1960年
シャープビル虐殺事件

事件は、人種隔離政策アパルトヘイトを実施していた南アフリカ共和国のヨハネスブルグ近郊シャープビルで起こりました。アパルトヘイトの主要な政策の一つであったパス法に対し、アフリカ系住民の間に反発が広がっていました。この法律は、1952年に制定されたもので、18歳以上の黒人男女に対し、身分(氏名・顔写真・指紋・雇用主・連絡先など)を記録した身分証の携帯を義務付ける法律です。雇用や人種によって立ち入る場所を厳しく制限するために利用されました。
最大のアフリカ系住民組織、アフリカ民族会議(ANC)は、この年の3月30日に大規模な抗議活動を予定していましたが、自由憲章制定をめぐってANCから分裂したパン・アフリカニスト会議(PAC)は、これに対抗するために前倒しで抗議活動を計画。ANCのメンバーまで参加し、5000~7000人とも言われる住民は、身分証を捨てて、シャープビルの警察署前に集まり、抗議運動を行いました。パスを捨てる行為はそれだけで逮捕されるものでした。
警察側は解散を命令し、群衆がそれに従わないとこれに対し発砲。死者69名、負傷者180名以上の惨事となります。事件は各地に波紋を広げ、南アフリカ全土は混乱し、ANCとPACは非合法化され、マンデラなど幹部が次々と逮捕されていきます。
また国際的にも大きな衝撃となり、1966年3月21日、国連総会で国際人種差別撤廃デーが決議され、3月21日は「人権の日」と定められました。

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