ハーン)。
    1912年(明治45年・大正1年)
     1月 6日アルフレート・ヴェーゲナーが大陸移動説を発表。
     1月 9日世界最初の高層ビルとも言われるエクイタブル生命保険ビルが火災で崩壊。
     1月16日白瀬矗率いる日本の南極探険隊が南極大陸に到着。
     1月17日イギリスのスコット隊が南極点に到達。装備の多くを失ったため、帰途に全滅する。
     1月31日日本ではじめて、中央線に女性専用車両が導入される。
     3月23日ヴェルンヘア・マグヌス・マクシミリアン・フォン・ブラウン生誕。一般にはヴェルナー・フォン・ブラウンで有名なロケット研究者。ドイツの貴族で、のちナチスのV2やアメリカのアポロ計画に深く関わった人物。
     4月14日豪華客船タイタニック号が氷山に衝突し翌日未明に沈没。死者は1513人(犠牲者数は諸説あり)。
     7月 3日初代通天閣が遊園地「ルナパーク」にオープン。
     7月30日明治天皇が崩御。
     8月 5日東京有楽町に設立されたタクシー自働車株式会社が、この日に、日本最初のタクシー営業を開始する予定だったが、明治天皇の崩御やタクシーメーターの取り付け遅れから、延期になる。しかしこれを記念したタクシーの日となっている。
     8月15日タクシー自働車株式会社が、上野駅、新橋駅でタクシーの営業を開始。
     9月13日明治天皇の大葬が青山練兵場で行われる。遺体は列車で京都へ。乃木希典夫妻が殉死。
     9月14日明治天皇の遺体は、京都の伏見桃山陵に埋葬。
    1913年(大正2年)
     3月28日バルセヴァール飛行船の公開テスト飛行で、所沢-青山練兵場間の飛行に成功。しかし着陸に失敗。さらに飛行に並走した陸軍の軍用機が所沢に帰還する際に突風で翼が折れて墜落。木村鈴四郎陸軍歩兵中尉と徳田金一陸軍歩兵中尉が300m上空から地上に落下し殉職。日本最初の航空死亡事故となる。
     4月24日当時世界一高いオフィスビル、ウールワースビルがニューヨークで開業。241.4mで、1930年まで世界一の座にあった。ゴシック・リバイバル様式で、教会聖堂を思わせるデザイン。
     6月10日森永ミルクキャラメルが誕生。
     6月13日陸軍省官制および海軍省官制を改正し、軍部大臣・次官の任用資格を現役将官に限るとする規定を削除し、予備役に拡大。軍部大臣現役武官制の廃止。
     6月25日日本ハリストス正教会のクリスチャンで、最初の日本人司祭だった沢辺琢磨が死去。坂本龍馬のいとこでもある人物。
     6月29日鹿児島で火山性の地震が発生。桜島大噴火の前兆現象とみられる。以後異変が相次ぐも、鹿児島測候所が噴火はないと発表したため、信じなかった住民は自主避難を始める。
     7月15日小林一三によって宝塚唱歌隊(現在の宝塚歌劇団)が創設される。
     8月13日名古屋市で繭小売商の男性が殺害される強盗事件が起こる。のちに無実の吉田石松が逮捕され、吉田巌窟王事件となった事件。
     8月16日イギリス・ヴィッカース社に発注されていた日本海軍の巡洋戦艦「金剛」が竣工。最後の外国製戦艦。
     9月 4日ドイツのミュールハウゼン村で、エルンスト・アウグスト・ワグナーという教師が、家族と住民9人を無差別に殺害するワグナー事件が起こる。責任能力が問われて実刑とはならなかった初めてのケース。
    10月10日袁世凱が初代中華民国大総統に就任。
    10月17日東岩瀬駅事故。午前4時23分頃、富山市の北陸本線東岩瀬駅(現東富山駅)で、上り臨時列車と下り臨時貨物列車の行き違いを行う予定のところ貨物列車がオーバーランして本線に進入し停止。その退行作業中に、上りの善光寺参詣客を乗せた臨時団体旅客列車が停止信号を見落として冒進。貨物列車に衝突して脱線転覆。24名が死亡、107名が重軽傷。この事故を受けて、単線の行き違い時の衝突を避けるため、安全側線(オーバーラン時に強制的に脱線させて本線に進入しないようにする側線)が設けられることになる。
    12月21日『ニューヨーク・ワールド』紙の日曜版にワードクロスパズルと呼ばれるパズルが掲載される。クロスワードパズルの始まり。
    12月宝塚唱歌隊が宝塚少女歌劇養成会に改められる。
    1914年(大正3年)
     1月12日午前10時過ぎに桜島の2箇所で大噴火。大量の軽石によって海面が覆われ、島民の避難が混乱。午後6時28分、桜島沖合の鹿児島湾海底地下を震源とするマグニチュード7の大きな地震も発生。鹿児島市周辺は震度6に達し、各地で土砂崩れが起きて29人が死亡。パニックが鹿児島側でも拡大。
     1月13日桜島から火砕流が麓の小池、赤生原、武の集落を襲い、焼失。溶岩も流出が始まる。15日には海岸に達する。
     1月18日オーストリアの徴兵を拒否し、ミュンヘンで暮らしていたアドルフ・ヒトラーが逮捕され送還される。ただし徴兵検査は不合格に。まもなく第一次世界大戦が勃発すると、一転、志願兵として出兵する。
     1月29日桜島の噴火で流出した大量の溶岩で瀬戸海峡が埋まり、大隅半島と陸続きになる。最終的に58名が死亡。
     2月12日ブラジャーの日。アメリカ人女性メアリー・フェルプス・ジェイコブ(カレス・クロスビー)が乳房を支える下着を開発して特許を取得し、ブラジャーと命名する。ただし、他にもエルミニー・カドルなど複数のブラジャーの発明者なる人物がいる。
     4月 1日宝塚少女歌劇養成会が、宝塚新温泉で初演。演目は歌劇『ドンブラコ』『浮かれ達磨』、ダンス『胡蝶』など。
     6月28日オーストリア皇太子フランツ・フェルディナントとその妃ゾフィーがサラエボでセルビア民族主義者のガヴリロ・プリンツィプに暗殺される。
     6月30日ウラジーミル・チェロメイ生誕。ソ連のロケット研究者で、弾道ミサイルの研究を進めた人物。現代のロシアの宇宙船に大きな影響を残す。
     7月28日オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦がはじまる。
     8月 9日ムーミンの原作者、トーベ・ヤンソンが生まれる。
     8月15日パナマ運河が開通。
    12月18日旧新橋駅に代わり、東京の新たな玄関口として、東京駅が開業。第一次世界大戦でドイツ領青島を占領した神尾光臣中将の凱旋とあわせて開業式が行われる。
     森永ミルクキャラメルが黄色い箱入りで発売される。
    1915年(大正4年)
     1月18日日本政府が、中華民国に対して、権益を求める対華21ヶ条の要求を出す。
     3月 3日NASAアメリカ航空宇宙局の前身である国家航空諮問委員会NACAが設立される。
     4月22日イーペルの戦い。ドイツ軍によって史上最初の大規模な毒ガス攻撃が行われる。
     5月 7日ルシタニア号事件。イギリス海域で無制限潜水艦作戦を行ったドイツがイギリスの豪華客船ルシタニア号をアイルランド沖で撃沈。乗員乗客1959人のうち、1198名の乗客が死亡。このうちアメリカ人128名が含まれていたため、アメリカの反発を買う。
     5月 9日中華民国の袁世凱政権が、対華21ヶ条のうち第5号(日本人の顧問を採用する)を除く残りについて受諾。
     5月25日対華21ヶ条のうち16ヶ条が、2つの条約と、13の交換公文として日中両国で締結。
     7月14日翌年にかけて、イギリスのエジプト駐在高等弁務官ヘンリー・マクマホンとメッカの太守であるフサイン・イブン・アリーとの間で複数の書簡が交わされ、イギリス政府の外交方針としてアラブ人の独立を認める。敵対するオスマン帝国領のアラブ地方を取り込むための方策。
     8月19日ドイツの潜水艦が客船アラビック号を撃沈。
     8月27日ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が無制限潜水艦作戦を中止させる。
    12月 9日三毛別羆事件。北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現在の苫前町古丹別三渓)の集落に巨大なヒグマが現れ、たった2日で女性と子供(胎児を含む)7人が殺され、一部を除き食べられた他、男性ら複数の重軽傷者を出した事件。軍隊まで出動した。熊は14日にマタギの手で倒される。
    1916年(大正5年)
     1月22日初の国産飛行船「雄飛号」が所沢-大阪間でテスト飛行を実施。
     5月16日オスマン帝国領分割を定めた英仏露によるサイクス・ピコ協定が結ばれる。シリア領をめぐる権利ではフサイン=マクマホン協定とは矛盾する内容だった。
     7月 1日ソンムの戦いがはじまる。英仏軍とドイツ軍がフランス北部ベルギーとの国境近くにあるソンム河のそばに塹壕を築いて対峙。英仏軍側が侵攻し、この日だけでイギリス軍は2万人近い死者を出し、5万人を超える負傷者を出す。このとき伝令兵だったヒトラーも負傷したと言われる。
     7月30日ブラック・トム爆破事件。アメリカ合衆国ニュージャージー州ジャージーシティのブラックトム埠頭で、軍需物資が連合国側諸国に輸送されるのを阻止するため、ドイツ帝国の工作員によって起こされた爆破事件。7人が死亡、多数の負傷者を出す。大規模な爆発によって吹き飛んだ破片と爆風により、ジャージーシティだけでなく、対岸のマンハッタン島でも多数の建物で窓ガラスが割れるなどの被害が出た他、自由の女神も損傷した。
    1917年(大正6年)
     1月18日ヴァシーリー・ミシン生誕。この人物もソ連のロケット開発に貢献した人物。
     1月31日ドイツがふたたび無制限潜水艦作戦をはじめる。
     2月27日ロシア国会議員らがメンシェヴィキと組んでソヴィエトを結成。皇帝を退位させる。
     6月19日理化学研究所創設。総合自然科学研究機関。
    10月15日フランスでダンサーをやっていたマタ・ハリが、ドイツ軍に情報を漏らしたという理由でフランス政府によって処刑される。
    11月 2日バルフォア宣言。イギリスのバルフォア外相が、ロスチャイルドへ書簡を出し、パレスチナにユダヤ人の「民族的郷土」の建設を援助すると約束。一方で、アラブ民族にも国家建設を認める約束(フサイン・マクマホン協定)をしており、のちのパレスチナ問題の原因の一つとなる。
    12月 6日ハリファックス港の大爆発。貨物船同士の衝突で積荷の火薬2600tが爆発。市街地が壊滅する。1500人が即死し、さらに重症者や家屋の下敷きになった人ら数百人が死亡。
    1918年(大正7年)
     3月 7日松下幸之助が松下電気器具製作所(現パナソニック)を創業。
     4月 1日イギリス空軍(王立空軍)の発足。世界最初期の独立した空軍。
     4月16日軍需工業動員法公布。
     4月21日ドイツ軍のエース「レッドバロン」ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェン戦死。
     6月ロシアで、チェコスロバキア兵が蜂起し、これがきっかけで、内乱が勃発する。
     7月17日内乱中のロシアで、ボリシェビキが、ロシア皇帝一家を殺害。ユリウス暦7月4日。
     7月22日富山県魚津港に主婦らが集結し、北海道へ米を輸送する「伊吹丸」の輸送中止を訴える。米騒動の勃発。
     9月29日原敬が第19代内閣総理大臣に就任し、原内閣が成立。
    10月29日第一次世界大戦の末期、ドイツ太洋艦隊の水兵らが出兵を拒否。ドイツ革命がはじまる。
    1919年(大正8年)
     1月 3日ファイサル・ワイツマン合意。アラブとの友好協力の下ユダヤ人入植が進められる。
     1月16日アメリカで国家禁酒法が成立。1933年12月5日まで「禁酒法時代」。
     1月18日パリ講和会議が始まる。第一次世界大戦の講和条件を話しあい、戦後処理を行うために行われる。
     1月宝塚音楽歌劇学校が設立され、これにあわせて少女歌劇養成会は解散して、新たに宝塚少女歌劇団として発足。
     3月23日ベニート・ムッソーリニによって反共主義の「イタリア戦闘者ファッシ」が結成される。のちのファシスト党。反共主義だが左派勢力も参加していた。
     4月 1日新たな帝国大学令が施行され、旧帝国大学令は廃止される。
     4月13日大英帝国支配下のインド・アムリッツァルで軍がローラット法(令状なしの捜査や陪審員なしの裁判を認める法令)に抗議する市民集会に発砲し1500人以上が死傷する虐殺事件がおこる。
     5月 4日中国北京大学の学生らが、ベルサイユ条約に反対して起こした大規模な反日デモ、五・四運動が北京の天安門で始まる。
     6月 1日史蹟名勝天然紀念物保存法が施行される。
     6月28日ヴェルサイユ条約調印。戦勝国によるドイツの処分を主とした条約。以降ヴェルサイユ体制となる。
     7月31日ドイツ議会がヴァイマル憲法を採択。
     8月14日ドイツでヴァイマル憲法が公布・施行される。
     9月12日アドルフ・ヒトラーがドイツ労働者党(党首はドレスクラー・後のナチ)に参加する。ヴァイマール共和国軍の調査任務で調べていて興味を持ったとも言われる。
    10月10日中華革命党が中国国民党に改組。
    11月18日神道系新興宗教の「大本」(大本教)が、本拠とするため、亀山城を買収する。
    1920年(大正9年)
     1月30日東洋コルク工業設立。後の自動車メーカーマツダ。
     2月 1日久原鉱業所から日立製作所が独立。
     3月11日ニコラエフスクで、共産パルチザンと日本軍守備隊が衝突。守備隊全滅。日本人も多数殺害される。いわゆる尼港事件。
     3月15日鈴木式織機製作所が株式会社化。のちの自動車メーカースズキ
     5月 2日上野公園で友愛会主催による第1回メーデー開催。
     5月15日時ノ展覧会を開催。
     5月15日鉄道省が発足。
     5月16日ジャンヌ・ダルクが、ローマ教皇ベネディクトゥス15世によって列聖される。
     5月25日共産パルチザンによるニコラエフスク市民虐殺事件が起こる。市民6000人が犠牲になり、日本人も700人が殺される。いわゆる尼港事件。
     8月10日連合諸国とオスマン帝国との間で講和条約であるセーヴル条約が締結される。パレスチナの英国統治、エジプトの英国保護下、モロッコ・チュニジアのフランス保護下、レバノンとシリアのフランス統治、トラキア・イズミルのギリシャ移管、アナトリア南部のイタリア支配、アルメニア、ヒジャーズ王国の独立などが決まり、オスマン軍の軍備縮小も決定される。
     9月30日市街地建築物法施行令公布。建築物の高さを百尺(30.3m。のち31m)に規制する。ただし塔屋など一部が超えているものもある。
    11月25日八八艦隊計画最初の戦艦、「長門」が竣工する。世界で初めて16インチ級の主砲を搭載。
    12月17日ヴェルサイユ条約を受けて、旧「ドイツ領ニューギニア」だった南洋群島が日本の委任統治領となる。
     ロバート・ゴダードが論文『高々度に達する方法』を発表しロケットで宇宙へ出ることを説明。ニューヨーク・タイムズは社説で、「何もない」真空中をロケットが飛行するのは不可能だと誰でも知っている、と痛烈に批判。同紙は49年後のアポロ月着陸の直前に、この社説の「過ちを後悔する」と表明した。
     通天閣に広告看板が取り付けられる。企業はライオン歯磨。
    1921年(大正10年)
     2月12日第一次大本事件。神道系新興宗教の「大本」(大本教)が、政府の弾圧を受ける。
     6月 8日長門級戦艦2番艦の戦艦陸奥が就役。ただし軍縮交渉で廃艦の対象になりかねなかったため、完成を急ぎ、艤装などは完全ではなかったとされる。
     7月11日ソビエト連邦の支援を受けたモンゴル人民党が、モンゴル人民政府を樹立。君主はジェプツンダンバ・ホトクト8世(ボグド・ハーン)。
     7月23日中国で興されていた複数の共産主義政党を統合して中国共産党が結党される。
     9月21日オッパウ大爆発事故。ドイツ南西部のオッパウにあったバーディシェ・アニリン・ウント・ソーダ・ファブリーク社の化学工場で製造していた約4500トンの硫硝安混成肥料の塊を崩すためダイナマイトを使用したところ、大爆発を起こし、工場は全壊。周辺の都市も大被害を受けた。死者509人、行方不明160人、負傷者1952人。230km離れたバイロイトにも爆風が到達したという。
    10月宝塚少女歌劇団に花組・月組が誕生。
    11月 4日原敬首相が関西政友会大会に向かうため、東京駅丸の内南口コンコースに現れたところを、右翼青年中岡艮一(大塚駅転轍手)に刺殺される。
    12月 6日英愛条約締結。大英帝国政府と、アイルランド共和国暫定政府との間で、アイルランド独立戦争の休戦が結ばれ、大英帝国内の自治国(同君連合)として、アイルランド自由国が建国されることに。
    1922年(大正11年)
     2月 8日ソ連に「ゲーペーウー(GPU)」が設置される。人民委員会のチェーカーを前身とし、のちのKGBにつながる秘密警察。
     2月11日日本とアメリカが、南洋群島に関する「『ヤップ』島及他ノ赤道以北ノ太平洋委任統治諸島ニ関スル日米条約」に調印。
     2月25日『旬刊朝日』が創刊される。
     4月 1日南洋庁官制を施行し、南洋庁をパラオのコロール島に設置し、各諸島にも6つの支庁を設置。統治を本格的に開始する。
     4月 2日『サンデー毎日』が創刊され、『旬刊朝日』が『週刊朝日』となる。現在のタイプの週刊誌が登場する。
    11月 5日ハワード・カーターによって発見されたツタンカーメン王墓が開かれ、調査が始まる。
    12月 6日英愛条約をもとに、イギリス皇帝の勅により、アイルランド南部26州で構成されたアイルランド自由国が建国される。北部アルスターはイギリス領として残る。
    12月27日最初から空母として設計された世界初の航空母艦「鳳翔」が竣工。
    12月30日世界最初の共産主義国家、ソビエト連邦が正式に誕生する。
     帝都防衛用の航空基地として、立川飛行場が開港。
    1923年(大正12年)
     1月 9日ファン・ド・ラ・シェルバによって発明されたオートジャイロが初飛行。
     1月22日宝塚のパラダイス劇場・公会堂劇場が焼失。
     2月 5日現在の国際刑事警察機構(インターポール)につながる国際刑事警察委員会が創設される。
     2月20日東京駅の正面に丸ノ内ビルヂングが竣工する。
     6月ヘルマン・オーベルトの論文を元に『惑星空間へのロケット』が出版されドイツで評判となる。ドイツで先進的にロケット研究が進んだ要因の一つ。
     9月 1日関東大震災発生。マグニチュード7.9。東京と横浜を中心に大きな被害を出し、死者は10~14万人に達する。
     9月16日甘粕事件。関東大震災の混乱の中、アナキストの大杉栄、その内縁の妻の伊藤野枝、大杉の甥の橘宗一の3人が、憲兵隊に連行され、殺害される。
    10月 3日関東大震災の直後、沼津測候所の職員が、富士山頂近くの伊豆ヶ岳で噴気を確認したため、10月3日から5日に富士山とその周辺で調査が行われる。
    11月 8日ヒトラーなどのドイツ国家社会主義労働者党のメンバーやルーデンドルフらが、イタリア・ファシスト党のローマ進軍をモデルにして独立性の強いミュンヘンで蜂起しベルリン進軍を計画する(ミュンヘン一揆)。しかし協力姿勢を見せていたバイエルン総督グスタフ・フォン・カールが鎮圧したため失敗に終わる。
    11月11日ヒトラー逮捕される。しかし法廷での弁舌が彼の支持者を増やす結果につながる。
    11月15日ドイツでハイパーインフレと化した紙幣パピエルマルクの暴走を終息させるため、不動産を担保とする金不換紙幣のレンテンマルクが発行される。
    12月27日虎ノ門事件。摂政皇太子が自動車で移動中に虎ノ門で難波大助に狙撃される。皇太子は無事。難波は群衆に取り押さえられる。天皇制打破といった理由ではなく、皇室を崇拝するプロレタリア階層へのインパクトに皇族を狙ったのが動機とも。難波の父、難波作之進衆議院議員は絶食自殺。
    1924年(大正13年)
     1月 5日二重橋爆弾事件。大韓民国臨時政府から送られてきた金祉燮が皇居外苑で警官や近衛兵に向けて爆弾を投げつけるが不発に終わる。
     1月 7日虎の門事件を受けて山本権兵衛内閣が総辞職。
     1月20日中国国民党の蒋介石が、共産党との連携を決定。第一次国共合作。北京政府(北洋軍閥政府)に対抗する共同戦線。
     4月 1日ヒトラー、ミュンヘン一揆の首謀者として要塞禁錮5年の判決。しかし要塞刑務所にも彼の賛同者は多く、待遇は良かったという。収監後、『我が闘争』の執筆を開始。
     6月 6日イギリスのエベレスト第三次遠征隊が頂上を目指すが失敗に終わる。
     6月27日大阪市内に、市内1円均一のタクシー「円タク」が登場。
     7月15日宝塚大劇場が竣工。雪組が新設される。
    12月20日ヒトラー、予定より大幅に前倒しで釈放される。
    1925年(大正14年)
     3月 1日ラジオの試験放送が始まる。
     3月22日社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)がラジオ放送を開始。送信施設は東京芝浦にあった東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)。
     4月22日治安維持法公布。
     5月 5日普通選挙法(衆議院議員選挙法の改正)公布。
     5月12日治安維持法施行
     6月 1日大阪でラジオの仮放送が始まる。三越大阪支店の屋上から送信。
     7月12日社団法人東京放送局(現在のNHK東京)によるラジオ本放送がはじまる。愛宕山送信所から送信。
     7月12日名古屋でもラジオの本放送がはじまる。
     7月18日ヒトラーの『我が闘争』第一巻が発売される。のちナチス時代にはほぼ義務的に各家庭に一冊ずつ置かれたと言われるが、戦後は逆に発禁処分となり、現在も継続している。
    12月 1日京都学連事件。マルクス主義の研究や普及をすすめる京都帝国大学を始めとした各大学の学生社会科学連合会(学連)が特高警察の摘発を受ける。
    12月21日鶴見騒擾事件。西日本を基盤とした東邦電力の松永安左エ門が関東での電力事業のために作った東京電力(現在の東京電力とは別会社)が、川崎白石町に進めていた火力発電所建設工事の利権をめぐって、ヤクザ組織同士が起こした抗争事件。
    12月28日大日本大相撲協会設立。摂政皇太子の台覧と奨励金の下賜で、摂政宮賜杯(現天皇賜杯)を作ったことをきっかけに。大阪相撲も吸収することになる。
    1926年(大正15年/昭和元年)
     2月16日バンベルクでナチ党幹部会議が開かれ、ヒトラー収監中に起こった分裂に対し、ヒトラーの指導体制が確立。党内左派勢力は衰退する。
     3月16日ロバート・ゴダードが、マサチューセッツ州オーバーンの農場で初めての液体燃料ロケット「ネル」の発射実験を行い成功。しかし、危険な実験だと騒ぎになり、新聞記者らの間違った記事や、「専門家」らによる「科学的」批判を受ける。
     6月10日大阪に続き、東京にも市内1円均一のタクシー「円タク」が登場。
    12月25日大正天皇崩御。昭和天皇即位。
    12月25日浜松高等工業学校電気学科の助教授だった高柳健次郎が、ブラウン管を使ったテレビの送受信の実験に初めて成功する。最初に表示されたのは、カタカナの「イ」の字。走査線は40本だった。
    1927年(昭和2年)
     3月14日第52回帝国議会で、片岡直温大蔵大臣が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と失言し、取り付け騒ぎが起こる。
     3月18日アメリカより青い目の人形1万2739体が贈られる。
     3月20日イギリスとサウード家がジッダ条約を結び、ヒジャーズ・ナジュド王国として独立。後のサウジアラビア。
     3月27日台湾銀行が貿易商社鈴木商店への融資打ち切りを通告し、すでに負債を抱えていた同社の資金繰りが悪化。
     3月29日日本帝国海軍の戦艦日向が朝鮮半島の西側はるか沖合の東シナ海を航行中に暗礁に接触。調査され「日向礁」と名付けられる。現在も中国では「日向礁」と呼ばれているが、韓国は可居礁と呼び、施設を建造。
     4月 5日鈴木商店が倒産。台湾銀行の貸付金も焦げ付く。ふたたび金融不安が広がる。
     4月12日蒋介石が上海クーデターを起こし、共産党を攻撃。国共合作は瓦解。北京北洋軍閥政府の勢力を弱体化させ、張作霖とは反共で一致したために、国共合作の意味が無くなったことから、従来の反共に戻ったことによる。
     6月 5日ドイツのヨハネス・ヴィンクラーらロケット愛好者、研究者らが「宇宙旅行協会(VfR)」を設立。月へ行くことのできる宇宙飛行可能なロケットの研究が目的。軍にも接近し、ベルリンに実験場「ベルリンロケット発射場」を確保。
     7月13日中国共産党が対時局宣言を発し、国共内戦が始まる。
     9月21日日本で初めてのファッションショーが、三越ホールで行われる。一般から募集したデザインの着物を水谷八重子、東日出子、小林延子の3人の女優が着用して披露。
    12月30日日本初の地下鉄、東京地下鉄道・浅草駅-上野駅間が開業。現在の銀座線。
     セブンイレブンを生んだ会社「サウスランド・アイスカンパニー」設立。
    1928年(昭和3年)
     5月20日ドイツ国会議員選挙でナチ党が初出馬するが、12人の当選にとどまる。景気が好転したために、政府批判よりで危機感を煽るナチ党に支持が集まりにくかった。
     6月 4日張作霖爆殺事件。関東軍による謀殺事件。
     6月18日北極探検飛行で遭難した飛行船「イタリア」の救援に水上機で向かっていた探険家のアムンセンが消息を絶つ。
     6月29日治安維持法改正。厳罰化。
    10月 2日のちにバチカンの「属人区」(教会区の一種)となるオプス・デイがホセマリア・エスクリバーによりスペインで創立される。
     フリッツ・ラングによる映画『月世界の女』が公開。この作品ではロケット研究者らが制作に関わった。
    1929年(昭和4年)
     2月11日イタリア政府とバチカンとの間でラテラノ条約が成立。バチカン市国が誕生。
     2月14日聖バレンタインデーの虐殺。シカゴのギャング、アル・カポネが命じて、敵対組織モラン一家の構成員と市民をマシンガンで射殺した事件。
     4月 8日個性と人格を重んじた全人教育を主張する小原國芳が玉川学園を創設。
     4月14日第1回モナコグランプリ開催。モナコのモンテカルロ市街地コースを使ったレースの始まり。
     4月15日阪急百貨店開店。日本初のターミナルデパート。
     7月 1日国宝保存法施行。国宝が指定される(旧国宝で現在の国宝重要文化財ではない)。
     7月 2日張作霖爆殺事件にともなう処分をめぐって天皇の怒りを買った田中義一首相が辞表を提出し、内閣総辞職。
     8月15日エルサレムにある「嘆きの壁」で、ユダヤ人青年らの自衛団であるベタルのメンバーが同地のユダヤ人の権利を求めるデモを行う。この話が拡大してアラブ側に伝わり、アラブ側のデモを誘発。
     8月23日エルサレムなど各地で武装したアラブ側の住民らがユダヤ人居住区を襲撃。統治者のイギリス軍も出動して、アラブ民兵を攻撃したため、ユダヤ人、アラブ人に多数の死傷者を出す。いわゆる「ヘブロン虐殺事件」。
     9月 3日ニューヨーク株式市場が史上最高値に達する。以降、徐々に下落を始める。
    10月 1日ソビエトでソビエト連邦暦が導入される。グレゴリオ暦はそのままに、7曜制をなくして週5曜日とし、各曜日を5色に色分けして、国民全員にそれぞれの色を配色、自分の色の日が休日となるシフト制システム。宗教色を排し、休日が増える代わりに生産を止めることなく効率を高める目的で導入された。国民からは大不評だったと言われる。
    10月24日ニューヨーク株式市場が一気に大暴落。いわゆる「暗黒の木曜日」。世界恐慌の始まり。
     イギリス空軍のフランク・ホイットルがターボジェット機の論文を軍需省に提出する。
    1930年(昭和5年)
     1月 1日東京地下鉄道が上野から万世橋仮駅まで延長。開削式で建設していたため、神田川をくぐる工事が困難なことから、一旦、川の手前で開業したもの。
     1月21日海軍国である英、米、日、仏、伊の5カ国で、ロンドン海軍軍縮会議が始まる。
     2月18日アメリカのクライド・トンボーが、師のパーシヴァル・ローウェルの主張をもとに、1万枚以上の写真の中から冥王星を発見する。
     4月22日ロンドン海軍軍縮会議で英、米、日の妥協が図られ軍縮条約が成立。仏、伊は条件が折り合わず事実上の離脱。
     4月バンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビル(283m、70階・のち40ウォール・ストリートと改名)がニューヨークに完成し、高層ビル世界一の座をウールワースビルから奪う。
     5月17日第一次世界大戦のドイツの賠償案の変更を定めたヤング案が発効する。ドイツへの資本投下を行うアメリカの思惑を反映し、ゼネラル・エレクトリック社会長オーウェン・ヤングらによってまとめられた賠償軽減案だが、ドイツ国民の反感を買い、ナチ党飛躍の要因の一つとなった。大幅に減額し超長期の返済期間を定めている。
     5月28日建設中から世界一競争をしていたクライスラービルが完成し、バンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビルを追い抜いて、世界一となる(塔頂部まで高さ320m)。エッフェル塔(当時312m)も追い抜いたことでビル以外の高層建築でも世界一に。アールデコ様式の独特のデザインで有名。
     8月18日作家谷崎潤一郎が、妻・千代と離婚し、作家佐藤春夫がその千代と再婚することを連名で発表し、細君譲渡事件と世間で騒がれる。
     9月14日ドイツ国会議員選挙。世界恐慌の影響で社会不安が強まり、ナチ党が15.7%の得票率で第二党(107議席)、ドイツ共産党が13.1%の得票率で第三党(77議席)に躍進する(総数は577議席)。
    10月 2日日本がロンドン海軍軍縮条約に批准。天皇の統帥権干犯問題に発展する。
    11月28日太宰治が、知り合ったばかりの女給田部シメ子と心中を図り、田部だけが死亡。
     この年、香川県に豊稔池堰堤が完成。日本国内では非常に珍しい5連式マルチプルアーチダムで、地元の資材と、地元住民の労働力で作られた。
    1931年(昭和6年)
     1月21日宇宙旅行協会が、液体ロケットの発射実験を行う。高度90mに到達。
     3月14日宇宙旅行協会のヨハネス・ヴィンクラーらがデッサウでロケットHW-Iの打ち上げ実験を行う。
     4月18日アマチュアの考古学者、直良信夫が、兵庫県明石市の西八木海岸で、腰骨の一部を発見。いわゆる「明石原人」。のち空襲で失われ、実際にいつの時代の人間の骨だったのかは不明。
     5月 1日ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングが完成。高さは443.2m、102階建て。クライスラービルを抜いて世界一高いビルとなり、その後42年間世界一の座を守った。
     6月21日ドイツの鉄道車両シーネンツェッペリンが、230km/hを達成。
     8月25日羽田空港が開港。当初は300m×15mの滑走路1本。
     9月18日柳条湖事件。南満州鉄道が爆破され、それを理由に関東軍が満洲の武力制圧に動く。満洲事変の始まり。
     9月18日ヒトラーが結婚まで考えたほど溺愛していた姪のゲリ・ラウバル(異母姉アンゲラの娘)が自殺。画家との交際を反対された挙句の自殺だったと言われる。
    11月21日東京地下鉄道が神田まで延長。万世橋駅は廃止。
    12月 5日ソ連政府により、モスクワの救世主ハリストス大聖堂が爆破解体される。跡地に大ソビエト宮殿の建設が進められるが、戦争とスターリン体制の崩壊で中止となった。大聖堂は2000年に再建。
    12月11日英国で、英連邦を法的に定めるウェストミンスター憲章が成立。イギリス、アイルランド自由国、カナダ、ニューファンドランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦が同格の連邦を構成する。
    1932年(昭和7年)
     1月 6日春秋園事件。天竜や大ノ里ら多数の力士が、相撲協会に対し待遇改善と、集客増加のための改革を求める。
     1月 8日桜田門事件。陸軍始観兵式を終えて戻る途中の昭和天皇が乗車した馬車(御料車)に韓人愛国団のメンバー李奉昌が爆弾を投げつける。一木喜徳郎宮内大臣の乗る馬車が破壊される。
     1月 9日春秋園事件。天竜や大ノ里らは協会側との意見対立が解消せず、新たな賛同者も含めた幕内・十両力士の大半の48人が脱退して新組織を起こす。協会側は番付編成が混乱し、十両や幕下からも急遽昇進させる事態に。
     1月18日上海で日蓮宗僧侶らが襲われ、1人が死亡、2人が重症を負う。
     1月28日第一次上海事変。桜田門事件に関する「民国日報」の報道と、日蓮宗僧侶襲撃事件を受けて現地日本人が反発。これをきっかけに日中両軍が衝突。
     2月 9日井上準之助前蔵相が血盟団員・小沼正に射殺される。血盟団事件の始まり。
     3月 1日満洲国建国宣言。
     3月 5日三井銀行本店の玄関前で三井財閥の團琢磨が血盟団の菱沼五郎の手で射殺される。
     3月 7日玉ノ井バラバラ事件。バラバラ殺人事件という表現の始まりとなった殺人事件。
     3月11日血盟団の代表、井上日召が自首。血盟団が一斉摘発される。
     4月29日上海天長節爆弾事件。韓人愛国団のメンバー尹奉吉によって、天長節の集会会場に爆弾が投げ込まれ、上海派遣軍司令官白川義則大将と上海日本人居留民団行政委員長の河端貞次が死亡、第9師団長植田謙吉中将・第3艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将・在上海公使重光葵・在上海総領事村井倉松・上海日本人居留民団書記長友野盛が重傷を負う。
     5月 9日坂田山心中事件。新聞の「純潔の香高く 天国に結ぶ恋」で有名に。
     5月15日五・一五事件勃発。海軍の青年将校らによって、首相の犬養毅が暗殺される。
     5月20日アメリカ人女性飛行士アメリア・イアハートが、ニューファンドランド島からアイルランド島のロンドンデリーまで飛行し、単独大西洋横断に成功。
     7月 8日ニューヨーク株式市場が再び最安値に達する。
     7月31日ドイツ議会の選挙が行なわれ、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が230議席を獲得し第一党となる。
     9月23日アラビア半島のサウード家が、ヒジャーズ・ナジュド王国とハッサ、カティフなどの地域を統合して、サウジアラビア王国を興す。
    10月 1日東京府東京市に、近隣の荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の5郡82町村全域が編入されて、新たに20区を置き東京市35区となる。
    10月 6日宇宙協会のヨハネス・ヴィンクラーらが、政界関係者の視察の中、ロケットHW-IIの公開打ち上げを行うも、爆発して失敗に終わる。しかしこれらの実験で政界・軍部の注目を得るようになる。
    10月 3日満洲開拓武装移民団第一陣416人が出発。
    10月10日桜田門事件の李奉昌が処刑される。
    11月宇宙旅行協会のフォン・ブラウン、ドイツ陸軍のロケット開発に携わるようになる。当時のロケットは大砲の延長線上のようなイメージだったため、陸軍砲兵部隊の管轄。
    1933年(昭和8年)
     1月30日ヒトラーが首相となり、ヒトラー内閣が成立。
     2月 1日ヒトラー、ドイツ国会を解散し、総選挙を決定。
     2月20日築地署事件。プロレタリア作家の小林多喜二が特高警察による拷問で死亡する。
     2月24日国際連盟ジュネーブ特別総会で、満洲をめぐる日本と中華民国の紛争を調査したリットン調査団の報告書(日中和解対策法)が可決される。松岡洋右代表らが退席。ただし言われているような、ここで脱退の宣言をしたわけではない。
     2月27日ドイツ国会議事堂放火事件。ドイツ共産党への非合法化と弾圧の口実となる。
     3月 8日国際連盟ジュネーブ特別総会での、リットン調査団の報告書可決を受け、日本政府は国際連盟の脱退を決める。
     3月22日ナチス・ドイツの強制収容所のモデルと言われるダッハウ強制収容所が開所する。
     3月24日ドイツでナチ党に国家人民党と中央党が協力する形で全権委任法が成立し、ヒトラー内閣に立法権が与えられ、大統領と議会は形骸化。法制度上もナチスの独裁となる。
     3月28日ドイツで「反ユダヤ主義的措置の実行に関する指令」が出され、ナチス党員によるユダヤ商店への妨害・破壊行為が日常化する。
     4月 1日重要美術品等ノ保存ニ関スル法律施行。国宝保存法で定めていない美術品の保護に関する法律。
     4月 4日航空機5機を搭載できる大型硬式飛行船「空中空母」アクロン号が、嵐の中、ニュージャージーの沖合に墜落。乗員73名が死亡。
     4月 7日ドイツで職業官吏団再建法が成立し、ユダヤ人が公務員職から追放される。
     6月17日ゴー・ストップ事件が起こる。陸軍兵士の交通ルール違反をめぐって陸軍と警察が対立した事件。
     7月10日戸塚球場で行われた早大ニ軍対新人戦で、初めてナイター試合が行われる。なおプロ野球の初ナイター試合は1948年8月17日。
     7月14日ヒトラー政権、ナチ党以外の政党を禁止。
     7月20日ナチ党とバチカンのコンコルダート(政教条約)締結。カトリック教徒への迫害を避けるため。
     7月25日山形県山形市で40.8℃の気温を観測。2007年に更新するまで日本最高気温であった。
     7月宝塚少女歌劇団に星組を新設。東京での公演増加に伴い。
     8月11日関東防空大演習が行われる。信濃毎日新聞の主筆、桐生悠々が、帝都上空に敵機を侵入させた時点ですでに負けているのを前提とした演習を批判する『関東防空大演習を嗤う』の社説を執筆して大問題となる。
     9月30日宇宙旅行協会のロケット発射場「ベルリンロケット発射場」が閉鎖。水道料金の未払いが大きな理由。
    11月12日ネス湖の怪物「ネッシー」がはじめてヒュー・グレイによって写真に撮られ報道される。
    11月12日新疆省政府に反乱を起こしたウイグル人によって東トルキスタン・イスラム共和国が成立。翌年崩壊。
    11月20日昭和天皇の特命を受けた白根竹介兵庫県知事の調停で、陸軍と警察が和解。ゴー・ストップ事件は終結。
    12月 5日アメリカで憲法修正第18条が廃止され、国家禁酒法は違憲となり、禁酒法時代が終了。
    12月26日日本産業のグループ会社として自動車製造株式会社が設立される。後の日産自動車。
    1934年(昭和9年)
     1月 1日東京宝塚劇場が開場。
     2月 7日中島久万吉商工相が、1921年(大正10年)に静岡の清見寺で足利尊氏自作の木造を拝観し、同人雑誌『倦鳥』に尊氏を再評価すべきではないかと投稿した文章が、雑誌『現代』に転載されたことから、議会で「逆臣」足利尊氏を礼賛していると攻撃される。
     3月16日瀬戸内海・雲仙・霧島が、日本で初めて国立公園として指定される。
     3月21日函館大火。市街地の1/3(4146平方m)1万1105棟が焼失、2166名の死者を出す。
     5月23日ボニーとクライドが射殺される。
     6月 1日自動車製造株式会社の商号を日産自動車株式会社に改称。
     6月21日東京地下鉄道が当初の予定である新橋まで開通。
