1946年
昭和天皇の人間宣言

一般的には、「現人神」(あらひとがみ)だった天皇が、神格を否定したものと解釈されています。
が、実は、戦後最初の年頭詔書「新日本建設に関する詔書」を官報で発布したもので、その多くは、五箇条の御誓文をあらためて詳しく説明し、これからの日本建設のための希望を述べており、自身の神格を否定する部分は最後に付け加えているのみです。
人間宣言というのも、マスコミが名付けたもので、本来は具体的な題名はありません。
この証書はGHQの意向が働いていました。国家神道については改革を示したわけですが、天皇についてはその影響力もあって、天皇自ら神格を否定することを求めたとされています。宮内省がGHQの納得する方向を模索し、戦時中も日本にいて日本に理解を示していたイギリス人レジナルド・ブライスに依頼。ブライスは日本文化の研究者だったGHQ教育課長のハロルド・ヘンダーソン中佐と相談してまとめました。
天皇が神格を否定したことは、民主主義を示す良い兆候だ、と海外では好感をもって受け止められますが(※1)、実は終戦までの日本人が、天皇を敬愛していても、本気で神の子孫と信じきっていたわけではなく、人間宣言は、事実を表明しただけのように受け止められたのみでした(※2)。この辺りは特にアメリカと日本の感覚は大きくずれており、またもっと後の歴史教育での「人間宣言の解釈」ともずれている所があります。

※1欧米で言うところの「神」は、キリスト教的な概念であり、人間宣言の英米での解釈は、王権神授説に基づいています。
※2日本では戦前の一般向け科学雑誌でも、人間が猿から進化した、という進化論は普通に掲載されており、欧米のように進化論に対する拒絶感もありません。またこれが天皇の神格性と矛盾していても、特に指摘されていませんでした。

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