1968年
九州大学電算センターファントム墜落事故

夜の22時45分頃、嘉手納基地より移動してきた板付基地第313航空師団所属のRF-4Cファントム偵察機が、九州大学に建設中であった大型計算機センターに墜落。センターは炎上し、機体の一部は建物の足場にぶら下がったまま残ります。
翌日には、大学当局が抗議声明を出し、教職員や学生らが抗議デモを行います。デモは連日拡大していき、板付基地を包囲するなど、大規模なものになりますが、このあと事態は奇妙な方向へと変わります。
残っていた機体の残骸を、反戦の象徴にしようと学生らが騒ぎだし、これに対し、大学側は米軍の介入には反対したものの、撤去することを決めたことから、今度は学生と大学側の対立になってしまいます。大学としては施設を建設中でもあり、残骸のままというわけにもいかないからでしょう。8月1日、学生らはセンターを占拠。バリケードを築きます。このまま半年ほどが過ぎた1969年1月5日深夜、何者かが強引に学内へ重機を入れ、残骸を引きずり下ろしてしまいました。
これが問題化し、大学総長は辞職。調査委員会も置かれますが、結局詳細は明らかにならず。総長が建設業者に撤去を依頼した、とも言われています。
反発した学生らによる学生運動は激化。1969年5月20日、大学全体を占拠封鎖してしまいます。
全国の大学でも施設の占拠事件が連続したことから、政府は同年8月7日、大学の運営に関する臨時措置法(大学管理法)を導入。
10月14日に、機動隊4400人が動員されて、強制的に排除する事態になりました。
学生らの大学の自治の主張も、結局は大学としての機能が失われた結果の強制措置でした。学生たちも暴力革命運動からノンポリズムへと変わっていきます。
事件現場の大型計算機センターは工事が再開され、1970年5月8日にオープンしました。
なお、事件の背景には、1968年1月23日に起こったプエブロ号事件による米軍の朝鮮半島展開があります。

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