1096年
民衆十字軍壊滅

第1回十字軍は聖地エルサレムの奪回を目指し、ローマ教皇ウルバヌス2世が宣言し、1096年の8月15日主にフランスの騎士らによって編成された軍隊が出動することになっていました。
が、この宣言を聞いた西欧各地の小領主、下級騎士、地主、庶民、若者らが熱狂。自発的に十字軍を編成して、次々と聖地エルサレムへ向かいました。
民衆が熱狂したのは、人口増による飢饉や疫病の蔓延に対する不安や、新千年紀への期待などから、贖罪につながる宗教的な運動が盛り上がる背景があったと見られます。彼らを煽り、盛り上げ、その集団を組織化したのが、フランス北部アミアン出身の聖職者ピエールでした。
彼はロバにまたがって各地を回って説教し、人々は次々と遠征に加わりました。5つの集団に分かれ、数万の庶民が移動して行きました。率いることになったのは、騎士ゴーティエ・サンザヴォワール。
民衆十字軍とは言っても、それなりに武力を保有していました。しかし貧者も多い彼らは、エルサレムよりもはるかに手前、フランスやドイツ各地で、早くも異教徒のユダヤ人らを襲っては殺し略奪に走るようになります。秩序は乱れ、味方同士で対立するようになり、脱落者や盗賊と化すもの、各地の領主に捕らえられ殺されたり奴隷化するもの、と混乱は広がって行きました。
彼らの動きを危惧した東ローマ帝国にも追われるようになり、そのままボスポラス海峡を越え、そこでも略奪を繰り返しました。ニカイアまで来た所で、ついにルーム・セルジューク朝のクルチ・アルスラーン1世の軍勢に襲われ、民衆十字軍は壊滅しました。ゴーティエも戦死します。ピエールは生き残り、十字軍本隊に加わりました。

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