1938年
ナチスドイツによる「アンシュルス」

ドイツ軍がオーストリアに進駐し、翌日、ドイツへの併合「アンシュルス」を宣言しました。
現在はドイツとオーストリアという「国」となっていますが、中世にはこの一帯は神聖ローマ帝国のもと、多数の領主の領地で構成されていました。
その領主の中で、やがて近代化の中で強大な力を得たのが、オーストリアのハプスブルク家とプロイセンのホーエンツォレルン家。彼らはやがて、ドイツというナショナリズムを持つようになります。プロイセンは領土を広げ、諸邦を吸収してドイツ帝国を樹立します。ハプスブルク家もオーストリア=ハンガリー帝国を築きますが、両国は第一次世界大戦で敗北し崩壊。勝利した連合諸国は、両国の共和制を支持する一方で統合を阻止しました。
1920年代以降、両国にそれぞれファシスト政権が樹立します。ドイツのナチスは有名ですが、オーストリアにもエンゲルベルト・ドルフースによる独裁政権が誕生し、イタリアのファシスト政権と友好関係を結びます。ドルフースはナチスによる併合を警戒してナチスの活動を禁じました。当時世界中にファシスト政権や政党が出現していますが、ファシストだからと言っても、必ずしも友好関係を持っていたわけではありません。ドルフースは独自の政策でオーストリア連邦国を作り上げますが、1934年7月25日、8名のオーストリア・ナチス党員が首相官邸に押し入り、ドルフースを射殺する事件が起こります。実行犯は処刑され、クルト・シュシュニックがドルフースの後を継いで、オーストロ・ファシズム政権を維持します。
しかしヒトラーは、オーストリア・ナチス党指導者アルトゥル・ザイス=インクヴァルトを入閣させるように、シュシュニクに圧力を加えます。シュシュニックは国民投票でドイツとの併合を拒否しようと図りますが、これを知ったヒトラーは激怒。ドイツ軍は国境に集結し、シュシュニックに最後通牒を突きつけ、大統領ヴィルヘルム・ミクラスは拒否しますが、シュシュニックはイタリアの協力が得られず、ドイツ人同士の争いを避けるため、苦渋の決断で併合を受け入れ、辞任しました。
ドイツ軍は市民の歓迎の中で進駐し、ミクラスはザイス=インクヴァルトを首相に任命。翌日、ザイス=インクヴァルトはミクラスの反対を無視して合併法を独断で発布し、オーストリアは併合されました。

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