79年
ヴェスヴィオ火山の大噴火

イタリア中南部ナポリ近郊にある活火山のヴェスヴィオ山。西暦79年、この山は大噴火を起こし、大規模な火砕流と土石流を引き起こしました。
柱のようになった噴煙が崩れ落ちてできる噴煙柱型火砕流と呼ばれる大規模なもので、麓にあったポンペイは一瞬のうちに壊滅。また膨大な火山灰と噴出物、土石流がヘルクラネウムを埋没させました。
ポンペイは商業が盛んで、また娼館などの歓楽街があったことが遺跡からわかっており、火砕流で焼死した市民の遺体が多く見つかっています。遺体そのものは分解消失してますが、その空間に石膏を流しこむことで、抱き合って倒れている親子など、断末魔の悲惨な様子がよく現れています。高温高速の火砕流で建物は多く破損しているものの、壁画や家財道具、食べ物などが埋まった状態で発見されました。
ヘルクラネウムの海岸そばの建物からも、避難中に火砕流で死亡した大勢の市民の遺体が見つかっています。この街は、先に火山灰でほぼ埋没したため、人的被害はポンペイほどではないとされています。また、破壊があまりなく保存状態がよいことから、当時の様子がよくわかります。
ローマ帝国艦隊の指揮官だったガイウス・プリニウス・セクンドゥスはこの噴火を目撃して、救助のために自ら艦隊で赴きますが、調査中に火山ガスに巻き込まれて死亡しました。彼の甥で養子となった文人政治家ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥスは、歴史家だったタキトゥスから依頼されて、伯父の死の様子を著述していますが、これがヴェスヴィオ火山噴火の貴重な資料となりました。
噴煙柱型火砕流を引き起こすこのような噴火をプリニー式と呼ぶのは、この噴火の記録が残るきっかけとなった二人のプリニウスの名前から来ています。
ヴェスヴィオ山はその後も度々大噴火を起こし、現在も活発な活動をしています。
ちなみに1880年に開通した山頂までの登山ケーブルカー(フニコラーレ)の宣伝のために作られたのが有名な「フニクリ・フニクラ」で(※1)、ケーブルカーそのものは1944年の噴火で壊れ廃止されましたが、歌は世界中に広まりました。

※1:世界最古のコマーシャルソングという説もあります。

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