1946年
鉄のカーテン演説

ウィンストン・チャーチル英首相が、ミズーリ州フルトンのウェストミンスター大学で行った講演で語ったのが、「鉄のカーテン」演説。冷戦の始まりを象徴する現代史の有名なセリフです。具体的には、
「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部及び東部ヨーロッパの古代から続く都はみな、その向こうになってしまった」
シュテッティン(シュチェチン)は、ドイツとポーランドの国境沿いにある都市で、戦後ポーランド領に組み込まれました。トリエステはイタリア北部、当時のユーゴスラビアとの国境沿いにある都市でした。
もちろん、実際に鉄の壁が作られたわけじゃないし、このラインも常に定まっていたわけではなく、ドイツは東西に分裂し、ユーゴやアルバニアは東欧諸国から分離し、独自の中立国家となりました。
また、この発言のラインとは異なりますが、東西ドイツの分裂後、ベルリンを中心に壁が作られ、また東欧各国と西ドイツやオーストリアとの国境は事実上封鎖されて鉄のカーテン状態になりました。
なお、この発言はチャーチルのオリジナルではなく、それ以前からナチスのゲッベルスなども同様の趣旨を述べていたといいます。


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