1588年
刀狩令(天正16年7月8日)

刀狩りとは、権力者が、農民や僧侶の武装を解除する命令のこと。中でも有名なのが、豊臣秀吉の刀狩令です。
百性に対し、刀を召し上げ、その刀を材料にして方広寺の大仏を造り、宗教的救済と、農村の安寧を図る、という建前で行われたものです。
もちろん、武器を奪うことは、支配体制を安定化すること、一揆をなくし、大名の武力を減じるためのものでもあります。
一方で、狩猟用の道具は認められたことや、対象は刀のみでそれ以外の武器、鉄砲はそのままであるため、完全に武装解除になったわけではありません。つまり、「刀」が象徴する武士階級と、それ以外を区別する身分制の制定が目的だった、という説も有力です。
秀吉以外にも、鎌倉以降たびたび「武装解除」が行われていますが、秀吉の場合は、戦国期の国内総武装化状態が大きな問題だったという点もあると言われます。実際、秀吉は「喧嘩停止令」を発令して、武装紛争を禁じています。
刀狩りと、喧嘩停止令は、徳川時代にも継承されました。
身分制と武器の削減は、庶民出身で争いの中で出世した秀吉が一番良く理解していた問題だったというところも大きいと思います。
現代でも、紛争国の安定化の過程で、武装した民兵やゲリラ兵を武装解除する際に、お金や土地、農機具などの見返りを提供することで武器を集め、その集めた武器を壊してモニュメントを作るという方式がしばしば行われています。

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