1890年
エレファント・マン死去

映画にもなったエレファント・マンは、本名ジョゼフ・ケアリー・メリックといい、生まれてまもなく、体の細胞が異常に増殖する病気に罹り(プロテウス症候群と言われる)、左腕と性器を除くあらゆる場所が膨張し、変形して行きました。
知能は決して劣っているわけではなく、むしろ高い知能があったといいますが、その異様な外見とまともに行動できない状態から、11歳で母親が亡くなると、継母や伯父からも疎まれ、仕事につくことも出来ず、17歳で救貧院に入りました。
その後、21歳でその異様な体を使って見世物興行に参加します。というと障害者を金儲けの道具に使ったようなイメージがありますが、実際には興行主からは大事に扱われていたといいます。この見世物での呼び名がエレファント・マンでした。
ところが、皮肉なことに、見世物興行に対する社会的批判が出るようになると、ロンドンでの興行は出来なくなり、やがて彼を貧困に追い込んでしまいます。
病気にもなり、ようやく以前彼を診察したことのある医者フレデリック・トレヴェスに保護され、病院に収容されました。寄付を募ったことで、彼の存在が世間に広まり、同情を得られるようになりましたが、すでにその身体は弱っており、普段は行わない仰向けの姿勢で寝てしまい、その大きな頭のために窒息したか、頚椎を痛めて亡くなりました。

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