     6月30日ヒトラー、「長いナイフの夜」事件を引き起こして、党内突撃隊(当時ドイツ最大の軍事組織)のレーム一派、元左派のグレゴール・シュトラッサー、元首相のクルト・フォン・シュライヒャーなどを殺害。
     7月22日アメリカで大衆に人気のあった銀行強盗のジョン・デリンジャーがFBIに射殺される。
     7月25日オーストリアの独裁者で反ナチス政策を推進したエンゲルベルト・ドルフースがオーストリア・ナチス党員8人に首相官邸で射殺される。
     8月 2日ドイツのヒンデンブルク大統領が死去。ヒトラーは大統領職は継がず、フューラー(指導者・総統)として首相職と兼任して最高指導者となる。
     8月19日ドイツでヒトラー信任の民族投票を行い89.93%という支持率を得て承認される。
    11月 2日アメリカ・メジャーリーグの選抜選手が来日。
    11月16日昭和天皇誤導事件が起こる。群馬県桐生市で、視察に訪れた昭和天皇を道案内する際に道を間違え、担当した警部が責任をとって自殺を図り、重症を負った事件。
    11月19日噴火をきっかけに要望の高まっていた桜島と対岸の鹿児島を結ぶ村営定期船が運行開始。今の桜島フェリー。
    12月 1日東海道本線の丹那トンネルが開業。
    12月ドイツでA2ロケットの発射実験に成功。フォン・ブラウンらが開発に関わったロケット。V2ロケットの前段階的な機体。
     この年、ドイツの宇宙旅行協会が解散。軍部の協力要請を拒否したことや、資金面の問題などが理由といわれる。メンバーの多くは、その後、軍のミサイル開発に関わるようになる。
    1935年(昭和10年)
     1月11日アメリカ人女性飛行士のアメリア・イアハートが、ハワイからカリフォルニア州までの単独飛行に成功。
     1月宝塚大劇場が火災で焼失。
     2月12日硬式飛行船「空中空母」メイコン号が、カリフォルニア州サー岬沖で嵐に遭遇し、海上へ墜落。同型艦アクロン号の遭難の教訓で乗員の犠牲は2名にとどまる。
     2月14日日本の野球選抜チームが渡米。
     2月18日天皇機関説事件。貴族院本会議で菊池武夫議員が機関説の代表的主唱者であった憲法学者の美濃部達吉議員を非難。
     3月 8日忠犬ハチ公が渋谷駅前の稲荷橋付近で死亡しているのが発見される。
     3月16日ヒトラーによりドイツ再軍備が決定。ドイツ空軍(ルフトバッフェ)が発足する。
     3月20日大井川電力の専用鉄道線として、千頭-大井川発電所間の運行が始まる。大井川鐵道。
     3月21日世紀の冤罪事件、吉田巌窟王事件で、吉田石松が出獄。再審請求がはじまる。
     4月宝塚大劇場が再建される。
     6月 7日日本放送協会名古屋中央放送局(現在のNHK名古屋放送局)が、愛知県の鳳来寺山で「ブッポウソウ」と鳴く鳥の声を中継放送を行う。その後、放送に反応して鳴いた鳥が東京浅草でみつかり、調査の結果、ブッポウソウと鳴くのは、ブッポウソウ科の鳥ではなく、コノハズクであることが判明。
     8月12日相沢事件。統制派の陸軍省軍務局長永田鉄山少将が皇道派の相沢三郎中佐に陸軍省軍務局長室で斬殺される。
     9月15日ドイツで「ドイツ人の血と名誉を守るための法」と「帝国市民法」が制定(ニュルンベルク法)。本来宗教で区別されるユダヤ人を、祖父母及び両親の何れかにユダヤ教徒がいれば、本人の宗教は関係なくユダヤ人とする「人種化」を定めた法律。
     9月19日ソ連のロケット研究者ツィオルコフスキーが78歳で死去。国葬が行われる。運搬装置のロケットだけでなく、人工衛星や軌道エレベーターの構想もしていた先進的な人物。SF作家でもあり、「ロケット工学の父」と呼ばれている。
     9月26日第四艦隊事件。日本海軍が演習のために編成した第四艦隊が、三陸沖の太平洋上で、台風の中で演習を強行したところ、参加艦艇の半数が損傷するという事態に。
    11月24日ドイツで、帝国市民法第一次施行令が発布され、祖父母4人のうち1人がユダヤ教徒である場合はドイツ人とし、2人以上であればユダヤ人とする厳密な区別が定められる。
    12月 8日第二次大本事件。新興宗教団体大本(大本教)が、政府によって徹底的に弾圧され、本部も完全に破壊される。
     博文館より国語辞典『辞苑』発行。
    1936年(昭和11年)
     2月 5日現在のプロ野球の祖、職業野球連盟が設立。東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋ドラゴンズ、東京セネタース、名古屋金鯱軍、阪急軍、大東京軍の7チームが加盟。
     2月26日二・二六事件勃発。陸軍皇道派の青年将校が、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊を率いて帝都中枢を占拠。斎藤内大臣、高橋蔵相、渡辺教育総監を殺害。鈴木侍従長が重症を負う。警備の警官数名も死傷。
     2月29日二・二六事件終結。反乱と対応策に激怒した昭和天皇の鎮圧の命令と、蹶起部隊を所属原隊に撤退させよという奉勅命令が下り、軍は鎮圧に動くことになり、反乱将校らは一部が自決し、残りは法廷闘争のため降伏。
     3月 7日ヒトラー政権、ヴェルサイユ条約とロカルノ条約に反して、非武装地帯ラインラントへ進駐。各国からは明確な批判がなく、ヒトラーの拡張政策につながっていく。
     5月18日軍部大臣現役武官制が復活する。
     6月26日世界初の実用ヘリコプター、Fw61が初飛行。ドイツの研究者ハインリヒ・フォッケが開発。
     7月31日第12回夏季オリンピックを東京で開催することが決定される。
     8月 1日第11回夏季オリンピック、ベルリン大会開催。16日まで。聖火リレーのイベントが始めて行われる(聖火自体は古代オリンピックから、聖火台は1928年のアムステルダムオリンピックから存在)。
     9月 5日ロバート・キャパがスペイン内戦のさなかに『崩れ落ちる兵士』を撮影。
     9月 7日オーストラリア・タスマニアの動物園で飼育されていた有袋類の一種フクロオオカミの最後の1頭「ベンジャミン」が死亡し絶滅。
     9月19日関門海底トンネルの建設を開始。
     9月25日澤村栄治が日本プロ野球初のノーヒットノーラン。
    10月 1日フランコがスペイン内戦の反乱軍総司令官に就任。スペイン・フランコ独裁政権の原点。
    10月 1日東京府東京市世田谷区に北多摩郡砧村と千歳村が編入される。現在の東京都区部の範囲が定まる。
    11月 7日国会議事堂竣工。高さ65.45mで日本一の建物となる(それまでは三越本館)。
    11月25日日独防共協定締結。
    12月12日西安事件。国民党の蒋介石が張学良・楊虎城によって監禁され、抗日国共合作につながった事件。
    1937年(昭和12年)
     1月20日アメリカ合衆国憲法修正第20条の成立により、大統領の任期の切り替えが1月20日となる。フランクリン・ルーズベルトの2期目から実施。
     2月17日死のう団事件。日蓮会殉教衆青年党の信者5人が皇居前広場などで「死のう死のう」と叫んで切腹する。全員軽症。
     4月 3日愛新覚羅溥傑と嵯峨浩が、東京の軍人会館で結婚式を挙げる。
     4月 6日イギリス皇帝ジョージ6世の戴冠式の奉祝として、朝日新聞社主催の亜欧連絡飛行計画で「神風号」が東京立川飛行場を離陸。
     4月 9日亜欧連絡飛行の「神風号」がロンドンに到着し成功する。立川を離陸して94時間17分56秒(実際の飛行時間は51時間19分23秒)かかる。
     4月26日スペイン内戦でゲルニカがドイツ空軍「コンドル軍団」によって無差別爆撃される。
     5月 6日ドイツの飛行船ヒンデンブルク号爆発事故。アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場で、ドイツ・フランクフルトから飛来したドイツの硬式飛行船・LZ129ヒンデンブルク号が爆発炎上し墜落。乗員乗客35人と地上の作業員1名が死亡。当初は浮揚ガスの水素が炎上したとされていたが、のちに外皮の塗料が放電によって発火したという説が有力になる。
     7月 2日アメリカ人女性飛行士で冒険家のアメリア・イアハートが、赤道上世界一周飛行中に南太平洋で消息を絶つ。
     7月 7日北平(北京)郊外の盧溝橋で日本陸軍支那派遣軍と中華民国国民革命軍第29軍が武力衝突。盧溝橋事件。
     7月11日盧溝橋の武力衝突で、日本の松井特務機関と、現地自治政府である冀察政務委員会の間で休戦協定が締結される(松井・秦徳純協定)。しかし日本政府は追加派遣を決定。蒋介石も抗日戦を主張し、日中戦争へと拡大する。
     9月 6日岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄の3人の発起により劇団「文学座」が創立される。
     9月10日写真化学研究所(PCL)、ピー・シー・エル映画製作所、ゼーオー・スタヂオ、東宝映画配給の4社が合併し、東宝映画株式会社が誕生する。
     9月11日後楽園スタヂアムがオープン。
    10月25日企画庁と内閣資源局が統合して企画院が発足。
    11月 6日日独伊防共協定成立。
    1938年(昭和13年)
     1月26日ヒトラー、国防相ブロンベルク元帥をスキャンダルを理由に罷免。
     1月27日東京帝国大学経済学部の河合栄治郎教授(自由経済主義者)の書籍が発禁処分を受けたことをうけて、平賀譲総長が、河合栄治郎への休学処分にあわせて、河合と激しく対立する土方成美教授(統制経済主義者)も休学処分とする。同学部の教授らが学問に対する侵害だとして辞表を提出する事態に発展する。
     1月28日ヒトラー、国防相ブロンベルク元帥に続き、陸軍総司令官フリッチュ上級大将をスキャンダルを理由に罷免し、独立志向のあった軍を掌握。
     2月16日ソ連の発注で、耐氷貨物船の「ボロチャエベツ」が、川南工業香焼島造船所で進水。後の南極観測船「宗谷」。
     3月 3日「黙れ事件」。衆議院の総動員委員会で、陸軍軍務局の佐藤賢了中佐の発言が長引いたことに対し政友会の宮脇長吉議員が批判をしたところ、佐藤中佐が「黙れ」と発言し委員会が紛糾したもの。杉山陸軍大臣が遺憾の意を示して収拾を図った。
     3月12日ヒトラーに併合への最後通牒を受けたオーストリア首相クルト・シュシュニックが、やむなく要求を飲んで辞任。ドイツ軍がオーストリアに進駐を開始する。
     3月13日あらたにオーストリア首相となったアルトゥル・ザイス=インクヴァルトが合併法を発布し、オーストリアはドイツに併合される。いわゆる「アンシュルス」。
     3月17日西尾末広除名事件。衆議院本会議で、国家総動員法成立を目指す近衛内閣に対する賛成演説を行った社会大衆党の西尾末広議員が「ヒットラーの如く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべき」と発言したことに、スターリンの名を出すのはけしからんとして除名処分に発展。なお全く同様の発言をあえてした尾崎行雄議員にはなんのお咎めもなかった。
     3月25日文学座の初公演。「みごとな女」「我が家の平和」「クノックス」の3本が上演される。
     4月 1日国家総動員法施行。電力国家統制法3法も施行され、配電を除く発送電事業は日本発送電株式会社に統合される。
     4月24日チェコスロバキア・ズデーテンのズデーテン・ドイツ人党党首コンラート・ヘンラインが、チェコスロバキア政府に対し、同地方に多く住むドイツ人の自治権を要求。これがきっかけでナチス・ドイツとチェコスロバキアの対立に発展。
     4月宝塚少女歌劇団の星組が一旦廃止される。
     5月28日ヒトラー、チェコスロバキア侵攻を決定。
     7月15日第12回オリンピック東京大会の開催中止が閣議で決定される。日中戦争勃発に伴う内外からの批判を受け。第5回冬季オリンピック札幌大会も中止に。
     7月22日スターリンの大粛清の中、ジェット推力研究所の所長コロリョフが冤罪により逮捕される。拷問の末に「自白」しシベリアへ流刑。友人だったロケット研究者ヴァレンティン・グルシュコが逮捕され尋問を受けた際にコロリョフの名を出したことが原因だとされる。両者は戦後のミサイル開発で重要な地位に就くも、このことと技術方針の対立で死ぬまで不和が続いた。
     8月17日ドイツでユダヤ人の強制改名(ドイツ風ではなくユダヤ風の名前に変える)が始まる。
     9月15日ドイツ・ベルヒテスガーデンで、ズデーテン問題に関して、ヒトラーとイギリス首相ネヴィル・チェンバレンの首脳会談が行われる。
     9月18日ズデーテン問題に関して、イギリス首相ネヴィル・チェンバレンと、フランス首相エドゥアール・ダラディエの首脳会談が行われる。
     9月19日イギリスとフランス政府は、チェコスロバキア大統領エドヴァルド・ベネシュに対して、ズデーテン地方のドイツへの割譲を勧告。ベネシュはこれを拒絶。
     9月22日チェコスロバキア政府、ズデーテン割譲に同意し、翌日ミラン・ホッジャ内閣は総辞職。ヤン・シロヴィー政権樹立。チェンバレンとヒトラーが会談。ヒトラーは強硬姿勢を変えず。
     9月23日チェコスロバキア政府、総動員令を出す。
     9月24日チェコスロバキアと同盟しているフランスも動員令を発する。
     9月25日イギリス首相チェンバレン、ヒトラーに、チェコスロバキアのベネシュ大統領と仲介する意図を伝えるがヒトラーは拒否。
     9月27日ヒトラー、ズデーテン問題で最後通告。
     9月28日イタリア首相ベニート・ムッソリーニが仲介に乗り出し、ヒトラーもこれに応じる。
     9月29日ヒトラー、イギリス首相ネヴィル・チェンバレン、フランス首相エドゥアール・ダラディエ、イタリア首相ベニート・ムッソリーニとミュンヘン会談をおこない、翌30日、チェコスロバキア西部のズデーテン地方のドイツ割譲、チェスキー・チェシン地方のポーランド割譲、南部スロバキアをハンガリー割譲、カルパティア・ルテニア(カルパト・ウクライナ)の自治拡大を認めさせる。チェコスロバキア政府は受諾しベネシュは辞任。スロバキアとカルパティアの割譲を求めたハンガリーは納得せず。英仏では戦争が回避されたと市民らが歓迎する。
    10月 1日ドイツ軍がズデーテン地方へ進駐を開始。チェコスロバキア第二共和国政府樹立。
    10月 2日ポーランド軍がチェスキー・チェシン地方に進駐を開始。
    10月 6日ポーランド政府が旅券法を更新し、ドイツのポーランド系ユダヤ人のポーランド入国を制限。これによりユダヤ人のポーランド移送を進めようとしたドイツとの間で対立が生じる。ポーランド系ユダヤ人が両国の間に挟まれて難民化。
    10月 8日チェコスロバキアのスロバキアとカルパティア・ルテニアが自治権を獲得。
    10月30日アメリカでラジオドラマ『宇宙戦争』が放送され、そのリアルな導入部(臨時ニュース形式)を実際の事件と勘違いした市民100万人がパニックを起こす。
    11月 7日ポーランド系ユダヤ人の措置問題を知ったフランス在住のポーランド系ユダヤ人ヘルシェル・グリュンシュパンが、事態を世界に訴えようとパリのドイツ大使館で、応対した三等書記官エルンスト・フォム・ラートを銃撃、ラートはまもなく死亡する事件が発生する。
    11月 9日エルンスト・フォム・ラートの死亡事件がドイツに伝わり、全土でユダヤ商店やシナゴーグを襲う暴動が発生。いわゆる「帝国水晶の夜事件」。ナチスによる官製暴動だとも言われる。
    11月11日ドイツでユダヤ人の武装禁止が定められる。
    11月12日ドイツでユダヤ団体に暴動に関する罰金、ドイツ企業にユダヤ人の解雇、破壊された施設の修復をユダヤ人に命じる3政令が発せられる。
    11月15日ドイツでユダヤ人の子供がドイツ人学校へ通うのが禁止される。
    11月18日地下鉄東京高速鉄道の青山六丁目(表参道)-虎ノ門間が開業。後の銀座線の一部だが、当時は別会社だった。
    11月23日ドイツでユダヤ人の文化施設(劇場・映画館・音楽会・ダンス場)入場が禁止される。
    12月20日東京高速鉄道の渋谷-青山六丁目間が開通。
    12月31日ドイツでユダヤ人の身分証明書にユダヤ人であることを示す「J」の文字が記入されることになる。
    12月ドイツ海軍の空母A(グラーフ・ツェッペリン)が進水。
     ドイツ海軍の空母B(ペーター・ストラッセル)が起工される。
    1939年(昭和14年)
     1月16日東京高速鉄道の虎ノ門-新橋が開業し、渋谷から新橋までが全通。
     3月14日チェコスロバキアのスロバキアと、カルパト・ウクライナが分離独立。
     3月15日ヒトラーとチェコスロバキアのエミール・ハーハ大統領が会談。ハンガリーの圧力を恐れるハーハを脅し、ドイツ軍介入を要請させ、それを口実に、チェコを「ベーメン・メーレン保護領」として吸収、分離したスロバキア共和国を傀儡国家として事実上併合させる。
     3月16日ハンガリーがカルパト・ウクライナに軍事侵攻しこれを併合。
     3月23日ヒトラー政権、リトアニア政府からメーメル地方を割譲させる。
     3月27日スペイン内戦で、マドリードが陥落し、フランコ政権が樹立。
     5月11日ノモンハン事件勃発。満洲国軍とモンゴル軍が領有権係争地のハルハ川付近で武力衝突。日本・ソ連両軍が介入。
     5月13日国産テレビの試験放送開始。日本放送協会の放送技術研究所が電波を発射。
     7月 1日ノモンハン事件で、日本軍が攻勢をかける。
     7月 6日帝国海軍の十二試艦上戦闘機(のちの零式艦上戦闘機(ゼロ戦))の初試験飛行を開始。
     7月10日イェドヴァブネ事件。ポーランド・イェドヴァブネで住民がユダヤ系住民を虐殺する。ナチスによる直接的な犯行ではなく、住民に反ユダヤ主義が広がったために起こった事件。
     8月20日ノモンハン事件で、ソ連軍が攻勢に出る。
     8月 2日後に原爆開発につながったアインシュタインとシラードの手紙署名。
     8月23日独ソ不可侵条約が締結され、日本に衝撃を与える。
     8月27日ドイツのハインケル社が開発したHe178が世界初のジェット飛行に成功。
     8月28日独ソ不可侵条約を受けて、ドイツと反共軍事同盟を進めていた平沼騏一郎内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」と表明して総辞職。
     9月 1日ドイツ軍がポーランドへ侵攻。第二次世界大戦が始まる。また同日、ドイツでユダヤ資本が完全に禁止される。
     9月16日ノモンハン事件で、日本・ソ連両国が休戦協定を結び、紛争は終結する。
     9月16日東京地下鉄道と東京高速鉄道が新橋駅で相互乗り入れ。
    11月10日朝鮮総督府が、制令で「朝鮮人ノ氏名ニ関スル件」を発布。いわゆる創氏改名。新たに「氏」を創設する創氏と改名の法的手続きが定められる。任意の制度で、「氏」は宗族制度が浸透している朝鮮にはない「各家」ごとの名前であるため、反発するものも出たが、行政サービスや社会的運動から8割が創氏する。
    11月30日ソ連軍がフィンランドに侵攻。冬戦争が勃発する。寡兵で貧弱な装備しかないが統制されたフィランド軍に、大軍を擁しながらずさんな作戦を実行したソ連軍が大敗を喫する。
    1940年(昭和15年)
     1月10日ドイツ空軍第2航空艦隊参謀将校が乗った航空機が墜落し、機密の一部がベルギー側に漏れる事件(メケレン事件)が発生。ヒトラーはこれを理由に対フランス作戦の方針を、ベルギー主要部を通過してフランス北部へ侵入する古いシュリーフェン・プランから、アルデンヌの森を通過してフランス領に入るマンシュタインプランに変更する。
     1月21日浅間丸事件。豪華客船浅間丸がイギリス巡洋艦に臨検され、ドイツ人乗客が連れ去られた事件。
     1月29日大阪で、西成線列車脱線火災事故が起こる。当時普及していたガソリンカー(気動車の一種)が脱線・転覆で炎上。死者189名、重軽傷者69名という大惨事になる。
     3月30日汪兆銘政権の樹立。日本と協力関係を決めた汪兆銘と、中華民国の反蒋有力者や旧北洋軍閥政府の閣僚らによって興された政権。中華民国の正統政権を主張する。
     4月 9日ナチスドイツがデンマーク、ノルウェーに侵攻。
     4月13日初めてのテレビドラマ『夕餉前』が試験放送される。14日、20日にも放送。
     5月 1日国民優生法公布。「悪質なる遺伝性疾患を持つ人物」等を断種する法律。
     5月10日イギリスがデンマーク領アイスランドを占領。
     5月10日ナチスドイツ、フランスに侵攻を開始。
     5月13日アメリカの試作ヘリコプターVS-300が初飛行。開発したのは亡命ロシア人の研究者イーゴリ・シコルスキー。
     6月14日ナチスドイツ、パリに入城。
     6月17日フランス政府内部で和平派が権力を握り、ペタン元帥が首相に就任。
     6月21日フランス、ナチスドイツに降伏。独仏休戦協定締結。
     6月25日ドイツ、フランス政府を使って、ユダヤ人をマダガスカルへ移住させる計画案が出される。いわゆるマダガスカル計画。
     6月27日ソ連のソビエト連邦暦が廃止される。
     7月 1日フランス政府、首都を臨時首都のボルドーから中部のヴィシーに移転。
     7月25日スイスで軍の最高司令官となっていたアンリ・ギザンが、中立を保ち、ナチスドイツへの協力を拒絶する「リュトリ演説」を行う。
     7月18日杉原千畝がユダヤ系難民に日本通過ビザの発行をはじめる。
     7月十二試艦上戦闘機が制式採用され零式艦上戦闘機となる。中国戦線へ投入。
     8月30日ヒトラー政権、ウィーン裁定によりトランシルバニア地方の領土問題を調停。
     9月 4日この日まで、杉原千畝によって日本通過ビザの発給が行われた。最後は出発前のベルリン行の列車の中で記されている。
     9月21日第12回オリンピック東京大会の開会が予定されていた日。実際には中止。
     9月27日日独伊三国同盟締結。
    10月15日チャールズ・チャップリン監督・主演の映画『独裁者』が初公開。
    10月28日ドイツ軍、バルカン半島に侵攻。
    10月宝塚少女歌劇団が宝塚歌劇団に改められる。
    11月24日「最後の元老」西園寺公望死去。中国情勢などを悪化させた近衛文麿を首相に推挙したことを悔い、死ぬ間際まで日本の将来を憂いていたと言われる。
     ドイツ海軍の空母B(ペーター・ストラッセル)の建造が中止になる。
    1941年(昭和16年)
     3月 1日国民学校令公布。尋常小学校6年と高等小学校2年が廃止され義務教育8年制の国民学校に変更される。
     3月10日治安維持法改正。適用対象が拡大し、さらに厳罰化。
     3月28日マタパン岬沖海戦。地中海のギリシャマタパン岬沖からクレタ島沖合にかけて、イギリス海軍及びオーストラリア海軍とイタリア海軍の間で行われた海戦。イギリス海軍が勝利し、制海権を確保。北アフリカ戦線へも影響することになる。
     4月14日東京府、肉無し日を制定。月2回、肉の販売を制限するというもの。
     5月 8日東京肉無し日スタート。
     5月10日ルドルフ・ヘス事件が起こる。ナチ党副総統のルドルフ・ヘスが、独英講和の交渉を行うとして、ヒトラーに相談せず戦闘機メッサーシュミットBf110で渡英。英国政府はヘスに面会後、拘禁。
     5月15日グロスター社による最初のジェット機グロスターE.28/39が初飛行。
     6月22日バルバロッサ作戦が発動され、ドイツ軍はソ連領に侵攻する。
     7月 2日御前会議において「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が決定され対ソ戦準備と、南部仏印進駐などが決まる。
     7月 4日非採算事業目的の特殊法人「経営財団」として住宅営団、農地開発営団、帝都高速度交通営団が設立される。
     8月30日配電統制令公布。即日施行。全国の配電事業者を統合し国内9ブロックの配電会社に再編成される。
     9月 1日帝都高速度交通営団が東京地下鉄道、東京高速鉄道、それに運行事業準備中だった京浜地下鉄道を引き継いで、地下鉄の運行を開始。
     9月 6日御前会議で「帝国国策遂行要領」が決定され、対米交渉案がまとめられる。
     9月10日反骨のジャーナリスト、桐生悠々が病没。
    10月11日チトーがパルチザン活動を開始。後のユーゴスラビア・チトー政権。
    10月17日東条内閣成立に伴い、帝国国策遂行要領が一旦白紙に戻される。
    11月 5日御前会議で、帝国国策遂行要領が再決定され、対米交渉についての条件案と、交渉失敗時の武力行使の予定期日が定められる。
    12月 8日真珠湾攻撃。太平洋戦争開戦。連合艦隊の航空部隊が真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊と、港湾施設、航空基地を攻撃。戦艦5隻を撃沈。
    12月10日マレー沖海戦。日本海軍第二十二航空戦隊の一式陸上攻撃機などが、イギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと、巡洋戦艦レパルスを撃沈する。
    12月21日日本とタイの間で日泰攻守同盟条約が締結される。
    1942年(昭和17年)
     1月20日ベルリンのヴァンゼーで、ナチス親衛隊幹部や東方占領地の行政官らが集まり、「ユダヤ人問題の最終的解決」を確認するヴァンゼー会議が開かれる。
     1月25日タイが米英に宣戦布告。
     2月24日潜水艦伊17が、カリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所を砲撃。
     2月25日ロサンゼルスの戦い」。ロサンゼルス都市圏で謎の飛行物体が目撃され、日本軍機の襲来として砲撃を行う騒ぎになる。砲撃の破片などで市民3名が死亡、心臓麻痺などで3名が死亡する。日本側に記録がないことから、誤報か、何かを見間違えたかという説が有力。UFO説もささやかれている。
     2月27日スラバヤ沖海戦。蘭領インドシナの制海権をめぐる日本軍と連合軍の海戦。
     3月17日マレーの虎「ハリマオ」こと谷豊がシンガポールで病死。
     4月18日ドーリットル隊B-25爆撃機16機が東京市、川崎市、横須賀市、名古屋市、四日市市、神戸市を爆撃。
     4月26日大倉財閥系列の満洲にある本渓湖炭鉱で粉塵爆発。坑夫1549人が死亡。日本関係の炭鉱で最悪の事故。
     5月 8日珊瑚海海戦。米海軍空母レキシントンが沈没、ヨークタウンが中破。日本海軍の祥鳳が沈没、翔鶴が大破。日本側の辛勝となるも、航空兵力の損失でポートモレスビー攻略が不可能になる。
     5月26日湧別機雷爆発事件。少し前に北海道紋別郡下湧別村の海岸2箇所に2つの機雷が漂着。1箇所にあつめて爆破処理する際に誘爆しないよう移動させていたところ爆発。爆破処理作業は広く伝わっており、各地から見学客が集まっている中で起きたため、106名が死亡する惨事となった。
     5月31日特殊潜航艇「甲標的」によるシドニー港攻撃。豪海軍の宿泊艦1隻が沈没。参加した甲標的も全て沈没。
     6月 7日ミッドウェー海戦終結。日本側は赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4空母と重巡三隈を失い大敗を喫する。アメリカも空母ヨークタウンを失う。
     6月11日関門鉄道トンネルが開通し試運転が行われる。海の下を通るトンネルとしては世界で最初。
     6月12日アンネ・フランクが、日記を書き始める。いわゆる『アンネの日記』。1944年8月1日まで。
     6月28日ドイツ軍は資源地帯カフカース方面進出のブラウ作戦を発動し、その途上のスターリングラード攻略に乗り出す。
     7月19日ドイツ親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーが、ポーランド各都市のゲットーに押し込められているユダヤ人を収容所へと強制移送することを命じる。
     8月 7日米軍がガダルカナル島の日本軍を攻撃。ガダルカナル島の戦いが始まる。
     8月19日カナダ軍主体のジュビリー作戦が実施され、フランスのディエップに上陸するも、ドイツ軍に大敗を喫して失敗に終わる。
     9月 9日日本海軍潜水艦伊25搭載の零式小型水上偵察機によるアメリカ本土空襲。オレゴン州ブルッキングス郊外の森に、焼夷弾を投下。
     9月29日日本海軍潜水艦伊25搭載の零式小型水上偵察機によるアメリカ本土空襲。オレゴン州オーフォード郊外の森に、焼夷弾を投下。
    10月 3日ナチス・ドイツがV2ロケット(A4)の打ち上げに成功する。史上最初の宇宙に出た飛行物体であり、成功した初の弾道ミサイル。
    10月26日南太平洋海戦(サンタ・クルーズ諸島海戦)。日米の空母部隊による海戦。米海軍の空母ホーネットが沈没、エンタープライズが中破。日本海軍の空母翔鶴と瑞鳳が中破。米軍の主力空母はほぼすべて損失か修理に追い込まれるが、日本側の航空兵の損害も大きく(ミッドウェー海戦よりも大きい)、ガダルカナルへの支援は困難になり、また海軍戦力の後退のきっかけとなった。
    11月30日横浜港に停泊していたドイツのタンカー・ウッカーマルクで火災が発生し、その後大爆発を起こす。付近に停泊していた仮装巡洋艦トール、客船ナンキン、軍徴用船第三雲海丸も巻き添えで沈没。ドイツ人将兵、中国人、日本人ら102名が死亡。
    12月31日御前会議でガダルカナル島からの撤退が決定する。
    1943年(昭和18年)
     1月15日アメリカ陸軍省ビルとして世界最大のオフィスビル「ペンタゴン」が竣工。
     1月31日スターリングラードのドイツ軍が降伏。
     2月 1日アメリカとイギリスが、ソ連の暗号解読を行なって情報を探るヴェノナ計画をスタートさせる。
     2月 7日日本軍がガダルカナル島から撤退する。死者2万を出し、うち1万5千人が病死や餓死。
     2月13日通天閣の解体が始まる。金属供出のためと、足元の映画館の火災で損傷したため。
     2月22日反ナチスの「白いバラ」運動メンバー、ハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショルの兄妹が処刑される。
     3月13日ドイツ軍のトレスコウ少将によるヒトラー搭乗機爆破未遂事件が起こる。
     4月13日ドイツがソ連領のカティンの森でポーランド人が多数虐殺された事件を世界中に公表する(カティンの森事件)。その後ソ連によってナチスによる犯行とされたが、実際にはソ連の犯行だった。
     4月19日ナチスドイツの親衛隊少将ユルゲン・シュトロープによって第二次ユダヤ人移送計画がはじまり、これに抵抗して、ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人レジスタンスが武装蜂起。しかし鎮圧される。
     5月17日イギリス空軍によるチャスタイズ作戦が実行される。ドイツのルール工業地帯にある複数のダムを反跳爆弾によって攻撃するもので、特別編成の第617飛行中隊によって実施される。メーネダムとエーデルダムの破壊に成功し、下流に洪水をもたらしたため、1249名と家畜6500頭が死亡、125の工場が停止に追い込まれた。一方飛行中隊も133名中53名が戦死。
     6月 8日広島県呉の柱島泊地で戦艦陸奥が突如大爆発を起こし、船体が折れて沈没する。
     7月 1日東京都制が施行される。東京府と東京市が統合され、一元的な帝都行政となる。首長は任命制の東京都長官。市電は都電と呼ばれるようになる。
     7月25日イタリアで政変が起こり、ムッソリーニが失脚。これを受けて、ナチス・ドイツは、直接統治のため、イタリア進駐を開始。
     9月 8日イタリアにバドリオ政権が樹立する。連合軍に降伏。
     9月12日グラン・サッソ襲撃。失脚し逮捕されたイタリアのムッソリーニを救出するため、ナチスドイツ空軍と親衛隊が、グラン・サッソ山のホテルを急襲。ムッソリーニを連れ出すことに成功する。
     9月15日ドイツ軍に救出されたムッソリーニが、ヒトラーと会談。
     9月23日ムッソリーニが、イタリア北部にイタリア社会共和国を樹立。通称サロ共和国。
    10月 2日「在学徴集延期臨時特例」公布。これにより文科系大学生の徴兵猶予が廃止され、学徒出陣が始まる。
    10月14日ナチスドイツのソビボル絶滅収容所で収容者が大量脱走する事件が起こる。
    10月21日明治神宮外苑で、雨の中、出陣学徒壮行会が行われる。
    11月 1日鉄道省が運輸通信省に改変。
    11月 5日東京で大東亜会議が開催される。参加したのは、タイ王国、満洲帝国、中華民国(南京政府)、フィリピン、ビルマ、自由インド仮政府。インドネシアのスカルノらは参加を認められず。
    11月22日カイロ会談。アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、中華民国の蒋介石が、対日戦争の継続と、戦勝後の日本の領土処理について話しあった会談。蒋介石が日本と講和することを恐れたルーズベルトが中国への領土返還などを条件に戦争継続をすすめるのが目的だったとも言われる。
    12月26日北岬沖海戦。ノルウェーのノールカップ(北岬)近海で、ソ連への輸送船団攻撃に向かったドイツ艦隊と、その情報を得たイギリス艦隊が数度に渡り交戦。ドイツ戦艦シャルンホルストが撃沈される。
    1944年(昭和19年)
     1月18日レニングラード包囲戦が終結。ドイツ・フィンランド同盟軍は退却。市民も100万人前後が死亡した。
     2月17日トラック島大空襲。
     2月劇団俳優座が創設される。
     3月ナチス・ドイツのV2開発を担当していたフォン・ブラウンが、ゲシュタポに連行される。ミサイル兵器より宇宙旅行が可能なロケット開発を主張し続けたことが国家反逆罪に問われたとされる。V2開発の功績と、ヒトラーの仲裁でのちに釈放される。
     3月30日パラオ大空襲。
     3月31日海軍乙事件。パラオ空襲を受け、連合艦隊司令長官だった古賀峯一海軍大将がフィリピンへ向かう途中に低気圧に遭遇して行方不明になり、福留繁参謀の乗る機体が不時着水。乗員らがゲリラに捕えられ、機密書類が奪われる。
     6月 6日連合軍、ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)開始。膨大な死傷者を出しながらノルマンディー地方の海岸に拠点を構築。
     6月17日アイスランドがデンマークから独立し、アイスランド共和国となる。
     6月23日有珠山東麓の畑作地で噴火が始まる。のちの昭和新山。
     6月26日ノルマンディー地方の港湾都市シェルブールのドイツ軍降伏。
     7月 3日インパール作戦が中止となる。ずさんな補給計画によって、動員された9万2千人の兵士のうち、帰還できたのは1万2千人のみ。
     7月17日ポートシカゴ爆発事件。アメリカ・カリフォルニア州のポートシカゴのコンコード海軍兵器廠兵器庫で輸送船E.A.ブライアン号に弾薬を積みこむ作業中、大爆発が起こり、兵士・市民ら320名が死亡、390名が負傷。犠牲者の多くが黒人下士官らで、低い待遇を受けており、事故後、黒人兵らは任務を拒否する「ポートシカゴの反逆」事件を起こすことになる。アメリカ軍内部での差別待遇が問題になるきっかけとなった。
     7月20日ドイツ軍クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐によるヒトラー爆殺未遂事件が起こる。東プロイセンの総統大本営「狼の巣」でヒトラーも出席した会議中に爆弾を起爆させることに成功するが、ヒトラーは軽症で済み、その後のクーデター計画も失敗に終わった。
     7月21日未明にヒトラー暗殺計画とクーデター計画に関わったクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐、フリードリヒ・オルブリヒト大将、アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム大佐、ヴェルナー・フォン・ヘフテン中尉の4人が処刑され、ルートヴィヒ・ベック元参謀総長が自殺。計画を知っていたとされ、独断で処刑を実行に移したフリードリヒ・フロム上級大将もヒトラーの怒りを買い後に処刑される。独断で処刑したのは自己保身のためか、関係者が拷問を受けたりしないよう配慮したためかは不明。
     7月21日グアム島の戦いが始まる。
     7月22日連合国に属する44カ国の代表が、アメリカのニューハンプシャー州にあるブレトンウッズに集まり、戦後の国際通貨体制について話し合い、ブレトン・ウッズ協定を締結。
     8月 4日アンネ・フランクの一家及び共に隠れていた人々がゲシュタポに連行される。
     8月11日日本軍守備隊が壊滅し、グアム島の戦いが終結。残存日本兵がゲリラ戦に入る。
     8月20日沖縄からの児童疎開船「暁空丸」「和浦丸」「対馬丸」が鹿児島へ向けて出港。
     8月22日沖縄からの児童疎開船「対馬丸」が悪石島付近で米潜水艦ボーフィンの雷撃を受け爆沈。疎開児童708名を含む1484名が死亡。
     8月25日パリ解放。フランスのパリ市からドイツ軍が撤退。自由フランス軍やレジスタンス系フランス国内軍が入城。ドイツ軍司令官のコルティッツ大将はヒトラーの命令に従わず焦土作戦を行わずに降伏したが、その意図はパリを守るため、保身のためと諸説ある。市民らによって親ナチ派の市民殺害や、ドイツ軍人と交際していた女性を暴行するなどの事件も発生。
     9月 2日ナチスによるV2ロケットの実戦運用が始まる。標的はフランス、イギリス、ベルギーの各都市や戦略拠点など。
    10月10日沖縄大空襲(十・十空襲)。沖縄本島、慶良間諸島、宮古八重山諸島、奄美群島に、アメリカ海軍第38任務部隊に属する複数の空母部隊から艦載機が多数襲来。潜水母艦迅鯨をはじめ、多数の軍艦・商船が沈没した他、那覇市街地の大部分が焼失。鉄道も大損害を受ける。少なくとも市民330名が死亡。防戦が遅れたのは、この日予定されていた陸軍第32軍の演習と誤解したことや、レーダーによる探知報告を誤報と判断したことなどがある。これ以降、本土への疎開が急がれることとなった。
    10月23日パラワン水道海戦。米潜水艦の雷撃により、重巡愛宕、重巡摩耶が沈没。重巡高雄、重巡青葉が大破する。
    10月24日栗田艦隊がシブヤン海で米軍と遭遇し、空襲を受ける。戦艦武蔵が沈没。同日、日本軍航空部隊の爆撃で米空母プリンストンも大爆発を起こし、放棄の上、味方の雷撃で自沈。救援中の駆逐艦数隻も爆発に巻き込まれて大破。
    10月25日スリガオ海峡で西村艦隊が米軍と遭遇。猛烈な雷撃を受け戦艦扶桑が爆沈。続いて戦艦山城も猛烈な砲撃で転覆沈没。重巡最上も大破。生存者が僅かという全滅状態になる。小沢艦隊も空襲を受け、空母千歳、瑞鶴、千代田、瑞鳳が沈没し、空母部隊は全滅。栗田艦隊がレイテ湾へ向かい、サマール島沖で米護衛空母群と遭遇。護衛空母ガンビアベイや駆逐艦などを砲撃で撃沈するが、重巡洋艦部隊が空爆を受け、鳥海、筑摩、熊野、鈴谷が大破。栗田艦隊は、レイテ湾突入を中止して反転。鳥海と筑摩を失い退却。この日、特攻機が空母セント・ローに激突し、セント・ローは誘爆沈没。空母カリニン・ベイが大破、キトカン・ベイ、ホワイト・プレインズも小破する。一連の海戦で日本海軍は壊滅的な損害を被る。
    11月 7日ゾルゲ事件で、リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実が死刑に処せられる。
    11月10日汪兆銘が名古屋で客死。かつて受けた狙撃の後遺症による悪化が原因。
    11月29日当時世界最大の空母である「信濃」が、呉へ回航中にアメリカ軍潜水艦「アーチャーフィッシュ」に発見され、雷撃で撃沈される。
