1347年
カレー包囲戦が終結

彫刻家ロダンの有名な作品に「カレーの市民」というのがあります。
これは、百年戦争中に起こったカレー包囲戦に由来しています。
イングランド王エドワード3世は、フランス北部、英仏海峡に面したカレー市の攻略を目指しました。イングランドに近く、補給が容易で、大陸進出の拠点となりやすかったからです。
1346年9月に包囲戦が始まると、カレーは城門を閉じ籠城します。周辺が湿地で攻略が難しく、粘ればフランス軍がやってくると信じたからです。しかし、フランスの援軍はイングランド軍に阻まれて近づけず、一方イングランド軍は本国から次々と補給を得て、城外に街を作るなど長期戦に備えました。
補給を得られず、カレー市内は飢餓に瀕し、子供らを外に出しますが、エドワード3世に追い返されます。
ついに窮したカレー市民は市の明け渡しを決定。この際、エドワード3世は、市民全員の死刑を決めますが、進言もあり、代表者6人の処刑だけで許すことにしました。それを聞いたカレー市民の中の6人が自ら犠牲となるべく名乗りでて出頭しました。処刑されかかりますが、夫と共に前線に来ていたイングランド王妃フィリッパが助命を訴えたため許されました。
なお、イングランドでは、エドワード3世が、カレーの子供たちを追い返した、という話も、カレー市民を処刑しようとした、という話も、事実とは異なっているとされています。

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