1955年
紫雲丸事故

瀬戸内海の宇高連絡船だった紫雲丸と第三宇高丸が衝突し、紫雲丸が沈没した事故です。168人が死亡し、そのうち100人が修学旅行中の小学生だったことからその悲惨さが際立った事件です。
実は紫雲丸事故は5回あり、その5番目がこの事故。その前にも4回事故を起こしており、1回目の1950年3月25日の鷲羽丸との衝突事故では横転沈没し7人が死亡しています(それを引き上げて再使用した)。
紫雲丸は死運丸と呼ばれて、この名前は二度と使われず、名称は変えられ、その後は事故はなかったといいます(安全運行体制を強化したということもあるでしょうが)。
瀬戸大橋の建設や、小学校の水泳授業は、この事件がきっかけだとも言われています。

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