1912年
大陸移動説の発表

アルフレート・ヴェーゲナーがフランクフルト・アム・マインで行われたドイツ地質学会で初めて大陸移動説を発表しました。
かつて地球上の大陸が分裂し移動していった、と考えた人は、古くから何人もいます。彼らが同じ考えに至ったのは、ヴェーゲナーもその発案に至った原因である、アフリカ大陸西海岸と南米大陸東海岸の形が一致する、という事実でした。地図を見ていれば、おそらく地理や地質学の教育を受ける前の子供でも気づくかもしれません。
ただ、ヴェーゲナー以前の人たちは、必ずしも科学的に理論立てて、大陸移動説をまとめたわけではありませんでした。
1901年、エドアルト・ジュースが、インド、アフリカ、南米にまたがるペルム紀の植物の化石の分布から、一つの巨大な大陸、「ゴンドワナ」を考え発表しました。彼は大陸移動ではなく、地球収縮説を唱えましたが、他にも、ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングが太平洋から月が分離し飛び出ていった影響で大西洋付近にあった超大陸が分裂したという説を、フランク・バーズリー・テイラーは、大西洋の中央海底にある海嶺によって大西洋が広がっていき、大陸が移動したという説を唱えました。
そしてヴェーゲナーは、それら様々な説と、科学的な研究成果によって得られるようになった、地質、地理、生物分布などの情報を元に、より詳細な大陸移動説を唱えました。大陸移動と呼んだのも彼が最初でした。
彼は、エドアルト・ジュースの説から、大地は、花崗岩質のシアル層と玄武岩質のシマ層に分けられ、密度の低いシアル層が、密度の高いシマ層の上に浮かぶような構造になっていて、地球の遠心力と太陽や月の潮汐力によって移動するのではないか、と考えました。ただ、こういう移動のメカニズムは納得できる理論が確立されず、大陸移動説はしばらく定説とはなりませんでした。地形は偶然、同じ生物が別大陸にいるのは、大陸をつなぐ陸橋があったからだろう、と言われ続けました。大陸移動説が認められるまでには、1950年代以降にマントル対流とプレートテクトニクスが出るまで待つ必要がありました。

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