1932年
五・一五事件勃発

日時が付いた出来事としては二・二六事件と並んで有名な事件。
海軍の青年将校らによって、首相の犬養毅が暗殺されたものです。
といっても、犬養毅が最初から標的だったわけではありません。
もともとは海軍軍縮条約を締結した前首相、若槻礼次郎が標的でした。首相暗殺とともに政府関係施設や政党本部などを襲撃し、放火する予定だったといいます。
ところが、若槻首相は選挙に負けたことで退陣してしまったため、護憲運動を支持していた犬養首相が狙われたと言われます。
当時、政党政治は腐敗が横行しており、国民の批判も強かったため、それも事件の動機と思われます。
事件は首相を暗殺したものの、それ以外の襲撃はうまくいかず、関係者は逮捕されました。関わったとされる民間人も含まれています。
政党への批判もあって、将校らの減刑運動が広がり、一部が禁固刑になったものの全体的に軽いものでした。
若手軍人の独走という面と、それを批判できなかった国民の有り様は、その後の歴史に大きく影響していきます。

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