982年
「グリーンランド」命名

グリーンランド島は北米大陸の北東に位置する北大西洋および北極海上の島。世界最大の島で、世界最北の陸地。
現在はデンマーク王国を構成する自治国となっている。
国土の8割が氷床で厚さは最大3,000mに達する。近年になり地球温暖化の影響か、氷床の融解が激しくなっており、資源開発や土地利用に期待が持たれる一方、海水面の上昇、淡水の海中流入による気候変動に拍車が掛かるとの懸念もある。
島名のグリーンランド(デンマーク語でグレーンランド)は、そのまま「緑の島」を意味するとされている。
この島の名前をつけたのが、船団を率いてこの島に到達したノルウェー生まれのバイキング「赤毛のエイリーク」。
なぜこの氷だらけの島に「グレーンランド」と名付けたのかは諸説あり、有力なのが、エイリークは、その前にアイスランド島を発見して、氷の島と名付けたが、そんなところに入植希望する人はおらず失敗したため、今度はいかにも緑溢れる場所に思わせようと「緑の島」と名付けたという。
ただ当時は今より温暖だったため、グリーンランド南部には森や草地もあったという説もある。
もともと紀元前2500年から紀元前800年ころまで、シベリアから北極海沿いに移動したパレオ・エスキモーがグリーンランド南部に移り住み、サカク文化を築いた。少し遅れて北部にも居住するようになったとみられる。
しかしこの文化は紀元前後に消滅。次に同じくパレオ・エスキモーの前期ドーセット文化が紀元前500年ころから紀元200年ころまでグリーンランド西部に勢力を広げた。
前期ドーセット文化が消滅したあと、数百年間、ほぼ無人だったと思われる。
その後に現れたのが「赤毛のエイリーク」。彼はアイスランドで紛争を起こして追われる羽目になったため、25隻の船団でアイスランドを出たあと、14隻の船がグリーンランドにたどり着いた。エイリークは南西海岸地帯に定住地を作った。
エイリークの息子のレイフ・エリクソンはグリーンランドを起点に更に西へと航海し、ヘルランド(岩の国)、マルクランド(森の国)を発見後、西暦1000年に豊かな土地を発見しヴィンランド(ブドウの国)と名付けて定住地を作った。ヘルランドはバフィン島、マルクランドはラブラドル半島、ヴィンランドはニューファンドランド島とする説が有力で、ヨーロッパ人で最初に北米大陸に到達したのはレイフ・エリクソンらであったのは間違いない。しかしヴィンランドはアメリカ先住民との諍いで、短期間で衰退・消滅したとみられる。
一方、グリーンランドは比較的長く繁栄し、人口も増えたが、13世紀ころから理由不明(寒冷化?)によって居住地の衰退が始まり、遅くとも16世紀までには入植地は消滅してしまった。
これとは別に、グリーンランド北西部に後期ドーセット文化の居住地があったという説もあるが、これも消滅したようで、ドーセット文化やヴァイキングが消えたあとに現れたのが、現在グリーンランドに最も多いカラーリット(イヌイット)の祖先でチューレ文化を担った人々。
そして、捕鯨のために各地に進出したヨーロッパ人が再びグリーンランドに到達し、再入植していくことになる。

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