2008年
チベット騒乱

中華人民共和国成立まもない1951年に事実上の併合を受けたチベット。チベット仏教への弾圧などもあり、ダライ・ラマはインドに亡命政府を作り、独立の動きが常に存在している地域です。2008年、北京オリンピックを前に、チベット青年会議などが独立運動のデモを展開。各国のジャーナリストも取材していました。3月10日は1959年にラサ暴動が起こった日でもあります。この日を記念してチベット自治区ラサ市でデモが行われます。
ところが、僧侶らがパトカーに放火するなどしてデモは暴動へ発展。漢民族の商店を襲撃する事態になります。一方、漢民族の市民もナタやナイフなどを振り回してチベット人らを襲撃。両者の騒乱は取材していた各国メディアによって報道されました。騒乱には回族も巻き添えを受け、チベット族と回族の対立も招いています。公安当局による銃撃があったという目撃証言も。
中国政府は一部の僧侶によって扇動された暴動と位置づけ、3つの大僧院を封鎖。一方、チベット亡命政府は、中国軍の兵士がチベット人に扮装して騒ぎを起こしたと主張しましたが、後に撤回し、チベット人青年らによる暴動だと認めました。
力による支配と、漢民族の文化の押し付け、漢民族への優遇政策や経済支配が、この暴動の原因でした。中華人民共和国成立間もないころは、建前であっても各民族は平等とされていましたが、現在では漢民族による少数民族への差別意識が市民にまで浸透し、政府も露骨な差別政策を行なうようになったため、しばしば激しい対立を生んでいます。

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