1569年
「敵に塩を送る」永禄12年1月11日(ユリウス暦1569年1月27日)

それまでの同盟を破棄し、東海地方へ進出を図った武田信玄に対し、今川と北条は手を組んで、内陸の武田領へ塩の輸送を絶つ戦略にでました。それに困っていた武田領民のため、武田氏とは敵対していた上杉謙信が、武田領に塩を送り、それが武田領に届いた日だとされています。武田の本拠地だった甲府には1月14日に到着しています。これは「敵に塩を送る」ということわざの元になっています。
塩を直接送った、と言うことではなく、塩商人に武田領への輸送や販売を許した、という説もあります。もっと広範囲に物資の流通を止めなかった、という説もあります。現在も国際外交の場で行われる、経済封鎖や人道物資のみの流通容認とも似ています。
この話が有名になったのは、幕末の思想家、頼山陽が称揚したから。頼山陽の思想は維新の志士に影響し、彼らが作った明治時代に、理想的なエピソードとして浸透しました。そのため、そういう事実はなかった、という説も結構あります。
ただ、上杉謙信の伝えられている性格や、領地経営や軍事強化に商業流通の発達が欠かせないため制限出来なかったこと、塩が生命にとって欠かせないものであること、越後・信濃・甲斐の塩の流通経路があることから、伝承に近いことがあったのかもしれません。

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