1945年
ドレスデン爆撃

第二次世界大戦も終わりに近くなったこの日、イギリス空軍とアメリカ空軍は、ドイツの都市ドレスデンを4度にわたって、ランカスター爆撃機やB-17爆撃機のべ1300機を動員して空襲し、爆弾や焼夷弾3900tを投下して、ドレスデンの街は壊滅しました。最初に榴弾を落として屋根を吹き飛ばし、ついで焼夷弾で火災を起こし、ふたたび榴弾を落として消火しようとする市民を殺傷し、逃げる市民を機銃掃射するという計画的な爆撃でした。
一応、名目としては、東から侵攻するソ連軍を支援するという理由付けがなされていました。その対象は首都ベルリンを始め、ドレスデンやライプチヒなどの東部の大都市。特に英空軍はかつてロンドンなどを爆撃された報復の意図があったのか、これを強く主張し、市街地を爆撃して、東部から避難する市民や、ドイツ軍の反撃を混乱に陥れようとします。しかし、ドレスデンは無防備都市を宣言しており、市街地は歴史的な建物が並ぶ古都で、工場群もあったとはいえ、宮殿や病院、住宅地などを破壊するという、戦略上の意味もない爆撃でした。いかにナチス・ドイツの都市とはいえ、連合軍による一方的な市民虐殺だったといえる作戦です。その後、破壊の跡を詳細に調査しているため、軍事実験的な意味もあったのでしょう。
あるいは、共産勢力であるソ連へ力を見せつけるために、ソ連軍の迫っていたドレスデンを徹底的に爆撃してみせた、という説もあります。
死者は2万5千人から15万人とも言われますが、正確にはわかっていません。
爆撃には捕虜となっていた連合軍の兵士も巻き込まれました。アメリカ軍兵士だったカート・ヴォネガットは、臨時の捕虜収容施設だった地下の第5屠畜場「スローターハウス5」(シュラハトホーフ=フュンフ)にいて生き延びました。のちに著名な作家となった彼の代表作が『スローターハウス5』で、この作品はSFですが、ドレスデン爆撃が登場し、それによってこの爆撃は世間に知られることになりました。

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