1964年
東海道新幹線開業

高速電車の計画は大正頃にはすでにあったと言われていますが、1930年代になり、船や海底トンネルで大陸の鉄道とも接続して運行する大輸送高速列車構想の弾丸列車計画が検討されました。しかしコストや戦争などで進まず、実際に国内の高速電車計画が動き出したのは戦後のことでした。
建設を推進したのは、国鉄総裁の十河信二、国鉄常務理事の大石重成、そして国鉄の技術者だった島秀雄。島の父親、島安次郎は戦前の弾丸列車構想を計画し、満鉄の高速化を進めた人物でした。車両の研究には、航空研究が禁止された旧軍の航空技術者も参加しています。
新幹線の建設は、「無駄である」という有識者や世間から大きな批判も浴びましたが、世界銀行から8000万ドルの融資を受けて、建設が進められました。
この年7月1日に東京駅-新大阪駅間のレールがつながり、7月25日に全線試運転を始め、10月1日に、東京オリンピックの開催に間に合わせて開業しました。当初は0系12両編成で最高速度は時速210km。東京駅-新大阪駅間が「ひかり」で4時間、「こだま」で5時間と、日帰りが可能になりました。
この時の駅は、東京・新横浜・小田原・熱海・静岡・浜松・豊橋・名古屋・岐阜羽島・米原・京都・新大阪の12駅。
声高に批判した識者らの予想に反し、新幹線は営業的に成功し、その後の世界の高速鉄道開発にも大きな影響を与えました。
なお、2003年の10月1日には東海道新幹線の東京駅と新横浜駅の間に品川駅が開業しており、品川駅は中央リニア新幹線の始発駅となる予定です。

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