    12月 7日昭和東南海地震。マグニチュードは7.9。最大で9mの津波も発生し、死者・行方不明者数は1223名。戦時中のことであるため、国民の士気への影響や英米などへの情報漏れを懸念した政府・軍部により情報が統制された。
    12月30日日本海軍の「潜水空母」伊号第四〇〇潜水艦が竣工。
    12月有珠山東麓の噴火地で、粘性の高い溶岩ドームが盛り上がりはじめる。
     スターリンの粛清に巻き込まれシベリア送りとなったロケット研究者コロリョフが、関係者の尽力で釈放される。まもなく名誉回復を受け、ミサイル開発を担当することになる。
    1945年(昭和20年)
     1月13日三河地震。
     1月30日ヴィルヘルム・グストロフ事件。ソ連の潜水艦がドイツの避難民船ヴィルヘルム・グストロフ号を撃沈。海難史上最悪の9343名が死亡する。
     2月13日英米軍によるドレスデン無差別爆撃。市民の死者は2万5千人から15万人と言われる。
     2月14日近衛文麿が、昭和天皇に対し、英米との講和を訴える上奏を行なう。いわゆる近衛上奏文。
     2月19日硫黄島の戦いがはじまる。
     3月10日東京大空襲。公式には死者8万3793人(実際は10万人以上とも)、負傷者4万918人、被災者100万8005人、被災家屋26万8358戸。
     3月12日ヒトラー暗殺計画を知っていたとされ、爆殺未遂事件を起こしたシュタウフェンベルク大佐らを独断で処刑したフリードリヒ・フロム上級大将が処刑される。
     3月15日ドイツ軍によるブダペスト奪還作戦が失敗に終わる。
     3月19日ヒトラーが国内焦土作戦を命じるが、アルベルト・シュペーアらの反対で実行されず。
     3月26日硫黄島の戦いがほぼ終結。
     3月このころ、アンネ・フランクが、収容されていたベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスにより15歳で亡くなる。姉のマルゴット・フランクもほぼ同じ頃に同収容所で腸チフスにより亡くなる。
     3月日本軍が独立を支援していたビルマのアウンサンらがイギリス側に付き、対日武装蜂起。
     3月26日米軍が慶良間諸島に上陸。沖縄戦が始まる。
     4月 1日米軍が沖縄本島読谷海岸に上陸を開始。
     4月 1日阿波丸事件。捕虜米兵のための物資輸送船「阿波丸」がシンガポールから内地に戻る際、米潜水艦クイーンフィッシュに撃沈され、乗員・乗客2130名の内、2129名が死亡する。
     4月 5日天一号作戦で沖縄海上特別攻撃作戦が発令される。
     4月 7日天一号作戦で沖縄へ向かう途中の戦艦大和、軽巡洋艦矢矧、防空駆逐艦の冬月と涼月、駆逐艦の磯風、浜風、雪風、朝霜、初霜、霞が、坊ノ岬沖で300機を超える米軍機の攻撃を受け、大和、矢矧、磯風、浜風、霞、朝霜が撃沈・自沈する。
     4月23日ドイツ国家元帥ヘルマン・ゲーリングが連合軍との交渉をヒトラーに求め、ゲーリングと対立していたボルマンの示唆を受けたヒトラーの怒りを買い、親衛隊に監禁される。
     4月23日鳥取県西伯郡境町の岸壁に停泊していた玉栄丸の積み荷の爆薬が爆発。火薬倉庫が誘爆し、市街地大火となる。431戸が焼失し115名死亡、309名が重軽傷を負う。
     4月25日ドイツ海軍唯一の空母グラーフ・ツェッペリンが、ソ連軍の接近を受けて自沈。
     4月28日スイスへ亡命しようとしていたベニート・ムッソリーニがクラレッタ(クララ)・ペタッチとともに共産パルチザンに捕らえられ銃殺。ミラノで吊るされる。
     4月28日ナチス親衛隊指導者ヒムラーが、連合国と和平交渉をしているという情報がBBCラジオ放送から流れ、ヒトラーが激怒したと言われる。
     4月29日アドルフ・ヒトラーは、後任として大統領職・全軍司令官にカール・デーニッツ元帥、首相にヨーゼフ・ゲッベルス、外相にザイス=インクヴァルト、ナチ党担当にマルティン・ボルマンを指名し、日陰の存在だった愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げる。
     4月30日アドルフ・ヒトラーとエヴァ・ブラウンが自殺。遺体は焼却。
     5月 1日ドイツ宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスも妻子とともに自殺。
     5月 4日沖縄本島中南部で日本軍が反転攻勢を仕掛けるも失敗に終わる。
     5月 5日風船爆弾で初めての犠牲者が出る。オレゴン州で6人が死亡。
     5月 7日カール・デーニッツを首班とするドイツ・フレンスブルク政府が、連合国に対し無条件降伏。
     5月 8日原爆の予備実験である108t爆発実験がアラモゴルドで行われる。
     5月 9日ドイツの降伏文書調印がベルリンで行われる。
     5月14日名古屋空襲で名古屋城の天守や本丸御殿などほとんどの建造物が焼失。
     5月25日この日の東京大空襲により「明石原人」の骨が失われる。
     5月27日沖縄、首里への砲爆撃によって、首里城とその周辺の市街地が灰燼に帰す。
     5月30日沖縄の日本陸軍守備隊が最南端の摩文仁に移動。海軍陸戦隊は豊見城に残る。
     6月 4日スイスの最高権力者で、武装中立政策を推進してナチスドイツから国を防衛していた軍の最高司令官アンリ・ギザンが、ナチスドイツの降伏を受けて、権力の座から引退する。
     6月 6日沖縄の海軍陸戦隊指揮官、太田実少将が海軍次官宛に県民の実情を訴え、「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という電報を発する。
     6月13日沖縄の太田実少将らが豊見城海軍司令部壕で自決。
     6月18日ひめゆり学徒隊に解散命令が出される。このあと学徒隊の女学生らは戦闘に巻き込まれ、最終的に教師を含む240名のうち136名が戦没。
     6月18日沖縄攻略部隊指揮官のバックナー中将が戦死。
     6月20日アメリカのハル国務長官が、フォン・ブラウンらドイツのロケット技術者のアメリカ移送を認める。ペーパークリップ作戦。
     6月23日日本陸軍沖縄守備隊の牛島司令官、長参謀長らが自決して組織的抵抗が終結。
     6月24日米軍占領下の沖縄で交通が右側通行に切り替えられる。
     6月ビルマの独立運動家アウンサンらが実権を握る。
     7月15日多治見駅列車空襲。太多線多治見付近を走行中の旅客列車と周辺の建物を米軍のP51戦闘機が機銃掃射。列車は多治見駅までたどり着くも、乗客ら多数が死傷。
     7月16日世界初の核実験トリニティがアラモゴルド実験場で行われる。核出力は19kt。
     7月17日ポツダム会談が始まる。アメリカ、イギリス、ソビエトの首脳がドイツのポツダムでドイツの処遇、国境の画定、日本への対応について話し合う。
     7月20日米軍が原爆投下訓練を兼ねて、原爆模擬爆弾パンプキン(1万ポンド軽筒爆弾)を目標候補の都市周辺で投下を開始。
     7月25日日本に対しポツダム宣言が出される。
     7月26日米軍の重巡洋艦インディアナポリスが、原爆を輸送してテニアン島に到着する。
     7月28日大山口列車空襲事件。山陰本線大山口駅近くを走行中の旅客列車および赤十字標章掲示中の病客車に対し、多数の米軍艦載機が銃撃を行い乗客ら多数が死傷。
     7月28日ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングにB-25爆撃機が衝突。13名が死亡し、エレベーター1基が300mも落下。乗っていたエレベーターガールが奇跡的に重症で助かる。
     7月29日原爆輸送を終えて転進中の米重巡洋艦インディアナポリスが伊58潜水艦に撃沈され、発見が遅れて800名以上が死亡。生き残った艦長が軍法会議にかけられ有罪となり、のち自殺(純粋な戦闘の敗北による軍法会議の有罪は稀なケースで、政治的意図があるとも。通常は命令違反や逃亡、利敵行為などが軍法会議の対象)。死後、名誉回復された。
     8月 5日湯の花トンネル列車銃撃事件。正午過ぎ、浅川駅(現高尾駅)を大幅に遅れて出発した新宿発長野行第419列車が湯の花トンネル手前で複数の米軍P51戦闘機の攻撃を受け、列車はトンネル内へ避難しようとしたが途中で停止してしまい、トンネル外に残った車両が繰り返し攻撃を受けて乗客に多数の死傷者を出す。
     8月 6日米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が原子爆弾「リトルボーイ」を広島市に投下。爆心地は現在の中区大手町にある島病院(現島外科内科)の南西角の上空600m付近(以前は南東側と言われていた)。核出力は15kt。35万人程度がいたとされる市街地で14万人が死亡。
     8月 7日日本海軍が開発した日本初の国産ジェット機「橘花」が初飛行
     8月 8日ソ連外相モロトフが、日本の佐藤尚武駐ソ連大使に宣戦布告を通告。その直後に、満洲・朝鮮・樺太でソ連軍が一斉に進撃を開始。
     8月 8日筑紫駅列車空襲事件。西鉄大牟田線筑紫駅で停車中の2編成の旅客列車に米軍のP51戦闘機が機銃掃射を行い、乗客ら多数が死傷。
     8月 9日御前会議で終戦について協議が行われる。条件付き降伏が決定。
     8月 9日長崎市へ原子爆弾が投下される。核出力は22kt。約7万4千人が死亡する。日本軍はアメリカ軍の特殊任務機の動きを探知していたが対応できなかった。
     8月10日日本政府、連合国へ、スイスを通じて条件付き降伏について通告。
     8月10日アメリカの先進的ロケット研究者だったゴダードが死去。アメリカでは最後まで評価は低いままで、特許の多くも死後に認められた。そのために孤独に研究を進めざるをえず、ロケット・ミサイル開発の遅れの原因ともなった。彼が評価されるのは戦後の冷戦下になって以降。
     8月10日東安駅爆破事件。満洲国東満省東安市(現在の中華人民共和国黒竜江省密山県)の南満洲鉄道東安駅で、駅構内に野積みされていた日本陸軍の弾薬が爆発、直前に出発した黒咀子開拓団の避難民を載せた列車が巻き込まれ、3両が横転、市民・兵士ら125名が死亡したとされる。ソ連軍侵攻のため、憲兵が火薬を処分しようとして火を放ち爆発したとみられるが、詳細は不明。また死亡者数もこの事件の直後にソ連軍の攻撃によって避難民が多数巻き込まれたため、正確なところはわかっていない。
     8月12日連合国側の回答が放送され、改めて無条件降伏について協議。
     8月13日総武本線成東駅に到着していた軍用輸送列車が米軍機の機銃掃射を受け炎上。消火作業中に搭載していた本土決戦用高射砲と弾薬が誘爆し、駅員や将兵ら42人が死亡、多数が負傷する。
     8月14日御前会議で、ポツダム宣言受諾による無条件降伏が決定。夜、天皇陛下による終戦詔書の録音が行われる。深夜、近衛師団の一部将校らが、無条件降伏阻止のため武装蜂起し、近衛第一師団長森赳中将らを殺害。皇居と放送会館を占拠するクーデター事件が起こる(宮城事件・玉音盤事件)。東部軍管区による派兵で鎮圧。阿南惟幾陸相が敗戦の責任を取り切腹し、翌朝死亡。
     8月15日正午に玉音放送が流され、日本政府は国民に向けてポツダム宣言受諾を発表し、第二次世界大戦が終結する(このため、日本では一般に同日が終戦の日だが、無条件降伏を決定伝達したのは14日であり、降伏文書調印は9月2日)。
     8月16日いわゆる中華民国汪兆銘政権が解散する(汪兆銘は1944年11月に病死)。
     8月17日東久邇宮内閣が成立。軍の平和的武装解除が再優先の課題となる。
     8月18日千葉県上空から伊豆諸島方面へ偵察飛行中のB-32ドミネーター2機が迎撃に上がった日本軍機17機に銃撃され、米軍機の乗員1名が戦死、2名が重傷を負う。第2次世界大戦最後の空戦となった。米国側は現場判断による偶発的な戦闘で日本政府の指示ではないとし、問題にはしなかった。
     8月19日マニラで日米代表団による日本進駐についての調整が話し合われる。
     8月21日ロスアラモス研究所で中性子反射体の実験を行っていた物理学者のハリー・ダリアンが、誤って反射体のタングステンブロックをプルトニウムコアの周りに落としてしまい、中性子反射によって核分裂臨界状態となる事故が発生。ダリアンはとっさにブロックを除去したが、発生した5.1シーベルトもの大量の中性子線照射を受け、25日後に死亡(デーモン・コア第一の事件)。
     8月22日内地の日本軍全部隊に戦闘停止命令。
     8月22日三船殉難事件。北海道増毛沖から留萌沖にかけて、南樺太からの引き揚げ船小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸が相次いで停戦を無視したソ連軍の潜水艦L-12とL-19に攻撃され、小笠原丸と泰東丸が沈没。少なくとも1708名が死亡。小笠原丸は一旦稚内に寄ったあとでの遭難。泰東丸は浮上砲撃してきた潜水艦に白旗を示したが撃沈された。一方、特設砲艦であった第二号新興丸は雷撃で大破したが応戦し、この時の損傷からかL-19は礼文島沖合で沈没したものとみられる。また同日には南樺太で回航中の貨物船能登呂丸も雷撃で沈没。
     8月22日肥薩線列車退行事故。肥薩線山神第二トンネル内で、復員兵で超満員の13両編成の列車が進行できなくなり立ち往生。排煙から逃れるため降りて線路を歩いていた乗客に向かい列車が退行してきて、53名が轢死する惨事となる。
     8月29日終戦によりウルシー泊地攻撃から戻る途中の、当時世界最大の潜水艦「伊号第四〇〇」が米軍に降伏。
     8月30日連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が専用機「バターン号」で来日し、旧厚木海軍飛行場に到着。横浜へ向かう。
     9月 2日日本政府、東京湾の戦艦ミズーリで降伏文書に調印。マッカーサーの指揮のもとで、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ、中華民国、ソビエト、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの代表が、連合国側として調印。海外では一般に正式な日本の降伏はこの日とされている。
     9月 2日ホー・チ・ミンが旧宗主国のフランスと、占領国であった日本に対してベトナム民主共和国の独立を宣言。
     9月 3日中華民国が9月3日から3日間の対日勝戦休日とする。後に成立した中華人民共和国もこの日を抗日戦争勝利記念日としている。
     9月 6日朝鮮建国準備委員会が朝鮮人民共和国の成立を宣言。しかしまもなく瓦解。
     9月 7日沖縄の日本軍残存部隊が降伏。
     9月 9日朝鮮総督府が降伏文書に調印。
     9月17日枕崎台風が鹿児島県枕崎市付近に上陸。日本列島に沿って東北まで移動し、少なくとも死者2473人、行方不明者1283人、負傷者2452人を出す。
     9月20日昭和新山の噴火がほぼ終了する。
     9月27日昭和天皇・マッカーサー会談。
     9月29日昭和天皇・マッカーサーの並んだ写真が新聞に掲載され、国民に衝撃を与える。
    10月 4日GHQから治安維持法と特別高等警察の廃止命令が出される。
    10月 9日東久邇宮内閣が総辞職。
    10月15日勅令により治安維持法廃止。
    10月26日李承晩らが独立促成中央協議会を設立。
    11月12日二又トンネル火薬大爆発事故。占領軍が実施した、日田彦山線の二又トンネルに保管されていた旧日本軍の火薬焼却処分中に大爆発が起こる。上部の山が吹き飛び、爆風と落下した土砂で147人が死亡、149人が重軽傷を負う。
    11月16日国際連合教育科学文化機関創立総会で「ユネスコ憲章」が採択される。
    11月20日ナチスの戦犯を裁くニュルンベルク裁判がはじまる。
    12月 1日陸軍省・海軍省が廃止され、復員業務を行う、第一復員省、第二復員省が設置される。
    12月 5日バミューダトライアングルで訓練飛行中だったアメリカ海軍のアヴェンジャー雷撃機5機が消息を絶つ。
    12月24日生田警察署襲撃事件。多数の朝鮮人が、武装強盗事件の捜査に反発して神戸の生田署を襲撃。進駐軍に抑えられる。
    12月27日ブレトン・ウッズ協定の29カ国が署名しIMF(国際通貨基金)が組織化される。
    1946年(昭和21年)
     1月 1日昭和天皇の人間宣言。戦後最初の年頭詔書「新日本建設に関する詔書」。新日本の建設の希望と、天皇の神格性を否定した内容。
     1月15日中国国民党が汪兆銘の墓を暴き、遺体を焼却して、遺灰を投棄する。
     1月18日熊沢天皇の出現。名古屋で雑貨商をしていた熊沢寛道が、南朝の後亀山天皇の子孫であるから、皇位継承の正当性があると主張。
     1月桜島が噴火。
     2月 1日松本憲法改革草案を元に作成されていた憲法改正要綱の元ととなる内容が、毎日新聞によって記事にされ、その内容が保守的とマスコミの批判を浴びる。
     2月 8日松本憲法改革草案「憲法改正要綱」がGHQへ提示される。松本烝治国務大臣の私案をもとにしたもの。保守的というマスコミの批判などを受け、GHQは独自に憲法草案を作ることになる。
     2月 8日金日成らが北朝鮮臨時人民委員会を設立。
     2月19日昭和天皇の日本全国巡幸が始まる。
     3月 5日ウィンストン・チャーチル英首相が、アメリカ・ミズーリ州フルトンのウェストミンスター大学で「鉄のカーテン演説」を行なう。
     3月 9日桜島の噴火で溶岩の流出が始まり、流れが二本に分かれて山腹を下る。
     4月 1日イギリスの植民地である英領マラヤと海峡植民地でマラヤ連合が成立。しかしスルタンの影響力を排除し、民族平等を示した結果、マレー人と華僑の対立を招く。
     4月 5日桜島の溶岩流の一つが黒神集落を飲み込んで海岸に到達。
     4月15日占領下の沖縄で軍票B円が公式通貨となる。
     4月22日『サザエさん』が福岡の地元紙フクニチ新聞に掲載が始まる。
     4月26日占領下の沖縄本島に沖縄民政府が設置される。
     4月27日日本でも婦人警察官制度が導入され、62人が採用される。
     5月 7日東京通信工業(現ソニー)が設立される。
     5月16日吉田茂に組閣の大命が下る。最後の大命降下。
     5月21日桜島の溶岩流のもうひとつが、有村集落を経て海岸に到達する(昭和溶岩)。死者1名、噴出物総量は約1億立方mに達する。
     5月21日ロスアラモス研究所で、物理学者ルイス・スローティンらがプルトニウムコアの周りに置いた中性子反射体ベリリウムの半球同士をどのくらい近づけることで臨界に達するかの手動実験を行っている最中、手を滑らせて反射体をくっつけてしまい、内部のプルトニウムコアが核分裂臨界状態になる事故が起こる。スローティンは急いでベリリウムを除去したが、21シーベルトもの中性子線を照射されたスローティンは9日後に死亡。そのそばにいたアルバン・グレイブスも重度の放射線障害となる(デーモン・コア第二の事件)。
     5月22日第1次吉田内閣が成立
     6月 9日ラーマ9世、ラーマ8世の急死を受け、タイ国王に即位。
     6月15日第一復員省と第二復員省が統合し、復員庁となる。
     7月 1日ビキニ原爆実験クロスロード作戦が始まる。アメリカ、日本、ドイツの艦船約70隻が動員される。最初の核爆発実験エイブルで日本の軽巡洋艦酒匂を含む5隻が沈没。デーモン・コア事件で使われたプルトニウムコアを使用。
     7月 5日ルイ・レアールが、ツーピースの水着を発表。原爆級の衝撃という意味で、原爆実験の行われたビキニになぞらえて、ビキニと称する。
     7月25日ビキニ原爆実験クロスロード作戦ベーカー実験で、水中核爆発実験が行われ、200万tの水と共に爆心地点に近かった戦艦アーカンソーが跳ね飛ばされる。
     7月29日ビキニ原爆実験クロスロード作戦ベーカー実験で、損傷していた戦艦長門が沈没。最終的に8隻が沈没。
     8月16日カルカッタの大虐殺事件。インドでジンナーらのイスラム住民の分離独立運動が暴動に発展。イスラム、ヒンドゥーの住民同士が衝突。数千もの犠牲者を出す。
     9月 6日持株会社整理委員会令にもとづき、三井、三菱、安田、住友、中島(富士)の5財閥を持株会社に指定。財閥解体の始まり。
     9月30日三井・三菱・安田の3財閥が自主解散。
    10月 1日ナチスの戦犯を裁くニュルンベルク裁判が結審。12人が死刑、3人が終身刑などの判決が出される。戦勝国による恣意的なもので、法の不遡及・控訴が認められない、被告への暴力制裁や自白強要など、裁判としてはかなり不備があり、ナチス政権下の諸政策の真実がわからなくなった要因の一つともなり、後に大きな問題となった。
    10月 3日占領下の奄美群島に臨時北部南西諸島政庁が設置される。
    11月16日昭和21年内閣告示第33号によって、内閣が「現代かなづかい」と「当用漢字表」1850字を告示。GHQの「国語改革」により将来の廃止を前提に制限したもの。
    12月 2日内務省が「特殊飲食店地帯」いわゆる「赤線」を制定。
    12月 2日国際捕鯨取締条約成立に基づいて国際捕鯨委員会(IWC)設立。
    12月21日昭和南海地震が発生。高知県を中心に津波の被害が大きく、死者は1330人。
    12月27日第1次吉田内閣が石炭と鉄鋼を重点にした傾斜生産方式を決定。対象分野の企業に対し、復興金融金庫による融資、物資の配給優先などが行われる。
    12月国民党軍に監禁されていた嵯峨浩と次女を陸軍連絡官の田中徹雄(のちの山梨県副知事)が単独潜入して救出し日本へ脱出。
    1947年(昭和22年)
     1月27日英国首相クレメント・アトリーと、ビルマ(現ミャンマー)の独立運動家アウンサンが、ビルマの1年以内の完全独立を約束する「アウンサン・アトリー協定」に調印。
     2月12日ソビエト沿海州のシホテアリニ山脈上空で隕石が爆発。少破片が多数降り注ぐ。100t程度の小惑星と考えられる。
     2月28日台湾で二・二八事件が起こる。台北でタバコ売りの女性が摘発されたのをきっかけに、大陸から進駐してきた国民党軍と台湾住民が衝突。少なくとも2万8千人が殺害される。
     3月15日東京都の35区が22区に整理統合される。
     3月21日占領下の宮古・八重山諸島に、宮古民政府・八重山民政府が設置される。
     3月31日帝国議会衆議院解散(GHQ解散)。帝国議会終了。
     4月10日ブルックリン・ドジャースに黒人選手ジャッキー・ロビンソンが入団し、メジャー・リーグの黒人選手の道を切り開く。
     4月14日最初で最後の東京都長官選挙で安井誠一郎が当選。
     4月16日テキサスシティ貨物船爆発事故。テキサスシティの港に入港していたフランス船籍の貨物船グランドキャンプ号で火災が発生。約1時間後に大爆発を起こし、停泊していた貨物船ハイ・フライヤー号、ウィルソン・B・キーン号にも延焼し爆発。少なくとも581人が死亡、5000人以上が重軽傷を負い、港湾施設・石油関係施設に大きな被害が出る。
     4月20日第1回参議院議員選挙。
     4月25日第23回衆議院議員選挙。
     4月28日コンティキ号の冒険。人類学者トール・ヘイエルダールが、南米からイースター島へ向けて大型の筏で航海に出発する。
     5月 2日皇室令と華族令が廃止される。
     5月 3日日本国憲法施行。地方自治法施行。戦時法制の東京都制が廃止され、地方自治法による東京都となり、東京都長官はそのまま東京都知事へシフトする。
     5月20日新憲法による第1回特別国会開会。第1次吉田内閣総辞職。
     6月 4日インド総督ルイス・マウントバッテン卿が、ジンナーらムスリム州独立派の主張を受け入れ、イギリス領インド帝国を「インド」と「パキスタン」に分割することによる独立を、同年8月15日をもって行う案を声明。
     6月14日ロズウェル事件。アメリカ・ニューメキシコ州のロズウェル近郊にUFOが墜落し、その残骸を政府が密かに持ち去った、として騒ぎになった事件。
     6月24日ケネス・アーノルド事件。アメリカの実業家ケネス・アーノルドが、ワシントン州レーニア山付近で自家用機を操縦中、物体9機が高速で飛行しているのを目撃したことがきっかけで、「空飛ぶ円盤」騒ぎに発展する。
     7月18日日本の信託統治領だった南洋庁が消滅し、南洋群島(ミクロネシア)はアメリカの信託統治領「太平洋諸島信託統治領」となる。
     7月19日朝鮮半島の独立と左右両派の統合を図っていた中道派の呂運亨が右派によって暗殺される。
     7月19日ビルマ(現ミャンマー)の独立運動家アウンサンが閣僚6人らと暗殺される。
     7月26日アメリカ国家安全保障法発効。この法律によって、その後、国家安全保障会議、国家軍政省(のち国防総省)、アメリカ中央情報局が設立される。
     7月28日民衆芸術劇場(第一次民藝)が結成される。
     8月 1日板橋区から練馬区が分離し、東京特別区は現行の23区となる。
     8月 7日コンティキ号がツアモツ諸島のラロイア環礁で座礁。
     8月15日ネルーによって、インドがイギリスより独立したと発表。ジンナーらも、イスラム教徒の国家として、東西パキスタンがインドより分離独立したことを宣言。イギリス領インド帝国は正式に解体。
     8月17日ソ連軍が引き上げて接収した旧ドイツ軍の空母グラーフ・ツェッペリンを、軍事演習の標的艦に使い撃沈。
     9月15日カスリーン台風が関東南部をかすめ、関東全域に豪雨をもたらし、利根川、荒川水系が決壊。大洪水となる。死者1077名、行方不明者853名。
     9月18日アメリカ国家軍政省(のち国防総省)が設立される。
     9月30日帝国大学令に代わり、国立綜合大学令が制定される。
    10月11日食糧難の中、ヤミ米を拒否した山口良忠判事が病死する。
    10月13日11宮家51人の皇籍離脱が決定。世襲親王家と呼ばれる皇族で、いずれも維新ころの伏見宮家の子孫である。伏見宮家は1428年に後花園天皇が即位した際に分かれた家柄で、女系としては天皇家と近い親族だが、男系では20世代離れた皇族。「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」では宮家の長男でも皇族を離れることになるため、もともと臣籍降下する予定だったとも言われる。
    10月14日安田銀行荏原支店に厚生省技官を名乗る人物が、行員らに薬物を飲ませる事件が起こる。死者はなし。
    10月14日チャールズ・エルウッド・イェーガーが、実験機ベルXS-1で、人類史上初の有人超音速飛行を達成。
    10月15日復員庁が廃止される。
    10月21日インドとパキスタンの独立に伴い、パキスタンの民兵がカシミール地方に侵入。ヒンズー教徒のカシミール藩王はインド併合を決め、インド軍が介入。第一次印パ戦争に発展。
    11月 6日東京の多摩川河畔で集団お見合いが行われる。386人が出席。
    11月 6日東大理学部人類学科の長谷部言人教授が明石原人の写真を発見し、石膏模型を見つける。
    1948年(昭和23年)
     1月15日寿産院事件。寿産院という施設がお金目当てに引き受けた嬰児を大勢殺害した事件。犠牲者は推定85人から169人。
     1月19日三菱銀行中井支店に、厚生省技官を名乗る人物が、行員らに薬物を飲ませようとするが、支店長が不審に思って対応したため、薬物をまいて立ち去る。帝銀事件と関係があるとされる。
     1月20日国際連合安全保障理事会決議39により、インドとパキスタンに停戦を求める。
     1月26日帝銀事件。帝国銀行椎名町支店で、厚生省技官を名乗る人物が、行員らに毒物を飲ませた上で現金と小切手を奪い逃走。12人が死亡する。
     1月30日マハトマ・ガンディーが、イスラム教徒との融和と、宗教を超えた世俗的統一インドの建設を主張したことで、イスラム教徒に妥協したと反発を買い、ヒンドゥー教徒の原理主義組織「民族義勇団」に暗殺される。
     1月31日イギリスの植民地マラヤ連合に属するマレー半島9州とペナン島、マラッカ(ムラカ)によってマラヤ連邦が結成される。
     3月25日愛新覚羅家の皇族で、「東洋のマタ・ハリ(女スパイ)」「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子(粛親王善耆の第14王女)が、中国国民党によって「漢奸」として北平第一監獄で処刑される。川島浪速の養女で、日本で育ち、上海や天津などで様々な活動をしていたとは言え、彼女が実際に日本軍のために諜報・工作に携わっていたかは不明。
     4月15日第3次東宝争議で、組合員や俳優ら2500人が、撮影所を占拠。
     4月27日庭坂事件。福島県庭坂村で追う本線を走行中の402列車が脱線転覆。乗員3名が死亡。線路の継目板、犬釘、ボルトが抜かれていたことによるもので、整備不良か故意による事件かは不明。
     4月30日エニウェトク環礁でアメリカの核実験サンドストーン実験が始まる。このため、事前に住民およそ140人がウジェラング環礁へ移住させられる。
     5月 9日日比谷公会堂で母の日大会開催。
     5月10日朝鮮の李承晩が総選挙を強行。
     5月14日イスラエル建国。
     6月 5日アメリカ、YB-48試作機墜落事故。グレン・エドワーズ大尉ら5人が、試作機のテスト飛行中、エンジンストールの試験を行ったため、機体が失速反転。その負荷で両翼が折れて墜落した。この事故でミューロック陸軍飛行場は、エドワーズ空軍基地と改名することになった。
     6月13日玉川上水で太宰治と愛人の山崎富栄が心中。
     6月19日桜桃忌。玉川上水で太宰治と山崎富栄の遺体が発見される。
     6月24日ソ連によって西ベルリンが完全に封鎖される。米英両軍は西ベルリン市民のために大空輸作戦を実施することになる。
     6月28日福井地震。
     6月30日アメリカのAT&Tベル研究所のジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーの3人がトランジスタの研究結果を発表。
     7月13日優生保護法公布。望まぬ妊娠をした場合の中絶を認める法律。国民優生法以来の断種も継続。
     8月15日李承晩、大韓民国の成立を宣言。
     8月17日午後8時から日本のプロ野球で初のナイター試合。横浜ルー・ゲーリック・スタジアムで、巨人軍対中部日本ドラゴンズ戦。3-2で中日が勝利。なお、日本最初のナイター試合は、1933年7月10日の戸塚球場で行われた早大ニ軍対新人戦。
     8月19日第3次東宝争議で、撮影所を占拠した組合や俳優ら2500人に対し、施設明け渡しの判決が出され、警察だけでなく、米軍が戦車や航空機まで出す大騒動となる。
     8月21日帝銀事件で、テンペラ画家の平沢貞通を北海道小樽市で逮捕。
     8月宝塚歌劇団の星組が10年ぶりに復活。
     9月 9日金日成、朝鮮民主主義人民共和国の成立を宣言。
     9月13日インド内陸にあるインド帝国時代最大の藩王国、ニザーム藩王国が、インド軍のポロ作戦によって事実上併合される。同藩王はイスラム教徒だが国民の大半はヒンドゥー教徒で、インドとパキスタンのどちらに帰属するかで問題になっていた。
     9月19日ニザーム藩王国がインド吸収併合により消滅。
     9月24日本田宗一郎が本田技研工業を設立。
    11月12日極東国際軍事裁判の判決が出される。絞首刑7人、終身刑16人、有期禁固刑2人、訴追免除1人。
    11月26日ポラロイド社が世界初のインスタントカメラ「ポラロイド・ランド・カメラ」を発売。
    12月 7日昭和電工事件で芦田均前首相が逮捕される。
    12月10日パリで行われた第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択される。
    12月20日日本国有鉄道(国鉄)が誕生。国営鉄道の現業部門を独立採算制に組織化。
    12月23日A級戦犯の死刑が巣鴨プリズンで執行される。板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東條英機、武藤章、松井石根、広田弘毅の7名。
    12月31日カシミールをめぐって起こった第一次印パ戦争が停戦に合意。カシミールは分割されて実効支配されることに。
     この年開かれたオスロ世界火山会議で、昭和新山の隆起を観測したミマツダイヤグラムが高い評価を得る。
    1949年(昭和24年)
     1月 2日硫黄島で日本兵二人が投降する。
     1月26日法隆寺金堂の火災により、古代仏教美術の傑作だった法隆寺金堂壁画が焼失。
     3月30日名立機雷爆発事件。新潟県西頸城郡名立町(現上越市名立区)で海岸近くに不審な物体が漂着。海軍出身の巡査が危険と判断し移動させようと準備していたところ、その物体が岩に接触して爆発。巡査や見学に来ていた子供59人を含む63人が死亡、21人が重軽傷を負い、周囲の建物103棟が全半壊した。ドラム缶型の形状に取手のようなものが付いていたと言われ、大型の沈底機雷ではないかとみられる。
     4月 1日アイルランド(エール)共和国がイギリス連邦を離脱。
     4月 4日欧米の12カ国(アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、イタリア、ポルトガル)が反共・反ファシズムの軍事同盟として北大西洋条約に調印。
     4月18日アメリカ海軍超大型空母ユナイテッド・ステーツの起工。
     4月23日アメリカ空軍と海軍の対立で超大型空母ユナイテッド・ステーツの建造が中止となる。
     5月 9日予讃線事件。予讃線浅海駅付近を走行中の準急列車が脱線転覆。乗員3名が死亡、乗客3名が負傷。継目板、犬釘、ボルトが外されレールがずらされており、工具の遺留品があったことから、故意の事件と断定。列車を狙ったテロ説の一方、謀略説もある。容疑者が自殺するなどしたため、未解決のまま時効となる。
     5月12日ソ連、西ベルリン封鎖を解除。西ベルリンで共産革命が起こらず、逆に非人道的という批判にさらされたため。
     5月22日アメリカ初代国防長官で、予算をめぐる大統領との対立や、超大型空母ユナイテッド・ステーツの建造に関わる空軍との対立から精神衰弱で辞職し入院していたジェームズ・フォレスタルが自殺。
     5月25日商工省と貿易庁、石炭庁が統合し、通商産業省が発足。
     5月31日国立学校設置法が公布・施行され、帝国大学は廃止となる。
     6月 1日戦時中に鉄道省から運輸通信省・運輸省に移管されていた日本国内の鉄道事業を受け継ぐ日本国有鉄道が発足。三公社五現業のひとつ。
     6月 8日ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984』が刊行。
     7月 6日下山事件。前日、出勤途中に行方不明となっていた下山定則国鉄総裁が、常磐線の北千住駅-綾瀬駅間で轢死体で発見される。
     7月15日三鷹事件。三鷹駅車両基地の列車が暴走し、三鷹駅構内で脱線転覆。商店街に突入して6人が死亡。20人が重軽傷を負う。裁判で解雇された運転士による単独犯行と認定されたが、被告の供述が次々と変わる、アリバイ証言が採用されない、共産党系の弁護士が犯行を認めるよう示唆する、死者数が多いのに無期懲役判決など不可解なことがあり、現在でも係争中。
     7月27日イギリスの世界初のジェット旅客機デ・ハビランドDH.106コメットが初飛行。
     8月10日アメリカ国家軍政省が「国防総省」に改められる。国家軍政省の略称NME (National Military Establishment)がエネミー(敵)と聞こえたためとも。
     8月17日松川事件。青森発上野行き上り412号旅客列車が福島県松川町内で脱線転覆。3人が死亡。線路に露骨な細工がしてあったことから、意図して起こされた事件。東芝労組と国労の犯行とされ容疑者多数が逮捕されるが、アリバイなどの証拠から後に全員無罪判決。犯人は不明だが、捜査機関が無罪の証拠を隠したことや目撃証言を無視していること、後に事件を告白する証言や手紙が出てくるなど不可解なことが多く、戦後の一連の列車脱線事件の中でもっとも「米軍などによる謀略説」が強い。またこの事件がのちに「東大ポポロ事件」につながる。
     8月24日北大西洋条約機構(NATO)が発足。
     8月29日ソビエトが最初の核実験RDS-1に成功する。核出力は22kt。核の拡散が始まり、核戦争の危険性が高まる。
     9月 4日ピークスキル事件。アメリカのニューヨーク州で、公民権運動団体主催のコンサート会場で、保守派や退役軍人、KKKらが客らを襲撃し、140人が重軽傷を負う。
     9月23日ソビエトの核実験成功をアメリカのトルーマン大統領が公表。
     9月24日ソビエトも核実験成功を認める。
     9月30日米英両軍による西ベルリンへの物資大空輸作戦が終了。
    10月 1日中国国共内戦の終盤、毛沢東が北京の天安門壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言。
    10月20日日本戦歿学生手記編集委員会から戦没学徒兵の残した遺書を集め『きけ わだつみのこえ』が刊行される。学徒兵の悲劇とその心情が大きな同情を生む一方、反戦にそぐわない遺書は意図的に削除したことなどから、捏造・改竄の批判も起こる。
    11月24日貸金業「光クラブ」を設立し、独特の宣伝手法で成功したが、物価統制令で取り締まられた東大生の山崎晃嗣が自殺(光クラブ事件)。
    11月26日プロ野球「パ・リーグ」結成。新規球団参入と正力松太郎の2リーグ構想に対する賛否で当時の日本野球連盟が分裂。2リーグ賛成派で既存球団の阪急、南海、東急、大映に、毎日、西鉄、近鉄が加わり太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)が結成される。
    11月30日NATOを中心に西側諸国が対共産圏輸出統制委員会(ココム)を設立。
    12月15日分裂した日本野球連盟の球団の内、パシフィック・リーグに入らなかった4球団(読売、中日、大陽、大阪)と新規球団(大洋、広島、西日本)がセントラル・リーグを創設。2リーグ制となる。
     メリーランド悪魔憑依事件が起こる。悪魔祓いを行ったことが話題になった事件。のちの映画『エクソシスト』のモデル。
     東京駅北東側に第一鉄鋼ビルディングが完成。戦後大型ビルのはしり。
    1950年(昭和25年)
     1月12日トルーマン政権のディーン・アチソン国務長官が、アメリカは、フィリピン・沖縄・日本・アリューシャン列島のラインの軍事防衛に責任を持つと声明。いわゆるアチソンライン。朝鮮半島が除外されていたため、朝鮮戦争の要因の一つとなる。
     2月12日シベリア抑留から帰還した日の丸梯団のメンバーが、日本共産党の徳田球一書記長がソ連に依頼して共産主義者以外の帰還を妨害したと証言。GHQが問題にするなど政治問題に発展する。
     3月16日シベリア抑留者帰還妨害の徳田要請問題で、日本共産党の徳田球一書記長が衆議院に証人喚問される。
     3月17日カリフォルニア大学バークレー校のカリフォルニア大学バークレー校のグレン・T・シーボーグ、スタンリー・G・トンプソン、アルバート・ギオルソ、ケネス・ストリートらが、キュリウム242にα粒子(ヘリウム4原子核)を衝突させて、超ウラン元素カリホルニウムの生成に成功する。
     3月25日瀬戸内海の宇高連絡船だった紫雲丸と鷲羽丸が衝突し、紫雲丸が転覆沈没。7人が死亡。第一次紫雲丸事故。
     3月28日女子プロ野球、日本女子野球連盟が発足。
