995年
藤原道綱母死去

長徳元年5月2日。藤原道綱母は『蜻蛉日記』著者です。
名前不明の彼女は、平安時代中期の女流歌人。藤原倫寧の娘で、関白太政大臣藤原兼家の妻の一人です。兼家との間に道綱を生んでいます。本朝三美人の一人と称されたそうです。
彼女の記したのが『蜻蛉日記』。夫兼家との結婚生活、一夫多妻だった兼家の妻たちのことを書き記したり、旅の記録、公家社会のこと、子供のことなどを記し、和歌も261首掲載されています。天延2年(974年)頃、39歳の大晦日で終わっています。そのため、晩年の彼女のことはよく判っていません。夫は位人臣を極めますが、多彩な女性関係があったことから、幸福とは言えなかったかもしれません。
一方で女流文学の先駆け的な日記で、多くの作品に影響を与えました。
ちなみに『更級日記』の作者・菅原孝標女は姪に当たります。

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