1989年
女子高生コンクリート詰め殺人事件が発覚

これは、未成年の少年数人が、女子高生を集団で強姦した上に拉致し、加害者の一人の家に監禁。41日間にわたり性暴力を始め、何度も顔をはじめ全身が腫れ上がって変形するほど暴力を繰り返し、まともな食事も与えず、ついに衰弱して死亡すると、ドラム缶にコンクリート詰めにし、東京江東区若洲の埋立地に投棄するという、まれにみる残虐非道の限りを尽くした事件。死亡した被害者の恐怖と絶望を考えると普通の人なら胸が詰まるような衝撃的な内容に、日本中に戦慄を与えました。監禁していた家の加害者の家族は、事態に気づいていましたが、少年の暴力を恐れ、何も言えなかったといい、家族にも大きな責任があります。
主犯格の4名は未成年でしたが、事件の内容から刑事処分相当として東京家庭裁判所から検察庁へ送致され、刑事裁判にかけられます。
1990年7月20日、東京地裁刑事四部の判決は、主犯格の少年Aに懲役17年(求刑無期懲役)、少年Bには懲役5年以上10年以下(求刑懲役13年)、監禁場所を提供した少年Cには懲役4年以上6年以下(求刑懲役5年以上10年以下)、最も関与が薄いと見られた少年Dには懲役3年以上4年以下(求刑懲役5年以上10年以下)の不定期刑を言い渡します。
殺意については、松本光雄裁判長が「未必の故意」として殺意を認定しますが、計画性がない、Aの両親が遺族に五千万円を支払っている、少年らが裁判中に「人間性に目覚めている」などを理由に、情状酌量を入れて、求刑より軽い判決となりました(少年D以外は殺人、婦女暴行、窃盗、傷害なども有罪)。
1991年7月12日、東京高等裁判所は、少年A、C、Dに関する検察側の主張を認め一審判決を破棄、主犯格の少年Aに懲役20年、少年Cに同5年以上9年以下、少年Dに同5年以上7年以下。少年Bは一審判決を支持し、双方の控訴を棄却して確定。
ところが少年Bは、仮出所後、2004年5月19日に、またも監禁致傷事件を起こし、6月4日に逮捕され、懲役4年が確定。この事件の影響で服役中の少年Aの仮釈放は取り消しになっています。
日本は死刑制度があり、廃止論が取り沙汰されますが、一方で有期刑は比較的軽く、弁護士による法廷闘争で責任能力を問題にして刑罰を回避しようということもあり、この事件のような残虐非道な凶悪犯罪でも短期刑で済むことがあります。そして、服役したからといって、この事件の犯人のように、人によっては、更生するとは限らないということも、刑罰の難しさを考えさせられます。

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