     4月 5日シベリア抑留者帰還妨害の徳田要請問題で、シベリア抑留時代にソ連軍の通訳を担当した哲学者の菅季治が衆議院に参考人招致を受け、事前に提出した徳田要請の内容について、意図的に改竄したのではないかと批判される。
     4月 6日シベリア抑留者帰還妨害の徳田要請問題で、衆議院に招致され責められた菅季治が苦悩し吉祥寺駅近くで列車に飛び込み自殺。
     4月15日東久邇稔彦がひがしくに教を開教。
     5月 3日吉田茂首相が、全面講和・永世中立論を主張する南原繁東大総長を「曲学阿世の徒」と批判。
     6月 6日日本共産党中央委員24名が公職追放。レッドパージがはじまる。
     6月25日北朝鮮軍10万が宣戦布告なしに韓国へ向けて侵攻を開始。朝鮮戦争勃発。
     7月 2日金閣寺放火事件。放火したのは、同寺の見習い僧侶で大谷大学の学生だった林承賢。
     8月 4日沖縄各民政府を統合し、群島政府に改められる。
     8月29日文化財保護法施行。法隆寺金堂の火災をうけ、戦前の文化財保護関係の法律(史蹟名勝天然紀念物保存法、国宝保存法、重要美術品等ノ保存ニ関スル法律)を統合して制定。旧国宝の指定を解除し、新たに重要文化財が設定され、その中でも特別に重要なものをあらためて国宝に指定。
     9月22日日大ギャング事件(オー・ミステーク事件)。若者による日大職員の給料を奪った強盗事件。アプレゲール犯罪のひとつ。
     9月27日伊藤律会見捏造事件。朝日新聞が、潜伏中の共産党幹部、伊藤律との会見記事をスクープ掲載するがすべて捏造と発覚。
    11月 8日朝鮮戦争でジェット機同士が空中戦。
    11月23日市街地建築物法に代わって建築基準法が公布される。高さ百尺規制は例外を設けて継続。
    12月22日劇団民藝(第二次)が創立。
    1951年(昭和26年)
     1月27日アメリカ・ネバダ核実験場での初めての核実験レンジャー作戦が始まる。
     4月 8日エニウェトク環礁でアメリカの核実験グリーンハウス作戦が始まる。核融合による熱核兵器開発の前段階の実験で、核融合を引き起こす重水素を原子爆弾に搭載して実験を行う。
     4月11日トルーマン大統領と対立したマッカーサー元帥が更迭される。
     4月16日マッカーサー元帥が羽田空港からアメリカへ帰国。沿道には20万人もの日本人が見送りに駆けつける。
     4月19日アメリカに帰国したマッカーサー元帥が議会で「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の演説を行う。その後、ワシントンD.C.市内をパレード。
     4月24日国鉄桜木町電車火災事故。106人が焼死、92人が重軽傷を負う。
     5月 1日過度経済力集中排除法により、日本発送電株式会社が全国9地域の電力会社に分割。
     5月17日貞明皇后(皇太后節子)崩御。
     5月17日まりも号脱線事件。根室本線の新得駅付近を走行中の急行まりもが脱線。登坂中だったため速度が出ておらず負傷1名で済むも、故意に線路の継目板を外してレールをずらしたことが原因であったことから、労働争議中の組合などを対象に大規模な捜査が行われる。しかし犯人は特定できず。
     5月25日エニウェトク環礁でアメリカの核実験グリーンハウス作戦アイテム実験が行われる。史上最初の核融合の原料となる重水素を使ったブーストを目的として実験で、核分裂出力を高めることに成功。後の水爆実験の原型。
     6月 5日相互銀行法施行。民間の金融システムである無尽会社を相互銀行に転換。
     6月14日世界初の商用コンピュータUNIVAC Iがレミントンランド社から販売される。1号機は米国勢調査局に納入される。
     9月 8日サンフランシスコで対日講和条約署名式。49カ国が署名。
    10月22日ネバダ核実験場で、兵士6500人が直接参加した核実験バスター・ジャングル作戦が行われる。兵士らは被曝。
    1952年(昭和27年)
     1月18日大韓民国の李承晩大統領は、李承晩ラインを一方的に設定し、連合国が、講和条約で日本の領土から外すべきだという韓国の要求を認めなかった竹島を占領。
     1月21日札幌で札幌市警の白鳥警部が射殺される。いわゆる白鳥事件。裁判では日本共産党関係者の犯行と断定された。冤罪事件の再審無罪の元となっている「白鳥決定(再審でも少しでも疑わしき時は被告人の利益に)」が出された事件でもある。ただし白鳥事件そのものは、再審を認めなかった。
     1月ネパールのトリブバン王が権力を握り、傀儡から脱し、立憲君主制を確立してシャー王朝が復活。
     2月10日トカラ列島が日本に返還される。
     2月20日東大ポポロ事件。東京大学の本郷キャンパスで、学生劇団のポポロ劇団が「松川事件」を題材にした演劇を上演した際、観客の中に内偵中の私服警官が4名いることが判明。うち3名を学生らが捕まえ、暴行を加える。暴行をした学生二人が起訴されるが、これが「大学の自治、学問の自由」とはどの範囲までを指すのかで論争に発展した。
     3月29日北海道阿寒湖のマリモが天然記念物から、特別天然記念物に変更指定される。これをもって3月29日はマリモの日となる。
     4月 1日琉球政府が正式発足。
     4月 9日羽田-名古屋-伊丹-福岡の日本航空旅客機「もく星号」が消息を絶つ。
     4月10日「もく星号」が伊豆大島三原山中腹で残骸となっているのを、同僚機の「てんおう星号」が発見する。乗員乗客37名全員死亡。
     4月17日鳥取大火が起こる。城下町特有の道の狭さで消火活動が進まず、5228戸が焼失。
     4月28日サンフランシスコ講和条約が発効。
     6月14日世界初の原子力試験潜水艦ノーチラス号(SSN-571)が起工される。
     7月19日ワシントンUFO事件。アメリカの首都ワシントン上空に謎の光が複数出現して、戦闘機が出撃するなど大騒ぎになる。
     7月23日イギリスの保護国であったエジプト王国で、ガマール・アブドゥン=ナーセル率いる反英の自由将校団がクーデターを起こし、国王ファールーク1世を追放して政権を掌握。エジプト革命。
     7月26日ふたたびワシントン上空に謎の光が複数出現。大統領がアインシュタインに助言を求める。上空に逆転層ができて地上の明かりの蜃気楼が見えたという説などがある。
     9月 6日著作権保護の方式主義と、無方式主義の国の間を調整する、万国著作権条約がジュネーブで作成される。
     9月12日宇宙人フラット・ウッズモンスター事件。ウェストバージニア州フラットウッズで、墜落した謎の物体を見に行った住民が、近くの森の中にいる3mを超える「怪物」を目撃。全米で大ニュースとして伝えられる。フクロウなどの見間違いと言われるも、真相は不明のまま。
     9月16日電源開発促進法により電源開発株式会社が設立される。過度経済力集中排除法によって9社に分割された日本発送電株式会社に代わり、発電所建設などを行う特殊法人。
     9月24日明神礁噴火で新島の調査に向かった測量船「第五海洋丸」が遭難。31名が消息を絶つ。
    10月 3日イギリスが初の核実験ハリケーン作戦を実施。出力25Kt。西オーストラリアのトリムイユ島沖合に停泊したフリゲート艦プリムの艦内で起爆(艦船で核爆弾を輸送し攻撃する事態を想定していたため)。
    11月 1日史上初の水爆実験アイビー作戦マイク実験がエニウェトク環礁のエルゲラブ島で実施される。出力10Mt。
    11月18日丸ノ内ビルヂングの隣に、新丸ノ内ビルヂングが竣工する。1937年6月28日に着工したが戦争で中止されていたオフィスビル。
    12月 5日ロンドンスモッグが発生。最終的に1万2000人を超える死者を出す。
    12月 7日鹿地事件。小説家の鹿地亘が、アメリカの諜報機関「キャノン機関」に拉致される。戦時中に中国国民党のもとで工作活動をしていたことなどから、ソ連のスパイと疑われたためとされる。
     エチオピアとエリトリアが連邦制に移行。
    1953年(昭和28年)
     2月 1日日本放送協会がテレビ本放送開始。
     2月14日東京都府中町の小勝多摩火工府中工場で、保安隊から依頼を受けた擬砲弾用火薬を生産作業中、火薬配合室で爆発。14棟全棟が全壊。周辺1kmの建物にも大きな被害を出す。工場関係者24名中20名と一般市民1名が死亡。
     3月23日出光興産のタンカー日章丸が、極秘に神戸港を出港。イランへ向かう。この時イランは、イギリスの石油会社アングロ・イラニアン石油の施設を国有化したことでイギリスより海上封鎖状態に置かれていた。
     3月24日国際電信電話株式会社が設立される。
     4月10日日章丸がイギリスの封鎖線を突破してイランのアーバーダーン港に入港。
     4月15日日章丸がアーバーダーン港を出港。イギリスの海上封鎖線突破を図る。
     4月19日尾崎行雄が第26回衆議院議員総選挙で落選し、63年間守った議席を失う。
     4月25日この日発行の『ネイチャー』誌に、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソン、モーリス・ウィルキンスの3人がDNAの二重らせん構造について説明した論文が発表される。研究にはロザリンド・フランクリンの撮影したX線写真が利用された。
     5月 9日日章丸が川崎港に無事入港し、世論の大喝采を浴びる。通称「日章丸事件」。
     5月25日アメリカ・ネバダ核実験場で、アップショット・ノットホール作戦グレイブル実験が行われる。W9核砲弾が280mmアトミックキャノンから発射される。核出力15kt。唯一の核砲弾発射実験。
     5月29日エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがエベレスト登頂に初成功
     6月18日エジプトのアフマド・フアード2世が退位し、ムハンマド・アリー朝は崩壊。共和制に移行する。
     6月19日アメリカの原爆開発に関する機密情報をソ連に流したスパイ行為を理由に、ローゼンバーグ夫妻が処刑される。
     7月26日キューバ・バティスタ軍事政権に対するフィデル・カストロらが率いた青年ら119人の部隊がサンチアゴ・デ・キューバのモンカダ兵営を襲撃するも失敗に終わる。
     8月12日ソビエトが初の核融合兵器実験RDS-6を行なう。核出力400Kt。実際には核融合は殆ど起こらなかったと言われるが、ソビエト政府は拡大宣伝。
     8月28日日本テレビが民間テレビ放送の本放送を開始。また日本初のテレビCMが放送されるが、裏返しに表示してしまう日本初の放送事故も起こる。
     9月 7日溶融金属冷却原子炉を搭載した潜水艦シーウルフ(SSN-575)が起工される。
    10月29日アングロ・イラニアン石油による日章丸積荷の所有権を求める裁判で、アングロ・イラニアン石油が訴えを取り下げたため、出光興産の事実上の勝訴となる。この独断でイランから石油を運んだ日章丸事件は、石油メジャーに抑えられていた石油製品自由取引の解禁へと繋がった。
    11月 5日徳島ラジオ商殺人事件が起こる。のち内縁の妻が逮捕され有罪となるが、再審で無罪判決。
    12月25日奄美群島が日本に返還される。これ以降、奄美群島の住民は、沖縄へ行く際パスポートが必要になる。
    12月31日紅白歌合戦が初の公開放送。本来は元日放送だったため、翌1954年元日の開催予定だったが、会場となる日本劇場の予約が取れず、大晦日の公開放送となった。これがきっかけで以降は年末に行われることになる。
     大阪第一生命ビル竣工。例外的に百尺規制を超えた大型ビル。
    1954年(昭和29年)
     1月10日シンガポール発ロンドン行の英国海外航空781便コメットがイタリア沖の地中海上空で空中分解、乗員乗客35人全員が死亡。コメットの運行を停止して検査を行う。
     1月12日米国務長官ジョン・フォスター・ダレスが、ニュールック戦略(大量報復戦略)を表明。ソ連が攻撃を仕掛けてきた場合、あらゆる場所で即座に戦略核兵器で報復攻撃を行うよう整えておく核抑止力戦略。
     1月20日丸ノ内線の池袋 - 御茶ノ水間が開業。
     3月 1日ビキニ環礁でアメリカが水爆実験「キャッスル作戦ブラボー実験」を実施。核出力15Mt。第五福竜丸やマーシャル諸島の住民が被曝。兵器として実用的な乾式水爆の実験で、核出力を小さく見誤ったことが、実際の被害を大きくしたと言われる。
     3月13日KGB(ソ連国家保安委員会)が独立組織として誕生。スターリン時代のGRUを受け継いだ秘密警察。
     4月 5日集団就職のための最初の列車、青森発上野行き臨時夜行列車が出発する。
     4月 8日コメット運行再開直後に、ロンドン発ヨハネスブルグ行南アフリカ航空201便のコメットがイタリア沖のティレニア海上空で空中分解。コメットの運行が停止され、安全問題に発展する。のちに金属疲労が原因と判明し、安全対策を施して復活するが、国際競争に敗れた。
     4月26日映画『七人の侍』が公開される。
     6月27日社会主義政権となったグアテマラに対し、アメリカがPBサクセス作戦を実施。ホンジュラスからカスティージョ・アルマスの軍勢が首都へ侵攻。グスマン政権が崩壊する。グアテマラ内戦の始まり。
     7月21日『指輪物語』第一部『旅の仲間』がイギリスで出版。
     9月26日洞爺丸事件。洞爺丸台風(台風15号)が通過した北海道で青函連絡船洞爺丸、北見丸、日高丸、十勝丸、第十一青函丸が転覆・沈没、岩内町で大火となるなど、死者・行方不明1761名。
    11月 3日『ゴジラ』の第一作が公開。第一次公開館だけで空前の961万人を動員する大ヒットとなる。
    11月23日ニューヨーク株式市場が、1929年の大暴落以前の水準に戻る。
    11月30日アメリカ・アラバマ州タラディーガ郡シラコーガに隕石が落下。その破片の1つがホッジス家の屋根を突き抜け屋内にいたアン・エリザベス・ホッジス夫人に当たる。人に直接当たったことが明確なのは、この例と2013年のチェリャビンスク隕石の例しかないが、この他に幾つかの記録が残っている。
    12月 9日もうひとりの「吉田茂」死去。首相と同姓同名でしばしば間違われた吉田茂は、内務省系の「革新官僚」出身で、戦時中は大臣も務め、戦後は神社本庁の設立に奔走した人物。
     1938年に渋谷駅の脇に完成した4階建ての玉電ビルを増築して、11階建ての東急会館が完成。
    1955年(昭和30年)
     1月 2日ナイロンザイル事件。前穂高岳東壁を登攀中の岩稜会の3人パーティの1人がナイロンザイルが切れて滑落し死亡。犠牲者の兄である石岡繁雄は、実験でナイロンザイルの弱点に気づく。
     1月17日原子力潜水艦ノーチラスの原子力航行に成功。
     4月11日バートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインが、核戦争による人類絶滅を危惧し、核兵器廃止を訴える宣言をまとめ、署名する。ラッセル=アインシュタイン宣言。
     4月18日アルベルト・アインシュタイン死去。
     4月29日ナイロンザイル事件で、メーカーが強度実験を行うが、実験用の岩の角を丸く工作して強度に問題はないとの結果を公表。滑落事故を起こした岩稜会の問題にすり替える。実験を日本山岳会の篠田軍治が指導したこともあって、日本山岳会はナイロンザイルの弱点を無視し続け、その後も犠牲者が相次ぐ(法整備までに20人が死亡したという)。
     5月11日瀬戸内海の宇高連絡船だった紫雲丸と第三宇高丸が衝突し、紫雲丸が沈没。168人が死亡。第五次紫雲丸事故
     5月25日広辞苑初版発行。辞苑の改訂版国語辞典だが、出版社は博文館から岩波書店に変更され、改めて出版された。
     5月キューバのバティスタ政権が、恩赦で政治犯を釈放する。カストロ兄弟らも釈放され、メキシコへ亡命。
     6月11日ル・マン24時間レースが行われていたサルト・サーキットで大事故。選手、観客やスタッフら86人が死亡、200人以上が重軽傷。各国で自動車レースが中止や禁止になる。
     7月 9日ラッセル=アインシュタイン宣言が発表される。ほかに9人の科学者が署名。
     8月 1日東京都墨田区厩橋の花火問屋・井上花火店の工場で火災が発生し大爆発。14名が死亡し、80名以上が負傷、13棟が全焼し周囲300mの建物に大きな被害を出す。
     9月13日砂川事件。米軍立川基地の滑走路拡張問題で、延長路上にあった砂川村の住民と学生や労働団体が、拡張に反対して、測量を警備していた警官隊と衝突。
     9月16日万国著作権条約が発効。
    10月 1日アメリカ戦後空母第一世代で最初の超大型空母フォレスタルが就役。艦名は超大型空母部隊を計画しながら自殺に至った初代国防長官ジェームズ・フォレスタルから採用。
    10月10日焼失した金閣寺が再建され、落慶法要が行われる。再建では焼失前の姿ではなく、創建当時の姿を模して設計された。
    10月26日フランスの傀儡国家ベトナム国の首相であったゴ・ディン・ジエムが国民投票で大統領に就任し、ベトナム共和国(南ベトナム)が成立。
    10月桜島南岳山頂火口で爆発噴火。死者1名、負傷者11名。南岳山頂付近は立ち入り禁止となる。
     この年、宮崎県に上椎葉ダムが完成。アーチ式では初めての高さ100mを超すダム。
    1956年(昭和31年)
     1月 1日新潟県弥彦村の弥彦神社で参拝客が将棋倒し事故。死者124人・重軽傷者77人を出す。
     1月28日日本、万国著作権条約を批准し関連法を公布。ベルヌ条約に加盟している著作権無登録認可(無方式主義)の国と、それ以外の著作権登録制度の国との権利保護を、(C)+著作権者名+年号表記によって連携させるための条約。
     2月14日ソ連共産党第20回大会開会。フルシチョフ体制による「スターリン批判」のはじまり。
     3月 7日金閣寺を放火した林承賢が肺結核で病死。
     4月19日モナコ大公レーニエ3世と女優グレース・ケリーとの結婚式がサン・ニコラ大聖堂で行われる。
     5月 1日熊本県水俣市の保健所へ、新日本窒素附属病院の細川一医師から「原因不明の奇病」の報告があり、保健所が公表。水俣病が世間に知られるきっかけとなる。
     8月20日原子力潜水艦シーウルフ、繋留状態で全力運転中に冷却材漏出事故を起こす。
     9月 1日政令指定都市制度施行。戦時中の1都5大都市制を受け継いで、神奈川県横浜市、愛知県名古屋市、京都府京都市、大阪府大阪市、兵庫県神戸市が政令指定都市と定められる。
    10月19日日ソ共同宣言がモスクワで調印。
    10月23日ハンガリー動乱。ハンガリーで民衆の自由を求める運動にソ連軍が介入。大勢の市民が殺害される。市民1万7000人が死亡し、20万人が難民となって国外へ出る。日本では日本共産党や日本社会党にソ連の武力侵攻を支持する意見も出て論争になる。
    10月28日大阪に二代目通天閣が完成。
    11月 8日日本初の第1次南極観測隊(南極地域観測予備隊)を乗せた南極観測船「宗谷」が東京港を出発。
    11月25日カストロら「7月26日運動」のメンバー82人が、亡命先のメキシコからヨット・グランマ号で出港。
    12月 2日カストロらが、ヨット・グランマ号でキューバに戻る。バティスタ政権の待ち伏せ攻撃で12人にまで減るも、以後、ゲリラ戦を展開して徐々に勢力を拡大する。
    12月26日シベリア抑留者の最後の引揚船「興安丸」が舞鶴港に入港。
    1957年(昭和32年)
     1月29日日本初の第1次南極観測隊(南極地域観測予備隊)が、南極の東オングル島プリンスハラルド海岸に上陸、昭和基地と命名。
     3月13日猥褻か表現の自由かを問われた『チャタレイ夫人の恋人』の日本語訳をめぐって、出版社社長小山久二郎と作品を翻訳した伊藤整の罰金刑が確定する(「チャタレー事件」)。
     5月15日イギリス軍がキリバスのキリスィマスィ島で初の水爆実験グラップル作戦を行う。最初のグリーン・グラナイト実験は核出力が300ktと予想をかなり下回っている。
     5月28日10月7日まで、アメリカ・ネバダ実験場で核実験プラムボブ作戦が行われる。29回の実験が行われ、小型核兵器の性能実験、構造物に対する影響実験、生物への影響実験、兵士への心理実験、偶発事故による核爆発を防ぐ安全性検証実験、初の地下核実験などが行われ、18000人の兵士が被験者として参加した他、膨大な量の放射性物質が大気圏内に放出される。
     6月 5日沖縄にアメリカ政府の代表機関、琉球列島高等弁務官が設置される。
     8月 3日米軍機母子殺傷事件。アメリカ空軍水戸補助飛行場で離陸した米軍機が低空飛行し、歩いていた親子に接触して殺傷する。
     8月21日ソ連が世界で初めて大陸間弾道ミサイルR-7(セミョールカ)の発射実験に成功。
     8月27日日本初の原子炉JRR-1が臨界に達する。
     8月31日マラヤ連邦(現在のマレーシアの大部分)が英連邦に所属する形でイギリスから独立。独立を運動したトゥンク・アブドゥル・ラーマンが首相に就任。
     9月20日初の国産観測用ロケット「カッパ4C型」が打上げられる。成層圏を観測するためのロケット。目標には到達しなかったが、以降の国産ロケットの原点となった機体の一つ。
     9月29日ウラル核惨事。ソ連の核開発秘密都市チェリヤビンスク65で放射性廃棄物タンクの冷却装置が故障し、崩壊熱によって高温になった結果、タンクが爆発、放射性物質が広範囲に飛散。付近にいた1000人以上が被曝し、幅約9km、長さ105kmの地域が汚染され、住民1万人が退去した。
    10月 1日西ドイツで、サリドマイドが睡眠薬として発売される。
    10月 4日世界初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられ、世界に大きな衝撃(スプートニク・ショック)を与える。ソ連の先駆的ロケット研究者ツィオルコフスキーの生誕100年を記念して行われた。
    11月18日文化放送、ニッポン放送、東宝、松竹、大映が、フジテレビを設立する。
    12月 6日アメリカ、ヴァンガードロケットによる初の人工衛星打ち上げに失敗。スプートニクにかけて「カプートニク(壊れた衛星)」などと称される。
    12月10日天城山で、愛新覚羅慧生と学習院級友の大久保武道のピストル心中遺体が発見される。
    1958年(昭和33年)
     1月20日日本でもサリドマイドの発売が始まる。
     1月31日アメリカが人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功する。
     2月 1日エジプトとシリアが「アラブ連合共和国」を樹立。
     2月14日第二次南極観測隊の越冬隊を載せた宗谷が悪天候で接岸できず、第一次越冬隊員はかろうじて小型機とヘリで昭和基地を脱出。メス犬1匹と子犬らを運ぶことはできたものの、15頭の樺太犬は鎖につないだまま取り残される。
     2月24日第二次南極観測隊の越冬を断念。帰国することになり、15頭の樺太犬は鎖につないだまま置いていくことになる。
     3月 3日富士重工業が軽自動車スバル360を発表。はじめて軽自動車で成功をおさめる。
     3月 5日アメリカ大統領科学技術諮問委員会委員長ジェームズ・キリアンが、アイゼンハワー大統領に書簡を送り、民間宇宙計画のための文民統制された国家宇宙機関として、国家航空宇宙諮問委員会(NACA)の大幅拡張を進言。
     6月16日ハンガリー動乱時の首相だったナジ・イムレがKGBの秘密裁判の上で処刑される。
     6月28日アメリカ軍の核実験ハードタックⅠ作戦オーク実験がエニウェトク環礁で行われる。核出力8.9Mt。
     7月12日アメリカ軍の核実験ハードタックⅠ作戦ポプラ実験がビキニ環礁で行われる。核出力9.3Mt。
     7月14日イラクで軍がクーデターを起こし、国王ファイサル2世と摂政アブドゥル=イラーフらを処刑。
     7月29日アイゼンハワー大統領が国家航空宇宙決議に署名し、国家航空宇宙諮問委員会(NACA)が発展的解消をして、アメリカ航空宇宙局(NASA)が発足。
     8月 1日アメリカ軍の核実験ハードタックⅠ作戦ティーク実験がジョンストン島上空75.6kmで行われる。核出力3.8Mt。大規模な電磁パルスが発生し、電気設備や電子機器などが甚大な被害を受ける。
     8月 3日原子力潜水艦ノーチラス、浮上せずに北極点通過に成功。
     8月25日日清食品創業者の安藤百福が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売。
     8月中国で毛沢東主導のもと、大躍進政策が開始される。非科学的でノルマ主義な増産運動により、森林破壊、農機具の不足、蝗害を招き、農地が荒廃し、大規模な飢餓を引き起こして、数年で2000万~5000万人が死ぬ大惨事となる。
     9月16日沖縄での公式通貨をB円から米ドルに切り替える。
     9月26日狩野川台風(台風22号)が伊豆半島近海を通過。大豪雨となり、伊豆半島の狩野川流域で氾濫・土砂崩れが多発。死者行方不明者は1269名。
    10月 7日アメリカの有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」が正式にスタートする。
    10月18日アメリカからフラフープが輸入され発売。爆発的なブームが起こる。
    11月 7日呪いの伝説があるホープダイヤモンドがスミソニアン協会に寄贈される
    11月22日フラフープのやり過ぎで「胃に穴が開いた」「腸捻転を起こした」という噂が広がり、千葉県東金市の小学校でフラフープが禁止される。フラフープが体に悪いというのは噂に過ぎず、実際には医学的に問題はない。
    11月27日宮内庁が皇太子・明仁親王と正田美智子の婚約を発表。ミッチーブームが始まる。
    12月30日ロスアラモス研究所にてセシル・ケリー臨界事故が発生する。プルトニウムを精製する際に、溶剤に投入するプルトニウムの量を誤って、大量に投入してしまった担当者のセシル・ケリーが、直後に起こった核分裂臨界反応によって被曝。35時間後に死亡した。
    1959年(昭和34年)
     1月14日タロとジロの生存確認。南極に取り残されていた第1次越冬隊の樺太犬15頭のうち2頭。首輪抜けをし、アザラシやペンギンを食べて生き延びていた。他に6頭が首輪を抜けていたが、行方不明。7頭は鎖につながれたまま死亡。海に水葬処分された。
     2月 6日タイタンIのテスト飛行が行われる。アメリカ合衆国が初めて開発し導入した多段式大陸間弾道ミサイル(ICBM)で、発射サイロから発射する最初のミサイルでもある。
     2月26日インパール作戦で兵士を救うために上官の命令を無視して撤退し、戦後批判された佐藤幸徳中将が病死する。
     3月 9日ニューヨークで開催された国際おもちゃフェアで、マテル社がバービー人形を発表。
     3月15日地下鉄丸ノ内線のうち、霞ケ関-新宿間が開業し、「荻窪線」を除く全線開通。
     5月 1日メリーランド州グリーンベルトにNASAの衛星の管制を担当するゴダード宇宙飛行センターが設立される。先駆者だったロバート・ゴダードがようやく評価され、彼の名を冠することとなった。
     5月26日西ドイツのミュンヘンにて開催されたIOC総会で、第18回夏季オリンピック東京大会の開催が決定。
     5月29日長野県下伊那郡上郷村の内山煙火製造所で、打ち上げ花火用の花火玉を製造中に爆発。爆風によって周囲の民家なども全半壊し、従業員6名と、近くの浜井場小学校の校庭で授業を受けていた児童1名が死亡、重軽傷者266名を出す。
     6月10日国立西洋美術館開館。松方コレクションを展示。
     6月30日嘉手納基地を飛び立ったアメリカ空軍の戦闘機F100Dが、エンジン故障で市街地に墜落。宮森小学校に激突して炎上し、死者17人、重軽傷者210人を出す。
     7月 2日中国で廬山会議がはじまる。大躍進政策の修正を行うはずが政治闘争と化し、彭徳懐ら多数が失脚。
     7月24日キッチン討論。ソビエトのモスクワで開かれたアメリカ博覧会の会場に置かれたアメリカ住宅のキッチンで、フルシチョフソ連共産党第一書記とニクソン米副大統領が資本主義と共産主義の利点と欠点について討論。ニクソンが庶民に電化製品が普及したことをアピールしたのに対し、フルシチョフは人工衛星や原爆開発を誇ろうとした。
     7月31日スペインのバスク地方の分離独立を目指す民族組織「バスク祖国と自由」が結成される。
     8月21日ハワイ準州がアメリカ50番目の州として昇格。
     9月24日藤沢飛行場に米軍の偵察機U-2が緊急不時着。米軍が日本人市民の目撃者調査を行う騒ぎとなる(黒いジェット機事件)。
     9月26日伊勢湾台風(台風15号)が上陸、大規模な高潮と暴風で、名古屋市を中心に死者行方不明者5098人。
    10月 7日ソ連の無人月探査機「ルナ3号」が世界で初めて月の裏側を撮影。
    11月20日東洋化工横浜工場でTNT火薬の脱色精製試験中に火災が起き、溶融釜内の約450kgの火薬が爆発、さらに1.5トンの精製前TNTに誘爆し、従業員3名が死亡、従業員や付近の住民、付近の小中高校及び大学の学生生徒、京浜急行の乗客ら少なくとも386名が重軽傷を負う。火災現場そばに貯蔵されていた200tの火薬には、消防隊の消火活動で延焼せずに済んだ。
    12月 2日フランスのマルパッセダムが崩壊。ダム湖の水が下流へ落ち、マルパッセ村とボゾン村が飲み込まれ死者421名を出す惨事となる。同ダムはアーチ式で、完成して初めて満水状態になった際に、その圧力に耐えられなくなったアーチ左側の岩盤が押し崩れてダム全体も決壊した。評価計算を甘く見た結果であった(アーチ式ダムはアーチの左右の岸で水圧に耐える構造になっている)。
    12月 4日清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀が、劉少奇国家主席の特赦令で収容所から釈放され、北京植物園の庭師となる。のち中国人民政治協商会議全国委員に選出。
    12月11日早朝、横浜市神奈川区子安台の第二京浜国道でTNT火薬を満載したトラックに、居眠り運転をしていた砂利運搬トラックが突っ込み、火薬が爆発。両方の運転手4名が即死。付近500mの家屋31棟が全半壊し99名が負傷。砂利運搬トラック運転手の超過勤務が原因。
    12月14日在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業がはじまる。
    1960年(昭和35年)
     1月 7日ケープカナベラルでポラリスミサイルの発射実験が行われる。アメリカ初のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)。
     1月 9日ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの起工式が行われる。1970年完成。
     1月29日日本のアラビア石油が、クウェート沖合の海底でカフジ油田を発見。自主開発油田の最初。
     2月13日フランス初の核実験「ジェルボアーズ・ブルー」がアルジェリアのサハラ砂漠で行われる。核出力70kt。ジェルボアーズとは砂漠に住むトビネズミのこと。ブルーはフランス国旗の最初の色「青」。実験は続けて、ジェルボアーズ・ブランシュ(白)、ジェルボアーズ・ルージュ(赤)と続いた。
     3月 5日フランス領アフリカ共同体オートボルタ自治共和国(現ブルキナファソ)のガオ・ギニー一帯に空中で崩壊したとみられる隕石の破片が多数落下する。
     3月21日南アフリカで人種差別のパス法に反対するパン・アフリカニスト会議が抗議集会を行い、警察が発砲。多数の犠牲者を出すシャープビル虐殺事件が起こる。
     4月21日ブラジル政府、人工計画都市ブラジリアに遷都。
     5月19日新日米安保条約、日米安全保障条約等特別委員会で与党の強行採決。翌日衆議院通過。反安保闘争が激化し、国会をデモ隊が包囲。
     6月 3日セガ設立。ゲーム制作、アミューズメント施設運営会社。
     6月10日ハガチー事件。米大統領報道官ジェイムズ・ハガティが羽田空港でデモ隊に包囲されヘリに救出される。
     6月15日国会前で機動隊とデモ隊が衝突し、東大生の樺美智子が圧死する。
     6月17日新聞七社共同宣言。暴力による革命運動を批判する社告を掲載。宣言を出したマスコミに対する批判も起こる。
     6月19日新日米安保条約、参議院の議決がないまま午前零時に自然成立。
     6月23日新日米安保条約批准書交換。これをもって岸内閣は総辞職する。
     6月30日ベルギー領コンゴが独立。
     7月 9日樺太犬のジロが第4次越冬中に昭和基地で病死。のち剥製となる。
     8月16日高高度降下人体実験プロジェクト・エクセルシオが行われ、高度31.3kmの気球からアメリカ空軍のパイロット、ジョゼフ・キッティンジャーがダイブ。乗物等を使わない人間そのものの最高速度時速988kmを記録。
     8月19日ソ連を偵察していたアメリカ軍の偵察機U-2がソ連領空で撃墜され、パイロットのゲーリー・パワーズが捕虜となる。
     8月27日氷川丸による横浜-シアトル航路の最後の出港。横浜港ボート・トレインもこの日をもって終了。
     9月24日世界初の原子力航空母艦「エンタープライズ」が進水。
    10月12日日比谷公会堂で、自民党・社会党・民社党3党党首の立会演説会中に、社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼少年の山口二矢に暗殺される。
    10月24日ニェジェーリンの大惨事。ソ連のバイコヌール宇宙基地で開発中だったR-16大陸間弾道ミサイルの発射試験中に、爆発事故が起こり、基地司令官以下100人以上が死亡。
    11月 2日浅沼稲次郎を暗殺した山口二矢が少年鑑別所で自殺。
    1961年(昭和36年)
     1月24日ゴールズボロ空軍機事故。アメリカノースカロライナ州でマーク39核爆弾2発を搭載したアメリカ空軍のB-52爆撃機が空中分解し、核爆弾が地表に落下。乗組員のうち5人は脱出して無事、3人が死亡。核爆弾のうち1発は、4段階の起爆装置の3つ目までがアクティブとなったが、地表激突直前に落下傘が開き木に引っかかって起爆しなかったとみられる。もう1発は湿地帯に突入し大破。こちらも起爆直前の状態だったと見られている。
     2月 1日風流夢譚事件。中央公論社から発刊された深沢七郎の小説「風流夢譚」で皇室の人々が「左慾」革命で殺害されるシーンに反発した右翼の少年が、中央公論社社長の嶋中邸を襲撃。お手伝いの女性が死亡する。
     4月11日イスラエルでアイヒマン裁判がはじまる。ナチスのユダヤ人虐殺に関与したアイヒマンに対する裁判で、大量虐殺を命令されただけでそれを行えるのか、という問題を提起した。
     4月12日ソ連のガガーリンがボストーク3KA-2で人類初の軌道周回飛行に成功する。
     4月22日フランス領アルジェリアで、「将軍たちの反乱」が勃発。フランスのド・ゴール大統領が、独立戦争の続くアルジェリアに対して進める宥和政策に反発したモーリス・シャール、エドモン・ジュオー、アンドレ・ゼレール、ラウル・サランの4人の退役将軍が軍事政権樹立を目指して反乱。即日、アルジェリアの主要都市を占拠。反独立派のOAS(秘密軍事組織)も参加。
     4月23日フランスのド・ゴール大統領が、反乱に対処するテレビ演説を行う。フランス各地で反乱に反発してゼネスト。
     4月25日フランス軍、アルジェリアの核実験場にあった原子爆弾「ジェルボアーズ・ヴェール(緑)」を、反乱軍の手に渡らぬよう起爆させる。核爆発と、ラジオ放送による呼びかけを受けて、反乱軍の投降者が相次ぐ。
     4月26日アルジェリア反乱軍の4将軍のうちモーリス・シャールがフランス軍に降伏。反乱は終息へ向かう。
     5月 4日樺太犬のタロが日本に帰国する。北海道大学植物園で飼育される。
     5月 5日アメリカが宇宙船フリーダム7で初の有人弾道飛行を行う。搭乗したのはアラン・バートレット・シェパードJr.。
     5月16日韓国で5・16クーデターが勃発。朴正煕軍事独裁政権が発足する。
     7月アイヒマンの心理を探る目的で、アメリカで心理学者によるミルグラム実験が始まる。閉鎖環境で、権威のある人間に、責任を問わないことを条件に命令されると、他者の命を奪いかねないことでも実行してしまうかどうかを多数の一般市民を対象に実施したテスト。
     8月13日東ドイツ政府が、突如東西ベルリン市の間に壁の建設を始める。
     9月17日第2代国際連合事務総長ダグ・ハマーショルドがコンゴ動乱調停に向かう途中、搭乗機が空港着陸に失敗し死亡。暗殺の噂が流れる。
    10月30日史上最大の水爆ツァーリ・ボンバの核実験RDS-220が、ソ連のノヴァヤゼムリャ島で実施される。出力50Mt。
    11月18日学会でサリドマイドの催奇性が指摘される。
    12月12日三無事件。旧軍関係者、自衛隊関係者、右翼、学生、韓国軍関係者、韓国や台湾の財閥関係者などが参加したクーデター未遂事件。破壊活動防止法で初の有罪判決が出た事件でもある。
    1962年(昭和37年)
     2月10日ソ連が捕虜にしていた偵察機U-2のパイロット、ゲーリー・パワーズと、アメリカが逮捕したソ連のスパイ、ルドルフ・アベル大佐を、東西ベルリンの境界にあるグリーニケ橋で身柄交換。
     2月20日宇宙船フレンドシップ7によるアメリカ初の軌道周回飛行。
     3月19日フランスとアルジェリア暫定政権、独立派のアルジェリア民族解放戦線の3者によって、エヴィアン=レ=バンでエヴィアン協定が締結。アルジェリアのフランスからの独立が決定。アルジェリア戦争は終結。この際、フランス側に付いて戦った現地のムスリム兵「アルキ」が見捨てられ多大な犠牲を出すことに。
     5月 1日フランスがアルジェリアのサハラ砂漠エッカーで行った地下核実験で、想定より大きな爆発となり、大量の爆風が地上へ吹き出す。実験に立ち会っていたピエール・メスメル国防相ら2000人が被曝。
     5月 3日東京荒川区東日暮里の常磐線で、多重衝突の三河島事故が起こる。160人が死亡し、325人が重軽傷。
     5月17日大日本製薬サリドマイド出荷停止。
     5月20日ホテルオークラ開業。元帝国ホテル会長の大倉喜七郎が帝国ホテルを超えるホテルとして設立。
     5月27日ペンシルベニア州セントラリアで、ゴミ集積所から起こったとみられる火災が、地下の炭鉱に広がる。これにより地表が高温化し道路が使用不能に。有毒ガスも地下から噴出。さらに地下水が失われるなど、生活環境が悪化。鎮火も困難なことから、セントラリアは放棄される。
     6月21日司馬遼太郎の代表的な小説『竜馬がゆく』が産経新聞で連載が始まる。
     7月 1日王貞治がはじめて実戦で一本足打法を試す。
     7月 6日アメリカ・ネバダ州で、核爆発による掘削テストのための地下核実験「セダン核実験」が行われ、飛散した放射性物質により市民1300万人もの被曝者を出す。
     7月 5日アルジェリア独立。フランス軍は15年間駐留することとなる。
     7月 9日アメリカ軍による核実験ドミニク作戦(フィッシュボール作戦)スターフィッシュ・プライム実験が行われる。ジョンストン島の高度400kmの宇宙空間で核爆発を実施。大規模な電磁パルスが発生し、ハワイ諸島は停電。またアメリカの位置測位衛星トランシット4Bや、イギリス初の人工衛星アリエル1号に深刻なダメージをもたらしたと言われる。
     7月11日YS-11記念日。国産初の旅客機YS-11が完成する。
     7月16日建築基準法のビルの高さを百尺(31m)に規制する「百尺規制」が廃止され、高層ビルの建設が可能になる(すでにこれ以前に規制の高さを超えるビルも複数ある)。代わりに容積率の規制が導入される。
     8月30日YS-11が初飛行。
