1949年
中華人民共和国成立

1921年7月23日に、当時中国で興されていた複数の共産主義政党を統合して興されたのが中国共産党。都市の知識階級の党派と農村主体の党派がありましたが、国民党の攻撃によって知識党派が壊滅すると、農村派(地主の家の出身)の毛沢東が主導権を握るようになります。
1936年の西安事件後に抗日で国民党と手を組んでいた共産党ですが、すでに大戦末期には対立、日本の敗戦後すぐに内戦状態に突入します。どちらも正規兵・非正規兵を含め400万を超える兵力を動員しますが、都市の市民層を基盤とする国民党に対し、国土の大半である農村を基盤とする共産党は、国民政府の経済政策の失敗もあって勢力を拡大。さらに旧日本軍の兵器を没収し、日本が開発した満洲の工業地域を占領し、残っていた日本兵や日本人を捕虜にして協力を強要させたことで、優勢に状況を進め、対する国民党軍は抗日戦争で弱体化していたことから、沿岸部へと追い込まれていきました。淮海戦役や平津戦役で国民党軍は大敗を喫し、共産党軍は大陸をほぼ制圧。
10月1日、毛沢東は北京の天安門壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言。蒋介石は台湾へ逃れたため、台湾侵攻も企図しますが、朝鮮戦争の勃発と、蒋介石が日本との関係改善を模索したことで、旧日本軍関係者が国民党に接近したことから、断念しました。
この日は、中華人民共和国では国慶節として祝日となっており、この日から一週間が「十・一」と呼ばれる「黄金周」(ゴールデンウィーク)の連休となります。

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