1877年
華族学校「学習院」開校

この年、華族学校学則が制定され、東京の神田に華族の教育機関として華族学校が開校しました。
その前身は、1847年3月に京都に開校した、公家の教育機関。学習院という名前は、1849年に孝明天皇が「学習院」の勅額を下賜したことで、公称となったものです。国学や儒学を教えていました。その後、一旦は閉鎖されますが、慶応4年3月12日(1868年4月4日)、出来たばかりの新政府によって再開され、大学寮代(大学寮は平安時代にあった公家の教育機関)と改められました。
しかし、直後の明治1年9月16日、国学・神道の皇学所と、漢学・儒学の漢学所の設立が決定すると、大学寮代は廃止されました。
さらに皇学所と漢学所は、明治2年9月に大学校設立のために廃止されます。しかし復興を求める意見が多く、同年12月、大学校代が興されました。しかし天皇が東京に移り、公家も移動すると、明治3年8月、一旦廃止されて、京都府中学校となりました。
1877年に、華族学校が設立されると、1888年、明治天皇から改めて『学習院』の勅額が下賜されて、宮内省管轄の官立学校「学習院」となりました。第二次世界大戦後に華族制度が廃止され、私立学校となりましたが、現在でも皇族が通うことのある大学となっています。

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