    10月 5日映画007シリーズ第一作『007 ドクター・ノオ』がイギリスで公開。
    10月15日キューバにソ連軍のミサイル基地が建設されているのが発見され、米ソ核戦争の危機「キューバ危機」が起こる。
    10月20日中華人民共和国軍が、カシミールのアクサイチン地方を実効支配に置くため、対立するインド側へ侵攻。中印国境紛争が始まる。
    11月21日中印国境紛争は中国側の勝利に終わる。
    1963年(昭和38年)
     2月28日吉田巌窟王事件で、吉田石松に対し名古屋高裁で無罪判決。裁判長が吉田を巌窟王になぞらえ、「吉田翁」と呼びかけて謝罪。
     6月16日ソ連の女性宇宙飛行士、ワレンチナ・テレシコワが、ボストーク6号で宇宙へと飛び立つ。
     8月 5日アメリカ、イギリス、ソ連の3国外相により部分的核実験禁止条約がモスクワで調印される。地下核実験を除く、地上や水中、宇宙での核実験を禁止する条約。
     8月28日人種差別撤廃を訴えたワシントン大行進が行われ、リンカーン記念館でキング牧師が有名な「I have a dream」の演説を行う。
    10月 9日イタリアのバイオントダムのダム湖岸にあったトック山が大規模な地すべりを起こし、土砂がダム湖に流れ込む。高さ250mの津波が発生し対岸の中腹にあったカッソ村が飲み込まれた他、ダムの天端を超えて、下流へと流れ落ち、ピアーヴェ川沿いの村々を押し流す。死者行方不明者2000人以上。ダム湖が出来たことで地質が脆くなったためだが、ダムそのものは崩壊しなかった。
    11月 9日鶴見事故列車事故。鶴見近くの国鉄東海道本線で貨物列車の脱線に旅客列車2編成が多重衝突事故を起こす。死者161人、負傷者120人。
    11月 9日三井三池三川炭鉱炭塵爆発事故。三川坑内で石炭を積んだトロッコが暴走脱線し、大量の炭塵が構内に充満して粉塵爆発が生じたもので、救援が遅れたこともあり死者458名、一酸化炭素中毒患者839名を出す。
    11月22日アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、訪問先のテキサス州ダラス市街でパレード中に何者かに狙撃され死亡。テキサス州のジョン・ボウデン・コナリー・テキサス州知事も胸を撃たれ重症を負う。公式にはリー・ハーヴェイ・オズワルドが犯人とされている。
    11月23日日米間初のテレビ放送の衛星中継が行われ、前日に起こったケネディ暗殺のニュースが伝えられる。
    11月24日ケネディ暗殺の容疑者として逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドがジャック・ルビーに射殺される。
    12月 8日プロレスラーの力道山が赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団員に刺される。15日に化膿性腹膜炎で死去。
    12月19日東アフリカにあるスルタンのザンジバル王国がイギリスから独立。
    1964年(昭和39年)
     1月 5日ローマ教皇パウロ6世が、コンスタンディヌーポリ全地総主教アシナゴラス1世とエルサレムで会談し、東西教会の和解を図る。
     1月12日独立したばかりのザンジバル王国で、警官ジョン・オケロ率いる40人ほどが警察署や放送局を襲撃。国王一家が国外へ脱出する。抑圧されていたアフリカ系黒人住民が、支配層のアラブ系住民を襲撃。最終的に1万2000人以上が殺害される。社会主義のザンジバル人民共和国が成立。
     3月18日早川電機が卓上電子計算機(電卓)の商品化を発表。
     4月26日ザンジバル人民共和国のカルメ大統領が、情勢の安定とオケロの失脚を図り、隣国のタンガニーカに軍事介入を要請。この日、タンガニーカ・ザンジバル共和国が成立。のちのタンザニア連合共和国。
     6月11日昭和電工川崎工場のプロピレンオキサイド製造プラントで爆発があり、18人が死亡、重軽傷者117名。酸化プロピレンタンクの増設工事の火花が、超可燃性の酸化プロピレンに引火したため。
     7月 6日1949年の下山事件で、仮に殺人とした場合の時効が成立する。
     7月14日品川勝島倉庫爆発火災事故。寶組勝島倉庫で火災が発生し、保管していたメチルエチルケトンパーオキサイドに引火爆発。倉庫が崩壊し消火活動中の消防士ら19人が死亡、158人が重軽傷。
     8月 2日アメリカ海軍の駆逐艦マドックスが、北ベトナムのトンキン湾で哨戒活動中、北ベトナム軍の魚雷艇3隻に攻撃される。いわゆるトンキン湾事件。
     8月 4日この日トンキン湾で再び米艦艇が北ベトナム軍の攻撃を受けた、という発表がある。これを理由に、アメリカはベトナム戦争に本格的に参入する。4日の事件は、後にアメリカ政府によるでっち上げだったと判明する。
     8月31日ホテルニューオータニ・ザ・メインが竣工。東京オリンピックの需要のためで、高さ72m、17階建て。規制緩和後初の高層ビルで、国会議事堂を抜いて日本一の高さとなる。翌日開業。
     9月21日アメリカ軍の試作超音速爆撃機XB-70の1号機が初飛行。
     9月28日初のプライバシー侵害を争った『宴のあと』事件で、侵害を認める判決が出される。
    10月 1日東海道新幹線開業。当初運行は0系12両編成で最高速度は時速210km。東京駅-新大阪駅間が「ひかり」で4時間、「こだま」で5時間と、日帰りが可能になる。開業時は東京・新横浜・小田原・熱海・静岡・浜松・豊橋・名古屋・岐阜羽島・米原・京都・新大阪の12駅。
    10月10日第18回夏季オリンピック東京大会開催。
    10月16日中国が核実験に成功する。
    1965年(昭和40年)
     1月15日チャガン核実験。ソ連が農地開拓灌漑用の貯水湖を造成するために行った地下核実験。クレーターに水が流れこんでチャガン湖が形成されるも、大規模な汚染により灌漑できず失敗に終わる。
     2月 1日ソ連の核実験の是非をめぐって、容認派の共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)から批判派の社会党・総評系のグループが分裂し、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が結成される。
     2月10日自衛隊で行われた戦争時の対応を研究した「三矢研究」が国会で問題にされる。
     2月21日アメリカの黒人運動指導者マルコムXが、マンハッタンのオードゥボン舞踊場で演説中に暗殺される。
     3月14日西表島に生息しているヤマネコが日本哺乳動物学会により新種と鑑定される。のちイリオモテヤマネコと名付けられる。
     3月18日歴史的建造物を保存展示する博物館「明治村」が開園。
     3月28日横浜市戸塚区に五重塔のようなデザインのホテルエンパイア(現横浜薬科大学図書館、高さ68m)が開業。
     6月22日日韓基本条約成立。
     8月11日ロサンゼルスの郊外にあったワッツ市で警察の交通取締に反発した黒人住民が暴動を起こす。ワッツ暴動。背景には人種差別や貧困による不満の高まりがあり、各地で同様の事件が相次ぐ。
     8月27日フランスを中心に世界的に活躍していた建築家ル・コルビュジエが没する。
     8月パキスタンの民兵がカシミール地方インド側の実効支配地域に進出していたため、インドがパキスタンを攻撃。第二次印パ戦争が勃発する。
     9月23日国連の仲介で、第二次印パ戦争が停戦。
    10月 7日マリアナ海域漁船集団遭難事件。マリアナ諸島近海で操業していた、日本のかつお・まぐろ漁船の船団が台風29号に遭遇して遭難。死者1名、行方不明者208名を出す。
    11月19日佐藤栄作内閣が戦後初の赤字国債発行を閣議決定。1年限りとする。
     この年、ガーナにアコソンボダムが完成。世界最大の人造湖ヴォルタ湖が出来る。
    1966年(昭和41年)
     1月14日セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ死去。アメリカで活躍したフォン・ブラウンと並ぶ、ソ連を代表するロケット研究者。連の大陸間弾道ミサイルの開発を行ったため、その存在が明らかになったのは死後になってから。
     1月17日パロマレス米軍機墜落事故。スペイン南部で米軍のB-52戦略爆撃機が空中給油機と衝突して墜落し、水爆4発のうち3発が地上に激突して起爆用爆薬が爆発、核爆発には至らなかったが、核物質が飛散し大規模な汚染を引き起こす。1発は海中に没する。
     2月25日第二次印パ戦争の停戦合意を受け、両軍が完全撤退。国連軍事監視団がカシミール地方に配備される。
     3月 5日英国海外航空(BOAC)の911便、ボーイング707旅客機が富士山上空で空中分解。124名全員が死亡する。
     3月21日1960年のシャープビル事件の日に合わせて、国連総会で国際人種差別撤廃デーが決議され、3月21日は「人権の日」と定められる。
     6月 8日アメリカ軍の試作超音速爆撃機XB-70がゼネラル・エレクトリック社の宣伝映画撮影中の事故で墜落。
     6月13日アメリカ連邦最高裁の「ミランダ対アリゾナ州事件」の再審で、逮捕する際に被疑者の権利を述べるミランダ警告が義務付けられる。
     6月29日ビートルズが初来日。大規模な警備が敷かれる。
     6月30日ビートルズ日本公演始まる。2日まで。
     7月 4日閣議で新首都空港建設予定地が千葉県成田市三里塚に決定。
     7月10日新首都空港建設予定地が千葉県成田市三里塚に決定したことをうけて、地元住民による三里塚芝山連合空港反対同盟が結成される。
     7月10日ウルトラマンの日。ウルトラQの後継番組としてウルトラマンが放送されるに先立ち、杉並公会堂でのイベント『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』が放送される。
     8月 1日アメリカのテキサス大学オースティン校の高層棟テキサスタワーから、同大学大学院の院生であるチャールズ・ホイットマンが、カービン銃やライフル銃で人々を銃撃。市民や警官ら15人が死亡する。
     8月 1日プリンス自動車が日産自動車に吸収合併される。プリンス自動車は旧立川飛行機と旧中島飛行機という2つの航空会社の系譜を持つ自動車メーカーでプリンスやスカイラインを開発した。
     8月 2日ずさんなインパール作戦を強行して多くの兵士を死亡させ、最後まで自己弁護し、部下のせいにした牟田口廉也中将が病死。
     9月 3日深谷駅急行停車指示問題が起こる。佐藤第2次改造内閣で運輸大臣だった荒舩清十郎が、自身の選挙区内にある高崎線深谷駅に急行を停車させるよう国鉄に指示したとして、問題になった事件。
     9月 6日産児制限運動家として知られたマーガレット・サンガーが死去。
     9月30日イギリス保護領ベチュアナランドがボツワナとして独立。
    10月 5日東京皇居堀端の、解体された東京海上ビルディング(1918年竣工)の跡地に建築家前川國男らが高さ127.768m、30階建ての超高層ビル建設計画を提出する。
    10月15日ニューメキシコ州アラモゴルドの世界最初の核実験場がアメリカの史跡に指定される。
    11月12日モスマン事件が起こる。アメリカ・ウェストバージニア州で、赤い目をして翼の生えた不気味な人物が目撃される。以後、同州各地や周辺の州でも目撃例が相次ぐ。大型のフクロウなどの誤認説から、宇宙人のペット説まで様々に取り沙汰された。
    11月13日全日本空輸533便YS-11が、悪天候の中、松山空港への着陸に失敗し、やり直そうとして海上に墜落。乗員乗客50人全員が死亡する。
    11月徳島ラジオ商殺人事件で有罪となった冨士茂子が模範囚として出所。のち再審で無罪判決となる。
    12月 3日マカオ暴動。中共系住民と総督が対立。武力鎮圧されるが、中華人民共和国が、これを外交問題に発展させる。
    12月27日佐藤首相が、相次ぐ不祥事を受けて、勢力回復を図るため、第54回国会が召集された初日に衆議院を解散。黒い霧解散。
    1967年(昭和42年)
     2月11日戦前は神武天皇の即位日として祝日だった紀元節が、建国の記念日として復活する。
     3月29日北海道恵庭町の酪農家が演習の騒音に対し、自衛隊が約束を守らなかったとして演習場のケーブルを切断し、自衛隊の憲法問題にまで発展した「恵庭事件」の一審判決で、被告人全員が無罪。検察は上訴せず確定する。なお憲法問題は、被告人無罪により判断されず。
     4月15日超高層ビル計画だった東京海上ビルディング本館建設申請が東京都より却下される。ここから美観論争、皇居を見下ろすことの是非などが大論争となる。超高層ビル第一号は霞が関ビルディングに抜かれることに。
     4月16日東京都知事に美濃部亮吉が当選。
     4月23日ソビエトの有人宇宙船ソユーズ1号が打ち上げられるも、トラブル発生により帰還途中に遭難する。
     4月29日モハメド・アリが徴兵拒否を理由にヘビー級王座のタイトルを剥奪される。
     5月30日ロータリーエンジンを搭載した世界初の量産型実用車マツダコスモスポーツ発売。
     6月 5日第三次中東戦争勃発(6日間戦争)。イスラエル軍による電撃作戦で、瞬く間にヨルダン川西岸、ガザ地区、シナイ半島全域、シリアのゴラン高原を占領。
     6月 8日イスラエルとエジプト停戦。
     6月10日イスラエルとシリア停戦。第三次中東戦争停戦。
     6月17日中国が初の水爆実験「第6テスト」を行う。核出力3.31Mt。
     7月29日北ベトナムの爆撃作戦に参加していた米空母フォレスタルの甲板でロケット弾誤射による爆発事故が起こり、死者132名、重軽傷者62名、行方不明者2名を出す大惨事となる。
     8月13日映画『俺たちに明日はない』公開。
     9月 2日シーランド公国独立宣言。元イギリス陸軍少佐のパディ・ロイ・ベーツが、イギリスの領海外にある放棄されていた海上要塞跡を占拠し、「シーランド公国」と称して独立を宣言。
    10月 9日チェ・ゲバラが、ボリビア軍に捕らえられ射殺される。
    10月10日宇宙条約が発効。宇宙空間や月、他の天体での国家活動を制限する国際条約。
    10月17日清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀が北京で死去。
    10月18日ソ連の金星探査機ベネラ4号が金星に到達し、観測用カプセルを投下。はじめてその大気圏を調査する。
    10月19日アメリカの金星探査機マリナー5号も金星に到達し、金星の周りをフライバイ飛行しながらベネラ4号と共に金星を調査。
    12月15日オハイオ州カナウガとウエストバージニア州プリーザント間を結ぶ吊橋シルバー・ブリッジが崩落。橋上で渋滞していた多数の車両が落下し、46人が死亡、18人が負傷。建設された1928年当時最新と言われていたケーブルではなく鉄板チェーンで吊る構造(実は構造欠陥)が老朽化により破損したため。同日、この付近でモスマンが目撃されたという噂があり、前年より続いていたモスマン騒動が、この事故を予言していたなどと噂された。
    1968年(昭和43年)
     1月21日グリーンランドのチューレ米軍基地近海の海氷上に、機内火災を起こした核爆弾搭載のB-52爆撃機が墜落。搭載水爆の起爆用火薬が爆発して核物質が飛散。広範囲が汚染され、また、水爆1つが行方不明となる。
     1月21日北朝鮮の特殊部隊による青瓦台襲撃未遂事件が起こる。
     1月23日北朝鮮近海でプエブロ号事件が起こる。
     1月29日戦後、戦争協力者のレッテルを貼られて日本を追われてフランスに移住した洋画家の藤田嗣治が、スイスのチューリッヒで死去。
     2月20日金嬉老事件が起こる。金銭トラブルのあった暴力団員2名を射殺。
     2月21日金嬉老が寸又峡温泉の旅館で人質をとって籠城事件を起こす。警察官による差別発言の謝罪を人質解放の条件にしたため、民族差別問題に発展。88時間後に逮捕される。
     2月26日三里塚・芝山連合空港反対同盟や砂川基地拡張反対同盟の学生や地元住民らが成田市営グランドで三里塚空港実力粉砕・砂川基地拡張阻止現地総決起集会を開催。機動隊と衝突して多数の負傷者を出す。
     3月27日登録医制度に反対する東大医学部自治体が、卒業式阻止を狙って安田講堂を一時占拠。
     4月12日日本初の超高層ビル、霞が関ビルディングが竣工。高さ147m、36階建て。
     5月10日フランスでバリケードを築いた学生と警官の間で衝突事件が起こる。
     5月21日フランスで学生運動から1000万人が参加する大ゼネストに発展。通称「フランス五月革命」。
     5月30日フランスのド・ゴール大統領、国民議会の解散と総選挙を決定。5月革命は終息し、選挙は右派が勝利。
     6月 2日建設中の九州大学電算センターに米軍のファントム偵察機が墜落
     6月15日東大医学部自治体がふたたび東大安田講堂を占拠。機動隊が投入されたことから、医学部以外の学生らも反発し、東大紛争が激化していく。
     7月 2日東大生らが東大安田講堂付近にバリケードを築く。
     7月 5日「東大闘争全学共闘会議」が結成される。
     8月 1日九州大学電算センターファントム墜落事件で、機体の残骸を残すべきだと主張する学生が一帯を占拠。
     8月 8日和田寿郎を中心とした札幌医科大学胸部外科チームが、日本初の心臓移植手術を行う。
     8月12日ザ・タイガースによって日本初のスタジアムライブが後楽園スタヂアムで行われる。
     8月18日岐阜県白川町で土砂崩れに巻き込まれた観光バス2台が飛騨川に転落し104人が死亡する。史上最悪のバス事故。決壊のリスクの中、ダムの放水を止めて捜索が行われた。
     8月20日チェコ事件。プラハの春と呼ばれたチェコスロバキアの改革を脅威とみなしたソ連が、ソ連軍主体のワルシャワ条約機構軍でチェコスロバキアに侵攻。世界中の非難を浴びる中、日本社会党はソ連を支持。
     8月24日フランスが初めての水爆実験カノープス作戦を行う。核出力2.6Mt。
     9月 6日南アフリカのスワジランドがイギリス保護領から独立。
     9月22日エジプト、ナイル川のアスワン・ハイ・ダムの建設にともない、水没の危険があったアブ・シンベル神殿の移転完了。世界文化遺産登録制度のきっかけとなる。周辺の遺跡も移転。
     9月26日厚生省がようやく、水俣病の原因が新日本窒素水俣工場の排水に含まれているメチル水銀化合物による中毒であると断定し、新潟阿賀野川の同種の病気も昭和電工鹿瀬工場の排水が原因であることを認める。
    10月12日東シナ海の国際資源調査が始まる。石油資源が埋蔵されているという判断が出されることになり、中国と台湾の両政権が尖閣諸島の領有権と中間線の大陸棚線の主張をはじめるきっかけとなった。
    10月16日カネミ油症事件。カネミが販売した食用油にPCBが混入し、ダイオキシン汚染で多くの被害者を出す。
    10月21日新宿騒乱事件。左翼テログループの中核派、共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派、第四インターナショナル日本支部など各派のメンバーや学生ら2000人ほどが新宿駅に集結。機動隊と衝突しながら、駅施設に放火。野次馬なども集まり大騒乱に発展する。
    10月22日政府、新宿騒乱事件を受けて騒擾罪の適用を決定する。逮捕者743人。
    10月29日日本初の心臓移植手術を受けた高校生が死亡し、移植の必要性や、ドナーへの処置が疑惑を招く事件に発展。
    1969年(昭和44年)
     1月 5日九州大学電算センター建設現場に残っていたファントムの残骸を、何者かが重機で引き下ろし運び去る。九大総長が辞職。
     1月18日学生と機動隊による東大安田講堂攻防戦始まる。
     1月19日東大安田講堂陥落。
     2月 8日メキシコ・チワワ州のアエンデ付近一帯に隕石の破片が降り注ぐ。
     3月 2日コンコルドの原型機が初飛行。
     4月28日フランス大統領ド・ゴールが政界を引退。
     5月10日国鉄客車等級廃止。モノクラス制が導入される。
     5月20日九州大学のキャンパスを学生らが占拠、封鎖する。
     6月12日原子力船むつ進水
     7月 8日沖縄の米軍が保管していた毒ガス兵器からガス漏れ事故が起こって負傷者が出ていたことが判明。毒ガス兵器撤去運動が起こる。
     7月18日チャパキディック事件。アメリカ・マサチューセッツ州のチャパキディック島で、エドワード・ケネディ上院議員が飲酒運転で海に転落する事故を起こしながら、同乗者を救助せずに死亡させ、警察にも通報しなかったスキャンダル。
     7月20日人類、初めて月に降り立つ。アポロ11号の月着陸船が月面「静かの海」に着地し、アームストロング飛行士とオルドリン飛行士が月面に降り立ち船外活動。コリンズ飛行士は上空の司令船で撮影などを行う。
     8月 4日TBS系列で時代劇『水戸黄門』が放送開始。
     8月 7日大学の運営に関する臨時措置法(大学管理法)成立。
     9月 1日リビアで無血クーデター。国王イドリース1世が追放され、カダフィ政権が樹立。
    10月 1日科学技術庁宇宙開発推進本部から、宇宙開発事業団(NASDA)が設立される
    10月14日九州大学に機動隊4400人が投入され、キャンパス占拠している学生を排除。
    10月29日ARPANETによるコンピュータネットワークがはじまる。インターネットの原型。当初はUCLA、UCサンタバーバラ、スタンフォード研究所、ユタ大学、の4箇所のコンピュータのみ。
    11月17日アメリカとソビエトの間で、核兵器の配備を制限する、第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)がヘルシンキで始まる。
    11月神戸商工貿易センタービル(26階、107m)がオープン。西日本初の超高層ビル。
    12月 6日北陸トンネルで寝台特急「日本海」が火災事故を起こすが、運転手がとっさの判断で、火災時にはトンネル内で停止すること、という規定を破り、トンネル外まで走行して消火。一人の犠牲者も出さずに済むが、規定違反として国鉄内部で処分を受けた。のち「きたぐに」火災事故の大惨事で、トンネル内停車が問題視され、運転手の処分は撤回される。
    1970年(昭和45年)
     2月11日日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられる。世界で4番目の人工衛星打ち上げ国となる。
     3月14日日本万国博覧会(大阪万博)が開幕。
     3月18日アメリカ主導のクーデターによって、カンボジア王政が倒れ、ロン・ノル政権が樹立する。
     3月31日赤軍派による「よど号」ハイジャック事件が起こる。北朝鮮へゆくよう要求され、板付飛行場を経由し、韓国の金浦空港に向かうも、平壌に偽装したのがバレ、膠着状態になる。
     3月東京浜松町に世界貿易センタービルが完成(40階、152m)。高さ日本一の座に付く。再開発により2019年ころ解体予定。
     4月 3日「よど号」ハイジャック事件で、金浦空港に到着した山村新治郎運輸政務次官が、自ら人質となることで乗客を解放させ、乗員と共に北朝鮮へ向かう。赤軍派は北朝鮮当局に投降。乗員と山村次官は身柄を確保される。
     4月 5日乗員と山村次官を乗せた「よど号」が帰国。
     4月 8日大阪天六ガス爆発事故。大阪市北区の天六交叉点で、地下鉄工事中に都市ガスが漏れ出し引火。大爆発を起こして、死者79人、重軽傷420人を出す。
     4月13日月へ向かって飛行中のアポロ13号で酸素タンクが爆発する事故が起こる。
     4月17日アポロ13号が無事地球に帰還。
     5月 8日ファントム墜落事故と学生占拠で建設が中断していた九州大学電算センターが開所。
     5月11日松浦輝夫、植村直己の二人が、エベレスト日本人初登頂
     5月12日瀬戸内シージャック事件発生。広島の宇品港で瀬戸内航路のぷりんす号が武装犯に乗っ取られる。
     5月13日瀬戸内シージャック事件の犯人が警察の狙撃隊によって射殺される。
     7月18日東京都杉並区の東京立正中学校・高等学校で、グランドにいた生徒らが次々と倒れ、日本初の光化学スモッグと確認。
     7月28日鹿児島県十島村の臥蛇島から全世帯が鹿児島や周辺の島へ移住し、無人島となる。
     8月11日南極から帰り、北海道大学植物園で飼育されていた樺太犬のタロが死去。剥製にされ同園で保存。
     9月13日日本万国博覧会(大阪万博)が閉幕。最終的な総入場者数は6421万8770人。
     9月18日沖縄県糸満町で米兵が運転する車が住民の女性を轢き死亡させる事故が起こる。付近の住民が証拠を残すために現場を包囲。コザ暴動の遠因となった事件。
    10月10日フィジーがイギリス連邦に属してイギリスから独立。
    10月28日ピューリッツァー賞受賞を受賞した戦場カメラマン沢田教一がカンボジアのプノンペンで銃撃を受け死亡。
    11月25日作家の三島由紀夫と、彼が創設した「楯の会」のメンバーが、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の陸上自衛隊東部方面総監部総監室を占拠し、自衛官に決起を促す演説をしたあと割腹自殺。
    12月20日コザ暴動。返還前の沖縄コザ市で、米兵の交通事故に憤慨した住民が車両に放火し、基地内に侵入するなど大規模な暴動に発展。ただし規模の割に死者はなく、略奪も行われなかった。
    1971年(昭和46年)
     1月 5日米軍が、コザ暴動を受けて、米軍法会議に琉球政府代表がオブザーバーとして参加することを認める。
     2月22日成田空港建設をめぐり、建設予定地で第一次行政代執行。反対派3千人が集結し、警官隊と衝突。
     3月26日多摩ニュータウンの諏訪・永山地区で第一次入居開始。
     3月26日パキスタン領だったベンガル地方の東パキスタンが、政府の偏った政策に反発して独立戦争を起こし、インドがこれを支持して介入。第三次印パ戦争となる。
     6月 5日西新宿に最初の超高層ビルである京王プラザホテルが開業(47階、169m)。高さ日本一の高層ビルとなる。
     7月 7日国民のマナー向上の啓蒙活動を目的とした、関西公共広告機構が関西の財界人によって設立される。のちのACジャパン。
     7月30日雫石衝突事故。全日本空輸の58便ボーイング727-200型機と、航空自衛隊の訓練機ノースアメリカンF-86セイバーが岩手県上空で空中衝突。乗員乗客162人全員が亡くなる。
     8月15日アメリカのニクソン大統領が、ドルと金の交換停止を発表。いわゆるニクソン・ショック。固定相場制が崩壊し、現在の変動相場制に移行する。
     8月23日韓国で実尾島事件が起こる。北朝鮮の金日成暗殺作戦のために訓練していた特殊部隊の兵士24人が、待遇の悪化に反発して武装反乱。軍や警察との銃撃戦を経て、20人が自爆し、4人が逮捕され死刑となる。
     8月31日昭和の大落語家、8代目桂文楽が、国立小劇場で三遊亭圓朝作の「大仏餅」を演じている最中に台詞を忘れ、「勉強しなおして参ります」と頭を下げて謝罪した後、高座を降りるが、二度と高座に上がることはなかった。
     9月 8日林彪事件(毛沢東暗殺計画)。中華人民共和国副主席の林彪と息子の林立果が毛沢東の乗る列車の爆破を計画するが、事前に漏れて失敗に終わる。
     9月13日林彪が人民解放軍所有の旅客機でソ連に亡命を図るが、ソ連・モンゴル国境で旅客機が墜落し死亡する。墜落の原因は不明。
     9月16日成田空港建設をめぐり、建設予定地で第二次行政代執行。反対派と警官隊が衝突。反対派の拠点の一つ駒井野鉄塔が引き倒され負傷者を出す。また反対派に囲まれた警官3人が死亡する(東峰十字路事件)。
    10月25日国連総会アルバニア決議により、中華人民共和国が国連に加盟、常任理事国になり、常任理事国だった中華民国(台湾政権)は抗議のために国連を脱退する。
    11月11日川崎ローム斜面崩壊実験事故。関東ローム層の豪雨災害を研究するために人工的に水をかけて行った実験で、予想以上の土砂崩れが起こり、研究者・マスコミ関係者ら15人が巻き込まれて死亡する。
    12月 2日アラブ首長国連邦が結成される。アブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラ、ラアス・アル=ハイマのアラブ系部族国家のうちラアス・アル=ハイマを除く6つが連邦国家を結成(ラアス・アル=ハイマは翌年参加)。
    12月16日第三次印パ戦争でインド側が勝利したため、バングラデシュがパキスタンから独立。
    12月18日スミソニアン協定締結。金本位固定為替相場制(ブレトンウッズ体制)から金本位制が廃止され、各国通貨価値を上げ、変動幅のあるドル連動性へ。1973年に変動為替相場制へ移行する。
    1972年(昭和47年)
     1月 9日豪華客船の初代クイーン・エリザベス号が、香港で洋上大学へ改装中に火災で転覆。
     1月24日グアム島で旧日本軍の横井庄一伍長が発見される。
     1月30日北アイルランド「血の日曜日事件」(ボグサイドの虐殺)。北アイルランドのロンドンデリーでイギリス政府への支配に抗議のデモを行った市民に、イギリス陸軍落下傘部隊の兵士らが銃撃。27名が撃たれ14名が死亡。
     2月 3日札幌オリンピック開催。アジアで初めて開催された冬季オリンピック。
     2月 6日札幌オリンピック・スキージャンプ70m級で、笠谷幸生が金メダル、金野昭次が銀メダル、青地清二が銅メダルを獲得し、日本が表彰台を独占。日の丸飛行隊と呼ばれる。
     2月17日フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)の累計生産台数が1500万7034台となり、フォード・モデルTの生産記録を抜き世界一になる。
     2月19日あさま山荘事件。逃走中の連合赤軍のメンバー5人が、軽井沢の「さつき荘」に潜入していたところ、警官隊に発見され、「あさま山」に逃げ込み、居合わせた管理人の妻を人質に籠城。
     2月28日あさま山荘事件で機動隊が山荘に突入。
     3月 1日奈良県明日香村で住民が見つけた高松塚古墳の調査が始まる。
     3月 2日木星探査機パイオニア10号が打ち上げられる。
     3月21日高松塚古墳の石室から彩色壁画が発見される。
     4月16日ノーベル文学賞作家の川端康成が逗子の仕事場で死去。自殺説と事故死説とがある。
     5月13日大阪千日デパートビル火災。118名が死亡。
     5月15日沖縄日本返還(本土復帰)。琉球政府が終了し、沖縄県が設置される。
     6月11日通産大臣田中角栄の著書『日本列島改造論』が刊行される。
     6月25日沖縄返還にともない、沖縄県議会選挙が行われる。
     8月10日北米時間14時30分ころ、アメリカ・ユタ州から、ワイオミング州、カナダのアルバータ州にかけての上空を火球が目撃され、映像にも撮られる。2m~10mほどの隕石が浅い角度で大気に侵入し、そのまま弾かれるように宇宙空間へ飛び去っていったと考えられる。
     9月29日日中共同声明調印。日本と中華人民共和国の国交が成立。
    10月 2日午後10時19分に桜島南岳山頂で爆発噴火。
    10月28日中華人民共和国から日本に贈られたパンダ「カンカン」と「ランラン」が上野動物園に到着。パンダフィーバーが起こる。
    11月 6日北陸トンネルで急行「きたぐに」が火災事故を起こす。規定に従い、トンネル内で停車したため、死者30人、重軽傷者714人を出す。トンネル内停車規定が問題視され、69年に同様の「寝台特急日本海火災事故」でトンネル内に停車せずに走行し、一人も犠牲者を出さなかったものの、規定違反として処分された運転士への処分が撤回される。
    11月12日東京の路面電車「都電」が、三ノ輪-早稲田間を残して廃止。残存線は荒川線と呼ばれることになる。
    11月30日ボウリング雑誌「週刊ガッツボール」で、ストライクを取った時のポーズを「ガッツポーズ」と命名。これが最初のガッツポーズという表現と言われる。
    12月 7日アポロ計画の最後であるアポロ17号が打ち上げられる。地球の写真「ザ・ブルー・マーブル」を撮影。
    12月22日アンデスの聖餐。ウルグアイの軍用機がアンデス山中に墜落し、乗っていた学生ラグビー選手ら生存者が発見されるが、食糧が無くなり止む得ず遺体を食べて生存したことが問題になる。
    1973年(昭和48年)
     1月27日ベトナム戦争和平のためのパリ協定が北ベトナム、アメリカ、ベトコン主導の南ベトナム共和国臨時革命政府、南ベトナムの間で調印され、ベトナム戦争が終結する。
     2月各国が市場原理に基づいた通貨の変動為替相場制へと転換。スミソニアン体制が終わる。
     3月13日上尾事件。国鉄高崎線上尾駅で国鉄の労働組合が起こしていた遵法闘争で通勤電車が遅延、駅に来ていた数千人の乗客が反発する中運行停止が伝えられたことが火に油を注ぐ結果となり、暴動が発生。周辺の駅にも波及し、高崎線は不通となる。
     4月 4日ニューヨークに完成したワールド・トレード・センタービルの落成式典。高さ526.3m、110階建てのツインビル。エンパイア・ステート・ビルディングを抜いて世界一となる。
     4月23日高松塚古墳壁画が特別史跡に指定される。
     4月24日首都圏国電暴動。国鉄の労働組合である国労と動労が起こしたストライキで電車多数の運行が停止・遅延したことに通勤客が反発。赤羽駅で駅施設と駅員を襲う暴動が起きたことを皮切りに上野駅、新宿駅などへ波及。地方も含め38駅に及び、駅施設と車両多数に甚大な被害をもたらした。政府は事態を重視し道路運送法に基づいて民間業者に代行輸送を初めて命令。また大手民鉄(私鉄)各社も終夜運行で対応した。しかし労働組合は一時的にストライキを中断したのみで、逆に国鉄当局と乗客を批判。2年後の国鉄大ストライキ(スト権スト)実施へと進み、結果、国鉄の信頼は失墜し、解体へとつながることになる。
     4月29日ツクダがボードゲーム「オセロ」を発売。
     5月 3日シカゴにシアーズタワー(現ウィリス・タワー、527.3m)が完成し、ワールド・トレード・センターを抜いて、超高層ビルで高さ世界一の座につく。
     7月24日活動火山対策特別措置法が制定される。
     8月23日ストックホルムで銀行立てこもり事件。人質が犯人に共感して協力するようになる「ストックホルム症候群」のモデルとなった事件。
    10月 6日第4次中東戦争勃発。エジプト軍がイスラエルを奇襲攻撃。
    10月17日第4次中東戦争を受けて、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)の緊急閣僚会議が開かれ、原油生産削減、供給制限が決定。第1次オイルショックが始まる。
    11月 1日民間教育テレビの日本科学技術振興財団テレビ事業本部がテレビ東京に、NETテレビがテレビ朝日となって総合放送局へ以降。
    11月13日1936年に恋人の杉本良吉とソ連に駆け落ち亡命していた女優の岡田嘉子が帰国。
    11月29日熊本大洋デパート火災。103名が死亡。
    12月23日ペルシャ湾岸の6カ国が石油の値段を引き上げる。各国で石油を始め、物価の値上がりが拡大する。
    12月パイオニア10号が木星に接近。
    1974年(昭和49年)
     2月 4日パトリシア・ハースト誘拐事件。左翼過激派グループ「シンバイオニーズ解放軍」に拉致される。父親の新聞会社社長に、カリフォルニア州の貧民6万人にそれぞれ70ドル分の食料を与えることを要求。
     2月21日朝日新聞に掲載されていた『サザエさん』が休載となる。
     3月 6日西新宿に新宿住友ビルディングが竣工。日本初の200m級超高層ビルで日本一となる(52階、210.3m)。
     3月19日兵庫県西宮市にあった知的障害者施設、甲山学園で、浄化槽から幼児2名の遺体が発見される。施設職員の冤罪事件に発展した、いわゆる甲山事件。
     4月11日ガッツポーズの日。ボクシングWBC世界ライト級タイトルマッチで挑戦者のガッツ石松がとったポーズをスポーツ報知がガッツポーズと報道したから。しかしガッツポーズという表現自体は1972年11月30日のボウリング雑誌「週刊ガッツボール」の記事に見られる。
     4月15日サンフランシスコで銀行を襲ったシンバイオニーズ解放軍の一味に、拉致されたはずのパトリシア・ハーストが加わっていることが判明。
     4月17日高松塚古墳壁画の極彩色壁画が国宝に指定される。
     4月25日ポルトガルでカーネーション革命が勃発。
     5月15日セブンイレブン日本一号店が、東京江東区豊洲に開店。
     5月17日FBIがシンバイオニーズ解放軍のアジトを急襲。銃撃戦で6人を射殺。
     5月18日インドが初の地下核実験(作戦名Smiling Buddha)を実施。出力は8~20kt。
     6月 7日誘拐拉致されていたはずのパトリシア・ハーストが、テレビ局にテープを送りつけ、父や婚約者を批判し、シンバイオニーズ解放軍のために命をかけると宣言。
     6月17日桜島第1古里川の砂防工事現場で土石流が発生し作業員2名が死亡し1名が行方不明。
     7月13日映画「エクソシスト」日本公開。
     8月 9日桜島野尻川の砂防工事現場において土石流が発生し作業員ら5名が死亡。
     8月14日日本国内の極左テログループ東アジア反日武装戦線が、昭和天皇を狙った荒川鉄橋爆弾テロ「虹作戦」を計画するも、準備中に第三者に遭遇したため、断念。なお、爆弾を仕掛けようとした鉄橋は、実際には天皇のお召し列車が通過する橋ではなく、警察による安全調査も考慮していないため、作戦自体はどっちにしても失敗したと考えられている。
     8月15日文世光事件。在日朝鮮人文世光が、ソウルの国立劇場で行われていた光復節の会場で、韓国大統領朴正煕暗殺を図り失敗。大統領夫人陸英修が射殺され、銃撃戦の巻き添えで合唱団の女子高生、張峰華が死亡する。暗殺計画は北朝鮮の指導によって朝鮮総連の指示で行われたと言われる。
     8月28日原子力船むつの原子炉が臨界に達する。
     8月30日日本国内の極左テログループ東アジア反日武装戦線が、三菱重工ビルを爆破。社員や通行人ら8人が死亡、376人が重軽傷を負う大惨事となる。虹作戦で鉄橋爆破用に用意していた爆薬を流用したため、威力が大きく、ビルが立て込んでいた場所だったこともあって、その分被害も大きかった。また直前に爆破予告の電話をしたが間に合わなかった。犯行声明では死傷者を犯罪者扱いするなど自らを正当化したが(裁判では殺意を否定)、一方で被害の大きさから、以降の爆破テロ事件は深夜などに行うようになったと言われる。
     9月 1日試験航海中の原子力船むつで中性子線を観測したため、航海を中止する。母港のあるむつ市では、帰港に反対する騒ぎとなり、むつは約1ヶ月、「漂流」することになる。
     9月西新宿に新宿三井ビルディングが完成(55階、225m)。高さ日本一となる。当時異色だった黒色のガラスビル。
    10月 6日『宇宙戦艦ヤマト』の放映開始。
    10月12日中日ドラゴンズの優勝が決まり巨人の10連覇が消える。同日、長嶋茂雄が現役引退を表明。
    10月14日長嶋茂雄の引退セレモニーが行われ、「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残す。
    11月24日エチオピアのアワッシュ川下流ハダールで、アアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の化石「ルーシー」が発見される。318万年前ころの猿人で二足歩行をしていた特徴が見られる。
