378年
ハドリアノポリスの戦い

紀元前後、北方から移動してきたゲルマン人の一種ゴート族は黒海沿岸に定住するようになりました。
彼らは徐々に勢力を拡大し、ローマ帝国と戦うようになります。ゴート族は東と西に分裂し、幾つかの種族集団に分かれました。
ところが、東からフン族がやってきます。フン族は遊牧民で、その祖は漢帝国の北方にいた匈奴ではないかとも言われています。
フン族によってゴート人は混乱に陥り、西へと大きく移動し、西ゴート族の一部がローマ帝国に接近して、帝国の辺境域に居住を求めるようになりました。ローマ皇帝ウァレンスは、精悍なゴート人を軍事力に当てられる上に、衰退する辺境域の復活を図れるとして受け入れを決めます。ところが、思った以上に多くの人が移ってきたことから、食糧不足に陥り、さらにもともと彼らを蛮族扱いしているローマ側の対応も悪く、ゴート人らは武装したままトラキア地方(現在のイスタンブールの西方)を席巻するようになりました。
そこで皇帝ウァレンスは軍を率いて討伐に向かいますが、ハドリアノポリスの戦いで、包囲戦を展開しようとして各個に攻撃され大敗。重症を負った皇帝は近くにあった小屋に運び込まれますが、それを知らなかったゴート兵が火を放ち焼死してしまいました。
ゴート族はトラキアを支配し、更に中央へと進出。ローマ帝国は東西分裂へと進む一方、ゴート人もローマ化していき、独自の文化を熟成させていくことになります。

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