1945年
名古屋城焼失

1945年5月14日、3度目の大規模空襲となったこの日、名古屋城は炎上し焼失しました。
燃え上がる天守閣の写真が残っています。
名大工中井正清によって建てられたこの城は、何度も地震や火災を免れ、修復によって劣化にも耐え、明治維新後に破却されそうになった時も保存の意見が出て残りました。24棟が国宝に認定され、天守も他の諸施設もかなりよく残っていました。しかし空襲による焼夷弾で起こった火災には勝てなかったわけです。巨大な城は高空を行く爆撃機の目標になりやすかったといいます。
大天守のほか、本丸御殿、各書院・殿舎、小天守、東北隅櫓、各門、大廊下なども焼失しました。残ったのは3つの隅櫓と3つの門だけとほぼ全滅でした。
天守閣の上に載っていた金のシャチホコもこのとき高熱で溶けてしまい、その残骸は戦後、GHQに接収されました。後に返還されますが、もちろん原型はとどめていません(あらたに金の茶釜になってます)。現在のシャチホコは新たに作られたもの。
戦争になった過程には色々事情があるので単純には批評できませんが、戦争が人だけでなく貴重な文化財や歴史をも破壊してしまうのは忘れてはいけない問題でしょう。

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