    12月20日文世光事件の犯人、文世光がソウルで処刑される。
    12月22日コモロ諸島でフランスからの独立をめざす住民投票が行われ、マヨット島を除く3島が独立。マヨット島のみフランス領を継続。
    1975年(昭和50年)
     3月24日国鉄の集団就職列車の運行が終了する。
     4月 5日『秘密戦隊ゴレンジャー』が放送開始。
     4月 9日北ベトナム軍が南ベトナムの最後の要衝スアンロクへの攻撃を開始。
     4月17日カンボジア共産党(クメール・ルージュ)が首都プノンペンに侵攻。ロン・ノル政権が崩壊する。強制移住と大虐殺が始まる。
     4月21日スアンロク陥落。南ベトナム軍は壊滅し継戦能力を喪失。なお北ベトナム軍も甚大な被害を出したとみられる。南ベトナムのグエン・バン・チュー大統領が辞任し、台湾へと脱出。チャン・バン・フォンが大統領職を継ぎ、北側と休戦交渉へ乗り出す。
     4月28日北ベトナム側の要求により、南ベトナム大統領チャン・バン・フォンが辞任。ズオン・バン・ミンが大統領となる。南ベトナムでは野党勢力であり、かつ北ベトナム側とも距離をおいていた人物。
     4月30日北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンに侵攻し、サイゴン陥落。ミン大統領は降伏し、ベトナム戦争は終結。なお北ベトナム政府は南ベトナム政府を認めていなかったため、降伏とは取らず傀儡政権からの解放とした。アメリカは、アメリカ軍関係者、アメリカ市民、南ベトナム市民、在南ベトナム外国人らを脱出させるフリークエント・ウィンド作戦を実施。
     5月12日アメリカのコンテナ船マヤグエース号がカンボジア近海のタイ湾でカンボジア軍により拿捕される。乗員はコー・タン島を経てカンボジア本土へ輸送される。
     5月14日アメリカ軍がマヤグエース号乗員救出作戦を実施。コー・タン島に海兵隊員を降ろす。乗員は移送後だったため救出は出来ず、カンボジア兵と交戦。
     5月15日カンボジア政府、マヤグエース号の乗員を国外退去としたため、アメリカ軍も撤退。
     5月16日田部井淳子が女性として初めてエベレストに登頂。
     7月17日沖縄国際海洋博覧会を訪問するために沖縄を訪れていた皇太子夫妻(現天皇・皇后両陛下)がひめゆりの塔で献花中に、左翼テロリストに火炎瓶を投げつけられる事件が起こる。
     7月20日沖縄国際海洋博覧会開幕。翌1976年1月18日まで。
     8月 4日日本赤軍のメンバー5人が、マレーシアの首都のクアラルンプールにある、アメリカとスウェーデンの大使館を襲撃し、館内にいたアメリカの総領事ら52人を人質に取る。日本政府に活動家7人の釈放を要求し、日本政府は5人を釈放し出国させる(2人は拒否)。
     8月 7日クアラルンプールで人質事件を起こした日本赤軍のメンバー5人と、彼らの要求で釈放された5人が、日航機でリビアへ向かう。翌日、リビアに到着し、リビア政府に投降する。
     9月18日自分を誘拐した左翼過激派シンバイオニーズのメンバーになっていたパトリシア・ハーストが逮捕される。主張が一転し、洗脳されていた、殺されないように味方になったふりをしていたと主張。
    11月 6日モロッコが西サハラの領有を主張して市民35万人を越境させる「緑の行進」を実施。
    11月22日スペイン「王制」復古。独裁者フランシスコ・フランコの遺言により、前国王アルフォンソ13世の孫にあたるフアン・カルロス1世がスペイン国王に即位。
    11月26日国鉄大ストライキ(スト権スト)がはじまる。国労などが公務員のスト権を求めて大規模なストライキを実施。国鉄各路線と貨物輸送の殆どが運行停止となる。大手民鉄(私鉄)各社はストライキに同調せず、利用者が私鉄路線へ殺到。混雑で電車内の窓ガラスが割れるなどの被害も相次ぐ。他業種の組合からの批判や、国鉄内の各組合同士でも方針を巡って対立。各地で学校が休校になるなど社会的な混乱も発生。当初はスト権についてある程度譲歩を見せていた政府は強硬姿勢に変化し、トラック輸送業界に支援を要請する。一方、野党各党はストライキを支持。
    11月28日ポルトガル領東ティモールが独立宣言。しかしすぐに隣国インドネシアの侵攻を受ける。
    12月 3日国鉄大ストライキ(スト権スト)が終了。ストライキは8日間続けられたものの、市民の大きな反発を招き、トラック輸送へのシフトが加速して、国鉄および組合運動への信用が失墜しただけの結果に終わる。なお、生鮮業界などではその前からトラック輸送への転換が進んでいたが、国鉄の組合幹部はそれをよく理解していなかったとも言われる。またストに関係なく、国鉄職員の勤務実態の悪さが社会問題化されたことも信用低下の要因。国鉄の経営悪化が加速し、スト権どころか雇用維持の危機的状況にまで至ったことから、労働組合はこれ以降、特に貨物輸送をストライキの対象から外すようになるが手遅れであった。
    12月24日蒸気機関車の定期牽引運転が、北海道の夕張線(現・石勝線)で終え、廃止される。
    1976年(昭和51年)
     1月 8日中華人民共和国建国以来の国務院総理、周恩来が死去
     1月20日大和運輸(現在のヤマト運輸)が「宅急便」のサービスを開始。各家同士を結ぶ小口宅配業の本格的なサービスのはじまり。
     1月24日全欧安全保障協力会議のヘルシンキ宣言を批判したイギリス保守党党首マーガレット・サッチャーを、ソビエト国防省機関紙「クラスナーヤ・ズヴェーズダ」が、「鉄の女」と非難。しかし本人に気に入られて、これが彼女のあだ名となる。
     1月31日ミランダ警告のもととなった「ミランダ対アリゾナ州事件」のアーネスト・ミランダが喧嘩で殺害される。
     2月27日西サハラのポリサリオ戦線が「サハラ・アラブ民主共和国」の独立宣言を行なう。
     2月29日N-Iロケット2号機によって日本初の実用衛星「うめ」の打ち上げ。
     3月 8日中国吉林省吉林市付近に、上空で爆発四散した隕石の破片が多数降り注ぐ。
     3月23日児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件。右翼の大物で政財界のフィクサー児玉誉士夫邸に俳優の前野光保が操縦する小型機(セスナ機ではなくパイパー機)が突入自爆。前野は死亡。児玉は無事、家政婦が軽傷を負う。右翼でもあった前野が尊敬していた児玉誉士夫が、ロッキード事件の利権に関わっていたことを知り反感を持ったためと言われる。
     6月16日ソウェト蜂起。南アフリカ政府のアフリカーンス語強制に反発した黒人学生・生徒らがソウェトで行ったデモに警察が発砲し、少なくとも176人が死亡、1139人が負傷。
     6月27日ギリシアのアテネからパリへ向かったエールフランス139便が、パレスチナ解放人民戦線と西ドイツの過激派の4人にハイジャックされる。犯人はウガンダのエンテベに移動し、イスラエル人乗客を人質に政治犯解放を要求。ウガンダのアミン大統領が犯人を支援。
     7月 3日イスラエル軍がオペレーション・エンテベを実施。ハイジャック機を急襲して犯人を射殺。人質3人が死亡。ウガンダ軍との戦闘で兵士指揮官1人とウガンダ兵士多数も死亡。病院に収容されていた乗客1人もウガンダ政府により殺害される。
     7月10日セベソ事件。イタリアのミラノの近郊、セベソにある除草剤製造工場で爆発事故が起こり、大量のダイオキシンが拡散する。
     7月24日セベソ事件で、ようやく周辺住民に避難命令が出される。
     7月28日唐山大地震。中国河北省唐山市を中心とした地域で巨大地震が起こり、少なくとも24万人が死亡する。
     8月23日第一回安楽死国際会議が東京で開催。
    10月 6日中華人民共和国で江青ら四人組が逮捕される。文化大革命が崩壊。
    12月 4日中央アフリカ共和国の独裁者ジャン=ベデル・ボカサが、皇帝を称し、国号を中央アフリカ帝国とする。
    1977年(昭和52年)
     1月 3日青酸コーラ無差別殺人事件が起こる。
     1月 3日スティーブ・ジョブズと、スティーブ・ウォズニアック、マイク・マークラによって、アップルが法人化される。
     2月15日スペースシャトルの実験機「エンタープライズ」の滑空飛行に成功。
     2月17日沖縄で唯一の降雪を観測。この日、沖縄県の久米島にある測候所で、みぞれを観測する。
     2月25日超音速戦闘機F-1の量産1号機がロールアウト。戦後初の国産戦闘機。
     3月27日スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるロス・ロデオス空港で、史上最悪と言われるジャンボ機衝突事故が発生。濃霧の中、管制官と2機のジャンボ機の乗員の意思疎通の不備が原因で、離陸を始めたKLM航空機が滑走路上にいたパンナム機に激突。583名が死亡。
     6月16日ロケット研究者フォン・ブラウンが病気で死去。アメリカの主なロケット全てに関わる。ドイツ宇宙旅行協会、ナチス、アメリカと立場を替えながら、ロケット開発にこだわり、その態度が様々な批判にさらされるも、月を目指すロケット開発に情熱を燃やした生涯が評価も受けている人物。
     7月14日気象衛星ひまわりが、アメリカ・ケープカナベラルのケネディ宇宙センターから打ち上げられる。
     9月 3日王貞治が通算756号ホームランを達成。ハンク・アーロンを抜いて世界一の「ホームラン王」となる。
     9月 7日横浜米軍機墜落事件。厚木基地の米軍偵察機が横浜の市街地に墜落。巻き込まれた母子が死亡する。操縦士は脱出。
    10月26日ソマリアで天然痘患者確認。判明している最後の自然感染患者。
    11月 4日気象衛星ひまわり、定常運用開始。
    11月30日東京の米軍立川基地が日本に全面返還される。防災基地、国営昭和記念公園へ再開発。
    11月ROMカセット式の家庭用ゲーム機アタリ2600(当時はアタリVideo Computer System)が発売される。
    12月 4日中央アフリカ帝国皇帝ジャン=ベデル・ボカサが、皇帝の戴冠式を行う。国家予算の2倍をかけた贅沢三昧な式典に各国から批判を浴びる。
    12月31日カンボジアの民主カンプチア政権がベトナムと国交を断絶。
    1978年(昭和53年)
     1月24日原子炉を搭載したソ連のレーダー海洋偵察衛星コスモス954号が、墓場軌道への移動に失敗し、大気圏へ突入。カナダ北西部へ墜落。広範囲が放射性物質で汚染される。
     2月18日嫌煙運動の日。東京の四谷で「嫌煙権確立をめざす人々の会」が設立される。
     2月18日キプロスのニコシアで開催されていたアジア・アフリカ人民連帯機構代表者会議の会場で、2名の武装した男が、エジプトのユーセフ・エル・セバイ書記長を射殺する暗殺事件が起こる。アラブ系の犯人は会議出席者の要人らを人質に取り、キプロス政府に要求して、旅客機で逃走を図るも、受け入れ先がなく戻ってくる。
     2月19日ラルナカ国際空港襲撃事件。キプロスでの暗殺事件に、人質をとったままキプロスに戻ってきた犯人が東ヨーロッパに亡命する様相が見えたため、エジプト軍が逃走用の旅客機を襲撃。キプロス軍と交戦しエジプト兵15人が死亡する。犯人は投降し、人質は無事。
     3月 8日のちに世界中でヒットするイギリスのSFラジオドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の放送開始。
     3月26日開港直前の成田空港に左翼ゲリラが侵入。管制塔の設備を破壊。開港が延期となる。
     4月 6日気象衛星ひまわり、本格運用開始。
     4月 6日東京豊島区東池袋の旧巣鴨拘置所跡地に「サンシャイン60」が開館する(60階建て、240m)。完成時は東洋一、日本一の超高層ビル。
     5月 5日成田空港開港に反対する左翼ゲリラが京成スカイライナーの車両を放火破壊。
     5月20日前年からの少雨により、福岡市で夜間断水が始まる。通称「福岡大渇水」。
     5月21日前日開港の成田空港の運用が始まる。
     6月 1日福岡大渇水で5時間限定給水が始まる。
     7月25日世界初の体外受精による赤ちゃん、ルイーズ・ジョイ・ブラウンが誕生する。
     7月30日沖縄県で交通が右側通行から左側通行へ切り替えられる。通称「730」。
     9月 5日キャンプ・デービッド会談。カーター米大統領が、アンワル・アッ=サーダートエジプト大統領、メナヘム・ベギンイスラエル首相を大統領山荘キャンプ・デービッドに呼んで、和平交渉を行う。
    11月11日無限連鎖講の防止に関する法律公布。
    11月18日人民寺院事件。アメリカのカルト教団人民寺院が、ガイアナのジャングルに作ったコミューンの非道な内情が、アメリカの調査団で暴露されそうになったため、調査団一行を銃撃した上、信者ら914人が集団自殺。
    11月21日巨人が江川卓のドラフト外入団を決める。クラウンライターを引き継いだ西武の交渉権が切れ、ドラフトが始まる1日の空白を利用したもの。他球団の大きな反発を買い、日本野球機構コミッショナーの金子鋭は巨人との契約を無効と判断。
    12月25日ベトナム軍15万が、カンボジア救国民族統一戦線とともにカンボジアへ侵攻。
    1979年(昭和54年)
     1月 7日ベトナム軍が、カンボジアの首都プノンペンに到達し、ポル・ポト政権(民主カンプチア)が崩壊。ヘン・サムリン政権が樹立。
     1月31日阪神に入団した江川卓投手が、小林繁投手とのトレードで、即日巨人に移籍。一連の江川問題が世間に大きな波紋を投げかける。
     2月17日ベトナム軍のカンボジア侵攻に反発した中国がベトナムに侵攻。中越戦争が勃発する。中国はカンボジアのポル・ポト政権を支持していたため。
     3月 6日ベトナム軍に侵攻した中国軍が撤兵を開始。ベトナム北部の占領には成功したが、寡兵ながら戦闘経験の豊富なベトナム軍の抵抗に大きな被害を出し、カンボジアからベトナム軍主力が戻ったため継戦を断念したと言われる。
     3月16日映画『チャイナ・シンドローム』が公開される。原子力発電所のメルトダウン事故を扱った内容で、偶然にもその直後にスリーマイル島事故が発生する。
     3月25日福岡市の給水制限が、287日ぶりに解除される。
     3月26日エジプトとイスラエルの間で平和条約が締結され、両国は相互承認。シナイ半島はイスラエルからエジプトに返還される。
     3月28日アメリカのペンシルベニア州都ハリスバーグ近くにあるスリーマイル島原子力発電所でメルトダウン事故が起こる。
     4月 7日テレビアニメ『機動戦士ガンダム』の放送が始まる。
     5月 4日イギリス保守党のマーガレット・サッチャーが首相に就任。イギリス初の女性首相。
     5月11日無限連鎖講の防止に関する法律施行
     5月12日本州四国連絡橋の最初の橋、大三島橋が完成。
     6月12日元号法が公布・施行。一世一元の詔に代わり、一世一元の制度があらためて定められる。
     8月11日中国の人口抑制策である一人っ子政策がはじまる。
     9月20日中央アフリカ帝国で、皇帝ボカサがリビアに外遊中、フランス軍主導の無血クーデターが起こる。初代大統領ダッコが復位し、ボカサ王朝崩壊。
     9月22日アメリカの核実験監視衛星ヴェラが、南アフリカの沖合で謎の大爆発を観測。隕石とも、観測機器の故障とも言われるが、南アフリカとイスラエルによる核実験という説も有力(イスラエルは核保有国・南アフリカも一時核保有国だった)。
    10月25日スペインの自治州であるバスク州が、自治憲法を制定する。
    10月26日朴正煕韓国大統領暗殺。
    10月28日木曽御嶽山が噴火。同日中に噴火の規模は弱まり、30日にはほぼ終息したが、それまで死火山と言われてきたため、死火山という定義がなくなるきっかけとなった。
    11月 2日フランス国民の人気が高かった犯罪者ジャック・メスリーヌが警官との銃撃戦で射殺される。
    11月 4日イランのアメリカ大使館人質事件が起こる。シーア派宗教指導者らに示唆された若者らが大使館を襲い、職員や家族らを人質に取って暴行を加え、アメリカに亡命したイラン皇帝モハンマド・レザーの引渡しを要求。
    11月15日徳島ラジオ商殺人事件で有罪となった冨士茂子が再審請求中に病死する。翌年再審が決定し無罪。
    11月28日エレバス山墜落事故。ニュージーランドの南極遊覧飛行の旅客機がエレバス山に激突。日本人乗客24名を含む257名全員が死亡。
    12月15日『ルパン三世 カリオストロの城』が公開される。
    12月21日国鉄が研究中の浮上式リニアモーターカーが、宮崎実験線での無人運転で当時世界最高速の時速517kmに達する。
    12月24日アフガニスタン人民党政府の要請を受けて、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻する。
    1980年(昭和55年)
     3月30日世界初の原子力潜水艦ノーチラス退役。
     4月24日アメリカ政府が、イランのアメリカ大使館人質奪還作戦を行うが、輸送機の事故で失敗。
     5月 8日WHO、天然痘根絶宣言
     5月16日日本社会党が大平内閣不信任案を衆議院に提出。自民党内の分裂で大平内閣不信任が成立してしまう。
     5月18日アメリカのセントヘレンズ山が大爆発。山体が崩壊し、大規模な火砕流が周囲へ広がる。57人が死亡。
     5月19日予想外の内閣不信任が成立したことを受け、大平首相は衆議院を解散する。いわゆるハプニング解散。
     6月12日大平正芳首相が急死。現職首相の死は、犬養毅暗殺以来48年ぶりの事態。
     6月22日初の衆参同日選挙。きっかけを作った社会党にとって予想外の自民党が大勝する。いわゆるハプニング解散。なお選挙期間中に大平首相は亡くなったため、当選しなかった唯一の現職首相となった。
    10月 1日アメリカとイギリスが、ソ連の暗号を解読して情報を入手するヴェノナ計画を終了する。
    12月 8日ジョン・レノンがマーク・チャップマンに射殺される。
    12月13日徳島ラジオ商殺人事件の再審が決定する。
    1981年(昭和56年)
     1月20日イランのアメリカ大使館人質事件で、人質が444日ぶりに解放される。
     1月23日1月11日からこの日までに佐渡で野生のトキ5羽を捕獲。
     3月30日ワシントンD.Cでレーガン米大統領暗殺未遂事件が起こる。大統領と補佐官、警察官、シークレットサービスが重症を負う。女優ジョディ・フォスターのストーカーをしていたジョン・ヒンクリーが、彼女に認めてもらおうとして起こした事件。
     5月23日中国陝西省で野生のトキ7羽が発見される
     6月 7日イスラエル軍によりイラクで建設中のオシラク原子炉が爆撃される。バビロン作戦。
     8月 6日香川県仁尾町(現三豊市)に電源開発の太陽熱発電所が作られ、実用化を検証する実験が開始される。
     8月12日現在のパソコンの系統につながるPC/AT互換機の元祖IBM Personal Computer 5150が発売される。
     8月28日アメリカ疾病予防管理センター(CDC)が同性愛者の間で広がる病気を公表。1983年に後天性免疫不全症候群(AIDS)と名付けられる。ヒト免疫不全ウイルスによる難病の発見。
     9月21日中米ユカタン半島にある英領ホンジュラスが独立し、ベリーズとなる。
    10月 6日エジプト大統領サーダートが第四次中東戦争開戦日の戦勝記念日パレードを観閲中に、ジハード団のハリド・イスランブリ中尉によって暗殺される。
    10月16日北炭夕張新炭鉱ガス突出事故。北海道炭礦汽船の関連会社北炭夕張炭鉱の経営する夕張新炭鉱鉱内でメタンガスが突出。更に救助作業中に引火爆発し、死者93名を出す。斜陽化していた石炭業界の立て直しのため、安全性を軽視して増産を図った結果の事故。この影響で北炭夕張炭鉱は経営破綻。石炭採掘業界へ致命的なダメージとなった。
    10月23日新潮社から初めての写真週刊誌「フォーカス」が創刊される。
    10月27日ウィスキー・オン・ザ・ロック事件。ソ連のウィスキー級潜水艦が、操船ミスでスウェーデンの領海にはいり込み座礁した事件。
    11月13日山階鳥類研究所が、沖縄のやんばるで、アガチと呼ばれていた鳥が、新種であることを発見。ヤンバルクイナと名付ける。
    12月21日気象衛星ひまわりが、2号機にバトンタッチ。
    1982年(昭和57年)
     2月 8日ホテルニュージャパン火災が起こる。利益主義のための安全対策のカットによる不備から火に巻かれた宿泊客33人が死亡する(20人が中毒や焼死。13人が飛び降りて死亡)。
     2月 9日日本航空機350便墜落事故。羽田空港着陸寸前の旅客機が、統合失調症の機長の逆噴射によって墜落。乗客24名が死亡。乗員乗客149名が重軽傷を負う。
     3月10日惑星直列。全ての惑星が太陽から見て95度以内に入る。各惑星の重力の影響で大異変が起こるなどの噂が広まる。
     6月21日レーガン大統領暗殺未遂事件を起こしたジョン・ヒンクリーに、精神異常を理由として無罪判決が出される。ヒンクリーは、病院に収容。精神異常者の犯罪に対する免罪の廃止を求める動きがアメリカ全土に広がる。
     8月19日ソ連の女性宇宙飛行士スベトラーナ・サビツカヤが、ソユーズT-7で宇宙へ出る。
     9月 2日国鉄が研究中の浮上式リニアモーターカーが、宮崎実験線で有人走行に成功する。
    11月 2日千葉県佐倉市のニュータウン、ユーカリが丘に、山万ユーカリが丘線が開業。新交通システム。
    11月 7日世界屈指の陶磁器コレクションである安宅コレクションを収蔵するため、大阪市立東洋陶磁美術館が設立される
    12月18日ナチスドイツのエースパイロットで英雄だったハンス・ウルリッヒ・ルーデルが死去。葬儀には軍の戦闘機が飛行し、軍関係者やネオナチも参列する騒ぎとなった。
    12月人気を誇ったゲーム機アタリ2600のクリスマス商戦が大失敗に終わる。いわゆるアタリショック。
    1983年(昭和58年)
     1月19日アップルLisaを発売。はじめてGUI環境を持った一般向けパソコン。1万ドルもしたため、商業的には失敗に終わる。
     3月 7日赤坂プリンスホテル新館開業。
     4月 4日NHK連続テレビ小説『おしん』が放送開始。
     5月26日日本海中部地震発生。マグニチュードは7.7。死者104人。うち津波での死者が100人に達する。
     6月 7日四街道市にある成田空港パイプライン建設用の作業員宿舎が左翼テログループの中核派に放火され、2人が死亡。
     6月13日パイオニア10号、海王星軌道を横断。太陽系外縁へと向かう。
     7月 8日連続射殺事件犯永山則夫の第1次上告審判決で、死刑にする場合の基準として「永山基準」が示される。
     7月15日任天堂が家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータを発売。価格は14800円。
     7月23日映画『南極物語』公開。タロとジロの生存を描いたドラマに、880万人を動員するヒットとなる。
     8月21日フィリピンの反体制政治家ベニグノ・アキノ・ジュニアが、アメリカから帰国したマニラ空港で暗殺される。
    10月 3日三宅島が噴火。阿古地区が溶岩に飲み込まれる。
    11月14日3代目の南極観測船「しらせ」が観測隊派遣に就役。
    1984年(昭和59年)
     2月12日世界的冒険家、植村直己がマッキンリー(デナリ)の冬季単独登頂に成功。
     2月13日植村直己との交信が、この日を最後に途絶える。現在命日とされている日。
     3月22日アメリカでマクマーティン事件の訴えが起こされる。カリフォルニアのマクマーティン保育園で児童虐待が行われていると児童の母親が関係者を訴えたもので、一時はマスコミが扇動的に報道し、国際児童研究所が調査し事実と証言したため、全米中を巻き込む騒動に発展した。しかし、訴えた女性のアルコール中毒や調査した人物が専門家でなく誘導尋問していたことが明らかになり、結局虐待はなかったことが判明。モラル・パニックが引き起こした一大冤罪事件となった。
     6月 1日通信・電話事業自由化を睨んで、京セラやソニーなどによるマイクロ波中継長距離通信の第二電電(DDI)が設立される。
     6月 6日ソ連の科学者アレクセイ・パジトノフがテトリスを開発。落ち物パズルの元祖。
     6月22日ヴァージン・アトランティック航空の運航が開始される。
     7月12日島根県斐川町の荒神谷遺跡と呼ばれる弥生時代の遺跡から、銅剣358本がまとまって発見される。それまでの発掘された銅剣の総本数よりも多い数。
     7月25日ソ連の女性宇宙飛行士スベトラーナ・サビツカヤが宇宙船の外に3時間35分滞在し、女性として初めて宇宙遊泳を行う。
    10月 1日国鉄の鉄道電話を母体に三井・三菱・住友などによって日本テレコムが設立される。
    11月16日高速道路の通信網を母体に道路施設協会とトヨタによって日本高速通信が設立される。
    12月 8日ロケット技術者ウラジーミル・チェロメイ死去。ソ連の大陸間弾道ミサイルや有人月飛行計画を推奨し、後に宇宙ステーション建設や補給に使われることになったプロトンロケットの技術開発にあたった人物。
    12月19日性風俗の特殊浴場「トルコ風呂」がトルコの抗議により「ソープランド」と改称。
    12月25日通信・電話事業の自由化のため、公衆電気通信法は電気通信事業法に改正。
    1985年(昭和60年)
     1月18日元リトアニア・カウナス日本領事代理で、大勢のユダヤ人を救った杉原千畝に対し、イスラエル政府から、「諸国民の中の正義の人」としてヤド・バシェム賞が贈られる。杉原自身は病床にあったため、4男がイスラエルの式典に出席。
     4月 1日日本電信電話公社が民営化され、NTTが発足。
     6月 6日島根県荒神谷遺跡出土品が国宝に指定される。
     6月18日金の売買をめぐる豊田商事事件で、同社の永野一男会長がマスコミの見ている中で、自称右翼の男二人によって刺殺される。
     7月 9日徳島ラジオ商殺人事件の再審で無罪判決。
     8月 8日マカオにあるコロアネ島のハクサ海岸で、少なくとも4人分の人の手足が見つかる。「八仙飯店一家殺害事件」の発覚。人肉饅頭事件として流布したマカオの八仙飯店の経営者一家10人が殺害されバラバラにされた事件。
     8月12日羽田発伊丹行の日本航空123便ボーイング747型旅客機が群馬県と長野県の県境にある高天原山の御巣鷹の尾根に墜落。乗員乗客524人中520人が死亡。単独機では史上最悪の事故(日航機123便事故)。
     9月13日ファミコン用のゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』が発売。
     9月25日奈良・斑鳩の藤ノ木古墳で石室と家形石棺が発見される。
    10月16日阪神タイガース優勝大騒動。21年ぶりの優勝に興奮したファンが道頓堀に飛び込み、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像を放り込む事件が起こる。
    10月20日成田空港建設反対現地闘争(10.20現地闘争)が行われる。
    11月 6日コロンビア最高裁占拠事件。軍が突入し、翌日までにゲリラ35人全員を殺害。巻き添えで最高裁長官と判事11人、市民60人ら人質115人も死亡。
    11月13日コロンビアのアンデス山中にある標高5389mのネバドデルルイス火山の噴火で、大規模な泥流が発生。麓の都市アルメロが飲み込まれ、2万1000人が死亡。
    11月20日Microsoft Windows 1.0のリリース。完全なウィンドウ表示ではなく、ウィンドウをタイル状に並べて表示する仕組み。
    11月28日吉田茂のブレーンだった実業家、白洲次郎が死去。
    11月29日国電同時多発ゲリラ事件。極左テロ組織の中核派が首都圏と大阪の国鉄の電車線区施設33ヶ所を同時に破壊し、首都圏で2896本、大阪地区で378本の列車が運休。通勤通学客など600万人以上に影響が出る。
    1986年(昭和61年)
     1月28日スペースシャトルチャレンジャー号が打ち上げ73秒後に爆発墜落。乗員7名全員が死亡。発射延期の間に凍りついた補助ロケットのゴム製密閉リングが発射の衝撃で破損し、燃焼ガスが吹き出して補助ロケットと外部燃料タンクが爆燃崩壊したのが原因。発射前にその危険性を訴える技術者らの声を無視したために起こった。
     2月 7日フィリピン大統領選挙。コラソン・アキノが大差で票を得るが、マルコス大統領は票数を不正操作。
     2月 9日ハレー彗星が接近するが、位置関係が悪く地上ではうまく観測できず。各国が観測衛星を打ち上げる。
     2月19日ソビエト連邦が宇宙ステーション「ミール」の本体を打ち上げ。
     2月22日フィリピン大統領選挙のマルコス大統領による得票不正操作に反発した軍と市民が蜂起。コラソン・アキノが選挙結果に基づき、大統領に選出される。
     4月15日アメリカ軍によるリビア首都トリポリ爆撃。カダフィ暗殺を図った作戦。
     4月26日チェルノブイリ原子力発電所事故。定期保守点検で停止する予定だった4号機で、外部電源喪失時の非常用発電系統の冷却水ポンプへの給電実験中に起こったとされ、制御不能で暴走したのち、大爆発を起こす。14エクサベクレルという大量の放射性物質が拡散。
     4月27日スウェーデンのフォルスマルク原子力発電所で、労働者の衣服に放射性物質が付着していることが判明し、フィンランドなどの汚染情報から、チェルノブイリ原子力発電所の事故が発覚する。
     5月27日ファミコン用ソフトでドラゴンクエスト第1作が発売。
     7月31日元リトアニア・カウナス日本領事代理の杉原千畝が死去。
     8月21日カメルーンの北西にあるオク火山の火口湖ニオス湖で二酸化炭素飽和による湖面爆発が起こり、160万tもの二酸化炭素が麓へ流れ、住民1746人と家畜3500頭が二酸化炭素中毒もしくは窒息により死亡。
    10月 3日ソ連の原子力潜水艦K-219がバミューダの沖合で火災を起こし浮上。曳航する計画を立てるも、損傷がひどく、核ミサイルを積んだまま沈没する。
    10月31日最初の新橋駅だった汐留貨物駅が廃止される。オフィス街に再開発へ。
    11月21日三原山の噴火に伴い、全島民が一時島を脱出。
    11月23日桜島古里地区のホテルに直径約2m、重量約5トンの噴石が直撃、宿泊客と従業員の合わせて6名が負傷。
    11月26日成田空港の第二期工事が始まる。
    12月28日山陰線余部鉄橋列車転落事故。突風に煽られ車両が落下。下の水産加工工場を押しつぶし、車掌と従業員5名が死亡。
    1987年(昭和62年)
     1月20日ズ・ダン号事件。老朽化した船に乗った脱北者が日本に漂着。北朝鮮は故障による漂流と説明するが、乗っていた金萬鉄らは亡命を主張。身柄引き渡しをめぐって、朝鮮総連と韓国民団が対立。
     2月 8日ズ・ダン号事件で亡命を求めていた金満鉄らが、日本政府によって密かに出国。沖縄を経由して台湾へ亡命。すぐに韓国の手配した特別機で韓国へ亡命する。
     2月23日大マゼラン星雲167,800光年の距離にある超新星SN1987Aが出現。カミオカンデなど3箇所の施設でニュートリノが観測され、ニュートリノ天文学が誕生。三重連星サンデュリーク-69° 202の1つである青色超巨星が爆発したことが判明している。
     3月 9日超音速戦闘機三菱F-1の77号機が納入されて生産は終了。
     3月 9日トヨタなどが日本移動通信(IDO)を設立。
     3月14日南氷洋での日本の商業捕鯨が終了。船団が帰国。
     3月20日ウイスキーキャット・タウザー亡くなる。スコットランドのグレンタレット蒸留所で飼われていたメスのネコで、わかっているだけでもネズミ2万8899匹を捕った猫としてギネス記録をもつ。
     3月30日初期の原子力潜水艦シーウルフ(SSN-575)が退役。
     3月30日水俣病第三次訴訟で、熊本地裁がはじめて国や県の責任を認める判決を出す。
     3月31日国鉄が廃止され、JRグループ各社が発足。資産売却のため、日本国有鉄道清算事業団が設立される。
     5月 3日赤報隊事件。兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局を散弾銃を持った男が襲撃。記者1名が死亡。1名が重傷を負う。
     5月10日帝銀事件で犯人とされた平沢貞通が死去
     6月20日「流転の王妃」嵯峨浩が北京で死去。
     7月23日猛暑の中、関東の1都5県で280万世帯が停電する大規模停電事故が起こる。首都圏大停電事故。
     8月17日ナチ党副総統ルドルフ・ヘスがシュパンダウ刑務所で自殺。93歳。
     9月13日ゴイアニア被曝事故。ブラジル・ゴイアニア市の廃病院に残されていた医療用放射性物質セシウム137を、住民が知らずに触るなどして、4人が死亡、250人が被曝。
     9月17日「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択。フロンガスなどの規制が国際的に決定する。
    10月19日ニューヨーク株式市場で22.6%という史上空前の大暴落が起こる。アメリカの財政・貿易の赤字に、コンピュータによる株売買のプログラムが逆効果となって売りが加速した結果。
    11月 8日後楽園スタヂアムが閉鎖される。
    1988年(昭和63年)
     1月 9日ベータとVHSのビデオ戦争で、ベータ側だったソニーがVHSの発売を決定。
     3月13日青函トンネル開通。長さ53.9kmの世界最長の海底トンネル。
     3月16日ハラブジャ事件。イラン・イラク戦争の末期に、イラク政府がイランに協力したという理由で、東部ハラブジャのクルド人民間人を化学兵器で虐殺。5000人が死亡。当時、イラクに味方していたアメリカ政府は、イラクの行為と認めず、イランによる爆撃と発表。
     3月17日日本初のドーム球場、東京ドームの落成式が行われる。
     4月28日アロハ航空243便事故。マウイ島近海上空高度7200mで飛行中の旅客機の機体上部の半分ほどが金属疲労で吹き飛ぶ大事故に遭遇しながら墜落せずにマウイ島のカフルイ空港に生還。
     5月 4日アメリカ・ネバダ州ヘンダーソン市にあるペプコンの工場で火災が発生。ロケット用酸化剤過塩素酸アンモニウムの貯蔵施設が2度大爆発を起こしヘンダーソン市や11km離れたラスベガス市でも被害を出す。
     7月 3日イラン航空655便撃墜事件。イラン・イラク戦争のさなか、ペルシャ湾岸に展開していたアメリカ海軍ミサイル巡洋艦ヴィンセンスが、バンダレ・アッバース発ドバイ行きのイラン航空旅客機A300型機を軍用機と誤認して攻撃。同機は撃墜され、乗員乗客290人全員が死亡。民間機と十分認識できたとして、アメリカ政府はイランを含む6カ国の犠牲者家族へ6180万ドルの賠償に応じた。
     8月10日レーガン大統領が、市民の自由法に署名。第二次世界大戦中にアメリカによって行なわれた日系人の強制収容を謝罪し、一人当たり20000ドルの補償を行う。
     8月26日奈良市の奈良そごう建設予定地で調査中の遺跡から大量の木簡が発見され、長屋王邸跡と判明する。
     9月29日チャレンジャー事故以来32ヶ月間の中断の後、スペースシャトル・ディスカバリーが打ち上げられる。
    10月 5日チリでピノチェト大統領の任期延長を諮る国民投票が行われるが、不信任の結果となり、ピノチェト政権崩壊へ。
    11月10日自民党が消費税関連法案を強行採決。
    11月15日ソ連版スペースシャトルのブランが打ち上げられる。無人飛行して、無事帰還。ソ連が崩壊してしまったため、この1回で終わる。
    12月21日リビア政府の工作によって、ロンドン発ニューヨーク行きのパンナム機103便がスコットランド上空で爆破される。乗員16名、乗客243名全員と、墜落した地上の住民11名の計270名が死亡。
    1989年(昭和64年・平成1年)
     1月 7日昭和天皇が崩御。元号法と「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)によって改元へ。
     1月 8日「元号を改める政令」が施行され、昭和が終わり、平成となる。
     1月19日潜水調査船「しんかい6500」が進水。
     2月15日ソ連軍がアフガニスタンから撤退を終える。
     2月22日吉野ヶ里遺跡で大規模な環濠集落が発見されたとメディアで報道される。
     3月 1日アメリカ合衆国が無方式主義(登録などをしなくても自然に認められる)著作権保護を定めたベルヌ条約に加盟。1988年までアメリカの法律では著作物は登録しなければ著作権は認められなかったため、アメリカ以外の国の作品は、アメリカでは万国著作権条約によって(C)表記が必要だった。
     3月13日大規模な太陽フレアが発生。発生した大量の電磁波などが地球に到達し磁気圏と電離層に衝突。低緯度地方でもオーロラが発生した他、人工衛星の機能停止、ラジオ放送の中断、カナダケベック州では電力会社の送電システムのブレーカーが落ちて大規模な停電を引き起こした。
     3月29日女子高生コンクリート詰め殺人事件が発覚。
     4月20日朝日新聞所属のカメラマンが、西表島の巨大サンゴに傷をつけ、いかにも他人が起こしたイタズラのように捏造した写真を、朝日新聞夕刊が現代日本人のモラルを批判する記事とともに掲載。のちに捏造と発覚して謝罪。
     6月 4日中国で六四天安門事件が起こる。民主化を要求した知識人や学生のデモ隊を軍が武力鎮圧。
     6月26日初代の気象衛星ひまわりをより高い墓場軌道へと移動させる。
     6月30日初代の気象衛星ひまわりの運用が終了する。
     8月11日潜水調査船「しんかい6500」がテスト潜航で6527メートルの海底に到達。
     8月19日東欧共産国のハンガリーと中立国のオーストリアが、ショプロンの国境ゲートを開いて東ドイツ市民の西側への大挙亡命を黙認する「ヨーロッパ・ピクニック計画」が実施される。ベルリンの壁崩壊、ドイツ統合、東欧革命のきっかけとなった国際的大事件。
    10月 2日奈良市の奈良そごうが多くの反対意見を無視し、長屋王邸跡を破壊して開業。
    10月10日ソ連のロケット技術者ヴァレンティン・グルシュコ死去。死ぬまで対立したコロリョフの第1設計局(エネルギア。現S.P.コロリョフ ロケット&スペース コーポレーション エネルギア社)を受け継ぎ、宇宙ステーションやソ連版スペースシャトル輸送ロケット・エネルギアの開発にあたった。
    10月31日三菱地所がロックフェラー・センターにある19のビルの内、14のビルを買収する。
    11月 9日ベルリンの壁崩壊のはじまり。東ドイツ政府が、ハンガリーによる国境通過の自由を受けて混乱する国内を収拾するため、旅行の自由化を認める政令を発表する際、報道官が誤って「ベルリンの壁を含むすべての国境から出国できる。それもただちに」と説明してしまい、歓喜した市民がベルリンの壁に殺到。怯えた警備兵らが許可を得ずに国境ゲートを開放する。
    11月10日前日に続き、ベルリンの壁に殺到したベルリン市民は、勝手に壁を破壊し始め、東ドイツ政府ももはや取り締まることができなくなり、のちに政府自ら壁の大部分を撤去した(一部は記念に残された)。
    11月17日チェコスロバキアで、反体制の大学生らがデモを計画、軍の特殊部隊と衝突して多数の負傷者を出す。これがきっかけで、全土で反体制デモとゼネストが拡大。共産党政権が倒壊するビロード革命の始まりとなる。
    12月 3日マルタ島に停泊したソ連客船マクシム・ゴーリキー内で、アメリカのブッシュ大統領(父ブッシュ)とソビエトのゴルバチョフ書記長が会談、冷戦が終了する。
