1992年
日本新党結成

結成したのは細川護煕前熊本県知事。肥後細川藩藩主家の出です。その細川知事が興したのが日本新党。参議院議員選挙で4議席を獲得しました。
ミニ政党はそれ以前にもたくさん登場していますが、いわゆる55年体制と言われた与党自民党、野党日本社会党の、変わることのない疑似的な二大政党制の中では、埋没するだけでした。
ところが、腐敗の続く自民党が政治改革を自ら潰してしまった上に、党内分裂して宮沢内閣不信任決議案は通過し、総辞職、解散総選挙となってしまいます。
自民党を離党した議員が新生党、新党さきがけを結成し、政界が変わると期待した国民の反応によって、選挙は自民党だけでなく、万年野党の日本社会党までも大敗してしまいます。一方、躍進した日本新党は、新党さきがけ、新生党と協力し、1993年8月9日、非自民連立政権、細川内閣が誕生するに至りました。国民の支持も高く、公職選挙法、政治資金規正法など改革が行われました。しかし国民福祉税構想を発表したことから一転、支持率は低下し、連立も崩壊状態へ向かい、1994年4月28日、総辞職してしまいました。
日本新党はその後、新生党から変化した新進党に合流して消滅し、細川自身もミニ政党を次々と立ち上げるも、結局政界を引退してしまいました。その後は陶芸家になっています。彼は東日本大震災の福島原発事故からかなり経ってから、突如反原発を唱えて都知事選などに出ましたが、票を得ることは出来ませんでした。
しかし、日本新党が戦後体制を終わらせたのは事実でしょう。一方で、いまの二級三級の政権が乱立するきっかけとなったのも、この時から。この20年間、日本の政界はまだ新しく脱皮しきれてないのかもしれません。

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