    12月16日ルーマニア西部の都市ティミショアラで、抑圧されていたハンガリー系住民が反政府抗議デモを行い、治安警察が発砲。死傷者を出す事態に発展。
    12月21日ルーマニアで、政府が主催した政権支持の大集会で爆弾事件が起こり、それをきっかけに反政府市民が抗議集会を開催。チャウシェスク大統領が、軍の出動と市民への発砲を命じるが、国防大臣ワシーリ・ミリャがこれを拒絶。直後に彼が死亡したため、軍は大臣が暗殺されたとして反乱。市民側に味方し、首都ブカレストの軍事制圧に乗り出す。
    12月25日ルーマニアの内乱で逮捕された大統領のチャウシェスク夫妻が、特別軍事法廷で死刑判決をうけ、即日処刑される。
    12月28日ドイツのロケット工学研究者ヘルマン・オーベルト死去。ロケット開発のきっかけを作ったとも言える人物。
    12月29日市場の大納会で、日経平均株価が算出開始以来の最高値を記録。バブルは頂点に。
    1990年(平成2年)
     4月24日ハッブル宇宙望遠鏡をスペースシャトル・ディスカバリー号で打ち上げる。
     7月16日フィリピン・ルソン島でマグニチュード7.8の大地震が起きる。
     8月 2日イラク軍がクウェートに侵攻。国連安保理は即時無条件撤退を求める決議660を採択。
     8月 8日イラク政府がクウェートの併合を宣言し、「カーズィマ県」と称する。
     9月 2日モルドバがソ連からの主権移譲を宣言したのを受けて、「沿ドニエストル共和国」がモルドバからの分離独立を宣言。
     9月12日ドイツに関する最終規定条約に東西ドイツと、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエトが調印して、ドイツは再統一が決定。
    10月 2日廈門航空機ハイジャック事件。犯人と機長が揉み合いになり、広州白雲空港で着陸に失敗。離陸準備中の中国南方航空の旅客機に激突する。ハイジャックされた厦門航空機の乗員乗客104人のうち犯人を含む84人と、激突された上海行ボーイング757の乗員乗客118人のうち47人、それと地上の作業員1人が死亡。
    10月 3日ドイツ連邦共和国(西ドイツ)にドイツ民主共和国(東ドイツ)が編入され、東西ドイツが統合。
    10月25日カザフ・ソビエト社会主義共和国最高会議が国家主権宣言を採択。独立国家へと動き出す。
    11月17日雲仙普賢岳が噴火。
    11月22日マーガレット・サッチャー、英国首相、保守党党首を辞職する意向を示す。
    12月 2日TBSの記者だった秋山豊寛がソビエトの宇宙船ソユーズTM11号で宇宙へ出る。
    12月23日第35回有馬記念。オグリキャップの引退レースで、ファンら17万7779名が中山競馬場に入場。その中で、引退するオグリキャップが勝利するという劇的な結果に。
    12月東京都庁第一庁舎が完成。48階建て、高さ243.4mで日本一に。隣接して第二庁舎も完成(34階建て、163.3m)。丹下健三の独特のデザインや、公共施設としては破格の巨大さに「バブルの塔」などと批判も出るが、新たな新宿のランドマークとしての人気も出る。
    1991年(平成3年)
     1月17日多国籍軍がイラクに対し空爆攻撃「砂漠の嵐作戦」を開始。湾岸戦争が始まる。
     2月24日多国籍軍が空爆を停止し、イラクに対し地上攻撃「砂漠の剣作戦」を開始。
     2月27日多国籍軍がクウェートを解放。
     2月原子力船むつの原子力運転による試験航海が始まる。8万2千kmの航行結果を残す。
     3月15日ルソン島のピナトゥボ火山付近で地震が起き始める。
     4月 2日ルソン島のピナトゥボ火山が水蒸気爆発。噴火活動が始まる。
     4月 6日イラクのフセイン大統領が、安保理決議687号を受け入れ停戦に合意。
     5月14日信楽高原鐵道事故。信楽町で開催されていた「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」の観光客を輸送するため、信楽高原鐵道の車両と同線に乗り入れていたJR西日本の臨時快速列車が小野谷信号場と紫香楽宮跡駅間で正面衝突。乗員乗客42名が死亡、614名が重軽傷を負う大惨事となる。陶芸祭への輸送対応のために導入したシステムの不備と誤作動、手続き無視の運行の常態化、確認ミスなどが重なったもの。事故を受けて陶芸祭も同日で終了となった。
     5月エチオピアで、エリトリア人民解放戦線とティグレ人民解放戦線が首都に侵攻し、メンギスツ独裁政権が崩壊。
     6月 3日雲仙普賢岳大火砕流発生。学者、マスコミ、消防団員、警察官、住民ら43名が死亡、9名が重軽傷を負う。著名な火山学者クラフト夫妻も死亡。
     6月 7日ルソン島のピナトゥボ火山が大爆発を起こす。
     6月12日15日にかけてルソン島のピナトゥボ火山が連続して大爆発を繰り返す。噴煙が高度40kmに達する。ルソン島全体で降灰し、灰は東南アジア方向へと流れる。大規模な火砕流が発生。規模の大きい地震も多発。台風が通過して豪雨が降ったため、大規模な土石流の発生と濡れた灰による重みで家屋倒壊が相次ぐ。15日夜の噴火でほぼ終息し、火口付近にカルデラが形成される。
     6月20日ドイツの首都がベルリンに戻る。
     6月25日スロベニアとクロアチアがユーゴスラビア連邦からの独立を宣言。
     6月27日スロベニアとセルビア主体のユーゴ連邦軍の間で十日間戦争が始まる。ユーゴスラビア紛争の始まり。
     6月28日ソ連主体の共産主義国経済相互援助会議COMECONが解散。
     7月17日カンボジアの親ベトナム派ヘン・サムリン政権と反ベトナム三派(シアヌーク派、ソン・サン派、ポル・ポト派)が最終合意し、カンボジア最高国民評議会が成立。シハヌークを議長に選出。
     8月19日ソ連でゴルバチョフ大統領の改革に反発する保守派が軍事クーデターを起こし、保養地にいたゴルバチョフを軟禁。しかし軍と市民が反発。
     8月22日ロシア共和国の代表エリツィンらが軍部とともに抵抗した結果、ソ連保守派のクーデターは失敗に終わり、関係者は逮捕される。
     8月24日クーデター派に軟禁されていたゴルバチョフ大統領がソ連共産党書記長を辞任し、ソ連共産党中央委員会の自主解散を要求。
     8月26日海上自衛隊の最初のイージス護衛艦、こんごう型の1番艦「こんごう」が進水。
     8月27日モルドバが正式にソ連から独立。
     8月29日ソ連議会がソビエト共産党の活動の停止を決定。
     9月19日アルプス山脈で約3300~3200年前ころの男性「アイスマン」の遺体が発見される。年代には異説あり。
     9月22日セルビア軍がクロアチアの首都ザグレブを攻撃。クロアチア紛争が本格的な戦争に発展。
    10月23日カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定(パリ和平協定)が調印され、カンボジア内戦が終結。
    11月12日東ティモールで、デモ行進をしていた地元住民がインドネシア軍に銃撃され多数が殺害される(サンタクルス事件)。
    12月 4日アメリカ合衆国の事実上のフラッグ・キャリアとして世界中に路線を持っていたパンアメリカン航空が倒産。
    12月 8日ソ連邦を構成するロシア、ベラルーシ、ウクライナの首脳が密かに会談し、ソ連からの離脱と国家共同体の設立を決める。
    12月10日都営地下鉄12号線が光が丘-練馬間で部分開業。のちの大江戸線。
    12月21日ソビエト連邦内のロシアを始めとする12の国々が連邦から離脱し独立国家共同体を結成。
    12月25日もはや有名無実と化した「ソビエト連邦」のゴルバチョフ大統領が辞任を表明。ソ連が崩壊する
    1992年(平成4年)
     2月 7日EC加盟12か国が「マーストリヒト条約」に調印。欧州連合結成へ。
     2月 8日第16回冬季オリンピック・アルベールビル大会開催。夏季オリンピックと同じ年に行われた最後の冬のオリンピック。
     4月22日メキシコのグアダラハラ市で、ペメックス社の製油所から下水道に流入したガソリンが引火し爆発。206人が死亡し、500人近くの負傷者を出す。
     5月 2日モルドバが国連に加盟。また、同国内で独立を宣言していた沿ドニエストルに侵攻。ロシアも派兵し、トランスニストリア戦争が勃発する。
     5月17日タイで軍事政権と反体制市民が衝突し、300人もの死者を出す。国王が調停に出て政権が倒壊。
     5月22日細川護煕らが日本新党を結成
     5月27日長谷川町子死去。『サザエさん』の作者。
     6月 3日ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)で「気候変動枠組条約」と「生物多様性条約」の調印が行われる。
     6月26日金融制度及び証券取引制度の改革のための関係法律の整備等に関する法律が施行。相互銀行法が廃止され、相互銀行が普通銀行に転換される。
     7月21日モルドバ、ロシア、沿ドニエストルの間で休戦協定が結ばれ、トランスニストリア戦争が停戦。同地にロシアとモルドバの平和維持軍が進駐。
     7月28日長谷川町子に国民栄誉賞。
     9月23日アメリカ最後の核爆発実験「ディバイダー実験」が実施される。以降は核爆発を伴わない臨界前核実験に移行。
    10月31日ガリレオの死から350年で、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ・ガリレイに対する裁判の誤りを認め、破門を解く。
    11月 3日首里城正殿などが復元され、首里城公園が完成する。江戸時代に作られ、太平洋戦争で焼失した建物群、庭、石垣など。のち他のグスクなどとあわせて世界遺産に指定。
    11月23日「風船おじさん」こと鈴木嘉和が、ヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」で飛び立ち行方不明になる。
     この年、太陽から980光年にあるパルサーPSR B1257+12で、初めて太陽系外惑星が発見される。
    1993年(平成5年)
     1月 1日新しい宝塚大劇場が開場。
     3月 7日気象庁が花粉飛散情報の発表を始める。
     4月 8日カンボジア国民議会総選挙の監視要員として派遣されていた国際連合ボランティア中田厚仁とカンボジア人通訳のレイ・ソク・ピープがコンポントム郊外の路上で武装勢力に銃撃され殺害される。犯行はクメール・ルージュとも軍関係者とも諸説ある。
     5月 4日カンボジア国民議会総選挙の国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警察官として派遣されていた日本人5名と護衛のオランダ軍が、クメール・ルージュと見られる武装勢力の攻撃を受け、高田晴行警部補が死亡。4人が重症を負う。一連の襲撃で選挙監視にあたったUNTAC要員の死者は11名に達した。
     5月23日カンボジア国民議会総選挙が行われる(28日まで)。ポル・ポト派による武装襲撃という妨害にあうも高い投票率を得る。選挙結果はフンシンペック派が勝利。
     5月24日エリトリアの独立が認められる。
     5月29日北朝鮮がノドン1号を試射。
     7月16日横浜市西区みなとみらい地区に日本一高い高層ビル、ランドマークタワーが開業。70階建て、高さ296m。
     8月 9日非自民連立政権、細川内閣が誕生。
     8月20日イスラエルとパレスチナの暫定自治政府原則の宣言(オスロ合意)が調印される。
     9月24日国民議会総選挙の結果を受けて、シハヌークを国王とする立憲君主制のカンボジア王国が成立。
    10月20日新右翼「風の会」代表の野村秋介が朝日新聞東京本社社長室で拳銃自殺。選挙に立候補した際に、週刊朝日で揶揄され、選挙妨害を受けたことへ抗議などから。
    12月 9日日本で初めて、自然遺産として屋久島と白神山地が、文化遺産として法隆寺地域の仏教建造物と姫路城の4か所が世界遺産に登録される。
    12月29日生物の多様性に関する条約が発効。環境の保護、生物資源の持続的な維持、遺伝資源の製品開発と資源国の両者への公平な利益配分を定めたもの。
     クリントン米大統領、ハワイ併合を非合法なものだったと謝罪。
    1994年(平成6年)
     4月 1日マレーシアのクアラルンプールに、ペトロナス・ツインタワーが完成。アンテナなどを除いたビル本体の高さ452mは、シアーズタワー(本体442.3m、アンテナ含めて527.3m)を抜いて世界一となる。
     4月 6日ルワンダのハビャリマナ大統領とブルンジのンタリャミラ大統領の乗った航空機がミサイル攻撃を受けて、キガリ国際空港近郊に墜落。両大統領とも死亡。
     4月 7日ルワンダで大統領警護隊が武装蜂起し、フツ族によるツチ族への「ルワンダ大虐殺」が始まる。
     4月28日細川内閣が総辞職(閣議決定は25日)。
     6月12日ボーイング777が初飛行。
     6月24日アメリカ合衆国ワシントン州フェアチャイルド空軍基地で、航空ショーの最中にB-52爆撃機が墜落。乗員3名が死亡。機長のアーサー・ホランド中佐が機体の運用限界を超えた操縦したため制御不能となり失速墜落したのが原因。
     6月27日オウム真理教による松本サリン事件が発生。8人が死亡し、660人が重軽傷。被害住民が警察やマスコミから犯人扱いされる冤罪事件に発展。
     7月 4日虐殺の続くルワンダで、隣国ウガンダからツチ族のルワンダ愛国戦線が侵攻し首都を制圧。
     7月 8日北朝鮮の金日成主席が急死。
     7月16日シューメーカー・レヴィ第9彗星が木星に衝突。22日まで続く。
     7月16日青森県の三内丸山遺跡で巨大建造物の木柱が発掘される。
     7月18日ルワンダ愛国戦線のポール・カガメ司令官が、戦争の終結を宣言。フツのパステール・ビジムングを大統領に立てて新政権を樹立する。
     8月18日マクドナルド・コーヒー事件判決が出される。マクドナルドで購入したコーヒーを誤って足にこぼして火傷を負った高齢の女性に対して、マクドナルド側に計276万ドルの支払いを求める評決が出される。その上で判事の判断で減額され、最終的に60万ドル未満の和解金の支払いで和解となった。賠償額の高さから裁判天国などと評されたが、女性は移植が必要な大やけどを負っており、マクドナルドが危険性を告知してなかったことや、事故後の補償交渉等で同社の対応に問題があったことも高額の理由となっている。
    10月 1日アメリカ合衆国とパラオ共和国が、自由連合盟約を発効させ、太平洋諸島信託統治領は消滅。
    10月14日第12回成田空港問題円卓会議により国と反対派の一部が、学識経験者の調停を受け入れ、円卓会議終了。政府は空港用地選定と収用のやり方が間違っていたことを認め公式に謝罪することになる。
    1995年(平成7年)
     1月17日阪神・淡路大震災。最大震度は7。神戸市と淡路島で大きな被害を出し、神戸市長田区では大規模な火災。死者6434名、行方不明者3名、負傷者43792名。
     3月18日空知炭鉱閉山。北海道炭礦系の国内鉱山はすべて閉山となる。
     3月20日地下鉄サリン事件が発生する。オウム真理教による無差別神経ガス散布事件。13人が死亡、約6300人が重軽傷を負う。
     3月30日國松孝次警察庁長官が、東京荒川区南千住の自宅マンションを出た所で狙撃され、瀕死の重症を負う。オウム真理教への強制捜査を中止するよう要求する電話があり、同教団の犯行が疑われる。
     5月 2日野茂英雄がメジャーリーグ初登板。事前の予想に反して、以後大活躍し、日本人のメジャー進出の先鞭をつける。
     5月28日ネフチェゴルスク地震。サハリン島北部で発生したマグニチュード7.6の大地震で、ネフチェゴルスク市では高層アパート群が多数倒壊。市民の3分の2に当たる1989名が死亡。市街地は壊滅し、復興を断念する。
     6月 7日ボーイング777がユナイテッド航空に初就航。
     6月29日ソウルの三豊百貨店が崩壊。512人が死亡し、5人が行方不明、937人が負傷。ずさんな強度設計が原因。
     7月18日カリブ海モントセラトのスーフリエール・ヒルズ山が300年ぶりに噴火。
     7月アメリカとイギリスが、ソ連の暗号を解読して情報を入手していたヴェノナ計画の機密情報の一部が公開される。
     8月 5日クロアチア紛争で嵐作戦が終了する。クロアチア国内でクロアチアからの独立を宣言したセルビア人の「クライナ共和国」をクロアチア軍が総攻撃、首都クニンなどを占領。
    10月 4日テレビ東京系列で『新世紀エヴァンゲリオン』放映開始。
    10月 6日ペガスス座51番星に初の太陽系外惑星が発見される。
    11月 4日イスラエルのテルアビブでイツハク・ラビン首相が暗殺される。アラブ側との和平を進めたことに反発した保守派のイスラエル青年による犯行。
    11月11日スーパーカミオカンデ完成。岐阜県の神岡鉱山にある、ニュートリノを観測する巨大な地下観測研究施設。
    12月 8日高速増殖炉「もんじゅ」ナトリウム漏洩事故。
    12月27日東海道新幹線三島駅乗客転落事故。同駅で停車中の新幹線こだま475号で、乗客の高校生が、発車に遅れそうになって乗車しようとしたところ指が挟まれ、抜けないまま発車。高校生は引きずられた上ホームから転落。車両に轢かれて死亡。新幹線初の死亡事故となる。ドアの戸閉検知装置では検知できなかった。
    1996年(平成8年)
     2月24日欧州連合とカトリック教会による最後の2月24日の閏日。ローマ以来の伝統と宗教的理由から、2月29日ではなく、2月24日に閏日を設定していたが、この年を最後に29日に改める。
     5月28日岡山県邑久町(現瀬戸内市)の幼稚園と小学校で集団食中毒が発生。腸管出血性大腸菌O157流行の始まり。
     6月26日優生保護法の断種に関する条項が削除され、母体保護法と改められる。
     7月 5日哺乳類で初めての体細胞クローン羊ドリー誕生。
     7月13日大阪府堺市の小学校33校で、児童が次々と食中毒症状を訴える出来事が発生。検査の結果O157が検出される。カイワレが疑われて風評被害に。
    11月23日エチオピア航空ハイジャック事件。犯人がオーストラリアへ行くよう要求するが、燃料切れでコモロ沖の海上に墜落。乗員乗客175人中123人が死亡。
    12月17日ペルーの首都リマにある日本大使公邸で、天皇誕生日祝賀のレセプションが行われているさなかに、武装したトゥパク・アマル革命運動(MRTA)のメンバー14人が突入し、大使館関係者、来賓のペルー政府要人、各国大使、ペルー駐在日本企業の関係者など約600人を人質に取る。
    12月29日36年続き、深刻な人権侵害をもたらしたグアテマラ内戦が終結。
    1997年(平成9年)
     1月 2日ロシアのタンカー「ナホトカ号」が隠岐諸島近海で船体が折れて沈没。積載していたC重油約19000キロリットルのうち、約6240キロリットルが流出。各沿岸に漂着して汚染を引き起こした他、沈まなかった船首部分が三国海岸沖に漂着。
     2月23日ロシアの宇宙ステーション「ミール」で火災が起こる。
     3月19日東電OL殺人事件発生。
     7月 1日「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が施行され、「北海道旧土人保護法」と「旭川市旧土人保護地処分法」は廃止される。
     4月 5日丸ノ内ビルヂングが閉鎖。解体され、超高層ビルへ再開発されることに。耐震基準に引っかかったことも大きな要因とされる。
     4月 7日京浜急行本線の京急田浦-安針塚間でがけ崩れが起き、上り普通電車が突入し脱線。乗員乗客19名が重軽傷。運転士が防護無線を発したことで運行中の電車が停止し、多重衝突は避けられた。
     4月22日ペルー日本大使公邸占拠事件でペルーの特殊部隊が突入。MRTAの14人全員が射殺され、人質の最高裁判事1名と特殊部隊隊員2名も死亡。最後まで人質になっていた71名が救出される。
     4月クロアチアの総選挙で、セルビア人が多く住む東スラヴォニア、バラニャ、西スレムなどが、クロアチアへの帰属を決める。
     5月14日初の国際航空連合、スターアライアンスが設立される。創設メンバーは、エア・カナダ、スカンジナビア航空、タイ国際航空、ルフトハンザドイツ航空、ユナイテッド航空。
     5月20日明治製菓とロッテが日本初のキシリトール入りガムを発売。
     6月20日国際電信電話株式会社法の改正により、国際電信電話株式会社(KDD)が国内電話事業に進出することが可能となる。
     6月25日カリブ海モントセラトのスーフリエール・ヒルズ山が再び大噴火を起こし、火砕流がモントセラトの首都プリマスを飲み込む。死者20人。プリマスは放棄され、島北部の村ブレイズに事実上の遷都。
     6月25日ロシアの宇宙ステーション「ミール」と輸送船プログレスが衝突する事故が起こる。空気が漏れ、緊急ハッチを締めた際に電源ケーブルを破損。
     8月 1日永山則夫死刑囚の死刑が執行される。
     8月12日東海道本線沼津-片浜間で、踏切支障通報で停止していた第67貨物列車に、無閉塞運転をしていた後続の下り普通列車が運転士の勘違いから加速し追突。43名が重軽傷。
     8月25日弘南鉄道弘南線飯田駅で列車交換の待ち合わせをしていた上り列車が、下り列車通過と勘違いして出発してしまい、下り列車と正面衝突。乗員乗客32名が重軽傷。
     9月21日アメリカ海軍のタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦ヨークタウンが、民生用ソフトウェアを使った試験航行中、バージニア州ケープ・チャールズ沖合で、乗組員がデータベースに0を入力した結果、システムがゼロ除算エラーを引き起こしてダウン。2時間30分にわたって航行不能に陥いる事故を起こす。
    10月12日中央本線大月駅内で、特急「スーパーあずさ13号」に、入換中の通勤電車車両が衝突。特急の乗客77名が負傷。
    11月17日エジプトのルクソールにあるハトシェプスト女王葬祭殿の前で、イスラム原理主義組織の「イスラム集団」に属するテロリスト7人が、外国人観光客ら襲撃し、日本人10人を含む61人が殺害される。
    11月24日株の大暴落と債務飛ばしの粉飾決算で、日銀特融が受けられなくなった山一證券が、経営が立ち行かなくなって自主廃業を決定。
    12月 3日対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(オタワ条約)の署名が行われる。
    12月11日地球温暖化防止京都会議(COP3)で京都議定書が採択される。
    12月12日1944年に撃沈された児童疎開船「対馬丸」が海底で発見される。
    1998年(平成10年)
     1月宝塚歌劇団に宙組が新設される。
     2月14日カメルーンの首都ヤウンデで、石油輸送列車が別の貨物列車と衝突し脱線。流れ出た石油をすくって利益を得ようとした貧困住民らが現場に殺到したところ引火爆発し、200人以上が死亡。
     3月31日日本原子力発電株式会社東海発電所の営業運転終了。日本の商用原子炉で初めての廃炉プロジェクトに入る。
     4月15日カンボジアの民主カンプチア政権時代の独裁者ポル・ポトがジャングルの奥地で死亡。タ・モク派に軟禁されており、毒殺されたとも言われる。
     5月11日インドが核実験(シャクティ作戦Ⅰ~Ⅲ)を実施。同日、水爆、兵器用原爆、原子炉級プルトニウム原爆の実証実験を3回同時に実施。
     5月13日インドが小規模の核実験(シャクティ作戦Ⅳ、Ⅴ)を実施。0.2~0.3kt。
     5月28日パキスタンが初の核実験をチャガイ実験場で実施。最大30~35kt。
     5月30日パキスタンが2回目の核実験をチャガイ実験場で実施。
     6月 3日ドイツの高速鉄道ICEでエシェデ鉄道事故が起こる。101人が死亡。
     6月11日土佐くろしお鉄道中村線で、故障して立ち往生した普通車に、救援列車が衝突。38人が重軽傷を負う。
     7月 1日映画『アルマゲドン』アメリカで初公開。
     7月 5日香港の啓徳空港が閉港となる。
     7月 6日香港の新香港国際空港であるチェクラップコク国際空港が開港。
     7月29日国際電信電話株式会社(KDD)が日本高速通信を吸収。
     8月15日ガチャピンがロシアの宇宙ステーション「ミール」を訪問。通信障害で放送はされず。
     8月31日北朝鮮が日本海方向へテポドンを発射。第二段部分は日本列島を飛び越え、太平洋に落下。日本は激しく抗議。なお、日本以外では、ミサイル実験ではなく、ロケットによる人工衛星の発射失敗と見ている。
    10月22日日本国有鉄道清算事業団が解散。
    10月29日かつて宇宙船フレンドシップ7でアメリカ初の周回飛行を行い、その後民主党の政治家となったジョン・グレンが再び宇宙飛行士として、77歳でスペースシャトルディスカバリー号に搭乗する。
    11月20日国際宇宙ステーションの建設開始。ロシアのモジュール「ザーリャ」がカザフスタンのバイコヌール宇宙基地からプロトンロケットで打ち上げられる。
    1999年(平成11年)
     2月21日目黒区の山手貨物線で保安工事作業中の作業員5名が、臨時回送列車にはねられ死亡する事故が発生。人為的ミスが重なったことによる。
     3月22日能登半島沖不審船事件。防衛庁の美保通信所が不審な電波を捉え、護衛艦と海上保安庁の巡視船が出動。2隻の不審船を発見。警察が沿岸警戒に当たる。
     3月23日能登半島沖不審船事件。逃走する不審船に対処するため、初めて海上警備行動が発令され、海上自衛隊護衛艦や哨戒機が追跡・威嚇攻撃を行う。日本からの連絡を受けてロシア軍も出動。しかし不審船は北朝鮮方面へ逃走。
     4月20日アメリカ・コロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高校で、二人の生徒が銃を乱射。12人の生徒と1人の教師が死亡し、24人の生徒が負傷する事件が起こる。
     5月 1日新尾道大橋、多々羅大橋、来島海峡大橋が完成し、しまなみ海道はすべて架橋される。
     5月13日日本橋が重要文化財に指定される。
     6月 1日ソニーのペットロボットAIBOが発売される。
     8月13日国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が公布・施行。
     8月30日東ティモールで、独立の是非を問う住民投票が行われる。将来の独立が決定。
     9月30日東海村JCO臨界事故。核燃料製造のマニュアルに従わず、ステンレス製の大きなバケツ(冷却水に囲まれた沈殿槽)で大量のウラン化合物の溶解作業を行ったため核分裂が起こり、周囲の水が中性子反射材となって臨界に達したため、発生した大量の中性子線を浴びた作業員3人のうち2人が死亡。住民を含む少なくとも667人が被曝した。
    10月26日桶川ストーカー殺人事件が起こる。あまりにもいい加減な警察の対応や、でたらめなマスコミの報道がのちに大問題になる。
    12月20日マカオが中国に返還され、澳門特別行政区が発足。
    12月31日パナマ運河がパナマ政府に返還される。
    2000年(平成12年)
     1月10日多摩都市モノレールの上北台-多摩センター全線が開業。
     2月29日グレゴリオ暦による400年に一度の閏日、そしてコンピュータの2000年問題が懸念された日。
     3月 8日東京中目黒駅で営団日比谷線の電車が脱線し対向電車と衝突。乗客5人が死亡、60人以上が重軽傷を負う。
     3月12日アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバーンがバーミヤンの大仏破壊に着手。
     3月18日中華民国総統選挙で民主進歩党の陳水扁が当選。国民党による長期一党独裁政権が終わる。
     3月27日有珠山の付近で火山性地震が頻発。
     3月29日気象庁が有珠山の臨時火山情報を出し、噴火が近いことを予報。周辺住民が避難を開始する。
     3月31日有珠山が23年ぶりに噴火。はじめて完全に予知できた噴火。
     5月 5日さいたま新都心が街開き。旧国鉄大宮操車場跡地24.9haなどを再開発。
     5月 7日ウラジーミル・プーチンがロシア大統領に就任。
     5月24日ストーカー規制法公布。
     6月26日三宅島が再び大噴火し、住民が避難を開始。
     7月25日フランスのシャルル・ド・ゴール空港で、離陸滑走中のコンコルドが、金属片を踏んでタイヤがパンクし、その破片が当たって燃料タンクから出火。すでに離陸速度に達していたことから離陸し、近くのルブールジェ空港に向かうも墜落、ホテルに激突して爆発炎上。地上にいた人も含め113人が死亡。
     8月ロシア革命のさなかに殺害された最後のロシア皇帝ニコライ2世がロシア正教によって列聖される。
    10月 1日DDIと日本移動通信がともにKDDに吸収合併され、現KDDIが誕生。
    10月10日日本政府が、杉原千畝の名誉回復を公式に認める。1940年に外務省の訓令に違反しながら、6000人以上のユダヤ人にビザを発給してその生命を救ったが、そのことを理由に政府・外務省は不名誉な扱いをしていた。
    10月23日沖縄国際海洋博覧会で建設された浮上構造体アクアポリスが、解体のため上海へ曳航される。
    10月23日1989年開業の奈良そごうが売上低迷などにより閉店。長屋王邸の遺跡を破壊して建設開業したことから、長屋王の呪いと称される。
    11月 4日毎日新聞が、考古学研究者藤村新一による遺跡の捏造場面を密かに撮影し、スクープ報道。捏造された旧石器時代の遺跡は33ヶ所にのぼり、考古学界始まって以来の大事件に発展する。
    12月12日都営地下鉄大江戸線が全線開通。
    12月17日京福電鉄越前本線東古市駅で、永平寺線の電車が止まらずに本線に進入し、下り列車と正面衝突。運転士は緊急事態を無線通報した後、乗客に後部への退避を指示したが自身は衝突で死亡した。乗客24名が重軽傷。ブレーキの故障によるもの。
    2001年(平成13年)
     1月26日新大久保駅乗客転落事故。転落した人と、救助しようとした計3名が死亡。緊急列車停止ボタン、ホーム下の避難場所、ホームドアなど、事故防止への取り組みが始まる。
     1月26日韓国地質学会が東シナ海の中韓の間にある蘇岩礁を「離於島」と正式に命名。同暗礁は事実上韓国が支配。なお、「離於島」とは本来は死後に行けるとされる伝説の島の名前。
     3月 3日スポーツ振興くじ(toto)が全国発売開始。
     3月23日運用終了したロシアの宇宙ステーション「ミール」が大気圏に突入し崩壊、消滅する。
     6月24日京福電鉄越前本線保田-発坂間で上り普通列車と下り急行列車が正面衝突。乗員乗客24名が重軽傷。信号見落としによるもの。半年で2回の正面衝突事故が起きたことを重視した中部運輸局は運行停止を命じ、業務改善命令を出すが、経営状態の厳しかった京福電鉄は越前本線・永平寺線・三国芦原線の廃止を打ち出す事態に発展。10月に廃止届を国土交通省に提出。これが地域交通の麻痺につながったことから、翌年えちぜん鉄道が設立されることとなった。
     6月27日ムーミンの原作者で、画家でもあるトーベ・ヤンソンが亡くなる。
     8月 7日写真週刊誌フォーカスが廃刊となる。
     8月29日H-IIAロケット1号機が打ち上げられる。
     9月10日農水省、千葉県の牛で、BSE(牛海綿状脳症・狂牛病)の発生を発表。狂牛病パニックが起こる。
     9月11日アメリカ同時多発テロ。イスラム原理主義勢力にハイジャックされた旅客機による世界貿易センタービル、国防総省への突入、及び、墜落により、死者行方不明者約3000人。アメリカの対テロ戦争が始まるきっかけとなる。
    10月10日ソ連のロケット研究者・教育者ヴァシーリー・ミシン死去。コロリョフの右腕で後継者となったものの、進めていた超大型ロケットN-1による月有人飛行計画が失敗に終わり、ロケット技術者の教育の道へと移った人物。
    11月21日北海道でも、BSE(牛海綿状脳症・狂牛病)の発生を確認。マスコミの騒ぎから、責任を感じた獣医師が自殺する事態に発展。
    12月19日J・R・R・トールキン作の『指輪物語』を映画化した第1作の『ロード・オブ・ザ・リング』が公開。
    12月30日M-1グランプリ第1回決勝戦。
     1939年におきたポーランド住民によるユダヤ人虐殺のイェドヴァブネ事件についてポーランド大統領が謝罪。
    2002年(平成14年)
     1月28日高松塚古墳の修復を担当していた担当者が2回、誤って壁画を損傷。公表せず密かに修復する。のち壁画がカビに覆われていることが判明した際に発覚。
     1月29日アメリカ合衆国のジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領が、一般教書演説で北朝鮮・イラク・イランを「悪の枢軸(axis of evil)」と名指しで指摘。
     2月14日人間以外で初めて、ロボットのASIMOがニューヨーク証券取引所のスタートベルを鳴らす。
     3月31日台湾大地震。建設中の超高層ビル台北101の建設現場の高さ250mからクレーンが落下。5人が死亡する。ビル自体に問題はなく、のち完成。
     5月20日東ティモールが独立。実態はインドネシアの占領からの独立だが、国際法的には旧宗主国ポルトガルからの独立。
     5月28日経済団体連合会(経団連)と日本経営者団体連盟(日経連)が統合して日本経団連が発足。
     5月31日サッカー日韓ワールドカップ(第17回FIFAワールドカップ)開催。
     6月 6日ギリシャのクレタ島とリビアの間の地中海上空で大規模な火球が目撃される。大気圏に突入した小惑星が起こした爆発と考えられる。
     7月27日ウクライナのリヴィウ近郊のスクヌィーリウ空軍基地で開催された航空ショーにおいて、デモ飛行を行っていたウクライナ空軍のスホーイSu-27UBが急降下中に墜落。操縦士2人は脱出するが、機体は観客のいるところへ激突し、83人が死亡、200人以上が重軽傷を負う大惨事となる。
     8月 5日住民基本台帳ネットワークが起動。
     9月 6日丸ノ内ビルヂングの解体跡地に超高層化された丸の内ビルディングが完成。
     9月17日日朝首脳会談。北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致を認める。一方で認めたのは工作機関の独断とし、拉致も一部のみ。北朝鮮と友好関係を持ち、その主張を無条件に受け入れ、拉致問題をでっち上げとしていた社民党に衝撃が走る。
     9月25日アメリカ軍の偵察衛星がシベリア・イルクーツク州の上空で発生した火球を観測。彗星の核が大気圏に突入して爆発したものと考えられる。
    10月 8日ノーベル物理学賞にニュートリノ天文学を開いた小柴昌俊東京大学名誉教授とペンシルベニア大学のレイモンド・デイビス・ジュニア教授が選ばれる。
    10月 9日ノーベル化学賞に島津製作所の社員、田中耕一が選ばれる。
    10月23日ロシア軍と内戦状態になっていたチェチェンの独立派テログループ42人が、モスクワのドブロフカ・ミュージアム劇場を占拠。
    10月26日ドブロフカ・ミュージアム劇場に特殊部隊スペツナズが突入し、犯人全員を殺害。その際に、無力化ガスで人質129人も死亡。
    10月27日成田空港敷地内を通るミニ私鉄、芝山鉄道東成田-芝山千代田間が開業。路線距離は滑走路より短い。
    11月 1日国営沖縄記念公園の美ら海水族館が開館。
    11月 8日国連安全保障理事会がイラクの武装解除を求める決議1441を全会一致で採択。
    12月18日指輪物語の映画化第2作『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』公開。
    2003年(平成15年)
     1月22日パイオニア10号との通信が途絶する。太陽から82.1天文単位(太陽から約123億km)地点。
     2月 1日スペースシャトル、帰還中のコロンビア号が空中分解。打ち上げ時に剥落した外部燃料タンクの断熱材がオービターの翼に当たり、出来た傷から大気圏突入時に高温の空気が入り込んで内部から機体が崩壊した。
     2月 1日えちぜん鉄道が開業。事故を受けて廃止された京福電鉄の福井県内3線のうち、越前本線を改めた勝山永平寺線と、三国芦原線を引き継ぐ形となる。なお京福電鉄時代から廃止が取り沙汰されていた永平寺線はそのまま廃止。
     2月14日体細胞クローン羊ドリー、ヒツジ肺腺腫で死亡。死後剥製となる。
     2月18日韓国大邱市地下鉄放火事件。火災の中、駅に入ってきた列車に類焼し、むしろそちらのほうが被害が大きくなる。死者192名、重軽傷者148名を出す大惨事に。
     3月19日アメリカとイギリスが、イラクの自由作戦を開始。イラク戦争開戦。
     3月28日日本初の情報収集衛星「光学1号機」「レーダ1号機」打上げ。
     5月 9日小惑星探査機はやぶさ、内之浦より打ち上げ
     5月23日個人情報保護法成立
     7月12日カリブ海モントセラトのスーフリエール・ヒルズ山が大噴火。モントセラト島の南半分は1995年以降の3度の噴火で甚大な被害を受け、エクスクルージョンゾーンとして放棄される。
     8月 2日日本最初の人工衛星「おおすみ」が33年にして大気圏に突入して消滅。
     6月 6日武力攻撃事態対処関連3法が国会で可決成立。初の有事法制。
     9月21日アメリカの木星探査機「ガリレオ」が木星の大気に突入して消滅。機能停止した探査機が、生物がいる可能性のあるエウロパに落下しないよう調整した結果。
    10月 1日東海道新幹線に品川駅が設置される。
    10月 1日宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団の3機関が統合して一本化され、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が誕生。
    10月10日佐渡のトキ保護センターで飼育されていた最後の1羽キンが死んで、日本のトキは絶滅。
    10月15日中華人民共和国が、有人宇宙船「神舟5号」の打ち上げに成功する。史上3カ国目。
    10月24日ブリティッシュ・エアウェイズがコンコルドによる営業飛行を終了し、コンコルドは全機引退。
    11月 4日大規模な太陽フレアが発生し、電磁波などが地球圏に到達。
    11月14日太陽系外縁天体の一つ「セドナ」が発見される。赤い色をして、公転周期は11809年、直径1700km程度の比較的大きな天体。
    11月26日コンコルドの最後の飛行。
    12月 1日指輪物語の映画化第3作『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』公開。
    12月13日イラク戦争で、米軍がダウルに潜伏中のフセイン大統領を拘束。
    12月24日韓国で映画『シルミド』が公開。韓国国内で実尾島事件の調査を求める動きが起こる。
    2004年(平成16年)
     2月18日イランのニーシャープールのアブー・ムスリム駅に停車していた化学物質を満載した貨物列車が暴走し、20km離れたハイヤームの村で脱線。火災が発生したため、地元のレスキュー隊や、住民、政府職員らが集まって救助活動を始めたところ、積荷が爆発。ハイヤームは完全に破壊され、付近の3つの町も大きな被害を出す。死者はわかっているだけで295人、負傷者多数を出す。
     3月17日セルビアのコソボ自治州で、セルビア人とアルバニア系コソボ人との間で暴動が起こる。多数の古いセルビア正教系の教会が破壊される。一方、セルビアでもイスラム教の施設が破壊される。
     4月 1日戦時下で設立された特殊法人、帝都高速度交通営団が廃止され、東京地下鉄(東京メトロ)に事業が受け継がれる。
     4月22日北朝鮮龍川の龍川駅で、硝酸アンモニウムを積載した列車が爆発。駅周辺500m四方を吹き飛ばし少なくとも161名(うち小学生76名)が死亡。直前に金正日総書記の乗った列車が通過しているためテロ説も出たが、専用列車の通過に伴うダイヤの混乱等が原因で起きた事故説もある。
     6月14日国民保護法など有事関連7法が可決成立。
     6月20日高松塚古墳壁画がカビなどでひどく破損していることが朝日新聞によって報道される。この時点で関係者には知られていたが一般には発表されていなかった。
     8月13日沖縄のアメリカ海兵隊、普天間基地所属の大型ヘリコプター、シコルスキーCH-53Dシースタリオンが、訓練飛行中に、沖縄国際大学の敷地に墜落。同大1号館北側に接触し大破する。パイロットら3人が重軽傷を負うも、休暇中で職員や学生に被害はなし。普天間基地返還運動が広がる。
    10月 4日民間宇宙船スペースシップワンが、民間の有人宇宙飛行を競うAnsari X Prizeを達成。
    12月13日ジャスダック証券取引所業務開始。
    12月26日スマトラ大津波。アンダマン・ニコバル諸島付近を震源とするマグニチュード9.1のスマトラ沖地震で、巨大津波がインド洋沿岸を襲う。死者行方不明者は22万7898人。
    12月31日世界一高いビル台北101が台湾台北に開業。尖塔高509.2mと初めて500mを超えた。
    2005年(平成17年)
     1月14日欧州宇宙機関とNASAが共同で行った土星探査計画の土星探査機「カッシーニ」が衛星タイタンに惑星探査機ホイヘンス・プローブを着陸させる。メタンの大気、地上の風景、風の音、メタンの雨が降っていること、メタンやエタンの川が流れている場所があることを確認。
     2月15日YouTubeが設立される。
     3月 3日テキサススーパーノバサーチによって観測史上最大光度の超新星爆発が発見される。距離にして地球から47億光年。クォーク星の候補とされている。
     3月 6日愛知万博に合わせて日本初の実用磁気浮上式リニアモーターカー「リニモ」開業。
     3月 8日南アフリカの行政首都プレトリア市議会が、市の名称をツワネに変更することを決議。プレトリアはオランダ系移民アフリカーナーのアンドリース・プレトリウスの名前から、ツワネは先住民ンデベレ族の首長の名前から来ている。ただし自治体名としての変更で、行政首都の通称名としてはプレトリアで呼ばれることも多い。
     3月15日東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故。職員が電車接近の中、手動式踏切の遮断器を上げたことで通行人4人が準急電車にはねられ死傷。
     3月25日愛知万博開園。
     4月 1日決済性預金を除くペイオフ解禁。
     4月25日兵庫県尼崎市の福知山線(JR宝塚線)の7両編成の通勤電車が、速度超過状態で塚口駅と尼崎駅の中間のカーブに差し掛かったところで脱線・転覆し、線路そばのマンションに激突大破。運転士1名を含む乗員乗客107名が死亡、562名が重軽傷を負う。
     4月28日映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開。
     7月29日冥王星クラスの天体「2003 UB313」が発見されたことが公表される。のちエリスと名付けられる。その大きさから惑星の定義論争を引き起こす。2003年に撮影された画像に写っていたことから発見につながった。
     9月 1日セブンイレブンジャパン、イトーヨカドー、デニーズジャパンの株式を移転し、あらたに持ち株会社を設立。セブン&アイ・ホールディングスが誕生。
     9月12日小惑星探査機はやぶさ、小惑星イトカワの上空20kmに到着。
     9月25日愛知万博終了。
    11月20日小惑星探査機はやぶさ、小惑星イトカワに着陸
    11月23日国連開発計画アフリカ局長だったエレン・ジョンソン・サーリーフが、リベリア大統領選挙で勝利し、アフリカ初の選挙による女性大統領となる。
    11月26日小惑星探査機はやぶさ、再び小惑星イトカワに着陸し、微粒子サンプルを収納して離陸。
    12月 8日小惑星探査機はやぶさ、姿勢が不安定になり消息不明となる。
    2006年(平成18年)
     1月16日ライブドア・ショック。東京地検特捜部が証券取引法違反容疑(決算報告の有価証券報告書虚偽記載など)で六本木ヒルズのライブドア本社を捜索。
     1月19日冥王星探査機「ニュー・ホライズンズ」がアトラスロケットで打ち上げられる。
     1月23日行方不明となっていた小惑星探査機はやぶさから送られてくるビーコンを受信。
     1月23日ライブドア・ショック。ライブドアの堀江貴文社長ら4人が逮捕。ライブドア関連株が急落。
     2月16日衆議院予算委員会で「堀江メール問題」事件が起こる。民主党の議員が証券取引法違反で取調べ中の堀江貴文ライブドア社長が出したとされるメール(実際は偽物)にだまされて、自民党を追求した事件。
     2月16日神戸市のポートアイランドの沖合に神戸空港が開港。
     3月23日インド・コルカタのアリポア動物園で飼われていたアルダブラゾウガメのアドワイチャが死亡。同動物園に贈られたのが1875年であり、また1760年代半ばにベンガル知事だったイギリス人ロバート・クライブ男爵に飼われていた記録があるため、250年以上生きていたとみられる。
     3月26日ファッションデザイナー小篠綾子死去。コシノ三姉妹の母親でもある人物。
     3月27日ミャンマー政府が国軍記念日のパレードを新首都で行い、新首都の名前をネーピード(王都)と命名したことを発表。
     3月AIBOの生産が終了する。
     4月20日北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の営業が終了する。
     4月29日富山ライトレール開業。富山市内を走るJR西日本のローカル路線を改良した新しいタイプの路面電車。
     6月14日金融商品取引法公布。
     6月22日チャールズ・ダーウィンがガラパゴス諸島から連れて帰ったとされたゾウガメのハリエットがオーストラリア動物園で死亡。推定175歳。ダーウィンが訪れたことがないサンタクルス島のサンタクルスゾウガメとみられることから、ダーウィンと関係ないという説もある。
     7月12日ポーランドの石油資源探索会社ペトロバルティックが、バルト海の海底に沈んでいる航空母艦を発見。
     7月26日ポーランド海軍がバルト海の海底に沈んでいる大型艦が旧ドイツ軍の空母グラーフ・ツェッペリンと確認。
     8月 7日兵庫県丹波市山南町の篠山川河床の篠山層群より、ティタノサウルス「丹波竜」が発見される。
     8月24日チェコのプラハで国際天文学連合総会が開かれ、惑星の定義が定められる。これにより惑星、準惑星、その他の太陽系内小天体があらたに分類され、冥王星は惑星から外されて準惑星となり、太陽系9惑星時代が終わる
     8月俳優の緒形拳が、番組の取材で潜水調査船「しんかい6500」に搭乗し沖縄近海に潜る。
     9月13日太陽系の外縁を回る天体2003 UB313をエリスと命名する。
     9月16日スポーツ振興くじ(toto)に、ランダムで14試合の結果を当てるBIGが登場。
     9月18日観測史上最大規模の超新星SN 2006gyを観測。ペルセウス座方向の銀河NGC 1260内、距離にして2億3800万光年。元は太陽の約150倍の質量をもつ超巨星だったとされ、電子と陽電子の対生成を伴う対不安定型超新星爆発だったと考えられている。
    10月 2日高松塚古墳壁画の解体修復作業が始まる。
    10月21日クリント・イーストウッド監督の硫黄島プロジェクト『父親たちの星条旗』がアメリカで初公開される。
    11月19日任天堂の据え置き型ゲーム機「Wii」が北米で発売開始。直感的コントローラーで大ヒットとなる。
    12月 9日クリント・イーストウッド監督の硫黄島プロジェクト『硫黄島からの手紙』が日本で初公開される。その後アメリカなどでも公開。
    12月13日長江に生息していた淡水のイルカの一つ、ヨウスコウカワイルカが「絶滅」と認定される。
    12月21日世界で最初に体外受精で生まれた女性ルイーズ・ジョイ・ブラウンが、自然妊娠した男の子を無事出産する。
    12月29日東シナ海の蘇岩礁の側にある大きな暗礁「丁岩礁」(中国名)を韓国の海洋水産部が伝説の島「波浪島」から「波浪礁」と命名。
    2007年(平成19年)
     1月 5日台湾高速鉄道(いわゆる台湾新幹線)が板橋駅-左営駅で営業を開始。
     1月11日中国が中距離弾道ミサイルを改良した衛星攻撃兵器で、自国の気象衛星を破壊するテストを実施。大量のデブリが軌道上へ飛び散る事態に。
     2月22日ノルウェー政府の提案で、クラスター爆弾を禁止する話し合い「オスロ・プロセス」会議が開かれる。
     2月23日志布志事件で無罪判決。警察による選挙法違反のでっち上げによって、住民が違法に捜査され逮捕された事件。
     4月17日長崎市長選のさなかに、現職の市長が暴力団幹部に銃撃され死亡。選挙運動妨害ではなく、個人的恨みとされている。
     4月17日アメリカ・バージニア工科大学銃乱射事件。教授、学生及び犯人の計33名が死亡。犯人は韓国籍の同大学学生で、韓国で大きな衝撃が走る。
     4月19日丸の内の「新丸ノ内ビルヂング」を解体して再開発した超高層ビル「新丸の内ビルディング」が竣工する。
     4月25日小惑星探査機はやぶさの地球帰還へ向けた巡航運転を開始。
     5月13日初のPFI方式の刑務所、美祢社会復帰促進センター開所。
     7月31日兵庫県豊岡市で、一度は絶滅した国内の野生のコウノトリが、46年ぶりに巣立ちをする。
     8月 1日アメリカ・ミネアポリスを通る州間高速道路I35号W線のミシシッピ川に架かる橋が崩落。60台の車が転落し、少なくとも13人が死亡・行方不明、100人以上が負傷する。
     8月16日埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で最高気温40.9℃を観測し、74年ぶりに日本最高記録を更新。
     8月23日海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが型一番艦「ひゅうが」が進水。基準排水量13950t(満載19000t)。
     9月14日月の探査を行なう月周回衛星かぐやがH2Aロケットで打ち上げられる。
     9月15日ペルー・プーノ県カランカス村の標高3800m付近の湿地帯に隕石が落下。付近の土壌にヒ素化合物が含まれていたため、熱で有毒の水蒸気が発生し、駆けつけた住民600人以上が被害に遭う。
    10月15日エアバスA380がローンチカスタマーのシンガポール航空に納入される。
    10月25日シンガポール航空に納入されたエアバスA380が商業飛行を開始。
    2008年(平成20年)
     2月13日オーストラリアのケビン・ラッド首相が、「アボリジニ」と「盗まれた世代」に対して初めて公式に謝罪。盗まれた世代とは、政策として親から隔離され虐待されたアボリジニの子供。
     3月10日チベット自治区ラサ市で暴動が起こり、チベット騒乱が始まる。チベット族と漢族、回族が衝突。治安部隊が投入される。多数の犠牲者と逮捕者を出す。
     3月16日チベット騒乱で、治安部隊が暴徒を強制鎮圧。四川省アバ州では、ラサ暴動の影響で、チベット族と回族と中国治安部隊が三つ巴で衝突。多数の犠牲者を出す。
     5月28日ネパール王制廃止。共和制へ移行。
     5月30日アイルランドの首都ダブリンで開かれたオスロ・プロセス会議で、クラスター爆弾に関する条約が参加107ヶ国の全会一致で採択される。
     7月15日アメリカのユタ試験場で、大型爆弾BLU-82デイジーカッターの最後の1発が使用される。ベトナム戦争や湾岸戦争などでも使われた爆風爆弾で、後継爆弾としてMOABが導入される。
     8月15日ハワイのイオラニ宮殿を「ハワイ王国」を名乗る20人ほどが占拠する事件が起こる。
     9月10日未知の素粒子を発見するための、CERN(欧州原子核研究機構)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)が稼動。実験でブラックホールが生成すると騒ぎになる。
     9月15日サブプライムローン問題で、アメリカ証券大手リーマン・ブラザーズが連邦破産法11条の適用を申請して倒産。いわゆるリーマン・ショック
     9月28日アメリカの民間企業スペースX社が開発したロケット「ファルコン1」の打ち上げに成功。
    10月 7日スーダンのヌビア砂漠上空37kmで大気圏に突入した小天体2008 TC3が爆発四散。航空機などから目撃される。地球の大気圏に衝突する20時間前に発見され、観測できた初めての天体となる。直径はおよそ2m~5m。地上で発見された破片は、アルマハータ・シッタ隕石と名付けられた。
    10月22日インドの国産月探査機「チャンドラヤーン1号」が打ち上げられる。
    11月28日日本政府、クラスター爆弾の廃棄を決定。
    12月 3日日本政府、クラスター爆弾禁止条約に署名。
    12月14日新幹線0系の運用が終了。
    2009年(平成21年)
     1月15日USエアウェイズ1549便事故。ニューヨークのラガーディア空港を離陸した旅客機がバードストライクによりエンジンがすべて故障。機長のとっさの判断でハドソン川に不時着水。犠牲者は出さずに済む。
     1月20日第44代アメリカ大統領にバラク・オバマが就任。アメリカ初の黒人大統領。
     2月 1日ヨハンナ・シグルザルドッティルがアイスランドの首相に就任。世界で最初に「同性婚をした首脳」でもある女性。
     4月 5日北朝鮮が弾道ミサイルに転用可能な大型ロケット「銀河2号」を発射。
     4月13日メキシコ南部オアハカ州で、新型インフルエンザの感染を確認。
     4月24日WHO(世界保健機関)が新型インフルエンザH1N1亜型のヒトヒト感染を確認断定。
     6月11日月の探査を行なう月周回衛星かぐやが月面へ落下。観測を終える。
     6月11日WHO(世界保健機関)が新型インフルエンザをフェーズ6(パンデミック)に指定。
     7月 1日公共広告機構がACジャパン(ADVERTISING COUNCIL JAPAN)に改称する。政府機関という誤解を払拭するため。
     7月11日東京お台場の潮風公園内に建造された実物大のガンダム・モデルが一般公開。GREEN TOKYO ガンダムプロジェクトの一環。
     8月21日海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが型2番艦の「いせ」が進水。
     8月25日バラク・オバマを大統領に推したアメリカ民主党の有力者、エドワード・ケネディ上院議員が病死。
     8月30日第45回衆議院議員総選挙。麻生政権下で行われ、自由民主党が大敗、民主党が圧勝して衆議院で第一党となり、民主党政権が誕生。
     8月タレントの中川翔子が、番組の企画で潜水調査船「しんかい6500」で深海に潜る。
     9月11日H-IIBロケット初号機打ち上げ。国際宇宙ステーションへの物資輸送船HTVを搭載。HTVは無事ステーションとのドッキングに成功。
    11月10日リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件で、逃亡中だった市橋達也容疑者を逮捕。
    11月30日朝鮮民主主義人民共和国でデノミネーション(通貨切り替え)が実施されるも、10万ウォンを上限にしたため、国民が反発。失敗に終わる。朴南基労働党計画財政部長が責任を取らされ処刑される。
    12月15日様々なトラブルで開発が遅れていたボーイング787が初飛行。
    2010年(平成22年)
     1月 4日世界一高い超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」がアラブ首長国連邦のドバイに開業。高さは828.0m。台北101(尖塔高509.2m)を追いぬく。
     1月 4日二重被爆者として初めて認定された山口彊が死去。長崎の三菱造船の技術者だったが、広島へ出張中に被爆し、長崎に戻った直後に再度被爆した。戦後は通訳、技術者として生活しながら、核兵器廃絶を訴えた人物。
     3月10日国松警察庁長官狙撃事件が午前0時に公訴時効。警視庁公安部が記者会見で、オウム真理教によるテロと断定し、識者の批判を浴びる。
     4月10日ロシア・スモレンスクでポーランド空軍Tu-154型機が墜落。ポーランド大統領レフ・カチンスキら政府・軍部の要人96人が死亡。
     4月27日日本で刑事訴訟法改正法が公布・施行され、公訴時効が廃止される
     6月 4日鳩山由紀夫内閣総辞職。対米外交に失敗し、全面返還を主張していた普天間基地返還を自民党時代の日米合意に準じて辺野古移転に決めたため、反発した社民党離脱による連立崩壊が最大の原因。
     6月13日小惑星探査機はやぶさ、60億kmの旅を終えて大気圏へ突入。本体は高温により分解。切り離したサンプルカプセルも大気圏へ突入し、無事オーストラリア・ウーメラに不時着する。
     6月16日シベリア抑留者に特別給付金を支給する「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」(シベリア特措法)が成立し、施行される。ただし施行日以前に死亡したものは対象外。
     7月 3日オグリキャップが転倒で複雑骨折し、安楽死にされる。
     7月22日1976年に起こった唐山大地震を描いた映画『唐山大地震』が公開され、中国で大ヒット。
     8月 5日チリのコピアポ鉱山で落盤事故が発生。地下700mのシェルターに33人が取り残される。
     8月22日チリのコピアポ鉱山の落盤事故で、地下700mのシェルター付近までドリルで掘ったところ、そのドリルに「33人全員無事」のメモが取り付けられ、生存が判明する。
     9月 7日尖閣諸島中国漁船衝突事件。
    10月 3日ドイツ、第一次世界大戦のアメリカに対する賠償金を払い終える。
    10月 8日中国の民主活動家で投獄中の劉暁波がノーベル平和賞を受賞。
    10月13日チリのコピアポ鉱山落盤事故で地下700mに閉じ込められた33人の救出が始まる。
    11月 4日政府の一部関係者のみ閲覧となっていた尖閣諸島の漁船衝突事件の映像が海上保安官の手でYouTubeに流出。情報漏洩問題に発展するが、国民は政府が閲覧を規制していたことに対し反発。
    12月 4日東北新幹線の内、最後の未開業区間だった八戸駅~新青森駅が開業。
    12月 9日中国が、劉暁波へのノーベル平和賞受賞に対抗して創設した孔子平和賞の授賞式が行われるが、受賞者である台湾の連戦国民党名誉主席が受賞を拒否したため、授賞式では無関係の少女が代理で賞を受け取る。
    12月17日イギリスBBCのクイズ番組で、二重被爆者だった山口彊を世界一運の悪い男と揶揄する場面が放送される。
    12月17日チュニジアで露天で青果を売ろうとした貧困の青年モハメド・ブアジジが警察に取り締まられた上、暴力を振るわれ、賄賂を要求されたことから、県庁前で焼身自殺をはかり病院に収容される。
    12月26日M-1グランプリが第10回で終了。
    2011年(平成23年)
     1月 4日チュニジアで前年末の12月17日に警察の取締に抗議して焼身自殺を図ったモハメド・ブアジジが収容先の病院で死亡。
     1月 5日チュニジアで、前日に死亡したモハメド・ブアジジの葬儀を警察が阻止したため、民衆が反発。チュニジア全土へ抗議のデモが拡大。いわゆるジャスミン革命の始まり。
     1月11日チュニジアの首都チュニスで暴動。「アラブの春」の始まり。
     1月13日チュニジアのベン・アリー政権が、政治犯の釈放や物価の引き下げ、失業対策を約束するが、暴動は拡大。
     1月14日ジャスミン革命でベン・アリー大統領がチュニジアを脱出。政権崩壊。
     1月17日前年12月に放送されたBBCのクイズ番組で二重被爆者の山口彊を揶揄したことを、在英日本大使館が抗議。その後、BBCや番組制作会社が謝罪する。
     2月 1日ヨルダンのサミール・リファーイー内閣が総辞職。
     2月 2日大相撲の野球賭博問題の捜査から、八百長が発覚。
     2月 6日相撲協会が臨時理事会を開き、平成23年3月場所の中止を決定。地方巡業、伊勢神宮と靖国神社の奉納相撲も中止や延期に。
     2月11日エジプトのムバラク政権が倒壊。ムバラク一族はシナイ半島のシャルム・エル・シェイクに脱出。
     2月22日ニュージーランド・カンタベリー地震。クライストチャーチのカンタベリーテレビの入ったビルが倒壊。同ビルに入っていた語学学校に留学していた日本人が多数巻き込まれ、日本人28人を含む185人が死亡。
     3月11日東日本大震災。巨大津波が青森、岩手、宮城、福島、茨城の各県を襲い、2万人近い死者・行方不明者を出す。津波による電源喪失で福島第一原子力発電所の冷却機能が停止。
     3月12日九州新幹線鹿児島ルートが全線開業する。
     3月12日福島第一原子力発電所の1号機核燃料がメルトダウン。7時頃、菅直人首相が福島第一原発を視察するも、これがさらなる対応の遅れにつながったとされる。15時36分頃、1号機水素爆発。建屋の上部が崩壊する。海水とホウ酸の注入が行われる。
     3月13日福島第一原子力発電所の3号機の圧力弁開放に成功。真水、海水、ホウ酸の注入を行う。周辺の放射線の数値が上昇。
     3月14日福島第一原子力発電所の海水冷却が中断。11時過ぎ、3号機が爆発、建屋崩壊。電力関係者、自衛隊員など11人が負傷。放射線の数値が高まる。
     3月15日関東各地で、福島第一原子力発電所から出たものと思われる放射性物質による放射線を観測。4号機で火災。
     3月17日福島第一原子力発電所3号機へのヘリからの放水、および地上からの放水が始まる。
     3月19日福島第一原子力発電所5・6号機の電源機能回復による冷却が再開。
     3月20日福島第一原子力発電所4号機への放水開始。
     4月17日19日にかけてソニーのPSNがクラッカーとみられる何者かに不正侵入されて膨大な情報が漏洩。
     4月焼肉店で病原性大腸菌O111が流行、24人が発症し4人が亡くなる。生肉の規制問題に発展。
     5月 2日米海軍特殊部隊が、パキスタンの首都郊外アボッターバードで国際テロ組織アルカイダのリーダー、ウサーマ・ビンラーディンを殺害と発表。
     5月21日アイスランドのグリムスヴォトン山が大規模噴火。西ヨーロッパの広範囲に大量の噴煙が流れる。
     5月ヨーロッパ各国で病原性大腸菌O104が流行し50人を超す死者を出す。
     7月20日ナチ党副総統ルドルフ・ヘスの墓標が遺族と教会関係者によって撤去される。ネオナチのシンボルにされることを警戒したため。
     8月 6日イギリスのロンドンで、黒人男性が警察官に射殺されたのをきっかけに、若者らの暴動が起こり、全土へ拡大。
     8月24日リビアの首都トリポリが反政府軍の手で陥落。カダフィ政権が倒壊。
     9月23日「国際研究実験OPERA」の国際研究チームが、人工ニュートリノ1万6000個を、スイス・ジュネーブのCERNから約730km離れたイタリアのグラン・サッソにあるイタリア国立物理学研究所研究施設に向かって飛ばしたところ、2.43ミリ秒後に到着し、光速より60.7ナノ秒速いことが計測される。1万5000回をおこない、ほぼ同じ結果となったため、特殊相対性理論を覆す物理学上の重大な問題であるとして、この結果を公表し、世界中の学者に再検証を求める。のち計測機器の誤りとされた。
     9月24日人工衛星UARSの地球落下騒動が起こる。
     9月28日2010年に中国がノーベル平和賞に対抗して創設した孔子平和賞が、突如廃止と発表される。初代受賞者の連戦台湾国民党名誉主席が受賞拒否したため、受賞者なしのまま消滅(のち復活してプーチン首相に贈られる)。
    10月31日ユネスコの総会で、国連で加盟を拒否されたパレスチナの加盟が認められる。
    11月15日ブータンの第5代国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクとジェツン・ペマ王妃が、結婚後初の外遊で日本を訪れ、福島の被災地を訪問。多くの市民の歓迎を受ける一方、歓迎の宮中晩餐会を、内輪の民主党のパーティを優先して欠席した一川保夫防衛大臣や晩餐会前の立食パーティの席上で携帯電話を触っていた蓮舫行政刷新担当相のマナー違反が批判を浴びる。
    2012年(平成24年)
     1月13日イタリアトスカーナ州ジリオ島近海海上で地中海クルーズの客船コスタ・コンコルディア号が島に接近しすぎて座礁転覆。事故原因と事故直後の船長の行動が問題となり、避難誘導が遅れたこともあり、乗客3276人と、1023人の乗組員の計4299人のうち30人が死亡、2人が行方不明となる。
     1月21日エジプトで11月から行われていた議会選の最終結果が確定し、ムスリム同胞団傘下の自由公正党が235議席(全体の約47%)を獲得し第一党となる。
     2月29日東京スカイツリーが竣工。高さ634mは、自立式電波塔としては世界一、現存建造物としては世界二位の建物となる。
     3月 4日ロシア大統領選挙が行われ、第一回投票でウラジーミル・プーチン候補が6割を越える得票で当選する。任期は2018年まで。
     3月21日マリで軍事クーデターが勃発。軍部が首都バマコを制圧。北部トゥアレグ族の反乱に対応できない政権打倒と軍の強化が目的。各国が非難し制裁決議。この混乱でトゥアレグ族のアザワド解放民族運動が攻勢を強める。
     4月 1日ミャンマー議会補欠選挙。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)は同氏を含む44人の候補者を擁立し、同氏を含む40人が当選。
     4月 2日アメリカ・カリフォルニア州オークランドのオイコス大学で、韓国籍の学生コ・スナムが銃乱射事件を起こし、学生7人が死亡、3人が負傷する。
     4月 6日混乱するマリでトゥアレグ族のアザワド解放民族運動がマリの北半分を領土とするアザワド独立宣言を発表。クーデターを起こした軍部は事態収拾のため、ディオンクンダ・トラオレ国会議長に権限移譲を決定。クーデターで地位を追われたトゥーレ大統領が正式辞任して政権が交代し民政に戻る。
     4月11日北朝鮮で金正恩が朝鮮労働党の第一書記に就任。
     4月14日新東名高速道路御殿場JCT─浜松いなさJCT開通。
     4月16日渡米中の石原東京都知事が尖閣諸島の都による購入を発表。
     5月21日日本を含む北太平洋地域、中国、アメリカなどで金環日食を観測(アメリカなどでは20日になる)。
     5月22日東京スカイツリー開業。
     7月 4日欧州合同原子核研究機構(CERN)は新たな粒子を発見したと発表。後にヒッグス粒子と判定。
     7月20日アメリカコロラド州オーロラの映画館でバットマンシリーズの新作上映中に、作中のシーンに合わせる形で銃乱射事件が発生。死者12人、重体者10人、負傷者48人を出す。
     7月23日大規模な太陽フレアが発生。1859年9月1日の大規模フレアとほぼ同規模と見られ、放出された膨大な電磁波や物質は地球軌道に達したが、わずかの時間差で地球を外れたと言われる。もし地球に到達していた場合、大規模な電力網やコンピュータネットワークの断絶につながり、生産も社会体制も電気やコンピュータに依存しており、復旧までに長時間を要するため、19世紀に逆戻りするほどの大被害を出したとも言われる。
     7月27日第30回夏季オリンピック・ロンドン大会開催。8月12日まで。
     8月 6日NASAの火星探査機キュリオシティが火星に着陸。
     8月10日李明博韓国大統領が竹島(独島)に上陸。歴代大統領で初めて。日本政府反発。
     8月14日李明博韓国大統領が天皇陛下に対し、「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓する必要はない」「天皇が韓国に来たければ、独立運動家に心から謝罪せよ」と発言。日本で竹島上陸以上の反発を買い、日韓関係は過去にないほど悪化する。
     8月16日香港の保釣行動委員会の活動家らが尖閣諸島に接近。7人が上陸し、船に残ったものも含めて逮捕される。翌日強制送還。
     8月19日「日本の領土を守るため行動する議員連盟」と「頑張れ日本!全国行動委員会」が参加者を募って 尖閣諸島戦時遭難事件の慰霊祭を現地で行い、10人が魚釣島に上陸。逮捕はされず。
     8月25日ボイジャー1号が太陽から約190億kmの地点でヘリオポーズに達し、人工物として太陽圏を離脱した初めての人工物となる。星間物質を観測。
     8月29日パラリンピックロンドン大会開催。9月9日まで。
     8月大阪市阿倍野区で建設中の超高層ビル「あべのハルカス」が300mに達し高さ日本一の超高層ビルとなる。
     9月11日日本政府が尖閣諸島を地権者から20億5千万円で購入。
     9月11日リビアの東部ベンガジにあるアメリカ領事館を暴徒が襲い、クリストファー・スティーブンス米大使と職員3人の合計4人が殺害される。同日、エジプトのカイロでもアメリカ大使館が群集に襲われる。こちらは死傷者は出なかった。アメリカでイスラム教の開祖ムハンマドを非難する映画が公開されたことに対する反発で起こった事件。
     9月14日中国政府の公船6隻が同時に尖閣諸島周辺の領海に侵入する。
     9月15日中国各地で反日デモが発生。官製デモの様相だったが暴動に発展し、日本企業の工場、スーパーが襲われて略奪され、日本車が襲撃されて乗っていた中国人が重軽傷を追う。前後して日本人にも複数の負傷者が出る。
    10月 8日iPS細胞を開発した山中伸弥医学博士のノーベル生理学・医学賞受賞が決定する。
    10月 9日ブログなどでターリバーンの恐怖政治を批判し、女性教育のために活動していたパキスタンの少女マララ・ユサフザイがターリバーンとみられる男たちに銃撃されて頭部に銃弾を受け瀕死の重症を負う。のちイギリスへ移送され奇跡的に回復。
    10月26日Microsoft Windows 8発売。
    11月29日国連総会で、パレスチナ自治区の参加資格をオブザーバー組織からオブザーバー国家として格上げする決議がなされる。
    12月 2日中央自動車道上り線笹子トンネルで天井板のコンクリート板(1枚1.2t)270枚ほどが約130mにわたって落下。走行中の車両3台が下敷きになり、9人が死亡、2人が負傷する。
    12月12日北朝鮮が人工衛星を搭載した銀河3号を発射。衛星は軌道に投入される。各国は北朝鮮の核やミサイル拡散に関する安保理決議に違反するとして批判。
    12月16日第46回衆議院議員総選挙。野党第一党の自由民主党が大勝し与党に復帰。
    2013年(平成25年)
     1月 1日石川島播磨重工業系のアイ・エイチ・アイマリンユナイテッドと日本鋼管・日立造船系のユニバーサル造船が合併しジャパン マリンユナイテッドが誕生。
     1月 3日中国のリベラル紙『南方週末』の検閲済みの新年社説が共産党幹部の圧力で内容を差し替えられ、発行される事件が起こる。情報がネットで広まったことから、編集部と記者の対立も表面化。識者や市民を巻き込む騒動に発展する。
     1月16日アルジェリアのイナメナスにある天然ガス精製プラントをイスラム武装勢力が襲撃。日本人10人を含む48人が死亡。武装勢力側もアルジェリア政府の武力鎮圧により32人が死亡。事権は、隣国マリ北部のトゥアレグ族の反乱に便乗して同地を支配下においたイスラム原理主義勢力に対し、フランス軍とマリ政府が掃討作戦を行ったことへの対抗策と言われている。
     2月11日バチカン教皇ベネディクト16世は通常枢機卿会議の席上で2月28日をもって生前退位することを表明。生前退位は1415年のグレゴリウス12世以来。
     2月12日北朝鮮が3度めの核実験を実施。核出力7~40kt程度の原爆か強化原爆(核融合材質を混ぜることで中性子発生量を増やし核分裂をさらに進める原爆)と推定されている。
     2月15日ロシア連邦チェリャビンスク州付近に隕石が落下。上空で爆発した際の衝撃波が地上に到達し、4474棟で倒壊やガラスの粉砕などがあり、1491人が負傷、うち1人は隕石の破片に直接当たって重症を負った。明確な記録がある隕石では過去最大の人的被害を出す。NASAの推定では直径17m、質量1万t程度の小惑星だったとみられる。
     3月 5日反米強硬派で知られたベネズエラのウゴ・チャベス大統領が病死。8日に国葬。
     3月13日バチカンの教皇を選出するコンクラーヴェの結果、ブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が266代ローマ教皇に選出され教皇フランシスコとなる。使徒座空位は解消し、前教皇ベネディクト16世は名誉教皇の称号を与えられる。
     3月14日欧州合同原子核研究機構(CERN)が昨年7月発見した新たな粒子について、データの解析からヒッグス粒子の可能性を示唆しているとの見解を発表。
     3月16日アメリカでリーヒ・スミス米国発明法が施行され、同日より特許の出願制度は、先発明主義から先願主義に切り替わる(先に発明したものではなく、先に出願したものに特許を認める)。
     4月15日ボストンマラソンで爆弾テロ。8歳の子供を含む3人が死亡、282人が負傷する。
     5月20日アメリカの元CIA職員で、NSA職員のエドワード・ジョセフ・スノーデンが、滞在中の香港でNSAによる個人情報収集活動をマスコミに告発。世界中で大問題に発展する。
     6月22日NSA職員のエドワード・ジョセフ・スノーデンが、NSAによる個人情報収集活動をマスコミに告発したことを受け、アメリカ政府から逮捕命令が出される。スノーデンは香港経由でロシアへ向かい、複数の国に亡命を申請。
     6月26日カンボジア・プノンペンで開かれたUNESCO第37回世界遺産委員会で、日本の富士山を含む世界文化遺産14件、世界自然遺産5件が登録される。
     7月 1日クロアチアがEUに加盟。28カ国となる。
     7月 3日エジプトで軍部がクーデター。ムハンマド・ムルシー大統領の権限を剥奪、同国憲法を停止し、アドリー・マンスール最高憲法裁判所長官を暫定大統領に任命。「アラブの春」で自由選挙の結果誕生したムルシー政権の憲法改正への強硬的な動きや経済の不振などへの失望感から国民が反発しているのを見て動いたとされる。
     7月 6日サンフランシスコ国際空港で、アシアナ航空214便が着陸に失敗して炎上。乗客2名が死亡、180名が負傷。ボーイング777就航以来初の死亡事故となる。乗員の対応の不備、死亡したうちの1名は生存中か死亡後かは不明だが緊急車両に轢かれた跡があったこと、韓国での事故報道で非人道的発言があったこと、原因を巡ってアメリカと韓国が対立するなど複数の問題点が生じた。
     7月 6日アメリカ・ミシガン州デトロイト市が、ミシガン州の連邦地方裁判所に連邦倒産法第9章適用を申請。負債総額は180億ドル(約1兆8000億円)。
     7月 6日カナダのラック・メガンティックで、ナントから暴走してきた無人列車が脱線転覆し、積荷の石油が炎上爆発、すくなくとも死者行方不明者50人を出す。
     7月 6日赤坂プリンスホテル新旧館の解体作業が終了。100m以上のビルでは国内2例目。旧館の旧李王家邸は移築予定。
     7月22日中国湖南省長沙市で超高層ビル「天空都市」(838m、202階)の着工式が行われる。本体を7ヶ月、全体で10ヶ月で完成させるという話で疑問視された上に、着工式の直後に当局から中止命令が出て工事は中断し話題となる。
     7月24日スペイン・ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラで、高速列車アルビアが脱線転覆。79人が死亡。速度超過のままカーブに入ったためとみられる。
     8月 1日元NSA職員でNSAの情報活動を告発しロシアへ亡命を申請していたエドワード・ジョセフ・スノーデンの1年間の亡命をロシア政府が認める。
     8月12日インド初の国産空母ヴィクラント(排水量3万7500t)が進水。
     9月 7日アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた第125次IOC総会において、2020年夏季オリンピックの開催都市が日本の東京に決定(立候補都市はバクー、ドーハ、イスタンブール、マドリード、ローマ、東京の6都市)。東京で夏季オリンピックが開催されるのは1964年以来、56年ぶり2回目となる。また、同大会での正式種目とする最後の1競技にレスリングが決定。
     9月27日国際連合安全保障理事会は、シリアの化学兵器全廃を義務付ける決議案を全会一致で採択。9月14日にそれまで対立していた米ロが合意に至ったことを受けて。
    10月 1日アメリカで予算不成立による政府機関閉鎖。医療保険制度改革「オバマケア」の修正案を巡って、共和党が多数の下院と、民主党が多数の上院で採決が異なり、予算案が成立しなかったことから、政府機関が1996年以来17年ぶりに閉鎖。連邦政府公務員のうち約80万人も一時帰休となり、国立公園局が管轄する各地の観光名所は閉鎖。
    10月 4日欧州合同原子核研究機構(CERN)が昨年7月に発見した新たな粒子がヒッグス粒子であると確定。標準理論では粒子が質量を持つための要因であるヒッグス場の存在を証明するのが場を満たすヒッグス粒子の検出だったため、標準理論を完成させる発見となる。
    10月10日水銀と水銀化合物を管理し、その汚染や汚染に伴う健康被害を抑えるため、製造と輸出入を規制する国際条約(水俣条約)が熊本で採択される。
    10月16日アメリカ連邦議会上下両院で、1月15日までの暫定予算が成立。連邦政府債務限度額引上げ法案も可決され、大統領が署名して翌日政府機関閉鎖が解除。連邦政府による債務不履行(デフォルト)も回避される。
    10月16日ラオス国営航空301便ATR72-600型機が、台風のさなかラオス南部パークセーにあるパークセー国際空港へ着陸しようとしてメコン川に墜落。乗員乗客49人全員が死亡。
    10月28日北京の天安門広場に車両が突入。観光客や歩行者をはね、天安門の手前、金水橋の欄干に激突して炎上。車内にいた3人を含む5人が死亡、38人が重軽傷を負う。新疆からきたウイグル族によるとみられるが、政府発表による「テロ行為」に対し、同乗者の情報から、ウイグル族への弾圧が続くことへの抗議だったという説もある。
    11月 3日タイの首都バンコクで反政府デモが拡大。反タクシン派とステープ元副首相によるもので、タクシン派インラック政権を打倒し、選挙制度によらない政権移譲を要求。元々は地方の発展に貢献したタクシン政権の支持者(地方出身者・貧困層・選挙制度支持者)と、タクシン政権の汚職体質を批判する反タクシン派(都市出身者・エリート層・軍・王室支持者など)の対立だったが、両派とも複雑に分裂し、そこへアピシット政権時代の民衆虐殺で訴追されているステープ元副首相が便乗したものとされる。
    11月 5日インド宇宙研究機関 (ISRO)が同国初の火星探査機「